唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

1968年における日大不正経理問題と日大闘争

2021-10-20 | 日記

日本大学の理事の一人がこの10月7日に背任で逮捕されました.この人物は,「日大のドン」と呼ばれる権力者=理事長の最側近とのことです.当の理事長の逮捕を観測するメディアもあります.「日大闘争」として知られる50数年前の日大全共闘による激しい闘争の発端もやはり金に関わる不正の問題でした.日大経営幹部の体質はむかしと変わりがないようです.

テレビの報道番組で,日大の若干の学生たちに対するインタビューを見ました.いずれもあきれたり,しらけたりはしていましたが,怒りの表明はありませんでした.経営幹部とは異なり,学生のほうはずいぶんと変わってしまったようです.

本ブログでは,唐木田健一『1968年には何があったのか』批評社(2004)の17章にもとづき,次の記事を掲載します.文中の日付はすべて1968年10月を現在時としたものです.

 

     *

17.日大闘争

 

 10月4日(金)

 今週の月曜日(9月30日),学生たちがねばり強く果敢に闘争を展開してきた日本大学で,ついに大衆団交が開催された.場所は両国の日大講堂.ここは確か,もとの国技館だ.

 会場には日大全共闘の学生ら約1万人,周辺には支援の学生約2万5千人とそれを妨害しようとする体育会系など約800人が集まったそうだ.団交は午後3時からはじまり翌日の午前3時まで続いた.古田重二良(じゅうじろう)・日大会頭は,

6月11日,経済学部で体育会系暴力学生をつかって学生を弾圧したこと,大衆団交を放棄したこと,機動隊を導入し仮処分を執行したこと,は間違いであり徹底的に自己批判します.

という文書を読みあげて署名し,また理事たちも次々と立って辞任を宣言した.よくは知らないが,「会頭」というのは日大組織の頂点のポジションらしい.

 学生たちの大勝利にみえた.学生自治権の確立,体育会の解散など,4項目と付帯1項目の「確約書」に署名がなされた.

 以前,友人の寮で会った日大の学友は,「不正に頭にきて本当に思いがけず学生運動に飛び込んだ」と語っていた.彼は「古田を殺してやりたい!」とまで言った.今回は多分,彼も若干なりとも鬱憤が晴れたことであろう.

 この大衆団交の様子は,テレビ・新聞で大きく報道され,世間には大きな衝撃となったらしい.早速翌日の閣議では首相の佐藤栄作が問題にしたということだ.佐藤は「日本会」とかいう不気味な名前の団体を通じて古田とは親しいらしい.

 これに影響されてかどうかは知らないが,古田会頭はこの3日に再開を約束していた大衆団交を拒否し,また署名した「確約書」の破棄を宣言した.そして,きょう,秋田明大(あけひろ)・日大全共闘議長をはじめとする学生8人に逮捕状が出された.何ということだ!

 日大闘争の発端は,金にまつわる不正という実に明瞭なものだった.教授が裏口入学の斡旋で得た金の脱税問題とか,会計課長が蒸発したとか,過去いろいろ報道はなされてきたが,今回の紛争の直接のきっかけは,今年の4月15日に東京国税局によって摘発され発覚した使途不明金20億円の存在であった.これは,(多分,古田を含む)日大幹部のヤミ給与となったらしい.

 4月18日,教職員組合は古田会頭をはじめとする全理事の辞職を要求した.また,経済学部・短大経済学部の学生を中心として,広範な学内民主化闘争が開始された.

 5月23日には日大開学以来初めてといわれるデモが敢行され話題となった.また,同月27日には各学部から約7千名が集まって全学共闘会議が結成され,全理事の退陣,経理の公開,大衆団交の要求が掲げられた.

 この間,私などが新聞記事でしばしば目にしたのは,全共闘や集会参加学生に対する体育会系学生の襲撃だった.6月11日,経済学部前で開催された約1万人の全学総決起集会にも体育会系学生が殴り込み,負傷者百人を越す流血の事態となった.これは,上に引用した「自己批判書」に触れられている事件だ.

 各学部は,6月12日の経済学部をはじめとし,次々とストライキに突入した.大学当局は,学生からの繰り返しの要求にも関わらず,大衆団交を拒否し続けた.全共闘は各学部の建物および本部を封鎖・占拠した.

 9月4日,当局の申請にもとづく東京地裁の仮処分が執行され,本部および経済学部・法学部に機動隊が導入された.占拠中の学生は投石などで抵抗したが,132人全員が逮捕された.しかし,全学の学生・教職員はこの強制執行に強く反発した.全共闘は抗議集会を開き,その日のうちに経済学部および法学部を再占拠した.

