日本の景観を探る

幼い頃、見た自然の風景、山、川、野、樹木、草花を求め歩き、今も残る季節の風情を、田舎の集落に探し,その記録を残す。

何か、昔の甘酸っぱい思い出を..石岡恋瀬川

2019-05-27 19:51:31 | 昨日(過日)の風景

 

 

高校をでて、初めて社会人の第一歩を踏み始めた会社の課内OBの懇親飲食会に、土浦へ。

この土浦は、一時本籍まで置いた自分の第2の故郷だ。懇親会の場所は、自分がこの地、この茨城を去る時、この懇親会の冠的な存在の、職場の恩師に去る理由を告げたレストランだ。なんとも昔を思い出させる!。

写真は、二次会を終え、帰路に向かう土浦から友部に向かう途中、これこそ50年前を思い出させる、石岡の恋瀬川から望む筑波山を車内からショットさせて貰った。 この恋瀬川こそが、若き日の甘酸っぱい思い出を蘇えさせる風景だ!。

「思い出は、夢の中にあり、昔のままで居て欲しい」

過去を懐かしむ、過去に未練の有る馬鹿者の......。

 

 

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慈覚大師 円仁所縁の寺 大慈寺を

2019-05-03 21:17:07 | 昨日(過日)の風景

令和になって、3日目以前から気になっていた、下野国の出の名僧侶円仁を調べたくて、円仁が始めて、出家して修行を始めた、岩舟町の大慈寺に一人で行ってきた。

 

 

 

 

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奥日光中禅寺湖畔を歩く

2018-07-31 09:45:51 | 昨日(過日)の風景


ウオーキング友達と、下界の暑さを逃れ、奥日光の中禅寺湖畔を歩って来た。

流石に涼しい、竜頭ノ滝滝の駐車場から、中禅寺湖の北東の山道を湖畔沿に歩く、千手が浜まで歩き、バスで、しゃくなげ橋まで、その後、竜頭ノ滝まで歩く、清涼を求めての、軽度ウオーキング。

中禅寺湖の湖岸の 波も耳障りがよく、清々しい、残念なのは、千手が浜の九輪草が季節でなかったのが、残念。

竜頭ノ滝の滝の一群には、心も洗れた。






















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馬頭(那珂川町)広重美術館を鑑賞

2018-07-31 08:28:44 | 昨日(過日)の風景


台風12号が関東に接近していた、28日の土曜日、栗山ウオーキングが中止に、残念無念の気持ちが抑えられず、同行予定者を誘って、馬頭の広重美術館に出かけた。

今回は、「大広重展」と称しての、没後160年記念特別展。

そもそもこの美術館、近辺のさくら市周辺で、明治時代肥料店を営んでいた、実業家「藤田 籐作」のコレクションを遺族の方から、寄贈されて馬頭町が開設、広重の肉筆や版画をはじめとする美術品が所蔵・展示している。

今を轟く、あのnewオリンピック競技場建築家 「隈 研吾」の設計でも有名である。
馬頭周辺八溝地区の八溝杉の間伐材を建物内・外にふんだんに使い、装飾造形している。
見る人には、木材が焼け、腐れ汚く、貧相に見えるが、自分は良いと思っている。
ある時期、メンテナンスは必要と思うが。

今回の展示は、本美術館所蔵の加え、他の広重作品の所蔵の美術館からの拝借品も合わせ、壮大な展示会であった、当然室内撮影禁止で、作品の写真はない。






















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懐かしい土浦の古さと新しさ

2018-06-19 20:11:29 | 昨日(過日)の風景
 
例年開催している、土浦に工場があった職場の一つの課のOBの懇親会に参加してきた。
大変お世話になった上司を冠にした懇親会だ、女性もすでに昭和のお嬢様になってしまったが、懐かしい顔が、いつも3人ほど。
自分は19歳ぐらいから30歳ぐらいまで、お世話になった会社、職場だ。
 
訳あり、退社し別の業界に就職したが、一年ほどは、できるなら戻りたいと夢にも思った職場だ。
それにしても、40年も経たこの時期、大した仕事も出来なかった、しかも隣りの県とはいえ、普段は会うこともない自分に誘いをくれる、優しい仲間だ。
本音、感謝している。
 
昼間の会食であるが、当然私の仲間だから酒を飲む人がほとんど、酒を飲む事を考えて、宇都宮小山友部土浦とJRを使って、50年強の昔を懐かしみながら、ほとんど変わってない車窓からの田園を。
 
ただ、土浦の駅周辺は当然だが、変化はあった。
駅前を遮っていた、佃煮屋などが入っていた、アーケード付きの店舗が一掃され、近代的なビルに。
 
 
 
土浦の駅は東西に出口があるが、もともと西口がメインの出口で、東口は霞ヶ浦が発展の余地を遮っており、多くの時間開発が遅れていた。
 
近辺の新興地「つくば学園都市」が万博開催などもあり、発展すると正反対に保守的な水戸に次ぐ茨城第ニ都市が沈んで行った感あり。
 
それに輪をかけ、東口からの市内を高架道でつくばに繋ぐ専用道路が、街の商をますます勢いのないものにしていったと自分は思う。
 
首都圏からの交通も常磐線という、磁場施設の存在で、強力な電化が出来ない路線で、つくばへの首都圏からの「つくばエキスプレス」の開通とダブルパンチの悲哀を。
 
それでも、不便な丘の上に有った市役所を駅の近くに移籍したのは、市民の総意ではなかったかと推測する。
 
 
 
 
古い昔を思い出させる、老舗天ぷらや
 
 
 土浦の昔を残す、蕎麦屋 
 
 
 
し昭和40年年代、盛んに通った、もつ焼き屋。 間口5尺の焼き鳥屋
 
 
 
