ケバル川のほとり日本でも

在日4Kの気ままなブログ。

2023/12/24のキャンドルサービスにて

2023-12-25 20:02:44 | 日記
今日からブログを始めようと思います。

昨日の12月24日は母教会でクリスマスの燭火礼拝(キャンドルサービス)でした。

今年のキャンドルサービスは、これまでになく一番心が温まるのを感じました。

どうしてだったのだろう…。

沢山の要因はあったのだろうが、ここ一、二年は特にいろんな事があったから余計にそう感じたのかもしれないです。

順番でクリスマスにまつわる聖書箇所を朗読する途中、緊張で一ヶ所噛みましたが、私は朗読中、その出来事に感極まって嬉しさが表情に滲み出てしまったかもしれないです💦

聖書箇所は「東方の博士来訪」で、マタイの福音書2章1~12節でした。

これまでになく心が温かくなったのは。
母教会の方々が祈り備えてきたからなのでしょうか。

よく備えられてきた聖歌隊と指揮者のど真ん中の席に座って味わうことができたからなのでしょうか。

またはクリスマスのメッセージが深く心に刺さったからなのでしょうか。

もしくは会が終わったあとの歓談の一時、お互いの近況をゆっくり話し合えたことが良かったのでしょうか。

それとも、その場から出張先の宿に出発する直前、名前を呼んで、行ってらっしゃい、と送り出して貰えたことも嬉しかったのかもしれないです。

なんか今年は大変に心温まるキャンドルサービスの夕べを過ごすことが出来て感謝でした。
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これからも日記や教えられたことなど、肩肘張らず、気ままに、ありのままに書いてみたいと思います。

日ごと、私に俳句・川柳や歌壇を送ってくださる方がおられ、以前その方が私に「キムさんも何か話したいことありますか?」と、問われたけれど、普段はあまり話さないほうなので、私からも日々感じたことを発信出来たらと、とりあえず始めてみることにします。

ブログ名に付けた「在日4K」の「K」は、ややこしく思われるかもしれないですが私のこれまでに関連する名前(あだ名も一つあります)の頭文字です。

私の元々の日本名は金田憬(K)で、生まれ育った家族や親族からは当たり前ですが現在でも“さとる”と呼ばれています。

もう一つは小学校からのあだ名がキンタ(K)です。

そして、次の2つは例外ではありますが、10代の半ばに一度家族が離れ離れなった事があり、その時世話になった恩人が伊藤(I)さんでした。
雇って貰えていただけでなく養子縁組まで真剣に考えてくださっておりました。
私が公○執○防○で○察○に閉じ込められてしまった晩には、お酒もかなり飲んでいたのにも関わらず、すぐに車を運転して私を取り返しに来てくれました。
今思えばどうして出てくることが出来たんだろう、今では到底あり得なかった話だと思います…。
そのままなら、私の人生もまた変わっていたのかもしれないです。

また、30代始めからの怪我を機に、仕事の転職繰り返していた私を、拾って忍耐して現在にも繋がる仕事を学ぶチャンスを与えてくださったのも、伊藤社長という方で、私の今があるW伊藤(I)社長は恩人でもありす。
そして最近かつて現場でお世話になったまた別の伊藤さんという方とも5年後越しの再会があり、仕事面で大失敗を経験し、キリスト者としても恥ずかしく大きく悩んでいた私に、今後の人生に大きな転機をもたらしてくれそうです。

そのように私にとって人生の節目節目で出会う伊藤さん達は、不思議なほどに特別なお名前のひとつです。

話は戻り、その後にまた家族が一緒に再出発することになり、その時を機に16才の頃から通名を加藤(K)に改め、現在にも至ります。

そして、21才の時にイエス・キリストと出会ってクリスチャンになってからは、あるがままの本来のルーツである本名で生きてみたい、みるべきか、と何年かおきにその都度真剣に考えてはみたものの、いつも踏ん切りがつかなかったです。
しかし、52才の時に起こった出来事を機に再び考え始め、その時こそ神様も背中を押してくださっておられることを感じ、金憬晤(K.K)という本名で残りの人生を生きることを決心しました。
人生の、また天国に向けての旅立ちの分岐点としてです。

ブログ名の一つの4K(I)はそこからで、「ケバル川のほとり」は、旧約聖書のエゼキエルという人物が、捕囚にあっていた異国の地で神様と出会い、同胞への使命を授かった出来事を、私にとっても生まれ育っている母国のこの日本は、どうしても異国の地でもあり、エゼキエルへの召命の出来事は、置かれた国と対象の人々は違えど、私にも同じ神様から(エゼキエル1章)、同じように与えられた使命として捉えているからです。

話は戻りますが、朗読では、東方の博士たちの巡礼の行く道を守り、帰りの道をも守り導かれた神様の御手を覚えました。

そして、いまも礼拝者を求め招き導く神様は、今も変わらずに私たちの歩みをも導いてくださることを信じて感謝します。

🌟聖書
博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

マタイの福音書 2章 9〜11節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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