ぶろぐのおけいこ

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いく野の道の遠ければ(3) 宮津

2023-11-17 19:09:42 | PiTaPaより遠くへ

 宮津の町を通過したことは何度もあるのに、考えてみれば、町のことはまったく知らないのでした。ホテルの窓から見えるマクドナルドに子どもたちと入った記憶があります(丹後半島の西側に泊まった時で、子供たちと天橋立に行った時より前だと思う)。歴史的なことも全く知らないで来たのに、一泊したら結構面白かったという話です。

 フェアフィールドのある場所は旧花街だといいます。もともとこの場所は埋立地、いわば新地です。花街があるということは、この場所に仕事が集まり、人が集まり、金が集まっていたという証拠ですよね。天橋立への観光・見物客のみならず、丹後ちりめんの集散地、北前船の寄港地。結構にぎわっていた宮津だったのでしょう、今は面影が残るだけの地方都市だけれど。

 フェアフィールドは他と同じ造り。串本が7階、津山が3階、ここ宮津は5階建てです。フェアフィールドのコンセプトは道の駅に隣接して造るということなので、道の駅ができるようなところ=辺鄙なところということになるのですが、天橋立は道の駅が町に近いところにあることで、徒歩で町も楽しめるのが、これまで私が泊まってきた2か所と違う。たぶんそれに関係すると思うのですが、朝食ボックス(フェアフィールドお決まりの、朝食代わりのお弁当)の設定がありません。朝ごはんも町に出かけていって食べてね、露骨な言い方をすれば町にもお金を落としてねということのようです。晩御飯は徒歩圏内に何軒も飲食店や居酒屋があるし、宮津駅にも歩いて行ける。すぐ近くの船着き場からは朝一本だけれど伊根行きの観光船も出ているようです。車を持たない人も、ここのフェアフィールドを拠点にしていろんなところへ行ける。私たちが晩御飯を食べた居酒屋では、小上がりで地元の人たちが盛り上がっていました。一方カウンターでは外国からのカップルが静かに飲んでいました。夫婦で切り盛りしているらしいその店の女将は、英語のメニューと日本語で当たり前のように注文を取っています。カップルの後に座ったのが、また外国からのお客さんで今度は若い男性二人でした。座ってお酒を注文すると、やがてお通し(付き出しとも言いますね)が出てくる。その兄ぃが聞いているみたい。言葉がよくわからないので想像するにこんな感じ。「これはなんだ?こんなものを注文した覚えはないよ」横の私は女将がどう返答するか、楽しみに待っていました。すると女将、「それはオトオシ。付いてくるの」日本語でしっかり言い切り、兄ぃは理解できたか否かわかりませんが、それでおしまい。心は言葉の違いを越えるということなのだろうか、それとも勢いのあるほうが勝ちということなのだろうか。とにかくこの界隈で見かける外国からのお客様は、みんな行儀がよいのでした。

 翌朝、町を散歩しました。海辺を東に歩いて、縄手川をさかのぼってみます。汽水域だと思いますが川にはガマらしき植物が茂っています。ん        ?ガマのてっぺんに蟹が休んでいます。へぇ、一休みするのに身長の何十倍もある「柱」を登るんだ。やがて、川岸が白壁になって城下町らしい雰囲気がしてきます。

 小学校の門はかつての宮津城の門を移築したものだと書いてあります。この頃になって、知識のない旅行者は、宮津は城下町だったんだと気づくわけです。川の西側に人の像が見え、その奥に木造ではあるけれど洋風の建物が見えます。行ってみると和貴宮神社という神社があって、これが宮津の名前の由来となった神社だと書かれています。ここは宮のある津だというわけです。しかし、これには知識のない旅行者もやや首をひねります。人の住むところに大小はともかくお宮さんや祠はあるものではないのか?いや、フェアフィールドのあるあたりは埋立地だったという話ですから、昔はこの辺りまで海だったのかもしれないと考えてみたりもします。その神社の隣にあるのが、先ほどの木造の建物、宮津教会。外から見てもステンドグラスが美しいのではないかと想像できます。しかし、信者でもないので入ってみることもできません。いつ頃この教会はできたのだろうと思いながら、さきほどの像まで行くと、これが細川ガラシャだと書かれています。

 クリスチャンでも和装をしておられます。京都の高桐院に墓があったのを記憶しています。あのガラシャが宮津で?ということはこの教会はガラシャゆかりの?調べてみると細川忠興の妻、ガラシャは確かに宮津に住まいしていたことはあるのですが、その時代にはまだ洗礼を受けていませんでした。

 朝食後、宮津駅まで歩いてみました。かつては国鉄の駅、今は北近畿タンゴ鉄道の駅。駅舎は比較的近代的だけれども駅舎側から見える町の景色は昭和っぽくて好きだなと思いました。正面の道路の左側、山小屋風にも見えるコーヒー専門店。レトロでおまけに価格もレトロ。いいわぁ。そのお店でマンデリンを飲もました。出がけに入ってきた男性二人連れは昨日の居酒屋で、お通しについて聞いていた二人じゃないか。近所に泊まっていたんだ。

 ホテルへの帰り道。四つ角で海のほうを見たら、大きなクルーザーが留まっています。誰がこんな大きなクルーザーを所有しているのでしょうね。素人目に見ても家の一軒や二軒は楽に買えるのではないでしょうか。白い色が眩しいクルーザー。かつて宮津は花街ができくらい賑わっていました。今はその勢いが感じられないと思っていたのですが、港にはこんな立派な船を持てるお大尽がいるということですね。重要文化財の旧三上家住宅に入り損ねました。次は必ず見てやろうと思います。

 さ、宮津にもお別れです。有名な酢の醸造所があるらしく、行ってみました。それから鉄道ファン間では有名な由良川の鉄橋を過ぎて、山椒大夫の屋敷跡とされる場所も越えて舞鶴へ。暑い中、レンガ倉庫を見て帰りました。

 夏が続いている9月下旬のことです。

(おしまい)


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