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世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

親切な国イラン

2008年01月09日 19時49分09秒 | アジア

※遅くなりましたが、去年の年末を過ごしたイランについてです。

世界で最も旅人に親切な国と言われるイラン。そういう評価がある一方で、「あの国は最低だ。超うざい。」という人もたまにいたりして、評価が両極端に別れる国でもあります。(イスラム圏全体的にそういう傾向がありますが)

僕の場合はどうだったかと言うと、、、


まず、入国して最初の移動(夜行バス)の時、レストランで休憩中に同じバスの乗客がいきなり夕食をおごってくれるという事が起こりました。それも、バスの席が離れているし、ほとんど会話をすることもなく、です。こんな事はアフリカ以来です。さすがイラン、めちゃくちゃ親切だな、というスタートです。

次の夜行バスでは、僕の席の周囲全員10人くらいが、外国人である僕に興味津々で、乗務員も含めてみんながじろじろと見てなにやら囁いたりしています。たまにペルシャ語で何かを言ってくるけど、全然意味がわかりません。なんかうざいなあ、と思っていると、その中に英語が少し話せる中年のおじさんがいて、彼がみんなを代表するような形で僕に話しかけてきました。
「どこから来た?アフガンか?」
「いや、日本だよ。」(イランやトルコ東部では、なぜかしきりにアフガニスタン人と思われた。)
ということから始まり、やんややんやの質問攻めが始まりました。周りの英語が全く話せない奴は、その片言の英語が話せるおじさんを通訳にして、なんやかんやと聞いて来ました。そして、同じく少しだけ英語のできる青年が、僕の隣へ席を交替までして通訳に精を出し始めました。
「名前は?」「父親の名前は?」「母親の名前は?」「兄弟は?」「兄弟の名前は?」「結婚は?」「仕事は?」「イランはどうだ?」「食べ物はどうだ?」「どこへいくのだ?」「その後は?」「ゴム(質問者が住んでいる町の名前)には来ないのか?」「音楽は好きか?」「イランの女は好きか?(ニヤニヤ)」etc
僕の四つ前の席の乗客までが後ろを向いて僕らのQ&Aをニコニコしながら聞いています。なんて人懐っこい人たちなんだろう。終いには5つくらい前の席から、そこそこ英語ができるビジネスマン風の人が満席のバスの中をわざわざ移動してきてちょっと高度な質問をするようになってしまいました。しかし、そのビジネスマンの「イランの核開発問題をどう思う?アメリカとイラン、どっちを支持する?」なんていう微妙すぎる質問が来て、「詳しい事を知らないから。。。」とお茶を濁した回答をしたことを機に、徐々に僕に対する好奇の視線は納まっていきました。時計を見ると11時を過ぎていて、2時間もこうして問答していたことに気付きました。面白い経験だったけど、疲れました。騒ぎが落ち着いた後も、僕の隣の席の少しだけ英語の話せる青年は、自分の携帯電話に登録してある写真を見せてくれたり、音楽を聞かせてくれたりし、今夜はゴムに来て自分の家に泊まるように誘ってくれたりもしました。その時は急いで移動したかったので、その申し出は断ったけど、その後もレストランでの休憩時にはお茶もおごってくれたりして、「なんてイラン人は親切なんだろう」という印象を強めました。

その後も、イランでは親切が続きました。チャイハネ(イランの喫茶店)でお茶を飲めば、隣の席のイラン人達が僕の席へ移動してきて、チャイやお菓子をご馳走してくれるし、夜行バスに乗れば、隣の席のおっちゃんがいつのまにかジュースやお菓子を買って僕のところへ持ってきてくれるし(それまで全く会話していないのに)、バスで全然席の離れているにーちゃんが、休憩時にふとノンアルコールビールを2本持って現れて1本を僕にくれるし、商店で水とお菓子を買っていると、たまたまそこにいた別の客のおじさんが僕の分も支払ってくれるし、その他、10日間の間に、ここに書ききれないくらいの親切を受けました。イラン万歳、です。

夜行バスで出会った親切な青年(彼もシステムエンジニア)とイラン製ノンアルコールビール(禁酒国なので)