 このあと,機動隊導入による学生排除-再占拠が何度か繰り返された.9月12日の全学総決起集会には約2万人が参加し,大デモを行って,白山通りで機動隊と衝突した.このとき154人が逮捕されたが,法・経の建物は奪還した.

 9月19日には最後に残った医学部がストライキに入り,11の全学部のストライキ体制が確立した.24日には本部も再封鎖された.こうして,日大全共闘は9月30日の大衆団交を迎えたのである.

 テキはさすがに汚いししぶとい.ただ,こんなことは最初からわかり切ったことだ.闘いはもちろん,これからである.

     *     *     *

 今年の4月15日に東京国税局が日大の使途不明金20億円を摘発した際,それが記事にならぬよう各紙に働きかけた有力者たちがいたという.その一人が日大出身の池田正之輔・自民党代議士だ.池田代議士は自民党の福田赳夫・幹事長の派閥の重鎮であり,日大の古田会頭はおそらく彼の重要後援者の一人である.この池田代議士が6月25日,日本通運からの収賄容疑で起訴された.「日通事件」はついに政権与党に結びついたのだが・・・・・.

 東京地検が日本通運本社の手入れを行ったのは今年の2月だった.業者から約3億円のリベートを受け取ったという管財課長が逮捕された.さらに,3月になっての東京地検の発表によれば,日通の役員たちは金の延べ棒を購入し,決算期毎に金杯などを作って無申告所得として山分けをしていたという.どこかの大学と同じ「ヤミ給与」である.また,管財課長の受け取ったリベートは5億円にものぼるらしい.そして,4月8日,日通の福島・前社長および西村・前副社長が業務上横領容疑で逮捕された.福島は今年の1月に社長を辞任していた.

 日通におけるヤミの資金が政界工作に用いられた可能性はずいぶん以前から指摘されていた.そして,6月4日,東京地検は社会党の大倉精一・参議院議員を逮捕した.容疑は日通の「米麦独占輸送問題」に関しての200万円の斡旋収賄だった.本人は容疑を否定した.

 大倉議員は日通の労組出身ということだから,日通との関係は当然深いであろう.ただ,意外なのは,逮捕者が社会党議員一人だけということであった.日通と自民党との関係を考えれば,きわめて理解しにくい事態だった.参議院選挙(6月13日公示,7月7日投票)を前に社会党は明らかに苦境に陥った.

 6月25日,大倉議員が拘置期限を迎える日に,東京地検は前日家宅捜査をしたばかりの自民党・池田正之輔代議士を在宅のまま起訴した.容疑は日通からの300万円の収賄だった.大倉議員のほうは逮捕のまま起訴された.同じような収賄容疑なのになぜこのように扱いが違ったのか?

 8月の末から9月のはじめにかけて,興味深い事実が明らかにされた.日通の前社長らが逮捕された10日ばかりあとの4月19日,新橋の「花蝶」という料亭で,井本台吉・検事総長が自民党の福田幹事長および池田正之輔代議士と会談したというのだ.検事総長は「すべての検察庁の職員を指揮監督する」検察最高の地位である.その人物が,約2カ月後に起訴されることになる人物と会食をしていたのだ.

 この会食のホストは,井本検事総長で,彼が去年の11月検事総長に就任するに際し,池田の尽力を得たその返礼とのことだった.この池田の「尽力」なるものは本当のことらしい.だから,こんな会食など何も問題にならないということにはならないであろう.逆に大問題ではないか.

 また,井本検事総長は群馬県出身で福田幹事長とは同郷であり,二人は学生時代からの友人であったらしい.福田が大蔵省の主計局長だったとき,「昭電疑獄」(1948年)に関わって収賄容疑で逮捕されたことはよく知られているが,このとき弁護人を務めたのが井本・現検事総長だったということだ.

 大倉議員と池田代議士という二人の被疑者に対する検察の不可解な扱いの違いも,私にはこの与党幹部と検事総長との関係でとてもよく理解できた感じがした.


2022年2月21日追記:

すでによく知られたことであるが,日大理事長・田中英寿は2021年11月29日,所得税法違反容疑で逮捕された.田中は当時の体育会系学生であった.

上の文中に出現する自民党幹事長・福田赳夫はその後首相となった.赳夫の息子・康夫も(現在では)元首相である.ついでながら,康夫の息子・達夫は衆議院議員で現在自民党総務会長である.