日本の景観を探る

幼い頃、見た自然の風景、山、川、野、樹木、草花を求め歩き、今も残る季節の風情を、田舎の集落に探し,その記録を残す。

日曜特版;「はしぶとカラス」

2009-05-31 07:16:31 | 目に留まった被写体


過日、石井の鬼怒川堤を散歩しているとき、カラスの野郎(誰か烏の雌雄を知らんで、雄か雌か分らないが)が自分の頭のすぐ上を飛んでいった。
カラスは大変頭が良いと言われており、弱者(子供、女)を知っており、時々威嚇すると言う、多分自分も年寄れた老人と思ったのだろう、舐められたものだ。

その後、そのカラスを追っていったが、この写真のカラスは多分自分を威嚇した「はしぶとカラス」だと思う。

カラスで思い出すのが、宇都宮でも由来がある、茨城県の磯原町(現在の北茨城市の主町)出身のあの「野口雨情」の歌詞 童謡「七つの子」である。
大正10年に発表された、日本の最も知られた名曲の一つである。

この歌の中の「七つ」という言葉が「七羽」をさすのか「七歳」を指すのかが以前から話題になっている。






上・下の写真は、「竹カラス停まる」の2枚であるが、間違いなく「はしぶとカラス」である、しかも栄養がいいのかかなり肥えていて、「メタポ・カラス」である。

カラスほど、人に嫌われる鳥はないと言われる事から、悪いイメージによることわざが多い、いかに列記してみた。

・「烏の埋食い」 「烏の雲だめ」 「烏の請合」
・「鵜の真似をする烏」 「烏合の衆」 「多数を頼む群れ烏」
 「烏の行水」 「烏の頭白く、馬角を生ず」 「闇夜のからす」・・・・

でも、良いことわざもある。

・「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」
  鳩は親より三枝下がって止まり、烏は成長したあと、育ててくれた恩返しに今  度は親鳥の口にえさを含ませて返す、ということで、昔の人が子供に礼儀と孝  行を教えたものである。

こういうことわざもある。
・「烏の白糞」 親に似ない優秀な子を生むこと、また絶対ないことをいうたと         え。

最後に、鳥と紛らわし烏の漢字は象形文字で、カラスは体が黒く目がどこにあるのかわからないので、鳥の字の目にあたる部分の一画を省いたとされる。









最後の写真は、カラスが一躍「鳶に成った」雄姿である。
「カラス変じて、鳶に成る」このイメージを何かことわざの意味づけは???

こんなのはどうか、(物事は外見でわからない、中身を充分見て判断する)こりゃダメだ。

「薫風に揺れる雛罌粟と高圧送電線鉄塔」

2009-05-30 07:42:23 | 目に留まった被写体



車で宇都宮市の郊外(旧河内町の岡本)の田植えの終わった田圃の道路を走っていたとき、車を止めて撮った写真。

宇都宮の近郊は、工業団地が多い事からか、高電圧送電とそれを高架支持する送電鉄塔が張巡らされ設置されている。
何気なく見ているこの送電線と鉄塔も、よく見てみると興味が湧いてくる、好きな人はこの鉄塔を追って写真を撮り歩き、ブログにも投稿しているとの事。







さて、鉄塔の足元を飾っているポピーであるが、ポピーを日本語で呼ぶと「ひなげし」 漢字で書くと「雛罌粟」と書くようだ、ようだと表現するのも、ほとんどこの漢字を書くことも見ることもないからね。

