ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

山折り谷折り 鞆の浦

2023-09-04 19:11:29 | PiTaPaより遠くへ

 鞆の浦というところがあって風光明媚なところだいうことは、何十年も前、学生のころから聞いていました。アニメで有名になるずっと前です。広島県出身の先輩がいて、彼から聞いたと記憶しています。でもこれまで訪問したことがありません。

 福山市の南側の海のそば、くらいの認識しかなかったのですが、福山の町中から走ってみるとそれなりの距離があります。工場や倉庫が多い通りを通って芦田川を渡ったら比較的新しい住宅地。軽く峠を越えたら山と海に挟まれた海辺の町の雰囲気。遠くのほうに観光旅館らしい建物が見えて、鞆と呼ばれるのはあのあたりなんだろうなと初心者でも想像がつきます。


 宿には直接車で行けないそうです。県営駐車場隣の別の旅館でクルマをおいて宿のクルマで運んでもらう仕組み。そういう面倒くささも日常から脱出する演出のひとつなのでしょう。その宿には玄関の車寄せもありません。道端でクルマを降ろされて、海辺の集落によるあるようなクルマが一台通れるかどうかというような道を30mほど歩いてやっと玄関にたどり着く(もちろん大きな荷物は迎えに来てくれたスタッフが持ってくれますよ)。その玄関とは古民家(これは正確ではありません。後ほど述べます)、木造の古い建物。ここに泊まるの?


 玄関が開くと今風にリノベされた内装。躊躇していると靴のままおあがりくださいと案内されます。次の扉が開くと庭の中にある渡り廊下。いよいよフロントエリアに入ると、正面の控えめな窓に鞆の海。その向こうには弁天島のお堂が見えます。なるほど。私のような素人にもわかる演出です。額縁に景色を取り込んだわけですね。その窓の前のテーブルでチェックインの手続きをしたり説明を受けたり。チェックインまでに数々の演出がしてあるわけです。先ほどの古民家のことですが、江戸時代創業の旅籠の一部を使っているそうです。しかも、クルマを降りて歩いてきた方角からは背後の5階建ての本館が見えない仕組み。よぅ考えてありますなぁ。設計を担当したのは熱海の建築事務所だそうです。
 公式サイトによると、もともとの宿屋は十返舎一九や井伏鱒二など文人も多く宿泊したとのことです。


 贅沢な話、部屋には露店風呂があります。一晩中いつでも(いやいや、チェックアウトまで)思いついた時にいつでもざぶーんと入れます。フロントと同じように前の海と弁天島の景色を眺めながら、テラスで裸のまま足を投げ出して湯さましをしていいし、また湯船に戻ってもいい。もちろん湯船からも景色は同じように眺められます。寒いときは戸を閉め切ってもいいし、スリットを開けて温かい風呂のまま景色を楽しんでも…。5階に貸切露天風呂があるというので、チェックイン時予約をしたものの、大勢で入るならともかく、一人で入るのなら部屋の風呂と変わらんやんかと思ってキャンセルしました。ええことばかり書いていますが、私が訪れたのは最高気温が35℃は軽く上回るかという一番暑い季節。日差しも朝から強くて痛い。プライベート露天風呂を楽しむには季節があまりよくなかった。暑くて湯さましにならないのです。冷房の効いた部屋の中へ逃げ込むことになります。私にお金と時間と素敵な彼女があるなら、こういうところで時間を過ごしてみたいものだと、ありもしないことを想像してみるのでした。テラスから水辺を見下ろすと、夜釣りに来た男性二人の明かりが見えます。
 晩御飯とおいしいお酒をいただいて、早々と就寝。翌朝は部屋からどんな日の出が見られるか、確認をしながらお風呂に浸かって…そういや、何年か前、鹿児島市与次郎のホテルに泊まった時、部屋のテラスから、桜島の頂上当たりから太陽が上る景色を見ました。太陽が顔を出す瞬間を撮りたいし、朝からシャワーを浴びたいし、テラスとバスルームを何度も往復する経験をしました。ホテルの部屋はふつう景色が楽しめるようにテラスを作りますし、バスルームはエントランス側に作りますものね。今日のホテルの有難さをしっかりかみしめたのでした。

