ぶろぐのおけいこ

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天橋立 いく野の道の遠ければ(2) 

2023-11-16 18:37:33 | PiTaPaより遠くへ

 傘松公園に運んでくれるリフト/ケーブルカーの乗り場近くに、籠神社(このじんじゃ)があります。籠神社は元伊勢というらしい。ここにもともとこの神社にお祭りされていた天照大神と豊明大神が伊勢へ移ったということです。なるほど社殿もお伊勢さんふうです。元伊勢つまり、お伊勢さんよりも古い。私たちのイメージでは宮津や天橋立は日本海側の辺鄙なところですが、かつては要の地だったということでしょう。大陸との接点だったのかもしれません。入り江が深く、泊りにするにはいい地形だったのでしょう。

 ここから北西に20kmほどのところ、伊根からほぼ東に10kmほどのところに冠島という島があって、籠神社の主祭神である彦火明命(ひこほあかりのみこと)が降臨し、丹後・丹波地方に養蚕や稲作を広めたということになっているそうです。ここからは冠島は見えませんが、リフトで股覗きをするところまで上がれば、鳥居の中に冠島が見えます。

 初めて笠松公園に来たのは昭和45年5月の連休の一日でした。大阪万博の年。私は小学校4年生。おそらく最初で最後の家族旅行。もちろん日帰りです。播但線から山陰線、豊岡から宮津線に乗って、今から思うと行って帰るのにどれだけ時間を使ったことか。まさに「いく野の道の遠ければ」です。丹後山田の駅で見かけた加悦鉄道の古いディーゼルカー。両親ときょうだい三人。天橋立駅側から観光船に乗って傘松公園側へ、シングルリフトで公園まで上がって股覗き。昭和45年にも学生時代にも、リフトしかなかったように思うのですが記憶違いでしょうか。帰りは家族で貸し切りのモーターボートに乗って高速で駅側へ帰りました。その料金が1000円だったことを今でも覚えています。「親父、大盤振る舞いをしたものだ」今でも思います。廻船橋、岩見重太郎の仇討ちの場。(岩見重太郎という名前をここで初めて覚えたのでした)、知恵の輪を買ってもらいました(文殊堂にかかわってでしょうね。知恵の輪のご利益があって現在の私なのでしょうか、ご利益もなく現在の私なのでしょう、よくわかりません)。

 次に天橋立を訪れたのは大学4年の7月。男ばっかり三人でやってきました。当時、舞鶴の五老岳にかんぽの宿舞鶴があってそこに泊まりました。山の上から舞鶴湾を見下ろすと、深い深い入り江。海軍だってここに拠点を作りたくなるはずだと思いました。後になって考えると、小浜から北朝鮮に拉致された人が出たのがこの頃。私たち三人の車も小浜から天橋立まで海沿いを一往復していたわけで、楽しい思い出の裏にちょっと暗いものが張り付いています。

 次は子供たちを連れて2008年1月に傘松公園に来ています。

 写真を確認すると、このときは往復ともケーブルカーに乗っています。雪が残っているときにリフトは寒いですものね。傘松公園で木彫りのフクロウのケータイストラップを買ったのを覚えています。この記事を書いたあとたまたま片づけをしていたら出てきました。足が片方もげていますが。あぁ懐かし!

 

 今回で4度目の天橋立になるのですが、考えてみると傘松公園側ばかりで、天橋立の反対側から見下ろす、つまり天橋立駅から裏山を登ったという位置関係にある、天橋立ビューランドには一度も登っていません。というわけで、今回は両参りならぬ両のぼり。これがどちらもよく似た風景で、2時間ドラマのトリックに使えそうなくらいです。見下ろすと海があって、細長い砂州がずっと向こうへ続いていてという景色はとてもよく似ています。山を登るのにシングルリフトがあるのも両方同じ。リフト以外に並行して乗り物があるのも同じです。

 9月の下旬のこと、リフトのルートに彼岸花が咲いているのもどちらも同じです。ちょうど傘松公園へ行くのは山に向かってリフトの右側にケーブルカー、ビューランドのほうはリフトの左側に今風のモノレール。どちらの山登りもリフトが人気のように思えます。開放的ですもんね。雨の日はケーブルカーやモノレールが人気になるのでしょうね。

 傘松公園からの景色を昇龍観、ビューランド側からの景色を飛龍観というらしい。両方からの景色を比べてみると、ビューランド側からは北側を眺めるわけですから、遠くに日本海が見えて、先方が開けた感じ。傘松公園側からは南を向いているわけだから、海の向こうが宮津の町、いわば山側。今回初めてビューランド側からの景色を眺めましたが、こちらのほうが開放的でいいなと思いました。天橋立ビューランドからは駅に停まる列車も見えます。このビューランドは昭和45年にできたらしい。当然、天橋立観光のメインは傘松公園側でしょう。乗り場の周辺をみればわかります。また籠神社、成相寺という参詣場があるわけですから。

 天橋立のこちらは宮津市、向こう側も宮津市、なのに車で傘松公園側に行くには隣の与謝野町を通って行かねばなりません。両方の宮津市を唯一つないでいるのが橋立だというのですから面白いものです。

 ところで興味深かったのはモノレール。2両連結でルーミーなガラス張り、エアコン付き。下りに乗ってみました。乗り心地もよく現代的乗り物が天橋立にやってきたという感じです。ところが索道法だかなんだかのルールの問題でしょうね、リフトと速度が同じなのです。スタートした時点で隣のリフトに乗っていた人は降りるまでずっと隣にいるわけです。あれ、どちらも間が悪いものですね。

 ここでも外国からのお客さんが多いように思われます。それも団体客ではなく一人とかグループ客。彼らは騒がない。宮津や天橋立は空港からやってくるには遠い。それこそ「いく野の道の遠ければ」なのです。こんなところへやってくるのは日本のことをよく心得た、いわゆる上級の旅行者かもしれません。

(つづく)


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