道東の狼!驀進 新鮮組

動乱の幕末を想わせる薄野。新鮮組は動乱の薄野を驀進します!

9月からのおすすめメニューだよ

2022-08-31 06:00:31 | 宴会メニューなど店舗情報
という訳ですよ!
しかし、食材に多少の不安を抱え・・・
おすすめ始められるだろうか?
9月2日から予定だよ。



9月のご宴会はこんな感じかな?

2022-08-30 05:50:50 | 宴会メニューなど店舗情報
何故か自分の事なのにクエスチョンな毎日です。
9月はどうしたらいいかな?
なぁ~んて考えておったわけでして・・・
KANの「健全・安全・好青年」を聴いていたら
「あっ、そんなかんじでいいかな!」
というような結論に達したわけです。
煮詰まったときにはKANさんはおすすめです!
適当に生きていくための勇気を与えてくれます!!

と言うことでこんな感じです。
牡蠣はもちろんですが、秋刀魚や十勝マッシュなど使っていきます。

秋鮭のチーズちゃんちゃん宴会コース3時間4000円

ちなみにKANさんの適当さは、バックグランドに裏付けされた自信から
来るものだと推測されますのでディスっておりませんからね。


ミステリーの本質を探る為の二つ目の扉

2022-08-26 04:05:02 | 日記
ミステリーとは何か?
「動機やトリックにより意図的に理解できないようにした謎」
その動機やトリックが上質であるかによって極上のミステリーが出来上がる。

なぜ報道による重傷者数は消えたのか?
”知られれば不都合が生じる”為に”説明なしに報道をやめた”という
下級の動機とトリックにより出来上がったミステリーとは呼べない茶番。
その不都合とは何か?
重症者数と死者数の矛盾した関係から見えるコロナ死者数の定義 。
意図的に隠されたものは
直接的にも間接的にも死亡要因とされないものまでカウントされている」

小説などに代表されるミステリーを”意志の持った創作物”だとした場合に、
その本質は受け手に対する創作者の意思とは何であるか?
今あるコロナ禍における様々な出来事にも、それを動かす人と意志がある。
この本質に向かう為の初めの扉がコロナ死者数の定義 となる。

それではWHOにより要請されたこのカウント方法が悪であるのか?
そんなことはない。少し考えればその理由に辺りが付く。
世界各国における被害の状況把握において、それぞれの国が独自の判断に
よって死者カウントされてはその把握もままならない。
だから一定のルールのもとに死亡者のカウントしているだけである。
曖昧な判断を失くすため陽性者の死亡は全てカウントする。
そのような観点から考えれば、この死者数のカウントは
各国の状況把握や比較の為のものであり、感染の恐怖を計る物ではない
本当に意味が解らないのは、感染の恐怖を計る事が出来ないはずの
この数字を使って、なぜコロナの恐怖をあおっているか

さて、コロナ死者数の定義 について知る事でいくつかの疑問が出てくる。
同じ”死者数”という数字を使って比較されるインフルエンザとの関係性。
その論調は2つで、1つはA「コロナはインフルより死者がいない」
もう1つが「コロナはインフルなんかと比較できない恐ろしい物だ」
という論調で、その”恐ろしい物だ”と言う根拠が
B「コロナ死亡率はインフルの死亡率よりも高い」であって、
一方には比較するなと言って自らは比較しているとんでも論調。

勘違いされやすいが、Aの論調はコロナとインフルを比較した物ではない。
Aの本質は「死者数に対し対策が過剰ではないか?」である。
インフルと比較してどうだと言っているわけではなく、
「決してコロナの死者数は多くない」という事を理解しやすくするために、
インフルの死者数を用いて目に見えるようにしているだけ。
初期の例えで言えば、餅を詰まらせた死者数などと同様だ。
あくまでもコロナの死者数に対しての論調でインフルは関係ない。
この論調自体は間違ったものではなく、当然出てくる意見。
もしこれを”過剰ではない”とするのなら、数字をもって説明すればいい。
インフルと比較するなと言ってかき消す事こそおかしな話だ。

そもそもコロナとインフルの死者数は、そのカウントの仕方が違うので
比較なんてすることは出来ないし、誰もしない。
コロナの死者数は死者が検査陽性であればカウントされるが、
インフルは医師が判断して「直接的要因」とされる死者数と、そこから
数式にあてはめて推測して数字を出す「間接的要因」の死者数がある。
要はインフルによる死亡かインフルがきっかけの死亡なのか。
直接的には年に3500くらいで、間接的には13000~20000とされている。
コロナ死者数は要因が関係ないのだから、もし双方が同様の毒性であれば
当然死者数は インフル直接<インフル間接<コロナ死者数 となる。
なんにせよ前提の違う数字を比較する事なんてできない

ただし、本来多くなるはずのコロナ死者数が少ない限りにおいて
「現状では」という前文を付けたうえで比較する事も出来る。
しかし現状の対応を続ければ必ずコロナ死者数は大きく膨れ上がるので、
あくまでもその時点においてとなり、その理由は後に出てくる。
いずれにせよまずはAの論調こそ無視できない問題だと言う事。
ではなぜそれに対し議論することをしないのか?

