日本の景観を探る

幼い頃、見た自然の風景、山、川、野、樹木、草花を求め歩き、今も残る季節の風情を、田舎の集落に探し,その記録を残す。

0804 鹿島アントラーズホームスタジアム(スタンド)

2008-05-22 05:00:23 | 栃木SC追っかけ記
この写真は、メインスタンドからバックスタンドを写したもである。

メインスタンド、バックスタンドおよび両ゴール裏のスタンドとも、満席の観衆およびサポーターの入った中で、日本一に近い芝の管理をされているピッチで、カクテル光線の明かりを受け、赤い軍団(アントラーズのホーム色)は、設立当時から強かった。

ジーコが、黒崎(宇都宮学園卒)が、長谷川が、秋田が、本田が活躍していた。

記憶の中では、6回ほどこのスタンドに行ったと思う。

サッカー好きの自分の思い出である。

なんとしても、「栃木にJを」を掲げ、栃木SCのサポーター活動をしていきたい。

このスタジアムを懐かしく見てきて、その思いを強くした。
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0804 鹿島アントラーズホームスタジアム

2008-05-13 05:33:26 | 栃木SC追っかけ記
4月29日祝日(以前は昭和天皇の誕生日として、ゴールデンウイークの重要な休日)に、対龍ヶ崎(茨城)の「流通経済大」との試合を見に出かけた。

JFLの試合が、ワールドカップの試合を何試合か開催した「茨城県立、鹿島サッカースタジアム」(鹿島アントラーズのホームスタジアム)で行うとの事で、懐かしさも重なって、遠路鹿嶋市まで出かけた。

20年程前になるのだろう、Jリーグが発足したとき住んでいた茨城の県南の地に近い、鹿行地区の田舎の町、鹿島町(現在は大野村、鹿島町   が合併し鹿嶋市(佐賀県?に鹿島市があり「島」を「嶋」に変えた))にJリーグが誕生するというので、大変興味を持ち、即アントラーズのサポーターになった思い出の地である。

あの当時のアントラーズには、あの「ジーコ」が選手として、チームを現役で牽引していた時代である。
「住金鹿島」がバック企業としてあった事もあるが、あの田舎町鹿島町が町全体を上げて、「おらが町のJリーグチーム」アントラーズを老若男女すべての町民が、応援の旗を各自手に振って、鹿島の夕方の田舎道を歩いて、あの町に不似合いなスタジアムに列を作って集まった光景が今もはっきり覚えている。
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0805 宝積寺近郊の5月初頭の水田

2008-05-06 16:44:07 | 目に留まった被写体
ゴールデンウイークの休日の最後の朝、カメラを持っていつもの鬼怒川のグリーンパークに向う途中、早苗の植えたばかりの水田に朝日との方向の関係で、農家の民家が美しく写っているのを、撮ったものである。

この時期、農家で5月の連休に勤め人(サラリーマン、役所勤め、)の手を借りて、田植えをすることが昨今多くなった。

私の子供の頃は、記憶が間違っていなければ、「田植え」は、梅雨時の6月でなかったと思うが、(自分の田舎は山村だからかも知れないが)最近は何か早く田植えをし、稲刈りも9月と昔の記憶とは、どちらも1カ月は早くなっているように感じる。

この時期、サラリーマンをしていた自分も嫁さんの親戚の農家に手伝いに行き、秋には収穫した新米を頂いた、思い出がある。
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