世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

南北アメリカまとめ

2007年10月24日 16時32分52秒 | 南北アメリカ

◆◆南北アメリカまとめ◆◆

・国ごとコメント
・食事
・宿
・行きたかったけど行かなかった場所
・犯罪
・まとめ所感

滞在日数:166日(旅行計433日)
訪問国数:12カ国(旅行計52カ国)


<国別コメント>

・アルゼンチン(2007/4/30~5/18:ブエノス・アイレス、ウシュアイア、エル・カラファテ、バリロチェ)

南米最初の町ブエノスは、ほとんどヨーロッパ。住民は全員白人だし、インフラは整っているし、街並もヨーロッパそのものだし。気候がすっかり冬になっていて寒くて、幾分気分が萎えた。
ウシュアイアは上野亭という日本人宿が目的で行ったが、期待通りの素晴らしさ。
カラファテのペリト・モレノ氷河は青くて大きくて寒かった。
湖の町バリロチェにてオッドアイの猫と孤独な31歳の誕生日を迎えた。


・チリ(5/19~6/2:バリディビア、サンティアゴ、ビーニャ・デル・マル、サン・ペドロ・デ・アタカマ)

チリは、なんといってもビーニャでの海鮮三昧の沈没生活。あのサーモンの刺身はいまだに忘れられない!観光はせず。


・ボリビア(6/3~6/19:ウユニツアー、ラパス、ルレナバケ、コパカバーナ)

高山病と英会話に苦しみ乾季のため意外と大したことのなかったウユニ塩湖。安くて快適で楽しいラパスで日本食三昧。ルレナバケのエキサイティングなアマゾンツアーでは、昼はピンクイルカと泳ぎ、夜は無数の蛍が空を舞う満点の星空を見上げた。ボリビアは、物価が安いし住民の顔が日本人と似ているインディヘナだし、チリやアルゼンチンに比べると南米の旅っぽくなってきた。


・ペルー(6/19~6/29:クスコ)

大好きな町クスコ。空が青く澄み渡っていて綺麗な街並との融和がとても美しい。日本人宿八幡での楽しい日々。インティライミという大きなお祭りの時期だったので、町に活気があった。


・ベネズエラ(6/30~7/30:カラカス、バリーナス、バルキシメト、プエルト・オルダス、シウダー・ボリーバル、カナイマ、サンタ・エレーナ、ロライマ)

南米では最長の1ヶ月滞在。
前半はコパアメリカの孤独なサッカー観戦。後半は気の合う旅仲間達とギアナ高地でエンジェルフォールやロライマ観光。
最初から最後まで非常に充実していたし、楽しかった。ペルーから来ると気温が上がって、テンションも同様に上がった。気温は大事かも。


・ブラジル(7/30~8/1:ボア・ビスタ)

ギアナ3国へ行くために立ち寄り2日間だけ過ごした。本来はギアナ3国の後にブラジルへ戻ってきて、リオやサンパウロ、イグアスの滝を観光するはずだった。しかし、ガイアナにて不幸な出来事があり・・・


・ガイアナ(8/1~8/11:レセム、ジョージタウン)

入国後いきなりホテルで泥棒に遭い、パスポートやデジカメなどを盗まれた。しかし、ガイアナという国は南米の中にあるアフリカという感じで、非常に面白かった。100年前のヨーロッパのような街並でアフリカ人とインド人が暮らしている。世界のどこにも無い独特の雰囲気があると思う。あと、警察の働かないっぷりがすごかった。


・トリニダード・トバゴ(8/12~9/2:ポート・オブ・スペイン、スカーボロー、スピーサイド)

本来は来る予定ではなかったが、パスポート再発行のために仕方なく来ることに。首都ポート・オブ・スペインでは宿に引きこもってパソコンゲームに明け暮れた。トバゴ島のスピーサイドは、まさにカリブの島という感じで美しく、素晴らしかった。人も素朴で親切で。ダイビングもサンゴが凄くて非常に良かった。


・メキシコ(9/2~9/19:メキシコシティ、パレンケ)

この旅で最も「楽しい!」と感じた場所の一つ、メキシコシティの日本人宿ペンション・アミーゴ。みんなで見に行った独立記念日の花火は一生忘れられない。シティは見所も多く、あっという間に2週間が過ぎた。


・グアテマラ(9/19~9/21:フローレス)

ジャングルの中にあるマヤ文明の遺跡ティカルは雰囲気が良かった。ティカル・ツアーで一緒だった欧米人達と仲良くなり、欧米人と久しぶりに酒を飲んだのは楽しかった。


・メキシコ2回目(9/21~9/26:パレンケ、カンクン)

カリブ海のリゾート。やっぱり海は綺麗だった。


・キューバ(9/26~10/1:ハバナ、バラデロ)

古い建物、50年代のクラシックカー、多様な人種、眩しい太陽、チェ・ゲバラ、嘘のように綺麗な海。独特な雰囲気を持つ国。


・メキシコ3回目(10/1~10/4:カンクン)
なんとメキシコに3度目の入国。


・アメリカ合衆国(10/4~10/13:ニューヨーク、コネチカット、サンフランシスコ)

ニューヨークでは、ベネズエラのロライマ登山で一緒だったアメリカ人親子の下宿や豪邸に泊めてもらったり、コンサートに行ったり、ご飯をおごってもらったり大変お世話になった。ニューヨークは何もかもがかっこよくて、この旅で初めて「ここに住みたい」と思った場所でもある。
サンフランシスコでは会社員時代の後輩に色々と案内してもらい、その後朝まで酒を飲んで楽しかった。




<食事について>
正直南米の地元料理は美味しくなかった。特にペルー、ボリビアは酷い。ましだったのはベネズエラくらいか。美味しかったのは、中華や日本食を食べに行ったときや、宿で自炊した時。ただ、アルゼンチンのワインは凄く安くて美味しかった。

北中米は、メキシコのタコス屋台が安くて手軽で美味しくて、大変良かった。キューバは、中華以外を食べるとかなりつらいものがある。アメリカは高かったけど、各国料理が揃っていて金額のことを忘れると食は楽しかった。



<宿について>
南米を旅している時の大きなテーマが”日本人宿でのんびりする”だった(アフリカの旅で疲れていたので)。どの宿もとても印象的で居心地もよかった。日本人宿以外でも、面白い宿がいくつかあった。なので、ここでは日本人宿かどうかにはこだわらず、南米の宿の中で印象的だったものを書いておきたい。

○アルゼンチン
・ビクトリアホテル(ブエノスアイレス)
ブエノスは日本旅館というそのものズバリな名前の日本人宿が有名だが、そこは中心から遠く離れいるので、中心街にあり日本語情報ノートもあるというこの宿に宿泊した。確かに情報ノートもあるし、日本人宿泊客もいた。しかし、共有スペースがほとんど無く、数人いた韓国人学生のマナーが悪くて雰囲気悪いし、あまり面白くなかった。

・上野亭(ウシュアイア)
世界最南端の町にある日本人宿。日本人のおばあちゃんが一人で営業している。静かで平和な雰囲気が素晴らしかった。

・FUJI旅館(カラファテ)
冬だったので外はかなり寒い。でも、宿の中は暖房がガンガンに効いており、日本語の書籍はあるし、管理人さんをはじめとする他の旅行者も面白い人が多くて、宿を出るのが辛かった。

・1004(バリロチェ)
日本人宿ではない。しかし、おそらく南米一眺めのいい宿。キッチンが異常に広かった。おすすめ。

○チリ
・汐見荘(ビーニャ・デル・マル)
日本人宿として所蔵している書籍の数はおそらく世界最大では。部屋の中に無料の無線LANが飛んでいる。近くの海鮮市場で海鮮を買って自炊を始めると、なかなかこの宿から出られなくなる。防寒が弱くて寒かったけど、大好きな宿。

○ボリビア
・サンタクルス(ラパス)
ボリビア人経営の日本人宿。満室で残念ながら泊まれず。情報ノートを読むために良く遊びに行ったが、雰囲気が良かった。シャワーの湯がぬるく、湯温の調整が大変らしい。

