世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

コルカタよりはまし。バングラデシュ。

2008年01月29日 22時37分57秒 | アジア


宿の外を10分歩いただけで疲れ果ててしまう大気汚染地獄のコルカタをようやく離れて(10日間もいてしまった)、次はバングラデシュに行くことにしました。しかし、宿の情報ノートや実際に行った人の話では、バングラの首都ダッカの人ごみの多さや町の汚さ、空気汚染はコルカタよりも酷いらしい。。。まじですか?しかも、バングラに対する好印象の話は少なくて、概ね「食事がワンパターンで飽きた。」「人にすぐ囲まれるのがとにかくうざい。」「ただただ疲れた。」などの悪印象の話が多かったのです。一旦は激しくモチベーションが下がるものの、ロケットスチーマーという格好いい名前の船で30時間くらいかけて川を上ってダッカを目差す予定なので、インドとは違う旅情を味わえそうなので、なんとかモチベーションを高めて最悪の町コルカタを後にしました。もう2度とここには戻って来ないぞ、と誓いながら。

インドから陸路で国境を越えて最初に訪れたのは、なんとものんびりした雰囲気の国境の町ベナポール。


朝8時にコルカタを出て、バスやリクシャをいくつか乗り継ぎ、夜の7時にようやくバングラ第三の都市クルナに着きました。ここからダッカまでは例のロケットスチーマーという船で川を上って目差します。ロケットスチーマーは世界でも珍しい現役の蒸気機関の外輪船らしく、バスだと数時間の距離を30時間かけてしまうほどの低スピードです。でも体調が優れない僕はそんなゆっくりとした旅がしたかったのでちょうど良かったのです。

クルナの舗装された広い道には、車がほとんど走っていなくて自転車タクシーだらけです。おかげで、空気も汚染されていなくて体調が格段に良くなりました。よかったよかった。


クルナで一泊する予定で宿も取ったのですが、船は翌日にはなくて当日か4日後かを選ばなくてはいけなくなり、仕方ないので当日の船に乗ることにして、慌しく1時間荷物を置いただけの宿をチェックアウトし(一泊分の料金を払って)、ロケットスチーマーに乗り込みました。

奥のオレンジと白色の船がロケットスチーマーです。


2泊3日の船旅。夜10時出発して翌々朝の5時にダッカ到着です。二等船室を取ったのですが、窓から川の風景が見える眺めの良い部屋でした。あーー、のんびりするーーー、と言いながら30時間本当にのんびりと過ごしました。

朝起きて窓の外を見ると、川の両岸は延々と続くジャングルでした。


朝靄も出て何ともいえない旅情が漂います。


ロケットスチーマーの三等船室。

船室というかその辺での雑魚寝ですね。なんかみんな暇そうにしてます。

川の両岸はずっと密林が続くのですが、その密林の中に時折集落が見え隠れします。これはかなり大き目の集落で、船は何回かこういう集落で停泊しました。

このような場所に住む人にとっては、多分船が唯一の移動手段なんでしょうね。
バングラデシュは毎年洪水が起こって国土の3分の1だか4分の1が水没するらしいですが、この人達は一体どうなるのでしょうか?


同じく2等船室に泊まっていたお茶をおごってくれた親切なバングラ人一家

こんな裕福そうな人達ですら「バングラは貧乏。でも日本は金持ち。」という、この後出会うほぼ全てのバングラ人が異口同音に言う言葉を言っていました。でも、旅行した感じではバングラデシュはそこまで貧乏な感じはしなかったです。インドの低カーストの人やアフリカの普通の人の方がよっぽどか貧乏な印象です。でも、きっと「バングラ人は貧乏」というのは、国民的なコンセンサスなんでしょうね。多分。
しかし、この人は加えて「なぜバングラが貧乏かと言うと怠け者だからなんだ。日本人はとても勤勉なんだろう?だから金持ちなんだ。私も日本でハードに働きたいよ。」と言っていました。さすが二等船室に泊まるだけのことはあって言うことが違います。
アフリカでもこういった”努力したいけど、その機会が無い”的な発言をする人に何人か会いました。その度に、働きたいだけ働ける、日本という環境で生まれ育った自分は何と幸せなのだろうと思います。
あ、あとバングラ人は他の国に比べてボクシーシ(バクシーシ。金を恵んで、という意味)を言う人がかなり多かったイメージがあります。うーん。。。


予定通りに朝5時にダッカに到着しました。まだ真っ暗なのに港は人や荷物で大混雑でした。しかし、一夜明けてホテルの屋上からダッカ市内を見下ろすと、想像したよりは混雑していなかっです。

まあ、混雑はしてますが、コルカタよりはまし。でも、やっぱりリクシャ(自転車タクシー)やタクシーやバスやバイクやなんやかんやが入り乱れていて、街歩きはしんどいですね。

バングラのリクシャはド派手な装飾です。リクシャアートなどと言われて観光ポイントにもなっているらしいです。誇らしげにリクシャと写真に納まるリクシャ漕ぎ。

まあ、デコトラのようなものなのでしょうか。

よく見るリクシャアートの映画俳優版。人気の絵柄です。

でも、僕の美的感覚だとこれは気持ち悪いのですが。。。アートですか、これ?

バラナシのガンジス川よりも遥かに汚い川で、洗濯し身体を洗い歯を磨く人達。大丈夫かいな。。。



コルカタで知り合い、ダッカでも一緒に行動していた伊勢出身の二人組みKヘイ、Kスケの二人組みが、バングラ人に囲まれているところ。

道を聞いたり、買い物をしたり、写真を撮ったり、などの旅行者的行動をすると、すぐさまその辺にいるバングラ人たちが「なんだ、なんだ?」という感じで集まってきます。片言の英語で話しかけてくる奴もいれば、ベンガル語で何かをまくしたててくる奴や、ただただ無言でじろじろ見てくる奴など、いろいろです。好奇心と歓迎とボクシーシ要求などのごっちゃになった感じです。でも、想像していたよりも囲まれる回数は多くなかったです。もっと四六時中バングラ人に囲まれて過ごすことになるのかと思いきや、そうでもなくて一日にせいぜい2、3回というところでした。なので、それほどバングラデシュでは疲れを感じなかったです。

ダッカを後にして向かったのはバングラデシュ北東の町シレットです。そのまま北東に抜けてインド北東部のメガラヤ州を目差したのです。そのシレットで泊まったシングルの部屋。

トイレ・シャワー付きで一泊135円。過去最安でした。バングラデシュは本当に物価が安い国でした。

インドとの国境の村タマビルの牧歌的な風景。

のーんびりしてます。


バングラデシュを総括すると、「インドの一地方都市」的な印象です。もちろんムスリムの国なのでヒンドゥーのインドとは人の印象が違うし、河川や森林が多くて風景も違うのですが、食べ物や人の顔がインドとほとんど同じなので違う国に来たという感じがあまりしなかったです。インド国内を移動しててもヒンドゥーが多い町、シク教徒が多い町、ムスリムが多い町、と特色があるように、ここもそんなインド旅行の延長線のような印象でした。インドからわざわざ独立したバングラ人に言ったら怒られそうだけど。でも、次に訪れたインド東北部のメガラヤ州の方がよっぽどインドっぽくなかったですね。