日本の景観を探る

幼い頃、見た自然の風景、山、川、野、樹木、草花を求め歩き、今も残る季節の風情を、田舎の集落に探し,その記録を残す。

房総の旅 鴨川とローカル線乗り鉄 いろいろ

2022-06-17 21:03:43 | 目に止まった被写体
 
肉の食べられない女房の為に、魚の美味そうな房総の旅館をネットで調べて、決めたところは安房鴨川の『太海』の海辺の旅館 『恵比寿』。
 
近県の千葉特割の5,000円を使って。駅から旅館に歩って向かう途中の古い建物に興味を。
 
以前は何をしていたのか知らないが、今は食堂と喫茶店か?、女房がコーヒーを飲みたいと言うので、入ってみた。
 
驚いた事に、ここのマスターが我が町の隣の市のさくら市 喜連川の出身とは驚いた、話好きな女房がいろいろと話をしていたが?。



 
 温泉と海鮮料理を期待しての今回の旅だが、温泉はハズレ、その分海鮮料理は量、質共『あっぱれ、あっぱれ』であった。

いつみ鉄道の中の観光駅 大喜多 30分ほどの途中停車を利用して、下車(鉄道会社の作戦)か?。
写真は、大喜多城の大手門。
いすみ鉄道の終着駅 & 小湊鐵道の始発駅 『上総 中野駅』。
当然ある程度の規模の駅と思い、昼食でもと思ったが、何もない田舎の無人駅にがっかり🤷。
しかも、待ち合わせ時間 1時間強。近くのお寺に足を運んで時間を潰す。これも旅の???。

この駅を出て、見返りすると、写真のターゲットとしては面白い、被写体だ、古い駅舎に対して、不釣り合いのモダンなトイレ¿。


『 何これ』に出てきそうな被写体、旅行用 スーツケースがコンクリートに埋め込まれ塀の骨材に利用されている。
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千葉県 長生郡長南町 笠森観音

2022-06-17 16:30:27 | 目に止まった被写体

 


女房のヘルパーの退職を機に、日頃の苦労を慰労し一泊2日の旅行を房総に。
近県割 5,000円引き&2,000円の買い物券に釣られたわけではないが?。
 
息子の家族割の切符も有り、今流行りの乗り鉄で鴨川に、新鮮な魚と温泉を期待して出掛けた。
 
温泉はイマイチで有ったが、魚中心の料理は量も含め、『あっぱれ』のサインを出せる。
 
乗り鉄の方は、ローカル線 『いすみ鉄道』『小湊鐵道』を堪能 これは別項の譲る。
 
小湊鐵道の上総牛久駅から、バスで20分ほどの『笠森観音』へ行って来た、この旅行での唯一の立ち寄り場である。
 
この観音堂は、特殊な建築様式で日本で唯一の『四方懸造』。
 
 
明治41年(1908)「国宝」その後昭和25年(1950)「国指定重要文化財」となっている。
 
 



以前京都の清水寺に行った時、踊り場の縣架の柱を下から覗いた事が有ったが、柱の高さではこちらが勝かな。


岩の上に建立したと思えるが、後にコンクリート等で足元を固めたのではないか?。





堂内撮影禁止であったが、回廊から、知らずにショットしてしまった。
申し訳有りません!。








 
 自分が撮った写真より、実態はびっくりするほど⁉️、素晴らしかった。
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久しぶりにホールデングバイクで、喜連川の露天風呂に

2019-10-03 09:03:00 | 目に止まった被写体
体力が落ちてきた事を、自覚するこの頃、当時維持する努力もしない昨今に、なんとかブレーキをかけようと、気候が良くなったこの季節、マイバイクを持ち出し、喜連川の露天風呂にポタリング。
途中烏山線の側道を走り、高根沢からさくら市喜連川の田園を、ゆっくり走る。