・エルソラリオ(ラパス)
上記サンタクルスがいっぱいだったので近くで評判の良いここに泊まった。ホットシャワーはちゃんと出るし、日当たりが良くて部屋も暖かいし、欧米人も日本人も泊まっているし、結構良かった。

・アウストリア(ラパス)
ルレナバケから戻った後に宿泊。上記のサンタクルスとは対照的にホットシャワーがガンガン出る。キッチンも広い。しかし、部屋の中は寒かった。

○ペルー
・ペンション八幡(クスコ)
素晴らしく居心地が良かった。当時の宿泊客も楽しい人が多くて、大好きな宿。

○ベネズエラ
・ポサダ・カオリ(プエルト・オルダス)
カオリというのは日本人女性の名前カオリとは何の関係もないらしい。満室と言われて、他の宿の目当ても無く途方に暮れていた僕を、親切なオーナーが自宅に泊めてくれた(有料だったけど)。

・ポサダ・ドン・カルロス(シウダー・ボリーバル)
広めのバルコニーに吊ってあるハンモックで寝た。初めてのハンモック泊。酷暑の町なので、それで全然オッケー。蚊には刺されたけど。

・ホテル・ミッシェル(サンタ・エレーナ)
ロライマトレッキングで汚れた靴を洗って干していたら、誰かに盗まれた。一緒にいた友達はジャケットを盗まれていた。

○ガイアナ
・ホテル・トロピカーナ(ジョージタウン)
泥棒に遭った宿。夜中に2階の窓から忍び込まれた。セキュリティ甘し。

○メキシコ
・ペンション・アミーゴ(メキシコシティ)
カイロのサファリ、バラナシの久美子ハウスなどと並び称される超有名日本人宿。期待以上の居心地の良さ、楽しさだった。何しろ宿の雰囲気が良い。

・ロサス7(カンクン)
できてまだ1年くらいの新しい日本人宿。居心地良かった。



<行きたかったけど行かなかった場所>
今回南米編では、かなりいっぱいあります。なぜならば、中南米自体が半年やそこらでは絶対に周りきれないくらいに見所が多い上に、僕が各地の日本人宿でゆっくりと過ごしすぎたからです。それに、ガイアナの泥棒のせいでパスポートと一緒にブラジルビザとイエローカード(黄熱病予防接種証明)を無くしてしまったことも大きいです。ここでは、行かなかった場所のうち、代表的でメジャーなものに絞って書きたいと思います。

・イグアスの滝(ブラジル、アルゼンチン)
なんといってもイグアスの滝。ブラジルビザ盗難のため断念。

・イースター島(チリ)
初めから行く気は無かったけど、行ったことのある人達がみんな「あそこは良かった」という評判を言うので、それを聞くたびに「行っとけばよかった」という気になってきた。

・バルデス半島(アルゼンチン)
クジラがガンガン見れるらしい。シャチもたまに。アルゼンチンを過ぎてから存在を知った。ああ、残念。。。

・雨季のウユニ塩湖(ボリビア)
僕の行った乾季はただの白い平野で雪景色と一緒。雨季は一面が鏡のようになり上も下も真っ青になるのだそう。そして夜は上も下も星空に。。。

・ガラパゴス諸島(エクアドル)
時間とお金が無くなってきたので断念。

・ハイチ
カリブ海に浮かぶインドとエチオピアを足したような国(らしい)。一人で行くのは怖いので断念。

・サンパウロ(ブラジル)
日本人街に行きたかった。

・グランドキャニオン(アメリカ)
サンフランシスコから意外と遠かったので断念。

<犯罪>
アフリカに続き南米でも犯罪に遭ってしまった。しかし、南米でよく聞く暴力的な手口には遭わずにすんだので、ほっとしている。ここでは、他人から聞いた南米の荒っぽい犯罪手口についていくつか書きます。

・アルゼンチンのブエノスアイレスのボリビア人街で白昼4人組の男達に取り押さえられボコボコにされ、金品を奪われる。
・ボリビアのラパスで深夜タクシーに乗ったら実は強盗タクシーで、拳銃を突きつけられて脅され、ATMで現金を降ろさせられる。
・同じくラパスで、夜宿に戻ろうとしたら宿のまん前で首絞め強盗に遭う。
・ベネズエラのカラカスで警官にカツアゲされる。ホテルまで押しかけられて、パスポートを破られたくなければ400ドル渡せと脅され、払った。
・ブラジルのリオやサンパウロでは拳銃強盗が頻発しており、もし遭遇してお金が無いと簡単に撃たれるらしいので、外出時は強盗に渡す用のお金を別途携帯しておく必要があるらしい。

南米は、町を歩いて感じる雰囲気がアフリカよりは随分と安全そうなので、つい油断しがちですが、実際に犯罪に遭う人は南米の方が多いような気がします。実際の旅行者の数が南米の方がはるかに多いからなのでしょうが、絶対に油断はできないです。上記の他にも強盗の類の話は数え切れないくらいたくさん聞きました。みなさんも、南米に行かれる際はお気をつけください。


<まとめ所感>
ベネズエラにいる時の日記で南米は刺激が無いと書きましたが、それについてもう一度考えてみたいと思います。
まず、アフリカは観光をせずとも町を歩いたり、食事をしたり、バスに乗って次の場所へ移動したり、それだけで毎回何らかの強烈な刺激に遭遇していたのですが、南米ではそれだけでは特に何も起こらないし、雰囲気もヨーロッパにいるのとそれほど変わらないので、面白く感じられなかったのではと思います。
それプラス、以前にも書いたけど、スペイン語が全然話せないのも大きな要因でした。アフリカでは、かなり英語が通じるので地元の人との交流が結構あったのですが、それとは対照的に南米では地元の人と話すことは少なくなりました。あと、季節が冬だったり、標高が高かったりで、気温が低かったのもテンションが下がる要因になってような気がします。

しかし、今思い返してみると、南米にはアフリカには無い大きな刺激がありました。それは、他の旅行者との出会いです。アフリカには旅行者が集まって交流するような宿が決定的に少なかったけど、南米の主だった町にはほとんど全てに日本人宿があるし、無かったとしても旅行者の集まる安宿は必ずありました。そこでの、日本人や欧米人旅行者との交流は、大きな刺激になったし、楽しくて素晴らしい思い出になっています。


さて、次のアジアではどんな刺激が待っているのでしょうか。特にインドなどでは心が一刀両断にされるような凄いモノが待っているのではないかと、今からワクワクしています。
まずは、トルコのイスタンブールからスタートです!

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日本一時帰国直前のスパート ニューヨーク、コネチカット&サンフランシスコ

2007年10月15日 15時24分38秒 | 南北アメリカ

今は日本に一時帰国中です。今回の記事では、この一時帰国前にスパートをかけて周ったアメリカ旅行後半戦について書きたいと思います。


ニューヨークで4泊させてもらったジョナサンの家を後にして、ジョナサンの親父さんのデイビッドの家があるNYの隣の州コネチカットへ移動。州が違うといっても電車または車で1時間ほどの距離にあり、NYの郊外といったイメージです。緑の多い閑静な場所で、大阪にとっての奈良のような存在でしょうか。駅からデイビッドの車(新しいアウディ)で国立公園のような森の中をしばらく走るとデイビッドの大豪邸に着きました。周囲には他の家は無く、家の裏には直ぐ側に湖があるという凄いロケーションです。部屋の数は14で、そのどれもが10畳以上の広さがあり、その中にはトレーニングルームまであり、4台くらいのトレーニングマシーンが設置されています。(デイビッドが異常に元気でパワフルなわけがわかった)客室は3つあり、その全てが個別にTV・バス・トイレ付きです。僕はそのうちの一つに泊まりましたが、この旅で泊まったどの宿よりも豪華で清潔で居心地が良かったです(しかもタダ)。その他に30畳くらいありそうな屋根裏の倉庫があったり、車が3台あったり(うち一台はマスタングのオープンカー)、プール付きの庭があったり、、、アメリカの金持ちってすげえ!デイビッドは57歳で、金融関係の仕事を数年前にリタイアして今はその会社で知り合った10歳年下の美人の奥さんと再婚して、家を改築したりゴルフしたりしながら暮らしているそうです。

夕食はアメリカンスタイルのハンバーガー。

手作りのハンバーグはボリューム満点でかなりおいしかったです。

この日もヤンキースの試合をTV観戦。でっかいソファーにでっかいTV。

犬2匹、猫3匹と一緒に観戦しました。全員人懐っこくて、どれか一匹持って帰りたくなるくらい可愛かったです。

デイビッドは翌朝4時に起きて車で1時間の空港までわざわざ送ってくれました。ベネズエラで出会った素性の良くわからない日本人の旅行者を親子で手厚くもてなしてくれた彼ら親子に素直に感謝です。アメリカ人の人としての大きさを感じました。デイビッド&ジョナサン、本当にありがとう!




