道東の狼!驀進 新鮮組

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幾多の思想と答えのない真実【プロレスを解き明かせ2】

2022-07-20 01:53:08 | 格闘技談話
先日NHKでアントニオ猪木の闘病ドキュメントが再放送された。
戦い続ける猪木を見ると、いくつもの感情が湧き上がる。
勇気や希望に元気と、わずかな悲しみ・・・。

戦い続ける事でしか生きていく事が出来ないという宿命と、
その戦いを見せてきたはずのプロレスの現状。
今あるプロレスは猪木が夢見た未来と重なるのだろうか?

僕はプロレス村から取り残された。
エンタメ化を続けるプロレスの変化についていく事が出来なくなった。

アマチュアに競技があるにもかかわらず、
プロでありながら協会がないというのがプロレスの不思議。
その中でそれぞれの団体が興行会社として存続をかけながら集客に努める。
その為に変化を続ける事は企業努力であり、その変化とは
結果的にファンが求めた変化と言える。
だからプロレスのエンタメ化は必要な変化であり悪ではない。

取り残されたのは僕の一方的な問題であり、ただの愚痴だ。
ならば見なければいいというそれだけの話だ。

しかし、それは「興行」におけるプロレスの話であって
プロレスの源流が跡形もなくなくなってしまう寂しさは耐えがたい。
猪木に感じた寂しさとはそこに繋がっていく。

とは言っても、古代パンクラチオンから現在に至る迄
変化を続けてきたプロレスの源流とはいったい何”だろうか?
ここで言っている源流とは、決闘だったか見せ物だったのかの戦いが
プロレスとして出来上がったのはいつの事で、それはどの様な物だったのか。
「プロレスとはこういう物だ」と言うもの。

それは見る側も関わる側も共通して、
それぞれがどの時間軸を生きたか?先導者はだれか?などで変わってしまう。

例えば、武藤や蝶野が「今のプロレスは自分達の物と違う」と言っている。
さらに上の世代にある前田日明は「サーカス」と例える。
その前田は変化する新日本にずっと警告を鳴らしていた人物である。
当時の現場監督であった長州のUWFに対する発言は何だったのか?
彼らのプロレスのスタートとなった猪木の考えこそがプロレスなのか?
しかし、その対極にはジャイアント馬場の思想がある。
そもそも力道山はプロレスをどのような物だと考えていたのか?
アメリカンプロレスこそがプロレスであったのか?

残っているのはその思想だけであって、真実はわからない。
興行としてのプロレスなのか、格闘の一つのジャンルとしてのプロレス
なのか、その視点をどこに置くかでも大きく変化するだろう。

そのような意味においては、僕のもつ寂しさなんかは
ただの独りよがりのものなのかもしれない。いやきっとそうなんだろう。
その変化を、自分が愛し信じた物がなくなっていくと捉えている。
そやって僕は取り残された。

しかし、プロレスとは夢であり熱であり、興奮の記憶である!
プロレスが興行であるがゆえに不変であるもの。
それと同時に、真実の見えないミステリーでもある。

その興奮の記憶が僕の中に残ってるうちに、あくまでも個人的見解や
願いであるが、そのミステリーを解いていきたい。



次回は、今度こそプロレス八百長問題にケリをつけよう!!