ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

峠に行く(1) 逢坂峠

2016-05-21 18:58:40 | PiTaPaより遠くへ

 いわゆる大型連休。天気がよいのでスクーターで走ってみる気持ちになりました。一年の中で、これから梅雨入りまでの季節がバイクにとって一番走りやすい季節だと思います。琵琶湖を眺めながら湖西を走って、途中峠を経由して京都に入り、以前に訪れた芹生(京都市右京区京北芹生)にもう一度行けたらいいなと、漠然と思って出かけました。2013年秋に、昔のNHKのドラマ「花車」を回想すべく、貴船から芹生峠を超えてたどり着いたものの、水害による通行止めで里の雰囲気も感じられず帰ってきてしまった、あのリベンジができたらいいなと思っていました。

 とはいえ、下調べなどという言葉は私の辞書にはありません。福井県から岡山県辺りまでが一枚に描かれた広域の地図を持っている以外は、頭の中のイメージだけ。どうなりますやら。

 大津を目指すなら、山城大橋で右折して宇治田原を通るのが私にとってはふつうのルートなのですが、少しひねってみたい。そこで、宇治から六地蔵を経由して山科に抜け、国道一号線で大津へ出る。そうすると、六地蔵から逢坂峠までは初体験のルートになるはずです。

 山科からの一号線は結構込んでいました。片側二車線あった道路が峠で一車線に減るからでしょうか。逢坂峠に着いたのは10時半ごろ。「かねよ」で、きんし丼を食べたのは一月のことでした。思いがけずまたやってくることになりました。今回はじっくりと散策をしてみよう。ここには「かねよ」ともう一軒、「大谷茶屋」といううなぎ屋さんがあります。昼飯時にはまだ早いというのに、うなぎ目当ての客たちがクルマでどんどんやってきます。また、旧東海道でもありますから、デイパックを背負って、歩いて峠越えをする人たちもたくさんいます。

 歩道橋の上から観察すると、狭隘な谷に、国道一号線と京阪電鉄京津線と名神高速道が並行して走っています。なるほど、関所を置かなあかんなぁと誰でも思うような地形です。案内によると、逢坂の関は京の都を守る重要な三関(ほかのふたつは、鈴鹿関、不破関)の一つだったそうですが、平安後期から徐々に形骸化していったそうな。

 一号線を登ってくると、サミットの信号でUターンするように左に曲がると旧東海道だそうですが、二軒のうなぎ屋さんや蝉丸神社を通り過ぎると、旧東海道は行き止まりになります。徒歩で東海道歩きを楽しむ人は、歩道橋で線路と国道一号線をまたぐことになります。

 百人一首など苦手な私でも、

これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られて 来るよしもがな

 という逢坂の関が出てくる歌くらいは(ぼんやりですが)記憶にあります。「逢う坂」、男と女が向こうとこっちから逢うというなんとも色っぽいネーミングが歌人たちの心を引いたんでしょうね。この年になって(やっとこさ)思います。若いころはなーんも思いませんでした。

 そして、逢坂関がどこにあったのかはよくわからないという。ぼんやりとしていてわからないところがまたいい。

 ひとけのない蝉丸神社へ行って、その後に、名神高速のトンネルの上で見つけたのが、「旧東海道線逢坂山とんねる跡」の碑。ツツジに囲まれた碑の裏には次のように書かれています。

 明治十三年日本の技術で初めてつくった旧東海道本線逢坂山トンネルの西口は名神高速道路建設に当りこの地下十八米の地下に埋没した ここに時代の推移を思い、碑を建てて記念する

 側面には、昭和37年12月 日本道路公団 と書かれています。えっ?名神高速道路が全線開通したのは昭和40年。高速道路のために、東海道本線がトンネルを譲ったということか?帰って調べてみると、逢坂山にトンネルは何本も掘られていることがわかりました。ここで言われている逢坂役トンネルは明治13年に掘られた、いわば初代のトンネル。18年後には複線化されています。ところが1921年に新逢坂山トンネルが開通すると、初代トンネルは用済みになります。埋没したのはその初代だということです。

 逢坂山は東海道本線や新幹線で何度となくトンネルをくぐっている、また京津線でも一度か二度くらいはこの峠を越えているはず。いやいや名神高速でも通ったことがあるはずなのですが、国道1号線で山科から大津へ抜けるのは、おそらく初めてです。

 次に向けて走ろうかとヘルメットをかぶっていたら、お父さんと中学生くらいの子どもの二人連れがやってきて、こんな私に道を聞きます。どうやら大津側から山科方面に旧東海道を歩いているらしい。「東海道は、ここを歩けばいいのですか?」この場所へは今日で二度目。それも自分の足では一度も歩いたことはないのに、「この前の道が旧東海道で、この先で道は途切れるから、横断歩道で国道の向こう側に渡りなさい」なんて、教えてあげたのでした。

 (つづく)


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