サンフランシスコでは、旅行前に務めていた会社の元後輩Mと再会しました。彼は会社を辞めてアメリカに英語留学に来ているのです。レンタカーを借りて色々と案内してくれました。

Mと会う前に一人で観光したジャパンタウンのジャパンセンターのレストラン街。

そこでジャパニーズスタイルのラーメンを食べました。大阪屋という店で。

おいしかったーーー。

ゴールデンゲートブリッジにてMと。

橋は名前に反して赤色でした。綺麗だったけど、なんだかがっかり。

チャイナタウンのシティバンク。

良く見ないと銀行だとは気づけません。

チャイナタウンでの値段表示。
Tシャツが1$!と思って近づくと小さく”.99”の文字が。せこい。。。


サンフランシスコの夜景。

NYに比べると随分こじんまりとした感じです。でも、町は美しくて清潔で坂道が多くて、独特の感じの良さがありました。しかし、一つ欠点があり、それは凄く寒いということです。日本の12月上旬くらいの寒さでしょうか。ここ最近ずっと暖かい所にいたので、寒さが身にしみました。お腹も壊れました。ゴロロロロ。

Mは普段はサン・ラファエルという近くの町にホームステイしているのですが、僕のホテルに来てくれて二人でツインルームをシェアして朝まで酒を飲んで語らいました。(メキシコ以来、ラムにはまっています。)相変わらず熱い男で、会社勤め時代の話から、これからの事の話など、刺激的な話ができました。それに彼がアメリカに来て僅か4ヶ月で凄く英語が上達しているのにも驚き、とても刺激になりました。俺ももっと頑張らないと!

ということで、アメリカ滞在はニューヨークもサンフランシスコもずっと知人にお世話になるというありがたい旅になりました。あと、物価はかなり高かったけど、思い切って使いまくりました。10$以上する外食とかガンガンしたし。南米でのあの節約生活はなんだったんだ、という感じだけど仕方ないですね。ほんと、おいしかったです。後悔なし。


ということで、1年2ヶ月ぶりの日本です。いたるところが清潔で、誰もが日本語で喋り、あまりにも快適で、あまりにも便利で、口にする全てのものがおいしく、あらゆる娯楽が手に入り、仲の良い知人・友達のほとんどが住んでいて、アフリカや南米などと比べると天国としか良いようがない国。ああ、幸せ。
後10日ほど滞在して、この旅最後のアジア編へと出発する予定です。でも、まだアジア旅行のルートが決まっていません。早く考えて航空券を買わないと。。。

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ニューヨーク

2007年10月08日 23時50分06秒 | 南北アメリカ


この旅に出るにあたって最も行きたかった町は、エジプトのダハブ、インドのバラナシ、そしてニューヨークでした。そんな憧れの町ニューヨークは、期待以上に素晴らしい町でした。NY大好きです。


ニューヨークに行くにあたって、ベネズエラのロライマ登山で知り合ったNY在住のアメリカ人親子にメールすると、「うちに泊まっていいよ」というありがたいお言葉のメールが!それは、ネットで宿を予約しようとしていたまさにその瞬間に受信したメールでした。やったね!

彼ら親子は別々に住んでいて、まずはNYの中心地に住む息子ジョナサンの家に行くことにしました。

彼は国際政治問題を勉強する大学院生で、来年の北京オリンピック時にはチベット開放を訴えるメディア向けの活動をするために北京まで行くそうです。がんばれ!

部屋には昔NGO活動でミャンマーに行っていたときのみやげ物が多数あり。しぶい。

親父さんのデイビッドの家は郊外にあるので最終日に一泊だけさせてもらうことにしました。この日はマンハッタンで待ち合わせてバーでヤンキースの試合(プレーオフ第二戦)を観戦。その前に寿司で腹ごしらえ。おごってもらっちゃった!やたっ!

日本では食べられない種類の創作巻き寿司の数々。右下の赤いのは”クレイジー・ロール”という名前です。なんのこっちゃ。すごく美味しかったけど。
試合は残念ながらヤンキースがサヨナラ負け。がっくり。


昼間は、親子はそれぞれ忙しいので一人で観光。NYには行ったことのなかった僕でも知っている有名な場所がいっぱいあります。自由の女神、ウォール・ストリート、ブロードウェイ、セントラルパーク、WTC跡(グランドゼロ)、エンパイア・ステート・ビル、ロックフェラーセンター、タイムズスクェア、マジソンスクェアガーデン、、、などなど。それらが全部マンハッタンという小さい島に集中しているので観光は楽でした。交通も便利だし。(ただし、地下鉄の料金がメキシコの10倍だけど。240円)


まずは、お約束の自由の女神像。

自由の女神の斜め後ろ。右の足裏がちらっと見えてます。実は彼女は歩いてるんですね。
自由の女神の顔の実物大。鼻に手を入れられて不機嫌そうです。



グランドゼロ。

久しぶりに涙が出るほど胸が痺れました。憎しみの連鎖の始まりの場所。(もちろん実際には2000年以上前から続く様々な対立の一つの結果に過ぎないのだけれど)
いつかその連鎖が終わる時が来るのを祈ります。と、たまにはシリアスなことを言ってみたかった。


ブルックリン・ブリッジから見るマンハッタンのウォールストリート。

ニューヨークの最大の特徴の一つが、高層ビルの多さと、その美しさだと思います。エンパイア・ステート・ビルやクライスラービルに代表されるような風格のあるアンティーク調の高層ビルにはただただ見とれてしまいました。頂点の部分が教会の尖塔のようになっているのがかっこいいんですよねー。

チャイナタウン。

あのスターバックスが中華風ビルの中に!写真はそうでもないけどびっくりするほど漢字の看板が多かったです。


焼き鳥スタンド。

物価の高いNYで安く食べるにはやっぱり屋台かなと思って頼むと、なんと3ドルもしました。おそるべし、NY。

タイムズ・スクエアの地下鉄の駅。

すごい派手な電飾。かっこいい。もう、NYでは全てがかっこよく見えます。町行く女性の美しさも、今まで訪れた町の中ではパリと並んでNo.1ではないでしょうか。やっぱり都会の女性はきちんと自分を磨いているなあ、という印象です。

エンパイア・ステート・ビル。高すぎてビルの頭が雲につっこんでいます。

上まで登って夜景を見ましたが、あいにくの曇り空(というか雲の中)なのであまりはっきりとは見えず。下の写真のサイドはまだましでしたが、逆サイドなんて真っ白でした。


週末の夜に息子ジョナサンに誘われ、その友達たちと一緒に近所で行われた野外ロックフェスティバルへ行ってきました。

広い会場に凄い数の人が集まっていました。出演バンドは、LCD SOUNDSYSTEMやARCADE FIREなど。どちらも聞いたことのない名前だったけど、後者は世界的に有名らしいです。みなさん、知ってますか?どこかで聞いたことのあるような曲がいくつかありました。それなりに新鮮な音だったし、かなり楽しめました。


今日の夜、親父さんのデイビッドの郊外の家に移動して一泊した後、明日はサンフランシスコです。そこでは前の会社の同僚Mに会えそうなので楽しみです。
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カリブ海。カンクン、そしてキューバへ

