たそがれ日記

したたかに、しなやかに。

今年最後の,月1旅行。今回は2泊

2009-12-15 21:48:44 | 日記
練りに練った企画で、まず手始めに、倉敷へ。
友人達に、教えて頂いた・・東京駅のあのお弁当屋で、昼食用に、それぞれ買い込み新幹線へ。

見事に雪を頂いた富士を横目に、お弁当を開きました。指定席も、自由席も
まばら・・のんびりしたものです。

岡山で、乗り換え、倉敷へ。知らせてあったので、妹夫婦が改札口に、並んで、
迎えてくれ久し振りの対面となりました。

モノトーンの床しい雰囲気、詩情豊かな倉敷の散歩道です。
 
ここが、有名な大原美術館。日本で、最初に出来た西洋近代美術館。ヨーロッパの数々の名がが、展示されていました。
 
高梁川により育まれた豊かな土地と、瀬戸内特有の穏やかな気候により、
栄えた町。ここ一帯が美観地区として国内外の人から、愛され、こんな所に
住み、のんびり過ごている妹が羨ましく思えました。
 
美観地区の裏通り。白と黒の蔵造りの家が連なっています。↑は証券会社。
黒板に、本日の株価が逐次丁寧な字で、書き込まれていきます。中々見られない
面白い建物に、時の経つのも忘れて、本日の株価の上がり、下がりを見る事が
出来ました。
 
これが今回宿泊した(アイビースクエア))10月で、1年たったという・・明治時代に
建てられた倉敷紡績会社(倉紡)を改造したもの。ツタの広場、赤レンガのホテルです。長い年月を経た蔦がレンガの壁を四季折々に彩り、赤と、緑のコントラストが、
何とも、静かな雰囲気を醸し出していました。
 
倉敷には古い蔵屋敷を活用した色々な施設があります。このアイビースクエアも
建物の柱、屋根も古いものが残されています。古いもの、新しいものが渾然一体
一つの文化施設として、価値があるのだそうです。

幸いに妹が、通訳をして諸外国の観光客の案内をしているので、普段は見えないところまで、見せてもらえ、ラッキーでした。

その上名物のママカリ(あまりおいしくて、隣家にご飯を借りに行った)と言ういわれの
子魚が食べられた事。ラッキー続きで、翌日は、今回の旅行のメーン 神戸ルミナリエに向かいます。この後、の素晴らしさ、失敗談。とんでもない事、お伝えいたします。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
倉敷の旅 (なでしこ)
2009-12-16 09:56:05
あの自然体の母娘さんとの旅良かった事。
しかも妹さんとも久し振りのご対面案内までしていただき感慨深い旅となりましたね。

10年位前?の夏に広島から倉敷に行ったことを思い出しました。

美観地区の静かなたたずまいが素敵でした。また宿もクラボウの跡地で素敵です。
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なでしこ様 (ゆずりは)
2009-12-16 12:01:32
テンプレートのオリジナルが出来なくて、アップするのに、一日中あ~でもない、こうでもない・・と試行錯誤。諦めました。

倉敷駅前に作られた、チボリ公園も、期待していましたのに、何年か前に、閉鎖となり、大きい広場のみが残っていました。商業土地として吟味中とか・・
残念でした。

ここにも都会ずれした、悪い人出没。「案内してあげますよ」・・の言葉に、釣られて付いていくと、多額の謝礼を要求されると駅に、大きく書かれていました。情けない!。都会に住んでいると、こういう土地は憩われますね。
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素適な旅を (まーにゃ)
2009-12-16 23:02:25
良かったですね、
写真小さいけれどはっきり見えます、でも大きいのをみたいです。そのチボリがあった時に行きました。本物にはかないませんがね。
このテンプレート、カスタムですか?早く見たいです。
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大旅行 (バード)
2009-12-17 01:03:16
一眼レフは、すばらしくきれいに写りますね。
遠近感が良く出て、すばらしい!!
あの、婚家からたびたび両手に荷物で、エーン!と、お姉さん宅に泣いてきた、妹さんが、通訳を?さすがこのお姉さんのいもうとさんですね。カルチャーショックです!
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まーにゃ様 (ゆずりは)
2009-12-17 20:52:18
本当のところ・・チボリが見たかったのです。

インターネットで、見ればよかったのに、図書館で、倉敷を調べに調べた挙句、閉鎖されたとは書いてなかったので、残念至極でした。街そのものはあこがれの街ですね。妹の家も白黒の蔵屋敷で、古い建物です。

オリジナルテンプレートがどうしても貼りつかず、困り果てています。途中までは出来るのですが・・幾らやっても駄目なのです。
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バード様 (ゆずりは)
2009-12-17 21:08:17
今度の旅には一眼は、持参しなかったのです。神戸のルミナリエの見学者の多さでは、一眼なんか使えない・・と聞いていたものですから。
事実十何万と言う人波ではデジカメでも、やっとでした。
この後、見てくださいね。納得します。

ふと漏らした昔の妹の事、よく覚えていて下さった・・には感心しました。子供も育ち、両親も亡くし、夫婦二人になり、今はのどかに、逞しく過ごしています。

由緒ありか、どうか知りませんが、蔵屋敷の伝統には
若い身ではついていけなかったのでしょう。一人をおんぶし、一人を連れ、荷物を持って、我が家の玄関を開けるや否や…エ~ン。忘れられません。親のところには、帰り難かったのでしょうね!。50年も前の話です。
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