好きな花の曼珠沙華を見つけ、ショット望遠の強いカメラでなかったので、良くは撮れなくしかも花の時期も終わりに。
端正に野菜を育てていた老女に声をかけたが、不思議がられて、返って来なかった。
曼珠沙華は、どうやら人の手を借りて、生殖していることのようだ?。

ニッカウイスキーの工場の入り口の付近の国道293の坂道が、行きはヨイヨイ 帰りはコワイ、しかも露天風呂に1時間も入った後の帰りの坂道は、○○高齢者にはきつかった。

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田舎そば屋の庭で昔の懐かしの風景を

2019-10-01 15:29:47 | 目に止まった被写体












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何か、昔の甘酸っぱい思い出を..石岡恋瀬川

2019-05-27 19:51:31 | 昨日(過日)の風景

 

 

高校をでて、初めて社会人の第一歩を踏み始めた会社の課内OBの懇親飲食会に、土浦へ。

この土浦は、一時本籍まで置いた自分の第2の故郷だ。懇親会の場所は、自分がこの地、この茨城を去る時、この懇親会の冠的な存在の、職場の恩師に去る理由を告げたレストランだ。なんとも昔を思い出させる!。

写真は、二次会を終え、帰路に向かう土浦から友部に向かう途中、これこそ50年前を思い出させる、石岡の恋瀬川から望む筑波山を車内からショットさせて貰った。 この恋瀬川こそが、若き日の甘酸っぱい思い出を蘇えさせる風景だ!。

「思い出は、夢の中にあり、昔のままで居て欲しい」

過去を懐かしむ、過去に未練の有る馬鹿者の......。

 

 

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慈覚大師 円仁所縁の寺 大慈寺を

2019-05-03 21:17:07 | 昨日(過日)の風景

令和になって、3日目以前から気になっていた、下野国の出の名僧侶円仁を調べたくて、円仁が始めて、出家して修行を始めた、岩舟町の大慈寺に一人で行ってきた。

 

 

 

 

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久しぶりに佐野市返事

2019-03-15 12:07:00 | 過日の風景(未公開集)

V久しぶりに故郷佐野市に、故郷といっても、吸収合併されての故郷の今の名前だ。常盤村 葛生町を経て今の佐野市に。

常盤村中学校時代の子供会のイベントなどで、よく行った唐沢山城址の公開講座があり、佐野文化会館に。

宝積寺駅まで20分の歩き、小山駅で両毛線にて、佐野駅下車、そして30分の歩きで到達。

最近庁舎を建て直した、佐野庁舎をカメラに収めたが、何かスマホのカメラの操作が勝手に?、白黒の写真に。

元の土地の上に立て直した、最近稀なケースでは?。

以下の写真は、栃木県内で評価の高い建築物との、情報を得て興味を持ち、ショットして来た写真である。

 

 
 
 
佐野市文化会館 鉄筋鉄骨コンクリート造り。外観は茶褐色の総タイル貼り、重厚な顔付きの建物だ。
 
 
 
梅の開花の時期で、外壁との色の関係を撮ろうとしたが、結果はボツだ!。
 
この近くに住宅展示場が開設した時期15 16年前か(?)、外構の設計と施工管理を担当し、宇都宮から足繁く通った事を思い出す、この外構も自分では自信作と思っている。
インテリアの関係も自分の部門で、その課の責任者がオープン間近に室礼の部品が調達できずに自分に泣きつかれ、自分の付き合いの縁故を頼り、なんとかオープンの朝に完成した事もあったことも、思い出した。
思い出の地である。

 
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奥日光中禅寺湖畔を歩く

2018-07-31 09:45:51 | 昨日(過日)の風景


ウオーキング友達と、下界の暑さを逃れ、奥日光の中禅寺湖畔を歩って来た。

流石に涼しい、竜頭ノ滝滝の駐車場から、中禅寺湖の北東の山道を湖畔沿に歩く、千手が浜まで歩き、バスで、しゃくなげ橋まで、その後、竜頭ノ滝まで歩く、清涼を求めての、軽度ウオーキング。