 土浦の史跡 亀城公園
 
 
 
 
 
 
 
この場所が、自分の塩っぱい、苦い場所に成ろうとは?、人生は解らない。
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土浦 つくばに 久しぶりに

2017-09-29 10:39:18 | 昨日(過日)の風景

秋分の日翌日、義理の父母の墓参りと孫の顔を見に土浦方面に行って来た。
もうこれから何度も行く事も無いと思いながらも。



義理の父母の墓の寺の境内で、変わった建物を




霊園から、土浦市街と紫峰筑波山を望む。

 

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中禅寺湖畔 立木観音へ

2017-08-15 08:01:36 | 昨日(過日)の風景

 

 

 

 

このブログも老人力(?)がついて来たのか途切れ途切れで、死に体同然。

でも写真の整理と記憶の保存の為、自分には大切な記録帳。

先日、友人の坂東八十八カ所(。?)巡りに付き合わされて、中禅寺湖畔の立木観音に行って来た。

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ツツジを観に、横根高原・井戸湿原へ

2017-05-19 19:59:42 | 昨日(過日)の風景



新聞記事で見て、前日光ハイランドの横根高原、そして井戸湿原に車を走らせる。
天気は予報では芳しくなかったが、雨の山歩きもいいかな〜。ポジティブに。

途中で雨がフロントガラスに付いても、今回は逃げ戻らず直進。
目的地の駐車場に着いた時には、晴れの方向へ。
我の心がけの良さか??。
車を降りて先ず一枚、雨雲と山の連なり。



息の長い山桜がたった一本踏ん張って咲いていた。

湿原には、ツツジの樹木が乱立していたが、花はバラバラ、いやほとんど咲いてなかった。


湿原の外周から、湿原の木の小道を。





目的はこの地のツツジの群生の開花爛漫であったが、山ツツジはまだ早くつぼみの状況。

眼下足元に小さな可憐なスミレが。


木の道、管理は大変だ、有難や有難やだ。


木の小道を、部分的に見れば、尾瀬の湿原と?(ちょっと、無理か)



数少ない、ピンクヤシオを。



シーズンはいつだろう、煩雑期にはこの木の小道を往来するのだろう。

 

遠く山並みと 牧場をパノラマで覗いたが。

他人は少なかったが、我なりに山を堪能して来た。

山はいいよ山は、故郷の思いを呼び込ませる山は特に良い。

 

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花を求めて、大谷の地を訪れる

2017-04-04 07:11:23 | 昨日(過日)の風景


日光彫の教室申請後、車で宇都宮まで来たのですぐ戻るのももったいなく。

健康の森からすぐ近くの景観地『大谷』に花を樹木を 求めて、車を走らせる。

大谷寺近くは駐車場が有料につきパス、無料の大谷資料館近くの駐車場に。

資料館入り口の岩場近く咲く『紅梅』をショット、背景の大谷石の岩とのマッチは?。






切り開かれた、大谷石の岩壁、白と灰色の縦縞のトーンが大谷石の岩肌。



トサミズキ の花がこれも大谷石の岩肌を背に咲いていた。
黄色がよく似合う。



最近よく音楽会 等のイベントに使われる、洞窟のイベント会場入り口の。







ふきのとう、紅梅アップ、大谷の景観の一例。

ほんのいっ時だったが、春の気配を感じさせて頂きました、これも今の私には『小さな幸せ』だ。

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栗山サマーウオーク(奥鬼怒コース)

2016-08-18 11:51:09 | 昨日(過日)の風景


栗山サマーウオークの2日目は、奥鬼怒の温泉地迄で足を入れる車道(舗装、砂利道)そして登山道を歩く
17km、前日のウオーキングとは距離以上に健脚を問われるコース。

前日の一緒に歩いた他人も何人かは距離の短い10kmコースに。

途中の写真撮りも、歩くことで精一杯で数枚しか撮れなかった。

写真はスタートの川俣温泉広場から最初の休憩地、女夫渕温泉駐車場に向かう途中のトンネル。





最初の休憩地、女夫渕温泉駐車場。
この女夫渕温泉、2013年2月25日 震度5強の地震で大きく損壊その後廃業解体に至っている。
昔の白い洋風の建物と鬼怒川の中に散在していた露天風呂は今は跡形も無い。
昭和39年の暮にバスでここの駐車場に着き、この奥の奥鬼怒四湯に向う登り口の記憶に残る場所だ。

何とも年月の変化が、何とも寂しい限り、これも自分の歩んできた足跡だ。
相変わらず、この駐車場をスタートに一般の入山者は歩行で奥鬼怒四湯を目指す。


奥鬼怒四湯に向う案内標識。
通常の行程は右側の山道をを行く。
但し、どうやら最近は一旦車道を登り、即人工の鉄製階段を登り、吊り橋を渡っていくようだ。



今回の行程は往きに奥鬼怒四湯の専用車道を歩き、昼食休憩地加仁湯温泉に向う。

この道は自分は歩ったことが無いので、真新しい気持ちで。
ただ起伏のある砂利道の車道はそれほど楽では無い。

写真は途中のトンネル。トンネルの中と外では温度の差が歴然。




奥鬼怒四湯の一つ加仁湯、50年以上前の最初の建物と違い近代的な建物になっている、昔の建物を知っている人も少ないだろう。
ロケーション、お湯の質は不変だろうが。
昔の親父は囲炉裏で談話をしてくれた。
冬の便所はきつかった。







女夫渕駐車場近くの最後のルート、吊り橋が出来ていた、これも昔のルートとは異なっていた。

この奥鬼怒四湯のゾーンは昔を思い出させる、懐かしくもあり、哀しい想いもあるルートだ。

この二日間で歩いた距離はトータル20km充分、8/11海の日の40.8kmのトレーニングになった。
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