"はまでらこうえん"って優雅な響きがすると思っています。日本泳法能島流の浜寺水練学校のある浜寺公園、阪神高速道路湾岸線から見える南北に長い松林。どことなくゆったりした時間の流れがあるように感じていましたが、実は、これまで足を運んだことがありませんでした。
恵美須町駅でもらった堺市のパンフレットを見ると、南海電鉄浜寺公園駅の駅舎は歴史ある建物で、東京駅を手がけた辰野金吾の設計によるということです。なんでこんなところに著名な建築家が登場するのか。
阪堺電車の終点、浜寺駅前で降りて数分のところにある南海電鉄浜寺公園駅を見に行きました。なるほど、優雅な駅舎です。駅のホームにある待合室も同じ雰囲気を持っていていい感じです。そこを関西空港行きのラピートが駆け抜けていく。歴史ある建物と平成生まれの特急車両が溶けあっていい感じ。
駅での説明書きを読んで納得しました。こんなふうに書かれていました。
この辺りは、鉄道の入り組んだところでもあります。阪堺電車の浜寺駅前と南海電鉄の浜寺公園駅とは数分の距離、さらに南へ10分ほど歩くとJR阪和線から枝分かれしてきた東羽衣駅と南海羽衣駅があります。 南海羽衣駅からは短い高師浜線(営業キロは1.5km)が枝分かれしています。
浜寺公園は多くの人たちの憩いの場でした。ジョギングをする人、ペットを連れてくるひと、バーベキューを楽しむ人、庭園の花を観にくる人。思い思いの憩いのための浜寺公園でした。
恵美須町駅でもらった堺市のパンフレットを見ると、南海電鉄浜寺公園駅の駅舎は歴史ある建物で、東京駅を手がけた辰野金吾の設計によるということです。なんでこんなところに著名な建築家が登場するのか。
阪堺電車の終点、浜寺駅前で降りて数分のところにある南海電鉄浜寺公園駅を見に行きました。なるほど、優雅な駅舎です。駅のホームにある待合室も同じ雰囲気を持っていていい感じです。そこを関西空港行きのラピートが駆け抜けていく。歴史ある建物と平成生まれの特急車両が溶けあっていい感じ。
駅での説明書きを読んで納得しました。こんなふうに書かれていました。
明治40年、当時ひと夏100万人といわれた海水浴客に対応するため、難波~浜寺公園間が電化され、併せて東洋一の海水浴場の玄関口にふさわしくするべく建て替えられたのが、現在の駅舎です。
木造平屋建て、白木、白壁造りの洋風建築で、我が国で現存する最古の洋風駅舎であるこの駅舎は、中央停車場(現東京駅)や日本銀行などの設計で知られる我が国近代建築の草分け、故辰野金吾博士が設計しました。
(中略)
戦後、埋め立てられた海水浴場など駅周辺は劇的に様変わりする中で、「明治の駅」は今も健在です。平成10年には国の登録有形文化財に指定されました。
この駅の東側の住宅地を少し歩いてみましたが、どの家も優雅な雰囲気を持っていて、なるほど、別荘地としての歴史がある町だと思いました。
(中略)
戦後、埋め立てられた海水浴場など駅周辺は劇的に様変わりする中で、「明治の駅」は今も健在です。平成10年には国の登録有形文化財に指定されました。
この辺りは、鉄道の入り組んだところでもあります。阪堺電車の浜寺駅前と南海電鉄の浜寺公園駅とは数分の距離、さらに南へ10分ほど歩くとJR阪和線から枝分かれしてきた東羽衣駅と南海羽衣駅があります。 南海羽衣駅からは短い高師浜線(営業キロは1.5km)が枝分かれしています。
浜寺公園は多くの人たちの憩いの場でした。ジョギングをする人、ペットを連れてくるひと、バーベキューを楽しむ人、庭園の花を観にくる人。思い思いの憩いのための浜寺公園でした。
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