中禅寺湖の湖岸の 波も耳障りがよく、清々しい、残念なのは、千手が浜の九輪草が季節でなかったのが、残念。

竜頭ノ滝の滝の一群には、心も洗れた。






















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馬頭(那珂川町)広重美術館を鑑賞

2018-07-31 08:28:44 | 昨日(過日)の風景


台風12号が関東に接近していた、28日の土曜日、栗山ウオーキングが中止に、残念無念の気持ちが抑えられず、同行予定者を誘って、馬頭の広重美術館に出かけた。

今回は、「大広重展」と称しての、没後160年記念特別展。

そもそもこの美術館、近辺のさくら市周辺で、明治時代肥料店を営んでいた、実業家「藤田 籐作」のコレクションを遺族の方から、寄贈されて馬頭町が開設、広重の肉筆や版画をはじめとする美術品が所蔵・展示している。

今を轟く、あのnewオリンピック競技場建築家 「隈 研吾」の設計でも有名である。
馬頭周辺八溝地区の八溝杉の間伐材を建物内・外にふんだんに使い、装飾造形している。
見る人には、木材が焼け、腐れ汚く、貧相に見えるが、自分は良いと思っている。
ある時期、メンテナンスは必要と思うが。

今回の展示は、本美術館所蔵の加え、他の広重作品の所蔵の美術館からの拝借品も合わせ、壮大な展示会であった、当然室内撮影禁止で、作品の写真はない。






















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懐かしい土浦の古さと新しさ

2018-06-19 20:11:29 | 昨日(過日)の風景
 
例年開催している、土浦に工場があった職場の一つの課のOBの懇親会に参加してきた。
大変お世話になった上司を冠にした懇親会だ、女性もすでに昭和のお嬢様になってしまったが、懐かしい顔が、いつも3人ほど。
自分は19歳ぐらいから30歳ぐらいまで、お世話になった会社、職場だ。
 
訳あり、退社し別の業界に就職したが、一年ほどは、できるなら戻りたいと夢にも思った職場だ。
それにしても、40年も経たこの時期、大した仕事も出来なかった、しかも隣りの県とはいえ、普段は会うこともない自分に誘いをくれる、優しい仲間だ。
本音、感謝している。
 
昼間の会食であるが、当然私の仲間だから酒を飲む人がほとんど、酒を飲む事を考えて、宇都宮小山友部土浦とJRを使って、50年強の昔を懐かしみながら、ほとんど変わってない車窓からの田園を。
 
ただ、土浦の駅周辺は当然だが、変化はあった。
駅前を遮っていた、佃煮屋などが入っていた、アーケード付きの店舗が一掃され、近代的なビルに。
 
 
 
土浦の駅は東西に出口があるが、もともと西口がメインの出口で、東口は霞ヶ浦が発展の余地を遮っており、多くの時間開発が遅れていた。
 
近辺の新興地「つくば学園都市」が万博開催などもあり、発展すると正反対に保守的な水戸に次ぐ茨城第ニ都市が沈んで行った感あり。
 
それに輪をかけ、東口からの市内を高架道でつくばに繋ぐ専用道路が、街の商をますます勢いのないものにしていったと自分は思う。
 
首都圏からの交通も常磐線という、磁場施設の存在で、強力な電化が出来ない路線で、つくばへの首都圏からの「つくばエキスプレス」の開通とダブルパンチの悲哀を。
 
それでも、不便な丘の上に有った市役所を駅の近くに移籍したのは、市民の総意ではなかったかと推測する。
 
 
 
 
古い昔を思い出させる、老舗天ぷらや
 
 
 土浦の昔を残す、蕎麦屋 
 
 
 
し昭和40年年代、盛んに通った、もつ焼き屋。 間口5尺の焼き鳥屋
 
 
 
 土浦の史跡 亀城公園
 
 
 
 
 
 
 
この場所が、自分の塩っぱい、苦い場所に成ろうとは?、人生は解らない。
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