「雛」は小さい、可愛いの意味 「罌粟」は「芥子」とも書くとの事。

ポピーと「雛罌粟」の漢字を見て、比喩は的を得ているかどうかだが、あの「夜と朝のあいだに」を歌った歌手 「ピーター」と本名「池畑 慎之介」のイメージを感じた。

「ひなげし」と書くと、アグネス・チャンの歌「ひなげしの花」を思い出した、「丘の上ひなげしの花が・・・・・・・・」多分20年は前の歌と思うが。

「ひなげしの花」と「送電鉄塔」あまり画題としてはポピラーでないが、目を留めた被写体だった。





古河市 鷹見泉石記念館

2009-05-27 05:16:14 | 昨日(過日)の風景


古河の有名な史跡のスポットに、この「鷹見泉石記念館」がある。
古河藩士のための武家屋敷で、隠居後の古河の蘭学者「鷹見泉石」が最終晩年を送った家。

このじき、孟宗竹の映える屋敷をを囲んだ黒塀が立派に見える。



門越に屋敷を覗く。







屋敷内にあった、つるべ井戸。






妻部分に、火災よけの「水」の字が見える。







雨だれの緩衝材の砂利敷きと砂利の散らばりを留めるために設置した竹。
よく見られる作庭法である。





竹垣は、「竜安寺垣」に分類できるだろう。

この日は、庭を守る作務師が竹箒を持って、丁寧に庭を掃いていた。
この種の文化財を守るのは、大きな努力が必要なのだろう、ありがたいことです。





日曜特版;「動物三態」

2009-05-24 09:02:33 | 目に留まった被写体


陽気のよくなった5月、亀も池の中から出て日光浴だてら散歩中。
この亀は、おとなしい昔からの和亀。








土産屋の土間で、寝そべって店番をするワンちゃん。
幸せそうなこの表情を見て欲しい。
犬は、本当に忠実な動物と自分の室内犬を見てもそう思う。







前のワンちゃんが、眠りすぎて木になったわけではないが、なんともワンちゃんの顔に似ていたので、撮らせて頂いた。

犬の好きな人の前では、犬という言葉は嫌われる、以前仕事で犬を飼っているお宅にお邪魔したとき、「この犬は・・・・」といった言葉を吐いたら、嫌な表情をされた覚えがある。

「ワンちゃん」が、この世界の犬の呼び名とのこと。

古河駅

2009-05-23 05:11:00 | 昨日(過日)の風景


古河市は、茨城県の西部に位置し、商圏とすれば、猿島・総和を含めた独自の古河商圏を備えている。
茨城県都の水戸から離れているため、埼玉県、栃木県との馴染みが深い、群馬県とは渡良瀬川を挟んで館林、羽生と近い、昔は水運を活かして盛んな交流があっただろう。

自分が、通っていた高校は栃木県南西部の足利であったが、実業高校でもあってか、群馬県(桐生・大田)、埼玉県(羽生・栗橋)、茨城県(古河)の近隣三県から通っていた生徒は多かった。
自分の親しかった、仲間の一人が古河から通っていた。

この古河駅は、東北線・宇都宮線で唯一茨城県に存在する、栗橋駅(埼玉県)と野木駅(栃木県)に挟まれている。






町の発展に比べて、駅の構内イメージは質素な感じがした。
店も何もない、駅前も広くはなく、ただきれいに整備されていた。











古河の歴史、名跡など街を散策する出口は西口で、出るとすぐ目に付くのが、古河(許我)の名を刻んだ万葉の歌の石碑である。
「逢わずして 行かば惜しけむ まくらがの 許我こぐ船に 君も逢はぬかも」
 (あなたと逢わずに行ってしまったら心残りだろう まくらがの古河を漕ぐ渡し舟で あなたにお逢いできないものかなあ)

  

宇都宮市越戸 せせらぎ通り

2009-05-22 05:27:50 | 昨日(過日)の風景


宇都宮市東地区の奥州街道沿いの越戸地区に、「越戸せせらぎ通りが」ある。
うつのみや百景の一つ。
越戸町から越戸3丁目まで1.7Km、雨水排水路整備の際、二階建てにして上にせせらぎ水路がつくられた。
「下水道水緑景観モデル事業」として整備。




親水公園は郊外にはいたるところにあるが、流れる水路を遊歩道を平行させて1.7kmも設けてあるのは、珍しい。

水路及び遊歩道の両側には文化的(表現が古いか)新興の住宅が囲む。
車の出入りがないので、自転車の往来、老若男女の散歩などで、朝夕はにぎやかとのこと。

この車の入れない小路を「フットパス」と呼び、最近の大型分譲地では採用している。





この、せせらぎ通りのシンボル・モニュメント。

幸せを呼ぶ小鳥(すずめ)かな?

古河の街並みで

2009-05-21 05:17:40 | 昨日(過日)の風景


茨城の県西に用事ができ、また古河にも現場が着工したので、久しぶりに隣県茨城県に行ってきた。

昼食時、古河の旧街並みを食事場所を探して散策して来た。
自分は、見知らぬ町や時々訪れる町では食事は,昔の街並みの昔から営業している、しかも地元の人間が行くような店を探して入る。

食事をする店を探していたとき、見つけた被写体である。
何代か続いた履物やなのだろう、店の前の飾りが楽しく感じた。
祭りのちょうちんあり、子供の祭りの半てんありで、色あせているのも店の古さに調和していた。






