
今回の予定地は一応全部寄りました。残念なのは美保神社で福種銭をいただけなかったことくらいです。それから、昨夜は道の駅本庄でクルマ寝だったので、風呂に入っていません。松江市の入浴施設に行こうと、下調べはしていたのです。
しかし、10時過ぎに予定が終了したということは、もう一度美保神社に戻るという選択肢も出てきました。すると、松江市とは方向が逆。探してみると、境港のさかなセンターの近くに、日帰り温泉があるらしい。よし、美保神社で福種銭、そのあとは境港で風呂に入って帰ろうと決めました。
穏やかできれいな水面。森山堤防の北の端から南東方面を見る。
ズームで寄ってみると、江島大橋と大山。
由志園から県道338号線を通って江島、さらに北に進んで島根半島の美保関町へ走ります。この338号線というのが中海の堤防の上を走っている道路で、走るのが楽しい道路です。今回初めて知ったことですが、この道路(堤防道路と呼ぶらしい)は、観光客を喜ばせるために作ったのでなく、中海干拓・淡水化事業によりできたのだそうです。食糧増産を目的に、1963年に中海の干拓が始まりました。松江市街に近い大海崎から大海崎堤防を通って、大根島の北側の水際、さらに江島の西側を通り、森山堤防を経て美保関町下宇部尾に至るこの道路と、北側、西側の陸地の間が本庄工区と呼ばれる干拓予定地でした。計画通りに干拓が行われていたら堤防道路でなくなっていたはずです。干拓地の外周道路になっていたはず。結局、社会情勢の変化によりこの中海干拓・淡水化事業は2000年に中止が決定され、堤防とその上を走る道路(島根県道338号美保関八束松江線)が残ったというわけです。観光客を呼ぶために作ったのではありません。
由志園のある大根島と堤防で囲まれたエリアが干拓される予定だった
その県道338号、江島から先はやや誇張表現ですが、水面をクルマが走っている気分になれます。美保関中学校の横を通って、431号に合流、あとは明け方と同じルートを美保神社に向かいました。福種銭、福種銭!
島根半島って南北方面にはほんの数キロしかありません。考えてみたら半島の一番西側の日御碕へは行ったことがありますが、島根半島の北側を見たことがありません。そこで隠岐フェリーの発着する七類へと寄り道をしてみました。
日本海の荒波が見えるものと勝手に想像していましたが、大きなフェリーが出入りする港を作るようなところです。東からの入り江になっていて穏やかなものです。荒波なんぞ見えませんでした。この七類港でも釣り人を1組2組見かけました。クルマのナンバーは岡山。岡山県の人にとっては、休日に釣りに出かけるのは鳥取県や島根県なのですね。
美保関に向かう道路沿いでも夜明け以上に釣り人の多いこと。美保神社に到着。福種銭、福種銭!
拝殿では結婚式が行われていました。式には関係のない、お参りに来た人たちも式を見ています。やはり結婚式は親族でなくても気になるものですね。私もひと月ほど前の息子の結婚式を思い出していたのでした。
結婚式を見守りながらも気持ちは福種銭。ところがこんなものが。
新しい10円硬貨が入らないので福種銭の授与は当面やめるというのです。そんなぁ。福種銭のために1時間かけてここまで戻ってきたのに。そもそも、今回の旅をこのエリアに決めた理由の一つが福種銭だったのに。それなら社務所の開く午前8時の段階で、このお知らせをしておいてくれたら、自分が持っていた福種銭も返さずに持ち帰ったし、再度やってくることもなかったのに。
傷心のまま青石畳通りを歩きます。ラフカディオ・ハーンも美保関へ3度やってきているという説明がありました。彼の時代には私が2往復する、半島の南側の道路(鳥取県道・島根県道2号境美保関線)はまだなく、境港辺りから船でやってきたようです。
神社から少し離れた海沿いの駐車場へとぼとぼ戻る。駐車場の入り口で、おばさんが焼きイカを売っていました。「イカ、買うてってや」という売り文句だったと思います。「イカちょうだい」と言うと、炭火で温め直してビニール袋に入れてくれました。500円。おばさんに、「福種銭をいただきに今日2回目のお参りなのに、福種銭がないというんだよ」と話しかけましたが、おばさんはもうひとつピンとこない様子。地元の人は、福種銭なんて興味がないのかもしれません。弁天波止場の常夜灯の横に腰を下ろして、イカを頬張る。ふっくらした身に甘い醤油だれが美味い。食べながら水際をのぞき込むと、黒いカンガゼ(と思う)がいくつも水底に張り付いています。正面には大山。
そこへキャブコンキャンパーが入ってきました。ナンバーは大分。昨夜道の駅本庄で一緒に泊まった1台です。私より年長の、仲のよさそうなご夫婦が降りて、神社の方へ歩いていきました。
(つづく)
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