道東の狼!驀進 新鮮組

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八百長とは何か?その意味においては完全に否定されるべきである【プロレスを解き明かせ4】

2022-07-22 06:08:55 | 格闘技談話
プロレスはその曖昧さが故に深いものだ。
プロレスに興味を持たない者からすれば、その曖昧さこそが
疑似であるという単純な答えを導く。
しかし、プロレスを愛すものからすればその曖昧さこそが
プロレスの奥行きを深い物へと変えていく。
もしその曖昧さを言葉で表現しろとなれば、
それは暗黙の了解となる。
よってプロレスを解いていく事は、暗黙の了解を解く事となるだろう。

市民権を求めたプロレスにおいて常に”八百長”と言う言葉が付きまとう。
まずはそこを解き明かしていこうとなるのだが、
そこに向かうにあたっていくつかの前提を持つこととする。
要は話の角度や視点を明確な物とするためだ。
今回はそのひとつ目となる。

八百長と言う言葉は当然だが、あまり良い言葉ではない。
言葉そのものには「競技において勝ち負けが決まっている」と言う事だが、
その言葉はその意味以上に大きなマイナスの印象を私達に与える。
要は”詐欺”的な印象だ。

そもそも言葉の始まりである大相撲においての八百長とは、
「勝ち星を買う」と言う事があったためにどうしても金銭がちらつく。
後には、かけ事などに対する「イカさま」を現す言葉としてもつかわれた。
言葉も生きているので、与える印象の変化も仕方がない。

しかし、ここで記していく内容においてはそのような意味は含まない。
もしその部分に焦点を当て答えを出すとするならば、
プロレスにとって八百長とは完全に否定されるべきである。

なぜなら、勝ち負けが最重要視されるわけではないプロレスにおいて、
そこに個人的利益など発生しないからだ。
”しょっぱい試合”をして勝ったところでだれも賞賛してくれない。
逆に、例え負けたとしても良い試合をすれば認められるのがプロレスだ。
勝ち負けによって出世が決まり、給料が変わる大相撲とは違うし、
会社(プロレス団体)がそれで賭博をした事実だってない。

いずれにせよ、ここで記していく内容においては
そのような意味は含まないとするのが、まず最初の前提だ。



例え村から取り残されても、愛しているプロレスが
「悪だ」「悪ではない」なんて話はしない。
そもそも、勇気を与えるプロレスが悪なはずがないのだから。