ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

お正月

2013-01-02 08:58:34 | ぶろぐのおけいこ

  子どもの頃のお正月を思い出していました。年末になると祖父は納屋で注連縄をなっていました。30日くらいになると、母は台所でおせち料理を作りはじめます。随分時間のかかる料理ばかりと見え、ストーブやら七輪やらを総動員して、それぞれの鍋から湯気が立っていました。里芋の皮をむくのは父親の仕事だったように思います。母は手が痒くなると言っていました。父があちらこちらを掃除したり、換気扇をきれいにしたりするのですが、ふだん父が家の中の掃除をする姿を見たことがないので子どもの目には奇妙に見えました。


  紅白歌合戦の頃には祖父はもう寝ていました。番組が佳境に入る頃、母が年越しそばの準備をする。そばができると祖父を起こしにいき、時報を合図に柱時計の針を修正するのは伯母の仕事。小学校中学年くらいまでは、日付が変わる時間帯にまで起きていたことがなかったので、年をまたぐ瞬間をワクワクしながら待ったものです。新年になると、氏神様に初詣。ふだんは昼間にしか行ったことのない神社に、参道に裸電球がつけられています。
  元旦。大人たちはみんな起きてきません。寝正月を決め込んでいます。テレビは和装の出演者たちが出てくるか、演芸モノか、とにかくどこの局でも同じような番組ばかりでつまらなかったのは今も変わりません。たいくつなのに、近所の駄菓子屋へ行くことは許されませんでした。元旦からお金を使うと一年中浪費が続くのだと教えられました。もっとも、駄菓子屋は元日だけは休みだったようにも思います。同じように元日から洗濯はしないものだとも教わりました。初風呂は2日の朝です。朝から風呂に入るのはなんとも不思議な感覚でした。元日は日常のことを極力しない日だったんでしょうね。
  通りへ出ると、注連縄を結わえたクルマもたくさん走っていました。フロントグリルに結わえてあるか、フェンダーミラーに結んであるかのどちらかです。あの頃の自動車には神さんがいたんですね。2日には、親戚が集まってきます。大人たちは酒を飲み、にぎやかに歓談。子ども達は別室でトランプをしたりみかんを食べたり。あの頃は日本全体が右肩上がりだったんでしょうね。お年玉の額も今と比べると相当豪勢だったように思います。

  今から思うと、生活にメリハリがあったということではないでしょうか。31日、年越しそばはそば屋さんで食べてきました。おせち料理はお店で買いました。うちの子供たちは、正月でなくても毎日日付が変わってから寝、昼ごろまで布団で過ごします。お店だってスーパーだって元日から営業をしています。日本中浪費家ばっかりであるはず(なのに景気は上向きませんね。今度の首相の言うとおりに上向くのでしょうかねぇ)。無理に買い置きをしなくても、ひもじい思いをすることはありません。洗濯も風呂もいつもと変わらない元日。近所の玄関を見て回ったのですが、注連縄が飾られているお家が思うよりずっと少ない。そんなに喪中の家庭ばかりではないはずですが。
  メリハリがなくなって、神さんがご不在で。昔の人は正月という特殊な数日を作ることで、変化のある一年を演出していたんでしょうね。


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2 コメント

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あけましておめでとうございます。 (ini)
2013-01-03 10:14:58
遅まきながらあけましておめでとうございます。

正月の風景というのか様子と言えばいいのか、すっかり変わってしまいましたね。

今の子供たちにとっては、これが正月の姿でまた40年後に変わったなって言ってるのでしょうか。
その頃の正月は想像できませんが。

きすけぐみさんがおっしゃるように正月だけでなく、一年のメリハリが無くなっていることは強く感じます。

自分が携わっているのになんですが、生活に密着する小売業の変遷が大きいのでしょう。
年中無休が大半、24時間営業もコンビニではあたり前の時代になれば、一年が平坦型になるのも必然ですね。
利用者の利便性を考えてとのことですが、本当に望まれているのかどうなのか。
今となってはよくわかりません。
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文明はのっぺり型 (きすけぐみ)
2013-01-05 17:21:11
iniさま、いつも、コメントをありがとうございます。

決して小売業の方たちの責任でもありますまい。この国の住人たちは総理大臣を自分達では決めませんが、生活のスタイルは総意によって変化していきます。季節も昼夜も問わず、自分の都合のようように生活したいという欲求が、こういうノッペリに生活を作ってきたのだと思いますよ。もちろん、どちらがよいという話ではなく、結果としてそういう方向をみんなで選んだ。

ケータイのある生活、スマホのある生活は、時間と空間を自在にクロスさせてしまいました。
駅前でデートの待ち合わせをして、約束の時間が過ぎる。来るのか来ないのかをじっと考えている、そういう幸せな時間を剥ぎ取ってしまったことは事実でしょうね。
文明というものはきっとノッペリした顔をしていのだと思いますよ。
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