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ペテロのように

2024-03-31 16:02:18 | 日記

イースターおめでとうございます!

数日ぶりの投稿になります。この一週間はキリスト教暦で言う受難週を過ごし、今日は主イエスがよみがえられた事を記念するイースターでした。

あらためて、この出来事が罪という現実のなかで踠(もが)いている私にとってどれほど喜ばしいことで決して揺らがない事なのかを噛みしめたいと思います。

しかし、この喜びの知らせを知りつつも、先週は現場の変わりやすい天候も左右したからなのか一喜一憂の一週間を過ごしました。

前半は気持ちが下向きでしたが、週末には以前働いた大阪の現場の所長さんが、なぜか現場に視察に来られ、私の所へも歩み寄ってくださり、新たな話し合いが出来ました。

以前に頂いた商談は実現が難しかったことや、また新しい話し合いが出来たことは感謝でした。

次の一喜一憂は、帰省の新幹線(トンネル通過や対向車通過時の気圧の変化?)が体に合わないのか、翌朝からめまいが酷く立ち上がるのも困難で休日は事務作業も出来ず終日横たわっておりました。

前回の帰省では、新幹線はなんと楽ちんなんだろう! と思って二週間足らずの事です…。

また現場への戻るのに、新幹線に乗って調子が悪くなるのが大きな心配ですが、仕方なく現場に向かっております。

そのように私の気持ちや信仰などは、いとも簡単に揺らいでしまいますが、それでも神様が私たちに向けられたイースターのメッセージは決して揺らぐことはないものです。

最近、働きながら大山を眺めてよく思うことは、この山ようにどっしりとした信仰を持ち続けていたいな、という思いです。

あのイエス様を裏切ったペテロが、晩年変えられていったようにです。

若い頃のペテロは「…『たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。』」(マタイの福音書 26章 33節)、と豪語していましたが、死の恐れを前にして、主を否んでしまいました。

この一介の漁師にすぎなかったイエス様の一番弟子ヨナの子シモンは、イエス様から「ペテロ」というニックネームを与えられました。

★「彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンを見つめて言われた。『あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。』」(ヨハネの福音書 1章 42節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ケファもペテロも“岩”を意味している言葉からきているそうです。そんなニックネームを頂いたペテロの心中はいかばかりであったでしょうか…。しかしペテロがイエス様と寝食を共にした頃の信仰と言えば、岩のようにどっしりとしていたどころか、むしろ、たまに誉められても、そのほとんどが突拍子もないことを言ってしまったり、失敗だらけの生涯でした。

そして当局に逮捕された主を前にし、先に豪語していた彼が発した言葉と言えば、

★「ペテロは誓って、『そんな人は知らない』と再び否定した。しばらくすると、立っていた人たちがペテロに近寄って来て言った。『確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。』するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、『そんな人は知らない』と言った。すると、すぐに鶏が鳴いた。(マタイの福音書 26章 72〜74節)

と、そんなペテロでしたが、よみがえられた主イエスはペテロのもとに再び現れてくださり、彼の弱さを知った上で、再度ペテロを御自身の働きを担うものとして召してくださいました。

イエス様が生涯の半ばにペテロに仰ってくださった言葉が私の心にも残ります。

★さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」"マタイの福音書 16章 13〜19節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちプロテスタントの教会の理解では、あのピリポ・カイサリアの地で、ペテロが主イエスに向かって告白した、ペテロと“その信仰告白”をかけて、主は「わたしの教会を建てます」と仰ってくださり、主の教会は、約二千年間、迫害もくぐり抜けこの信仰告白の上に建てられ続けて来ました。

そして、あのイエス様を裏切ったペテロは、上からの力を着せられて(ルカ24章49節.使徒の働き1章8節)、初代エルサレム教会の指導者として、イエス・キリストを知らないなどとは言わず、迫害や死ぬことも厭わずに、イエス・キリストを証し続け、当時の教会を建て上げる働きに貢献しました。

ペテロをそのようにしてくださった主は、小さな私にも現れてくださり、御自身の十字架とよみがえりを示してくださり、私をも成すべき主の働きへと招いてくださいました。

「あなたは生ける神の子キリストです。」

心は一喜一憂し、信仰も揺らいでしまう弱い者ですが、ただこの信仰告白に立ち続け歩む者とされていきたいです。

本当に主はよみがえられました!

★「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。(ルカの福音書 24章 34節) 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 

 

 

 

 


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