ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

一房の葡萄

2011-10-03 07:23:37 | PiTaPaより遠くへ

  ぶどう狩りに行きました。三重県名張市の青蓮寺湖観光村というところです。春はいちご狩りでできるところで、去年と今年、いちご狩りにも行きました。10月1日のことです。
  昨夜の雨が上がった後ずいぶん涼しくなって、どこかへ出かけたいという気持ちになって行ったのですが、冷静に考えてみるとぶどう狩りというのは私の人生の中で初体験ではないでしょうか。いちご狩りだって、去年の春が初体験だったのですが、この年になって初めて経験するものが多いものです。
  食べられるぶどうはベリーAという種類で、案内書きによればポリフェノールがたっぷり、ワインにも使われる種類だそうです。ここのぶどう狩りは7月20日から10月末までの期間だそうですが、時期によって食べられる種類が違うらしい。ベリーAというのはぶどう狩りの殿(しんがり)を 務める種類のようです。


  ゲートをくぐると、まず目に入ったのは、時間制限を設けていないという文字。なんとなく徳をしたような気持ちになります。今年の春、いちご狩りに来たときには「30分程度でお願いします」なんて書いてありましたから、これはめでたい。
  小さなザルとはさみを受け取って説明を受けて、ぶどう棚の下へ移動します。まだ時間が早いせいか、私たちのほかに客はありませんでした。よくパンフレットの写真などでは、葡萄の房を(どういうものか例外なく若い女性が)取っている写真がありますが、あれはウソだと思いました。今、自分の目の前にある房は例外なく紙の袋を被っています。農薬から房を守るために袋をつけてあるのですね。父は3房、私は2房をもいで、ぶどうの木の下のテーブルに腰を落ち着けたのです。そして、私はここで大きな勘違いをしていたことに気づきました。ザルは、もいだ房を入れるためにあるのではなく(入れてもいいけど)、食べた後の皮と種を入れるためだと気づいたのはだいぶ時間がたってからでした。

  父と二人で行ったのですが、不気味なことにほとんど会話もなく黙々とぶどうを食べています。それもそのはず。ぶどう狩り未経験の方は考えてみてください。ぶどうの粒を口に入れるためにまず1回手を口に近づけます。皮を残して実を口に入れたら、皮をザルへ。次にタネを口から掌に出してまたザルへ。一粒の実を食べるために手を2回口に運ばなければなりません。仮に一房50粒だとして、100回手を往復させなければなりません。そして、舌を上手に使って種と実を選別しなければならない。言葉が入り込む余地はないわけです。いちご狩りと比べると、簡単に食べられないだけ味があるような気もします。
  食べながら有島武郎の『一房の葡萄』を思い出しました。小学校2年生のとき、担任の先生が読み聞かせをしてくださったお話しのタイトル。不思議なことに忘れません。そして、ぶどうがおいしそうだったとかいう記憶ではなく、「大理石のような指」というフレーズが強く記憶に残っているのです。大人になってから、懐かしくなって有島武郎の文庫本を買ったはずなのですが見つかりません。「あおぞら文庫」で確認してみると、お話しの最後はこんなふうに書かれていました。


それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。


  今、読み返しても小学校2年生に何がわかるんだと疑問に思います。私の担任の先生のねらいはなんだったんでしょうね。

  黙々と2房を食べて、さらにもう1房取って食べました。ぶどうは甘くておいしかった。それに、いちご狩りは温室の中でしたが、今日のぶどう狩りは完全に屋外。ぶどうの葉で日光の遮られた涼しい日陰で食べるのは気持ちがいい。農園の兄ィも感じのいい人で、また次に来ることがあってもこの農園がいいなと思いました。ただ、ひたすらぶどうばかりを、そんなに食べられるわけもなく、3房で観念。30分ほどでぶどう畑から出てしまいました。時間制限なんてあってもなくても同じでした。


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