コロナ死者数に対し対策が過剰ではないか?について議論するとは、
言い変えると「対策の効果を議論する」事になる。
そうなると、なぜそうならないかの答えを考えても、推測の域を出ない。
しかし、報道が隠した重症者数を死者数と照らし合わせて見えた
死者数の定義と言う最初の事実の扉から枝が伸びたそれは過剰な対策なのか?
という疑問を考える事で、さらに見える事実はある。
それは、コロナを直接の要因とした死者は少ないということ。

さぁここで一呼吸あけていきます。
スケ番なのに愛らしいナンノちゃんを見てください!


コロナを直接の要因とした死者は少ないというと、何言ってるんだ!
と怒ってしまう人がいるかもしれませんが、それはニュアンスの問題で
実は誰しもが知っている事です。
基礎疾患をもった高齢者による被害が大半である
この言葉をどう受け取るのか?もしくはどう伝えるのか?
それによって事実が隠れてしまいます。
現状の受け止め方は「感染させてはいけない」と言う恐怖感のピックアップ。
それ自体は正しい事であるが、それが全てではない。
「基礎疾患をもった高齢者による被害が大半である」と言う言葉の裏には、
そのほとんどの死因が間接的な要因であるという事実です。

コロナ死者数はその要因関係なく、死者が検査陽性であればカウントされる。
当然コロナ死者の内訳にも間接・直接の要因が存在している。
20年21年の二年間におけるコロナ死者数が約13000人。一年ベースで6500。
対して間接的要因(要因なし合わせ)での死者数を少なくとも7割とすると、
直接的要因の死者数はいって2000人。これは多い数字なのか?
さらに、60歳以下の死者数がほぼほぼいないことを考えれば、
その直接的要因となる死でさえ、抵抗力の有無によるものと言える。
コロナ死者の平均年齢が一般の平均寿命を超える理由がそこにある。

これらから見えるものは何か?
まず、ほとんどの死因が間接的要因であると言う事は、
言ってしまえばコロナは死に至るきっかけに過ぎないと言う事になる。
では、コロナだから死亡のきっけとなったのか?そうとは言えない。
もしそうであればコロナの殺傷力がもっと高くなければいけない。
殺傷力が高ければ、直接的要因での死者数がもっと増えている。
データとしてみればコロナ死者の平均年齢がもっと下がっているはず。
しかしコロナ死者の平均年齢は一般の平均寿命を超えてる。
これはコロナに限らず他の感染症でも死亡のきっかけとなりえたと言う事。
でなければインフルの間接的死亡者が年間1万人を超える説明がつかない。
さらに直接的死亡においても抵抗力の少ない高齢者に偏っている。
これらの状況と死者数を考えれば、見えてくる答えとは
コロナは決して特別な物ではない」ということ。

少なくとも死者数と平均年齢を見た場合これが事実。
ただし、この事実が正しい物なのか誤った物なのかは判断が必要になる。
なぜこのような事実となったのか?
それを見極める物が「コロナ対策による効果の実態」となる。

さて、一週回って下級ミステリーと言う茶番が出来上がってしまいました。
これまでに上がった疑問はすべてコロナの実態に関わる事。
その議論を避けると言う事は、答えを出す事を避けていると言う事。

コロナ死者の定義を知り、コロナ直接的死亡者を知った事で
色んな可能性が見え隠れしてきた。
次回は先ほど出た B「コロナ死亡率はインフルの死亡率よりも高い」
を考え、その先にある三つ目の扉「感染者」について探りたい。

ミステリーの本質はどこにあるのか?