2007年10月04日 05時04分14秒 | 南北アメリカ

トリニダード・トバゴ以来のカリブ海に戻って来て、メキシコのリゾート地・カンクンと社会主義の国キューバを観光しました。

カンクンは、町の中心部で市民の生活の場となっているセントロと、ホテルゾーンと言われるアメリカと変わらないリゾート部分とに大きく分けられます。ホテルゾーンにあるホテルは一泊100ドルは下らない高級ホテルしか存在しないので、僕のような金の無い長期旅行者はセントロに泊まります(一泊8ドル)。しかしセントロにはビーチが無いので、ビーチに行くには、ホテルゾーンへバスで20分くらいかけて行き、ホテルのプライベートビーチへ宿泊客のような顔をして進入するのが一般的なやり方です。しかし!メキシコシティのペンション・アミーゴで知り合った友達Hくん(会社の休みで短期旅行で来ているリッチマン・神)がそのホテルゾーンに100ドルも出して泊まっているとの情報を得たので、彼のホテルに遊びに行きました。天気は雨にもかかわらず。

そこはまさにアメリカという感じで(アメリカにはまだ行ったことがないけど、想像で)巨大な高級ホテルが立ち並び、巨大ショッピングモールがあり、ほぼ全員が英語を話します。そして、海は驚くほどコバルトブルーでした。


普通海が水色になるのは晴れている時だけだと思っていました。同じカリブ海のトバゴでも晴れているときはターコイズ・ブルーだけれども、曇ったり雨が降ったりすると普通の濃い目の青色になっていました。しかし、ここカンクンのビーチはこんなにどんよりと曇っているのに綺麗なコバルトブルーなのです。びっくりです。なぜなのでしょうか?


荒れ気味の海にて。来ているシャツはシティでサッカー観戦したクルス・アスルというチームのシャツなのですが、これを着てメキシコの町を歩くとたまに声をかけられます。クルス・アスルが好きな人には「いいねー!クルス・アスル!」と笑顔で、嫌いな人には「は?クルス・アスル?お前ら弱いんだよ、どっかいけ!」と憎たらしい顔で。メキシコ人のこういう所は大好きです。


ホテルゾーンにあるまるで城のような巨大ホテル



日を改めて晴れている時にイスラ・ムヘーレスという島にも泳ぎに行きました。ここはひたすら遠浅で50mくらい沖に行っても足がつくというとっても安全なビーチでした。波もほとんどなかったし。でも、海の青色の綺麗さはホテルゾーンの方が上でしょうか。



そして、ついにカリブ海観光のメインディッシュのキューバへ行くことに。社会主義の国。アマチュア野球が強い国。チェ・ゲバラが革命をした国。キューバに行ったという旅行者からの話を聞いても評判は上々で、その印象は変わった不思議な国という感じです。どんな国なんだろう?と期待が高まります。その期待はキューバ行きの飛行機でいきなりかなえられます。キューバの航空会社クバーナを使って行くのですが、かなり年代物の古い機体な上に、出発直前に足元から白い煙がもくもくと立ち昇ってきて機内が真っ白になるのです。事前に他の旅行者から話を聞いていたので、落ち着いていられましたが、もし知らなかったらかなり焦っていただろうな。。。


キューバでは、まず首都ハバナを観光して、その後ビーチのあるバラデロを観光しました。

キューバの特徴は、建物が古い(まるで廃墟)、車も古い(まさにクラシックカー)、二重通貨で物価が高い(人民向けはとても安い)、割と暑い、早朝から深夜まで町には常にたくさんの人が出歩いている、暑いのか上半身裸の男が多い(たまにキャミソールのようなものを着ている男も)、白人・黒人・混血・中国人と多様な人種が入り乱れている、人種間でみんな仲が良さそう、旅行者に対して気さくで親切、といったところでしょうか。
では、写真でキューバを振り返ってみたいと思います。


古い建物。旧市街は全体的にこういう味のある建物で占められていました。


古い車。キューバは何十年も前のクラシックカーの宝庫です。



革命博物館にて、アメリカのレーガン大統領を痛烈に風刺した絵。「革命をさらに力強くした人物」

やっぱりアメリカが嫌いなのでしょうか。でも、地元のテレビでは毎日ハリウッド映画を流していたし、アメリカ人も普通に旅行をしていました。まあ、時代は変わっていくのですね。(コカコーラはさすがに売ってなかったけど。)

野球の国というイメージだけど、ストリートサッカーをしている子供達がたくさんいました。

数年後には、サッカーも強くなるかもですね。

支倉常長という伊達政宗の家臣の像。

彼は数百年前のまだ戦国時代とか江戸時代とかに長い航海の末にキューバに辿り着いたのだそうです。それ以来、キューバと日本の関係は続いているとか。信じられないくらいの大冒険ですよね。なんという凄い冒険家なのでしょう!

人民用の通貨で買える数少ない食事の一つチャーハン。50円。味が薄くて不味かった。。。スプーンが入れ物の紙の切れ端というところが、チープでいい感じ。ちなみにビールも人民用通貨なら50円(旅行者用通貨では130円)。


お世話になった中華街。ハバナで最もコストパフォーマンスの高い食事ができる。しかし、中国人の姿はほとんどなく、チャイナ服を着たキューバ人が多数働いています。中国人はどこにいったんだろう?



内務省のビルの壁に浮かび上がるチェ・ゲバラの顔。めちゃくちゃかっこいい。


奮発してジャズバーへ。ジャズというかなんというかリズム中心の不思議な音楽が聴けました。かっこよかったです。かなり。

バンドメンバーも黒人、白人、混血、と様々な人種の混合でした。キューバらしく。

キューバ第一のビーチリゾート・バラデロのビーチ。

今まで見たビーチの中で最も綺麗だったかも。タンザニアのザンジバルと並んで。コバルトブルーでクリスタル・ウォーターな海。20kmに渡って延々と続く白い砂浜。人が少なくのんびりとした雰囲気。
やっぱりカリブ海は最高です。



最終日はハバナに戻って来ました。日曜日だったけど飲食店は大体開いていて(すばらしい!)仕事が休みの地元キューバ人で賑わっていました。昼間っから酔っ払って酒臭いです。人民通貨でビールを飲める店に一人でふらりと入るとそんな酔っ払いのキューバ人が僕に群がってきます。僕はスペイン語が話せないのに、血走った目で口角泡を飛ばしながらスペイン語で激しくしゃべりかけてきます。たまに少しだけ英語を話せる人がいて通訳してくれるのだけれど、その人も酔っているのでスペイン語と英語が半々なので、結局何を言っているのか判りません。一人が言いたいことが終わると、また次の一人が来て何かを僕に対してしゃべりかけてしばらくすると、満足したのかあるいは言葉の通じない相手と話すことに飽きたのか、また次の一人に代わるというのの繰り返しでした。あるキューバ人は僕のビール瓶の口にいきなり指を突っ込んできて「これがキューバスタイルだ」とかなんとか言ってきます。なんのこっちゃ。睡眠薬入れてるんじゃないだろうな?別のキューバ人は勝手に僕のビールを飲んで知らんふりしています。太った白人のキューバ人のおばちゃんは、「今日は私の誕生日なの。だからビールをおごって☆」などとタカリをかけてきます。別の黒人のキューバ人のおっさんは「日本はすばらしい。テクノロジーが良い。だからビールをおごれ」などと言ってきます。
まあ、こういう感じはアフリカで何度か経験したけど、うざいんだけど楽しい、という感じでしょうか。



キューバはやっぱりどこか変わった不思議な国でした。でも、観光に力を入れているだけあって旅行はしやすかったです。宿はずっと外国人が泊まれる民家に泊まっていましたが、どこもとても綺麗で快適で普通でした。そういう意味では刺激は少なくて、期待外れだったかもしれません。もっと何もかもが変わった国を想像していたので。


いよいよ明日ニューヨークに飛びます。そしてサンフランシスコを経由して10月13日に日本に一時帰国します。物価が高いアメリカと日本に行くのは少し気が重いけど、仕方が無いので思い切ってお金を使おうと思っています。10日間ほど日本に滞在して、中東からこの旅の最終フェーズのアジア編をスタートさせる予定です。


日本にいるみなさんへ。お暇なら帰国中の僕と是非遊んでください。色々と日本の話などを聞かせてもらえると嬉しいです。連絡お待ちしております。

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ビバ!ビバ!ビバ・メヒコ!