古河は昔から、川を利用した日光街道の宿場町で、川魚の加工品(甘露煮)が有名、当然自分の好きな鰻やも多い。
とりあえず、飛び込んだ店がこの鰻や、外構えは近代的であったが、中は昔のイメージの大衆の鰻やであった。(カメラのカードがいっぱいで写真撮れず)







老舗の油や、屋敷を黒い板塀で囲み、店を木製の硝子の引き戸で構え、昔はなかったろうガソリンスタンドを時代の流れで営業したのだろう。
取って付けたようなガソリンスタンドの雰囲気であった。

古河は、渡良瀬川を西に抱き、城跡を含めた名所旧跡もある趣きのある町で、時間をかけて散策したい町のひとつである。
それと、最近の古河市の市街地は発展し、変わりつつあるのも面白い。

赤松林と忘れられぬ歌

2009-05-20 05:08:16 | 昨日(過日)の風景



赤松林を見るたびに、ふるさととこの歌を思い出す。

「わが胸に歌は消えず」  ・佐伯孝夫作詞 ・吉田 正作編曲 (・橋 幸夫)


1.赤い夕日の松林 二人で拾った松ぼっくりを
  
  覚えているかい、淋しいときは 思い出すんだ ふるさとを

  涙流して、唄うんだ。

   ・・・・(兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて
   わすれがたき ふるさと)・・・・・









2.月に歌った恋の唄 可愛やあの娘(こ)は忘れでいてか
  
  月なら知っている、悲しいときは 還りたくなるふるさとだ

  遥かこの俺呼んでいる。






3.霧はふるふる夜の街 しづかに、しづかにあふれる涙

  懐かしふるさと、やさしの母は 夢にわが子を見るという
  
  今に会えるぜ お母さん。


  

 「ふるさと」 作詞;高野辰之 作曲;岡野貞一

        1.兎追いしかの川、小鮒釣りしかの川
          夢は今もめぐりて、忘れがたきふるさと。


        2.いかにいます父母、つつがなきや友がき
          雨に風につけても、思いいずるふるさと。

        3.志を果して、いつの日にか帰らん
          山は青きふるさと、水は清きふるさと。



栃木県庁からの眺望他

2009-05-19 05:31:18 | 昨日(過日)の風景


県庁前、西側の交差点から見た、栃木県庁本館。
栃木の県都のシンボル、15階の建物、 シックで立派な建物と自分は県民として、自負(?)している。





15階の展望フロアーから八幡山方面を望いたもの、シンボル塔「宇都宮タワー」が望め、遠くに八溝山脈もかすかに見える。







15階、レストランフロアーから、県庁前庭を見下ろしたもの。
幾何学模様が美しかった。
県民に県庁を親しく、優しく案内・歓迎しているのでぜひ訪れてない方は、一度は行ってみて欲しい。
展示物等沢山あり、栃木県を知る事と、好きになれると思う。
「栃木を」再発見できると思う。







三渓園 合掌造り(旧矢箆原家住宅)

2009-05-18 05:18:55 | 目に留まった被写体


横浜 三渓園の境内には京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築してあるが、今回の合掌造りの建物は、岐阜県白河郷にあった江戸時代の庄屋の家を移築したもの。

合掌造りの妻側の面、この建物はこの向きに趣がある。






妻側の外部に開放された縁側、庇の束柱など弱弱そうな感じがするが、雪の時期はこの部分はすべて、雪の中に埋まるのだろう。






妻飾りとその下の開口部、多分3階の床の蚕を飼っていた部分になるのだろう。
蚕を飼っていた農家は、何よりもこの蚕を大切にし温度・換気等、蚕に最適な環境を管理していたのだろう。
この開口部は、雪が積もっても開閉のできた部分であろう。

屋根材は萱で、50年ぐらいのスパンでの葺き替えは大変だろうが、の住民同士で共同での葺き替え作業は、良いコミニュケーションの場であったろう。

ところで、自分は昔農家に泊る機会が何度かあったが、夜中に蚕が桑の葉を食べる音が大変大きく聞こえ怖くて、トイレに行きたくなり(昔のトイレの位置はすべて、本屋から離れた外)でも行かれず一晩眠れず、つらかった思い出がある。

あの当時、自分地区の農家の屋根は萱葺でなく「おがら(麻の皮を剥いた枝胴)」葺きであったと思う。
多分、あの当時はすべての農家で麻を栽培し、皮を剥いて麻の繊維だけの状態にして、麻買いの商人に売っていたのを、よく覚えている。
子供の頃(50年前)の、夏の風物詩で、麻の風呂桶、麻柄を立て掛けた軒、麻をしごく女性の姿が今も懐かしく思い出せる。