2022-08-22 01:15:46 | 日記
ミステリーとは何か?
それは「理解できないように工作された謎」と言う事で、
過去2回、コロナに対して書いて参りました。
一般的に使われる”謎”と言う物は「まだ解き明かされていない物」であり、
自然界から言わせれば「ただあなたが知りえてないだけだよ」と。
神秘的な事や不可思議な事とはそういった事。
それに対しミステリーは「意図が加えられたもの」。

言ってみれば、この社会問題をミステリーと言う言葉を使って
決してストレートではない「意図がある物だ」としたわけです。
ただ、ミステリーに例えた場合の動機とトリックにおいては
ほぼほぼが壮大な物とは言えない物ばかりで、下級ミステリーだと。
下級なミステリーは”茶番”としか言えない
間違ってほしくないのは、”コロナと言う感染症”が茶番なのではなく
その対応が茶番だと言ってるんです。
AとBという情報に対しより良い対応を考えていく事がストレートなら、
現在あるのは「事前に決められた対応に向かう為」に一方の情報を隠す。
そのような印象だと。

例えば、話題に上がっている5類の話はすでに2020年の段階で上がっている。
約2年たっても何も変わらないのはなぜなのか?
A=5類に変更する B=自己負担問題が出てくる さぁどうする?
そもそもこんな議論にしている事が茶番で、対応する気がないです。
目的は5類にする事ではなく「感染者に対する対応をどうするか?」で、
それは目的の為の対応の一つ。Bにしたって、元々が特例処置なのだから
特例を継続させればいいだけの簡単な話。
要は現状に見合った新たな特例処置を設置(変更)すればいいだけ。
いくらでも間を取れる話を難しく思わせて結局議論もさせない。
「現状の感染者に対する対応を変えられないし、ほかに方法もない」
として動けないのならいいんですよ、それが出した答えなんだから。
でも否定する理由が金だけなら、これが茶番でなくて何なのでしょう?

さて、またミステリーに立ち返ってみます。
そもそもミステリーの本質とはどこにある物なのか?
それは、そこには絵を描いたものと受け手が存在すると言う事。
何か意思のある創作物だと言う事です。あくまでもミステリーですから。
例えば、小説であれば作家がいて小説があって読者がいる。
それはミステリーと言う手法を持ちいて”何か”を読者に伝えている。
今ある社会問題をそれに当てはめるなら、
小説=情報 であり、読者=国民(私達)となる。
私たちが直面している社会問題は、誰かの意図のもとに行われている茶番。
そう書くと陰謀論的に感じるかもしれないですが、「何か理由がある」
としているだけで、もしかしたら”ただの正義”なのかもしれない
正義の為の辻褄合わせが茶番になっているのかもしれない。
ただ、正義か悪かなんて右から見るか左から見るかだけだから。
いずれにせよ、意図をもって誰かが書いた茶番だ。
    
前回書いたコロナ重傷者の数字が削除されたことで言えば、
コロナにおける死亡者数の定義が誰かにとっては知られたくない事だと。
報道機関にとっては説明すればいいだけの事を隠す必要がなぜあるのか?
結局はその奥に何かがあると言う事になる。良くも悪くもね。
いずれにせよ「黙って言う事を聞いていればいいんだ」的な報道に対して
不信感が出てしまうし、なんだか納得いかなくなってしまうよね。
そうなると胸の中のコナンが騒ぎだしてしまうのです。
だからもう少し奥の扉を覗きに行ってみたいと思うのです。

そして恒例のナンノちゃんで一息つくわけです。
本日は、本田美奈子ちゃまも一緒なわけです。


前回お話した「コロナ死者数の定義」を知る事によって、
話の枝葉がどんどんと伸びていく事になります。
まずそれによって開く最初の扉が、インフルエンザとの死者数の比較

YouTubeなどではコロナとインフルエンザを比較すると、
問題な動画だとして動画が削除されたりしていますが、これは正しいのか?
要はどの様な比較をするのかが問題となります。
何故かと言うと、一概に二つの死者数を比較する事は出来ないからです。

よく言われる、A「コロナはインフルエンザより死者がいない」だったり
B「コロナはインフルよりも死亡率高い」はどちらが正しいのか?
どちらも言葉としては正しいですが、二つの比較としてはBは間違いです。
間違いと言うよりも、比較できないというのが正しいところです。
何故かと言うと、二つの死亡率は性質の異なる物だからです。
更に言うと、二つの死亡率は導き方が違いすぎて比較すべきではない。
その理由はコロナ死者数の定義に加え、感染者数の定義が関わってきます。

そして、新たなミステリーの扉は
プラットホームである情報機関などがコロナとインフルを比較するなと
主張するのに、実際は比較できないはずの数字をもとに比較しているのか?

簡単に言うと、
A「コロナはインフルとは比べ物にならない恐ろしい物なんだ!」
B「いや、あんたしっかり比較してるじゃん」

又そのうち続きを…