2007年09月21日 08時24分41秒 | 南北アメリカ


最高に楽しかったメキシコシティ、そしてペンション・アミーゴをついに出ました。出てしまいました。

当初1週間のつもりだった滞在日数も最終的に16日になっていました。メキシコシティには、このまま何ヶ月でもいれてしまいそうな魔力があったのですが、このままでは旅が進まなくなるという焦りがあり、自分に激しく鞭を打って出発しました。それに、9月16日に独立記念日があり、その日を境に主要メンバーがそれぞれ旅立っていったことも宿を出るのに後押しになりました。また、社会人サッカーチームの先輩Kさんが9月14日に日本から1週間の短期旅行でメキシコ入りしたので、Kさんと行動を供にすることで、自分の旅行のスピードを速めたかったということもあります。

前回のブログの後も、色々と精力的に活動しました。フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ関連の美術館・博物館めぐりや(”生命万歳”や、”日曜日の午後の夢”は素晴らしかった)、メルセー市場見学(野菜や肉が激安!玉ねぎ1kgが20円)、メキシコ2回目のサッカー観戦(マラドーナが5人抜きの伝説を作ったあのアステカスタジアムで)、などなど。宿ではシェア飯したり、毎晩のように深夜までテキーラを飲んだり、忘れることのできない時間を過ごせました。あーー、本当に楽しかった。楽しすぎて毎日ヘトヘトに疲れていました。

そんなシティ滞在のハイライトは、独立記念日の前夜祭の花火です。市内の広場で、深夜0時ころに数十万人の人が集まる大イベントがあるとのこと(地球の歩き方によると。実際は数万人でした。)だったので、宿のみんなで夜遅くに出かけていきました。

広場までの道では泡スプレーのかけあいがあり、みんなアワアワに。僕らもアワアワに。でも、誰も怒りません。下の写真のお父さんの楽しそうな顔を見たらとても怒る気なんか起きないです。


大統領の「ビバ、メヒコ!」のコールの後は、広場に面したカテドラルの周囲で花火が打ち上げられました。この花火は、今まで世界中で見たどの花火とも違い、強い衝撃と感動を受けました。まず、その花火の打ち上げられる場所が、数万人が密集する広場のすぐ側で、しかもカテドラルという歴史的建造物を燃やさんばかりの近さと低さなのです。カテドラル近くで見た人に聞くと、火の粉がじゃんじゃんかかってくるので実際にとても熱かったらしいです。そのため、すごい近い距離で、しかもカテドラルという美しい建造物を背景にし、その上荘厳な音楽が花火に合わせてかかっていて、現実離れした美しい空間を作り出していました。

花火が上がる前のカテドラル


花火とカテドラル






そんなこんなで、今はグアテマラにいます。この旅で記念すべき50カ国目の国です。50っていうのは一つの区切りとしてうれしいですね。しかし、次の区切りの100カ国行くのはちょっと無理そうです。最終的に70~80くらいになりそう。

シティを出てまず訪れたのは、メキシコ南部のパレンケという町です。マヤの遺跡を見学しました。ここは、物凄く蒸し暑かったのですが、同行したKさん曰く、日本の方が蒸し暑かったとか。。。うーん、日本恐るべし。。。

ジャングルの中にあるパレンケ遺跡


ジョジョの奇妙な冒険の石仮面っぽくないですか?


パレンケで一日観光した後は、すぐにグアテマラに入国しました。目的は、マヤ遺跡の最高峰ティカル遺跡の見学です。朝2時半に起きて朝日ツアーに出かけました。

日の出前、霧に浮かぶティカル遺跡。



そして日の出。雨季だったけど見事な朝日が見れました。



この日のツアーガイドは、遺跡そっちのけで猿やタランチュラなどの動物を発見しては喜んでいました。変なガイドだったけど楽しかったです。下の写真は毒グモ・タランチュラを手づかみで地中の穴から引っ張り出して、自分にくっつけてツアー客に写真を撮らせているところです。おーこわ。


ティカル遺跡も先日見たばかりのパレンケと同じくジャングルの中に幾つ物神殿がそびえたっています。パレンケと違うところは、ティカルの方が地形の起伏が少なくて森がフラットなので森から神殿が突き出ているのが他の神殿からはっきり見えるところでしょうか。


パレンケもティカルも素晴らしい遺跡でした。でも、遺跡はもうお腹いっぱいです。しばらくいいです。次はカンクンにでも行って再びカリブ海を満喫したいと思います。
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メキシコシティ その二

2007年09月11日 06時22分18秒 | 南北アメリカ


あっという間にメキシコシティ滞在が1週間になってしまいました。毎日なんかしらの観光をしているのにも関わらず、まだまだ見所は尽きません。街歩きだけでもかなり魅力があります。東京にもひけをとらない大都会エリア、スペインやイタリアのような欧州風なエリア、屋台や露天が所狭しと並ぶいかがわしい雰囲気漂う南米風エリアと、多彩な顔を持っています。


またまたサッカー観戦しました。テレビでも一回も見たことがないメキシコリーグ。代表はかなり強いメキシコサッカーなので、リーグ戦もかなり期待できそうです。しかも、宿の長期滞在者の人でサッカーに詳しい人が言うには、その日の試合はメキシコリーグの中でも屈指の好カードだそうです。
それは、地元のクルス・アスールとパチューカの試合。パチューカは、なんと今年のトヨタカップに北中米代表として出場予定。過去日本人の福田健二が所属していたそう。
キックオフ時間ギリギリに試合会場に到着したのですが、ダフ屋から簡単にチケットが買えました。それもたった500円。安い。正規料金はいったいいくらなんだろう。会場入りすると試合はもう始まっていました。客は6割くらいの入り。好カードの割には空いています。まだ開幕直後だからでしょうか。客層は小さい子供から年季の入ったおっちゃんサポーターまで様々でした。座席は地元クルス・アスルの応援側。やっぱりサッカー観戦はホーム側を大勢で一緒に応援した方が楽しいですよね。通路でビールを買っている間に地元クルス・アスルが先制してしまいました。ゴールシーンを見逃した。。その上、ビールを持って自分の席を探している時にチームの大きな旗を持って通路を走る応援団のメキシコ人に激突されてビールを思いっきり自分と他の客にこぼしてしまいました。そのこぼされた客はゴールで嬉しいからなのか、ビールかかっても全然オッケーという感じ。熱い。そしておおらか。座席が見つけられなかった僕に、クルス・アスルのサポーターのおっちゃんが「ここに座れよ」という感じで、隣の席に招いてくれました。「クルス・アスルの応援か?」と聞かれたので、「もちろん!クルス・アスル最高です!」と心にも無いことを答えておきました。でも、試合中は真剣に心からクルス・アスルの応援をしました。なぜなら、周りはクルス・アスルのサポーターばっかりなので、勝つと楽しいだろうし、負けると彼らの機嫌が悪くなってつまらなさそうなので。その隣の席のおっちゃんとは言葉が通じないながらも、ジェスチャーや叫びや顔の表情やらでコミュニケーションを図りながら、共に熱く観戦できました。


チーム力はアウェイのパチューカが一枚も二枚も上でした。パチューカはヨーロッパのトップチームのような組織的で技術的にも高いサッカーをしてゲームを支配。クルス・アスルも前線の個人技で何度かチャンスは作るものの、同点、逆転は時間の問題という感じでした。予想通り、前半に同点に追いつかれ、その後もクルス・アスルは必死に耐えるものの結局は試合終了間際に逆転ゴールを許してしまいました。静まり返る会場。でも、試合が終了すればみんなにこやかに家路に着いていました。応援団はいつまでも残って歌を歌ってたけど。。。印象に残った選手はパチューカの7番のアタッカーです。ドリブルが上手くてキープ力がありました。しかし、名前はわかりません。彼ならいつかヨーロッパでも活躍できそうでした。

翌日、ソチミルコと言われる世界遺産の水路に行ってきました。なんとアステカ時代から使われている水路なんだそうです。しかし、そんな事実は僕は着いてから知りました。その日の僕には、そんなことは関係ありません。目的は、ずばり”宴会”です。宿の日本人達9人でボートを一艘4時間あまり借り切って、”屋形船での宴会ツアー”なのです!旅に出てから1年1ヶ月、待ちに待った初めての宴会です。期待通り、いやそれ以上の、それはもう大盛り上がりの大興奮でした。酔っ払い過ぎて記憶はあまり残っていないけど。。。

隣の船のマリアッチ演奏を無料で聴く。僕らにはマリアッチを雇う金なんかないので。


別の船に乗っているメキシコ人グループに乱入!この頃には、もう何でもありでした。宴会最高!