 部屋からは正面に弁天島のお堂が見えます。陸続きに見えますが背後の島が仙酔島。建物が見えるのは「人生観が変わる宿」らしい。右手の砂浜が海水浴場。隠れ家のように奥まっている砂浜です。仙酔島へはこの宿の隣から出ている平成いろは丸に乗って5分だそうです。静かな静かな日の出のころですから時折漁船が行き来し、何十秒かのラグで曳き波が岸にたどり着くのが音でわかります。ちょうど方角よろしく、太陽が仙酔島の山から上がってきます。

 昨日は宿にたどり着くだけで精一杯だったので、これから散歩をしてみます。常夜灯がある、おそらく鞆で一番有名な景色のあるところは宿から5分も歩けば着きました。観光客はまだ動いていませんがふつうの暮らしがある町です。古い町並みが多く残されていてとても興味が惹かれます。高齢者によく出会います。散歩している人、屋外で新聞を読む人。こちらはよそ者ですから、出会うたびに「おはようございます」と声をかけます。

 古い通りにバス停がありました。鞆鉄バスと書かれています。そうだ、かつて福山から鞆まで軽便鉄道が走っていたのでした。1913年(大正2年)から1954年(昭和29年)まで41年間、ナローゲージが走っていたそうです。現在鉄道はありませんがバス会社として「鞆鉄」は営業を続けているのです。

   さらに、適当に歩いていたら、なんと昨日クルマを預けたホテルの近くに出てしまいました。ここから宿までクルマで運んでもらったのに、歩いても来れるくらいコンパクトな町だったんだと気づきました。ここから海沿いの道を宿のほうに向いて歩いてみる。ともてつバスセンターがあって、観光情報センターやお土産物屋も付随しているのですが、後で調べるとここがかつての軽便鉄道の鞆駅があったところらしい。釣りをしている兄ぃ、宿の浴衣を着て系列の別の旅館の朝風呂に入りにいくと思われる夫婦。堤防の上では、明け方に到着したのだろうか、若いカップルが刺すような日差しの中で寄り添って、暑ぅないんかい?と、思ったり。


 潮待ちの港という言葉の意味を、恥ずかしながらこの年になって初めて理解できました。東西方向に400数十キロの長さがある内海である瀬戸内は、日に2回外海から潮が流れ込んだり流れ出したりする。船が自分で動力を持たない時代は、その潮の流れを利用しなければ船は進めないというわけです。大雑把にいえば、進みたい方向に潮が流れる6時間その潮に乗って船を進める。逆流になる6時間は港で休む。次の6時間また進めるというわけですね。明石海峡で行き来する船を眺めていると、大きなタンカーや貨物船でもあくせくしながらようやく明石海峡大橋の下をくぐったと思えるときや、案外楽ちんに進んでいるなと思えるときがあります。あれが潮の流れに逆らっているか乗っているかの違いですね。そして、瀬戸内の東西から入り込んだ潮がやがてぶつかる場所がある。それが瀬戸内の真ん中、鞆の浦だというのです。潮の流れを上下方向に表すとしたら、折り紙の山折り状態が引き潮(鞆から東西に潮が引いていく)、谷折り状態が満ち潮(東西から鞆に向かって潮が流れ込んでくる)というわけです。なるほど。船からすれば滞在をさせられるのが鞆。そこに港ができ町ができて人が集まり商売が成り立って文化が育つ。瀬戸内には牛窓なり御津なり港はたくさんあるれど、山折り谷折りという意味では鞆の浦は特殊ということなのでしょう。恥ずかしながら鞆を訪問したことで、初めて理解しました。

 福禅寺対潮楼まで上ってみましたが、こんな時間、まだ開いているはずもなく、ふと気づくと、古民家を使ったホテルも作られています。


 福山市鞆。がんばってはるなぁと思ったことです。

(2023年7月訪問)

 


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