ノンアルコールビールは、美味くもないが不味くもないという感じです。

チャイハネでチャイやお菓子をくれたおじさん達。なんと写真の右の人はシャープの社員だそうです。シャープのメモ帳ももらいました。

彼らはムスリムにかかわらずお酒が大好きらしいです。「どこで酒を買うの?」と聞いたら「ヒミツの場所だよ。あっはっは。」と答えました。

ということで、僕としては、イラン人にかなり好印象を受けました。たーまに、すっごいうざい人もいるけど。でも、全体としては、みんなフレンドリーで人懐っこく、外国人に興味津々で、思わず話しかけたりせずにはおれない、という感じで、しかも自国イランをとても誇りに思っているみたいで、旅人にもイランを好きになって欲しいからなのか(もしくはイスラムの教えからなのか)親切にせずにはいられない、という国民性だと思いました。
あと、昔日本で働いていたという人がたまにいて、町を歩いていると「日本人ですか?」と日本語で頻繁に声をかけられ、日本語で立ち話なんかをするのもまた楽しかったりもしました。


また、イランは観光面においても実力者であります。

◆テヘラン

まずは、首都のテヘランです。

テヘランの繁華街


テヘランは、まあそれほど観光的な見所はないのですが、ドライバーの運転の凶悪さがエジプトのカイロと互角かそれ以上というのが印象的です。道を渡る時、走っている車の間をすり抜ける必要があるので多大な精神力を要します。
あと、女性は例のイスラム的黒装束だけど、男性は完全に洋服なのが変な感じです。女性も、スカーフで髪の毛を完全に隠すのではなく、額の生え際をさりげなく見せて、しかも髪を染めていたりして、イスラム法をかいくぐるおしゃれテクニックを発揮していました。
イランは世界でも珍しい宗教国家ですが、イスラムの厳格さという意味では、そんなに厳しくなさそうな感じです。見た目上は。やっぱり自前の工業を持っているし国が物質的に豊かなので、あまり宗教的にシビアではないのかもしれないですね。多分。

旧アメリカ大使館の壁の絵。

このように、アメリカ(やイスラエル)を呪うかのような絵やメッセージがずらっと書かれています。しかもメッセージは、ホメイニ師のように国の象徴のような人やその他歴とした権力者が発した言葉として、痛烈なアメリカ批判(または呪い)が書かれており、やり過ぎ感が否めません。(アメリカ大統領のイランに向かっての「悪の枢軸」発言もたいがい酷いけど。)
しかし、実際イラン市民は、そんなにアメリカが嫌いなわけでもなさそうで、テレビではアメリカ映画がしょっちゅう流れています。

◆エスファハン
次は、イラン観光のハイライト・エスファハンです。

「エスファハンは世界の半分」を象徴するエマム広場

広くて人が少なくて綺麗で清潔で、感じの良い場所でした。

その広場にある綺麗なモスク


その近くにある綺麗な橋


イランの(元)名物チャイハネ(喫茶店)

近年、水タバコが禁止されたためにイランのチャイハネほぼ全滅しているみたいです。ちなみに、ちょうど僕が滞在中に公共の場所での普通のタバコの喫煙も禁止されたみたいです。

エスファハンは、テヘランのように混沌としていなくて、非常に過ごしやすい場所でした。とにかく雰囲気が明るくて、人は観光客慣れしているけど親切でフレンドリーだったし、気持ちよく過ごせました。しかし、宿で同室だったチェコ人から、以下の話を聞いて僕の気持ちは萎えました。
「エスファハンは、とにかくついてないんだ。俺は体調を崩してこの一週間寝たきりだし。隣のベッドのオーストリア人なんて、この間接触事故を起こしてたし、しかも風邪で体調を崩してたな。それに1週間前、ここのバスターミナルでフランス人が強盗に刺殺されたらしいぜ。全くエスファハンはついてない町だ。」
と聞いた次の日に同部屋にチェックインして来た日本人も体調が悪いみたいで、ベッドにもぐりこんでずっと咳をしてました。
これ以上エスファハンに留まるのはまずいと思った僕は、すぐに次の目的地マシュハドへ向かいました。

◆マシュハド
マシュハドはイランのイスラム教の最高の聖地とされるハラムという巨大宗教施設がある町です。あいにくの雨の中、寒さに文字通り震えながらハラムを観光しました。

昼も夜も観光したのですが、夜の方が人も多く熱気に溢れていました。エマム・レザー廟という聖人の廟へ泣き喚きながら必死に群がるムスリム達は迫力ありました。
そして、夜のハラムはディズニーランドのようにライトアップが綺麗でした。




◆おまけ

イラン定食

イランは食のバリエーションが少ない国として有名です。写真のチキン+ライス(またはケバブ+ライス)ばっかり食べていました。美味しいです。

あと、お菓子が安くておいしかったです。



追伸:体調は随分良くなりました。それにしてもインドは空気が悪いですね。外を歩くとそれだけでまた病気になりそうです。近々UAE編もアップできればいいなあ、と思っています。