雨季のシティ恒例の夕立にあってしまいました。この辺りの記憶はほとんど残っていないです。雨なんか降ってたっけ。。。


帰りにそこらの公園でサッカーしていた地元の子供達に乱入して、日本人対メキシコ人のサッカー対決もありました。このサッカーが決定的に酔いをまわしましたね。サッカーしながら、なんかしょっちゅう足がもつれてました。こけてお尻が痛いです。
写真は、試合後に子供達のお父さんと。


それにしても、あれだけ酔っ払いながら、何のトラブルも無く(物を無くしたり、スリにあったりすることなく)宿に無事帰れたことが、不思議でなりません。神様ありがとうございます。

楽しい楽しいメキシコシティライフなんですが、この後キューバが待っているのでそろそろ重い腰を上げなくては。。。

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メキシコシティ

2007年09月09日 11時07分33秒 | 南北アメリカ


メキシコの首都メキシコシティにやってきました。
トリニダードからのフライトはネットで検索すると割りとあっさりと見つかりました(700ドルという高額でしたが)。旅行会社の「9月2週目まで全てフルだ」というのはなんだったんだろう?

夜遅くシティの空港に着いたので空港のフードコートの椅子で一泊して、翌朝目的の宿ペンション・アミーゴへ向かいました。ペンションアミーゴと言えばエジプトのサファリホテルと並び評される超有名日本人宿です。日本人宿を堪能するというのが、南北アメリカ旅行の一つのテーマなのでメキシコシティに来てこの宿に泊まらない訳にはいきません。結果としてはこの宿に泊まって大正解でした。クスコで出会った”さすらいの編み物旅行者”Sさんと再会できたり、有名なダハブのダイブインストラクター兼バックパッカーのZさんと出会えたり、他にも個性的な数々の旅人に出会えたりと「アミーゴ」の名に恥じぬ日本人旅行者の社交の場になっていました。

そのアミーゴだけでもシティに来る価値は十分あるのですが、シティの魅力は、さらにその十倍くらいはあるのです。遺跡、博物館、美術館、食べ物、買い物、プロレス、音楽、街並、それらが全てハイレベルなのです。質量ともに中南米最高クラスの町なのではないでしょうか。日本人宿に泊まると、つい宿でだらだら過ごしてしまいがちなのが、ここでは毎日忙しく活動をしています。

近代美術館ではシケイロスやオロスコ、リベラの大作に頭をガツンと殴られたような衝撃を受け、国立人類額博物館では訳の分からない多数の遺跡からの出土品に目を奪われました。

久々に美術館で鳥肌のたったシケイロスの作品


人類学博物館はコミカルな出土品の宝庫でした。


こんなのがおびただしい数展示されています。もちろんシリアスなのも多数ありました。


地下鉄とバスを乗り継いで1時間半くらいのところにテオティワカンという名前の巨大遺跡があります。エジプトのピラミッドほどではないけど太陽の神殿といわれる巨大なピラミッドがありました。


メキシコといえばルチャリブレ(プロレス)。現在ペンション・アミーゴにも日本人プロレスラーの人が宿泊しています(まだ会ったことはないけど)。
せっかくなのでマスクをかぶって観戦してきました。

(試合会場の通路にて)

華麗な空中技の連続に大興奮でした。レスラーのコスチュームや照明、演出なども含めて非常に華やかでした。


シティには後数日滞在してから、カンクンに向けて移動予定です。ああ、それにしてもシティは楽しいです。時間が許せばいくらでも滞在できそうです。

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海です。カリブ海です。トリニダード・トバゴ

2007年09月02日 03時46分38秒 | 南北アメリカ


未だにしつこくトリニダード・トバゴ(略してTT)にいます。かれこれ3週間近くも滞在してることになります。こんな物価が高い上にそんなにすることのない国でいったい何をしているんだろうって感じです。最大の理由としては、ガイアナ泥棒事件で受けた精神的なショックや疲れがなかなか取れなくて、動こうという気持ちがしばらく起きなかったことでしょうね。しかし、ある日突然やる気が沸いてきて、デジカメを新しく買い、トバゴというもう一つの島へ行くという行動力がよみがえりました。トバゴへ行く目的は、ずばりカリブ海。ダイングやシュノーケリングやビーチでのんびりや、そういったことをしたいと思います。

デジカメは品揃えも少なく値段も法外に高い中からPENTAX OPTIO M20(7メガピクセル)を4万円も出して買ってしまいました。3週間デジカメの無い旅行生活を送ってきましたが、デジカメがあるとやっぱり楽しいですねー。俄然観光する気が沸いてきましたね。

※ちなみに、TTはトリニダードとトバゴという二つの島からなっていて、トリニダードの方が10倍くらい大きくて政治や経済の中心でほとんどの人口が住んでいるというメインの島、トバゴは人口5万人の小さい島でカリブ海的なビーチライフを楽しむ観光客が訪れる観光地です。かの有名なサッカー選手ドワイト・ヨークはこの小さい方のトバゴ出身らしいです。



TTは元々物価の高い国(宿は最安で一泊1800円、食事は中華テイクアウトで500円)なのですが、トバゴはさらに高かったです。宿は最安で2200円、食事は外食すると確実に800円以上という西ヨーロッパ並みの高め設定です。ダイビングもやっぱり高くて1ダイブで8000円も取られたりします。しかし、運良く安いダイブショップを見つけることが出来ました。他のホテル併設のきちんとしたダイブショップと違い、民家に併設の倉庫にダイブ器具を入れているような所で、地元のおっちゃんが趣味的に一人で切り盛りしているみたいです。その名もレッドマン。かといって色が赤い訳ではなく白髪混じりの超陽気な黒人でした。こっちだと1ダイブ4800円です。





さすがトバゴは海が売り物だけあって水はものすごく綺麗。黄緑色に光っていて俄然気分は盛り上がります。8人乗りくらいの小さいボートにレッドマンとボートマン(こいつも超陽気)と僕の3人で乗ってダイブサイトへ。雨季にもかかわらず天候にも恵まれて透明度はかなり良かったです。20m以上は見えてたと思います。サンゴがとにかくカラフルで種類が多くてサンゴを見てるだけで楽しかったです。黄色、オレンジ、赤、ピンク、青、紫、緑、とあらゆる色のサンゴがいました。ダイビング中は写真を撮ってないのでネットで拾ったダイビング写真から僕の潜ったダイビングにイメージが近いものをピックアップして載せているので、雰囲気を味わってください。


1本目に潜ったのがジャパニーズ・ガーデンというダイブサイト。潜ってみると確かに日本庭園のような趣があります。誰が名づけたのか知らないけど、上手いネーミングかも。砂地の上に適度に植物のようなサンゴと岩のようなサンゴが配置されていて、それが絶妙な趣を醸し出していました。

トバゴのダイビングは流れが強い所が多かったです。流れに乗って潜っている時はかなりのハイスピードで進んで行くのでカラフルなサンゴがどんどん後ろに流れていきます。ゴーッといううなるような音と一緒にカラフルな魚達と速い流れに身を任せて泳いでいると、まるで映画の中の世界のよう(最近宿のテレビで放送されていたファインディング・ニモを見たからか?)。途中狭い岩の間をくぐり抜ける所なんかもあり、スリルもあります。


今回は合計4本潜りましたが、ジャパニーズガーデン以外のサイトの名前は知りません。最後に潜ったところは世界で一番大きいといわれるノウサンゴ(脳みそのようなサンゴ)がありました。ノウサンゴって見ているとかなり不思議な生き物ですね。なんなんでしょうか、あの脳みそのような皺は。


