ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

道の駅なかもり清見~平湯   そうだ 長野、行こう(3)

2018-12-15 18:28:28 | PiTaPaより遠くへ

 明け方。寒さで何度か目が覚めた気がします。クルマの前後方向に対して少しだけ斜めになれば足を伸ばせるのですが、荷室の荷物との折り合いが悪いようで、身体を十分に伸ばせていないことに気づきました。やや疲労の残った朝。まだ暗い間にごそごそと動き始めます。朝食のパンを食べながら一台の白い軽ワンボックスを注目しています。バックドアを開けたところにはちゃんと棚が作られています。まだ薄暗闇でよくは確認できませんが、クルマの横でカセットガスコンロを使っているように見えます。このおじさん、手慣れた旅人だと思われます。上手にコトを行っているので人目につきません。一人旅であるので静かですし、調理の時間帯も考えています。車寝の達人ですね。これが何台もこんな風にしていたら、またグループだったり子ども連れだったりしたら…道の駅も迷惑ですね。「半日以上駐車禁止」となるのも当然です。
 その後トイレに行って感動。便座が温かい。寒い朝ゆえに余計ありがたい。感動したので、お礼にこの道の駅でなにかを買おうと思うけれどもまだお店は開いていません。仕方がないので自販機でコーヒーを一本買いました。僅かな購入ですみません。実はコーヒーも昨夜調達済みだったのですが。
 5時半過ぎ、平湯温泉を目指して出発します。ここでも新しいクルマは気をつけなければならないことがあるのに気付きました。車寝をすると呼吸の水分によってウィンドウが曇ります。フロントウィンドウの曇りは拭けば解決できますが、ルームミラーの前方に張り付いているレーダーだかカメラだかの部分だけは拭くことができません。すると、「機械の眼」にも曇りにより前方が見えないらしく、さまざまの安全機能が使えないと表示されます。デフをつけたまま10分ほど走れば曇りも取れますが、これは現在のカメラだのレーダーだのをフロントガラスの内側に安全装置をつけたクルマの共通の問題でないかと感じました。
 昨日の高山郵便局の横を通って、平湯方面を目指して走ります。新聞配達のバイク。早朝からご苦労様です。高校の修学旅行では2日目の朝、古い町並みを散策したに違いない。

 高山陣屋だとか、日下部民芸館だとかは名前に記憶はありますが、どんなところだったか覚えていません。八幡宮はここで記念撮影をしたので覚えています。屋台会館にも入りました。高山祭が春と秋に、つまり年に2回あるというのはこの屋台会館で知ったことです。
 我が家にはオリンパスペンというハーフサイズのカメラがありました。一方、同じクラスのS君のカメラは一眼レフ。出来上がった八幡宮の集合写真を比べると、一眼レフの写真はくっきりして明るいのに、私のほうはどこか薄暗い。この年になってもカメラは一眼レフとか、レンズのできるだけ大きなカメラをと思い込んでいるのは、この時の経験が元なのかもしれません。

 高山の町から離れて、丹生川の辺りでしょうか、オレンジ色の朝焼けにギザギザの山々がシルエットで見えます。穂高連峰でしょうか。早朝でクルマも少なく、信号もほとんどありません。機嫌よく緩やかに登って行くと書きたいところですが、地元のクルマは結構なスピードでかっ飛んでいきます。後ろから追い上げてくる軽トラックに道を譲りましたが、たぶん80km/hくらい。道路幅もゆったりしていてタイトなコーナーもないのでこちらも軽快に走ります。少しずつ上りとコーナーがきつくなってきます。やはりトルクのあるクルマはラクチンだなと思いながら軽快に走ります。BGMは、さだまさしのアルバム『夢供養』の中から「きみのふるさと」。頭の中では聞こえていますが、実はクルマの中に音楽ファイルはなぜかありません。どこへやっちゃっちんだろう?

 修学旅行は1977年10月。『風見鶏』の発表は同年7月。修学旅行時の私の頭の中ではこのアルバムの曲がグルグル回っていました。当時、フォークとかニューミュージックとか言われたシンガーたちはテレビに出ず、私は歌番組をほとんど見ずにいました。だから、歌えるほどに知っている、今流行っている歌を知らないのです。バスの中で「お前も一曲歌え」と言われて、仕方なく「きみのふるさと」を歌ったら、あとでKくんから、「ぼくが知っている曲を聞きたかった」と言われました。沢田健二の「勝手にしやがれ」が流行っていたころでした。

 大鍾乳洞の案内板を過ぎて、左に大きくカーブするところに白っぽい喫茶店がありました。95年に来たときここでコーヒーを飲んだように思います。そんな店が今もあることはうれしい。ほおのき平スキー場を越えたらサミットももう少し。平湯トンネルを潜ります。

 平湯トンネルの開通は78年9月。高校の修学旅行はトンネル開通1年前だったわけです。バスのディーゼルエンジンは黒煙を吐きながら、平湯峠に到達しました。赤と白のバスが何台も連なって黒い煙を吐きながら登っていく風景が今でも思い出せます、頭の中で勝手に拵えたイメージかもしれませんが。峠でトイレ休憩をしたようように思います。クマが飼われていましたよ。関西人である私には1684mという標高はクルマで運んでもらった人生初の高所だったはず。自力では、その1年ちょっと前に、やはり高校の行事で登った大山の1729mという記録があります。登山記録はその後、現在に至るまで更新されていません。

 平湯トンネルを抜け、あとはスルスルっと坂を下れば平湯。 

                                                                      (つづく)

 


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