あと、面白かったのがレッドマンがダイブ中に僕のことなどそっちのけで魚を捕ることに夢中になっていたことです。モリを持って魚を追いかける姿は、まるで宇宙空間で連邦軍の戦艦を狙うシャアが操る赤いゲルググのようでした(名前がレッドマンだけに)。かっこいいぞ!しかも見事に60cmくらいある銀色の魚をしとめていました。そうこうしているうちに1時間以上潜っていて、僕のエアタンクが空になりかけたこともあったけど。。。

生き物は、ウミガメ、ロブスター、カニ、タコ、バラクーダ(銀色の大きい魚)などが、今回初めて見れた者たちです。ウミガメは1.5mくらいあるでっかいのが岩の下でぼけーっと寝ているのと、シュノーケリング中に小さいのが泳いでいるのと、2回見れました。小さい方は僕が近づくと物凄いスピードで泳いで逃げていきました。亀のくせに速い。後、印象に残っているのは緑色の大きいウツボです。上を向いて目を見開いてひたすら口をぱくぱくさせてました。その姿がなんか発狂しているみたいでした。

ダイビングをしている以外の時間はビーチで海水浴をする地元の親子連れをぼんやり眺めたり読書をしたりしてのんびり過ごしました。トバゴ自体が、とても平和でのんびりとした空気が漂っているのです。最近はジョージタウンやポートオブスペインという治安の悪い町に長く滞在していたので、こういう雰囲気が新鮮に感じられるし心地良いフィーリングが身体に染み込んでくるようです。地元の人たちも親切だし気さくに話しかけてきたりして、物価が高いことを除けば、完璧なリラックスできる場所ですね。すっかり泥棒疲れは癒されました。

イギリスっぽい民家


さすがカリブ。ラスタマンがいっぱいでした。


今はトリニダードに戻ってきてメキシコ行きの飛行機を探しているところです。宿にインド人とアメリカ人のそれぞれ一人旅の旅行者がいます。インド人は24歳の若さで工場を経営しており、しかもそれは副業で本業はジャーナリストで、家はプール付きの大豪邸なのだそうです。さすが物価の安いインドから物価の高いカリブ海へ長期旅行に来ているだけのことはあります。アメリカ人がインドの文化にとても興味があるみたいで色々と質問していて、カースト制度やムスリムやシークとの関係など興味深い話が聞けました。とにかくインド社会は宗教による差別に満ちているようなのです。ヒンドゥーとムスリムの間の差別(というか対立。時には殺し合いになることも)、ヒンドゥー内のカーストによる差別。彼はカーストの中ではブラフマンという最も高いカーストにいるらしいのですが、友達も恋人も結婚相手も必ずブラフマンの中から選ばないといけないらしいです。もしブラフマン以外の人と結婚したら、社会から追放されるのだそうです。彼は過去に、それにも関わらずムスリムの彼女がいたらしいのですが、デート現場を見られると終わり(いろいろと)なので、毎回スパイ活動のように周到に人目の付かないところで会っていたそうです。また、ヒンドゥーにとって外人など異教徒はカーストが低いとみなしているみたいです。これを聞いて、なるほどと思いました。今までインド人と会うと妙な違和感を感じていました。それも少し不快な。白人や黒人やアラブ人や他のアジア人からは感じない何か違う不快な感じを。それは彼らが差別的な社会で生きることに慣れていて、外人に対しても同じように差別的な感情を抱き、それが視線や態度に表れていたからなのかも、と。インド人と長く会話をしたのはこれが初めてなので、本当のところは分からないけど。とにかく面白く興味深い会話でした。なんにせよインドに行くのが楽しみですね。


あまりにも長くここにいるのでだんだんと焦ってきました。早くメキシコに行きたいっす!

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ガイアナ盗難事件 後始末 No.2

2007年08月21日 06時06分06秒 | 南北アメリカ
翌日(8月7日火曜日)宿に電話がありました。在ガイアナ日本名誉領事という人からです。実は、前の金曜日に警察に行った時に日本大使館が無いかどうか確認すると”何とか保険会社”という名前を教えてもらいました。保険会社って何のことだよ・・・何言ってんだよ、おまえら・・・とその時はがっかりしたのですが、行きつけのネットカフェのビルの2階の看板に「日本領事館」と書いてあり、その横にさらに大きくその保険会社の名前が書いてあったのです。保険会社の中に日本領事館があるっていうことなのね。やった!日本領事館がある!と思いそこに行ってみたのですが領事は不在で秘書が言うには後1ヶ月は帰ってこないとのことだそうです。念のために連絡先として宿の名前と電話番号を教えてその日は帰ったのでした。後で知ったのですが、日本領事館といっても”名誉総領事”と言われるもので現地のガイアナ人が日本外務省に雇われて在留邦人のためにいろいろとしてくれるという機関で、パスポートの発給は残念ながらしてくれないということです。その名誉総領事の人はマークさんといって、ガイアナ人らしくない小奇麗な服装をした黒人で、無愛想だけれども親切で仕事はとてもきっちりしてくれる頼れる人でした。この日から警察やパスポートオフィス関連の折衝を全てマークさんがしてくれることになり、僕は劇的に楽になりました。

昼の1時にマークさんと警察署へ。昨日の女性係官は「あっ、そういえば書類はまだできてないなあ」という返事。僕一人なら「おい!昨日あんたは1時以降ならいつでも来てくれていいよっていってたろ!」と激昂するところですが、マークさんは非常に冷静で「あなたの連絡先を教えてください。私の連絡先も教えるので書類が出来上がるまで連絡をとりあいましょう。」ということで冷静に紳士的に女性係官との話を終え、僕には「この後は私が警察と連絡をとって、書類を受け取るので君は宿で待っていなさい」と言ってくれました。これは本当にありがたかったです。ありがたくお言葉に甘えることにしました。ガイアナは赤道近くの非常に暑い国で湿気も高く昼間はクーラー無しではとても耐えられないです。日本の東京の夏と同じような気候でしょうか。(大阪よりは暑さはましです。)昼間、冷房の無い宿で待つことは不可能なのでクーラーががんがんに効いているネットカフェでマークさんを待つことにしました。彼の事務所のすぐ下ですし。5時ごろマークさんが現れて、「今日は盗難証明書はできないみたいだ。明日には入手できると思う。その後は一緒にパスポートオフィスに行って出国用書類を手に入れに行く」ということを言いました。警察は相変わらず仕事が遅いですが、マークさんはかなり頼りになりそうです。ガイアナ出国への希望が見えてきた気分です。

次の日(8月8日水曜日)は一日中クーラーの効いたネットカフェで過ごしました。ここは普通のカフェでもあり、ノートPCを持ち込んでワイヤレスインターネットが出来るので、何時間いてもコーヒーの料金だけでネットができるのです。白人のナイスガイがオーナーで、ガイアナとは思えない洗練された空間で従業員もきちんとしていて、ガイアナ疲れを癒すには最適な場所です。(ガイアナは、何をするにもとても疲れます)夕方マークさんが現れて、盗難証明書をゲットしてくれていました。この日はもう時間が遅いので次の日にイミグレーションオフィス(パスポートオフィス)に行くことになりました。

そしてさらに次の日(8月9日木曜日)、たくさんの人がごったがえすパスポートオフィスへ。僕はただそこにいるだけで、警察との交渉は全てマークさんがやってくれました。しかし、3回くらいいろんな部署をたらい回しにされたあげく、「今日はその紙がないから明日来てくれ」という結論になりました。紙が無い、とはさすがガイアナ。この日はここで解散です。これらの日々での僕の時間のつぶし方は、ひたすらネットとゲームです。昼~夕方までネット屋がしまるまでねばり(主にスポーツニュースなどを読む)、夜は涼しくなった部屋で深夜まで延々とPCでゲーム(ウィザードリィ外伝4)をしていました。おかげで目と肩と腰が会社勤めをしていた時のように疲れて痛くなりました。ああ、目がかすむ。。

8月10日金曜日、ついにトラベルドキュメント(ガイアナ出国に当たってパスポートの代わりになるもの)をゲットできました。もしマークさんがいなかったら、と思うとぞっとするくらいこの日も大変でした。午前中にパスポートオフィスに行っても昨日応対してくれた人が捕まらずに延々と待ちぼうけです。ようやくその人が現れて、申請用紙を渡されて、記入して(書く項目に”Face”とか”Nose”とかあって笑いました。空欄で渡したら”Face”は”Normal”、”Nose”は”Straight”となって返ってきました)渡すと、昼の2時にまた来いと言われました。いったん戻って再度行くと、なんとパスポートオフィスは閉まっていて、前の庭にはたくさんの人がぼけーっと再開するのを待っていました。シエスタか何かですか、これは?このありえない状況にがっかりしていると、マークさんは僕一人を庭の椅子に座らせて、一人でオフィスの入り口に陣取ってオフィスが再開するのを待ってくれました。30分以上経った頃、警官がちょっと出入りするために一瞬ドアが開いた隙を狙ってマークさんはオフィス内に滑り込みました。うわー、やるなあ!そして待つことさらに1時間、ついにマークさんはトラベルドキュメントをゲットして戻ってきてくれました。事件から1週間、仕事の遅いガイアナ警察もついに必要な書類を全て作ってくれました。

トリニダードの日本大使館の人に書類を入手できたことを伝えて、いつそちらにいけばいいかを相談すると(この日は金曜だったので月曜日まで待った方がいいと思って)、土日でも問題ないのですぐに来てくれという返答でした。さすが、日本人!働きっぷりが違う!違いすぎる!航空券は日曜日の早朝(5時45分発)の便が入手できました。

8月11日土曜日、昼間は延々とネットカフェでウィキペディアの日本人サッカー選手の項を読み漁り時間を潰しました。夜10時に空港に着くように宿を出てミニバスで空港へ向かいました。ガイアナの空港は非常に小さくて中に店が全く無く、まるで真冬のようにクーラーが効いていました。真冬のように服を着込んでベンチで少し眠り2時45分のチェックインに向かいました。パスポートが無くてもトラベルドキュメントがあればOKみたいで、チェックインから荷物チェック、搭乗まで全てびっくりするくらいスムーズに行きました。飛行機はたった1時間のフライトであっさりとトリニダードに到着しました。

トリニダードの空港はガイアナのそれとは比べ物にならないくらい大きくて店が多くて、係官達も礼儀正しく洗練されており、ああ先進国に来たんだなあ、という印象を受けました。(とは言っても関空などに比べると10分の1程度の規模ですが)イミグレーションオフィスを通る時、出国は上手く言ったけど入国はどうだろう・・・と緊張しましたが、日本大使館の人からイミグレオフィスにきっちりと連絡がいっていたみたいで、スムーズに入国できました。しかも心配していたビザも1ヶ月もらえたので観光もできそうです。(当初、大使館の人からはビザが無いので2,3日しか滞在できないだろうといわれていたので心配していたのです)入国してホテルにチェックインした後、すぐに大使館に向かいました。日曜日なのに、出勤してくださって(僕のために出勤してくれたのか、毎週日曜日も出勤しているのかは、不明です)パスポートの発給も1時間かそこらですぐにしてくれました。速い!速すぎる!ガイアナとの仕事ぶりの違いに僕が同じ日本人であることの誇りを感じました。

ということで、盗難事件の後処理は無事終了したのでした。


今回の事件ではいろいろと勉強になりました。例え友人と二人で個室に泊まっていても油断をしてはいけない、ということ。ガイアナという日本大使館も無い訳の分からない辺鄙な国でパスポートを盗られても、周りの協力があり、辛抱強い対応をすればなんとかなる、ということ。やっぱり旅は周りの人の無償の親切で成り立っているということ。旅ではトラブルは突然やってくるということ。ネットとゲームのやりすぎは目と腰に悪いということ。。。



近況報告。最近はトリニダードの首都ポート・オブ・スペインでだらだら過ごしています。本当にひたすらだらだらしています。昼間はひたすら暑いし、一日2,3回はスコールが降るし、夜はひたすら治安が悪いし、なかなか過ごしにくいです。ある日などは1日中宿の部屋に篭ってゲームをしていた日なんかもありました。何をしているんだ、俺は・・・。しかし、ここはジョージタウンから来ると、普通に中規模の町で面白みも少ないです。規模的にいうとジョージタウンが僕の故郷の兵庫県姫路市の英賀保駅付近、ポート・オフ・スペインが飾磨駅付近(英賀保よりも幾分栄えている)、という感じでしょうか。つまりどちらも姫路市の中心地姫路駅近辺よりも遥かに小規模ということです。1日もあれば大体見て周れます。外出してデジカメを探すものの、まさかジョージタウンよりも値段が高いとは思いませんでした。日本から持ってきてタンザニアで盗られたのと同じモデルが8万円(ガイアナでは4万5千円、ラパスでは2万8千円)、クスコで2万7千円で買ったのと同じモデルが8万5千円(ガイアナでは6万円)。。。最低限納得できる性能のものを買おうと思ったら最低3万5千円は必要みたいです。こんなことなら、ガイアナで買っておけばよかった、と歯ぎしりしています。そんなこんなで、カメラが無いので観光しようという気がなかなかおきません。


今後のルートについて。ブラジルビザもイエローカードが無くなったし、泥棒事件で時間もお金も非常に消費してしまったので、南米はもう終了することにしました。ブラジルとエクアドル(ガラパゴス)には行く予定だったけど、あきらめます(ブラジルは北部のボアビスタのみ行きました)。さようなら南米。次はメキシコ辺りに飛んでカリブ海系の情報を収集してからキューバなどを攻めようかと思っています。そして北米に行き、9月末~10月頭に日本一時帰国の予定です。

先日ポート・オブ・スペインの旅行会社にメキシコ行きの飛行機を問い合わせたところ、9月の2週目までは全てフルらしいです。トリニダードから海外に飛ぶ飛行機は今全て満席になっているそうです。9月2週目っていうことは1ヶ月のビザぎりぎりになってしまうじゃないですか。それにここはそんなにたくさんすることはなさそうですし、途方に暮れました。チャンスがあるとすれば空港で寝泊りしながらキャンセル待ちをするしかなさそうです。(後でベネズエラのカラカス6行きだけは8月でもあるということが判明しましたが。)その上、先日のカリブ海横断ハリケーンの影響でトリニダードから北へ向かう便が全て欠航しているみたいです。さあ、どうしましょう・・・。
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ガイアナ盗難事件 後始末 No.1

2007年08月21日 06時04分55秒 | 南北アメリカ
話はホテルで泥棒に入られたことに気づき、警察を呼ぶという場面に戻ります。日時は、8月2日木曜日の早朝25時半くらいです。

前々回の記事にも書きましたが、泥棒にあったことをまず宿の人に言いに行くと、宿番をしている人が全員英語をしゃべれなかったのでした。後で聞くと、彼らは全員ブラジル人でした。(さらに後でよく見ると、ホテルの1階はブラジル料理レストランだった)しかし、英語が公用語の国で英語がしゃべれない人間が宿番をしてることには、正直驚きました。英語でいくら言っても、泥棒にあったことすら全然理解してくれません。しかし、その中の一人のおっちゃんは、僕の必死の形相で緊急事態だということは理解してくれたみたいで、隣のちょっと高級なホテルに僕を連れて行ってくれて英語ができる人に引き合わせてくれました。その人は、ガタイのいい黒人のおっちゃんでした。彼に、部屋で泥棒に入られたことと警察に電話したいということを伝えると、また別のさらに高級そうな近くのホテルへ連れて行ってくれました。どうやら彼のホテルには電話がないみたいです。なぜホテルなのに電話が無い?という疑問も沸きますが、そんなことは言ってられません。その時の僕にとっては彼だけが頼りです。次の高級ホテルでは、半分寝ているような警備の人と、とても不機嫌な受付の女性がいました。彼は、彼らに電話を使わせて欲しいことを説明してくれて、その上、警察への電話までもしてくれました。僕は、英語で、しかも電話で、泥棒にあったという今の状況やホテルの場所を説明する自信が無かったので、とても助かりました。彼は、電話を終えると帰宅していきました。

警察が直ぐ来るかもしれないので、僕はしばらく門のところで待っていました。しかし、5分くらい待っても全然来る気配がないので一旦部屋に戻りました。この時、同じく被害に遭ったSくんは部屋で待っていてくれました。二人で荷物を調べて何が無くなっているかを再確認しました。部屋の中には重苦しい空気が漂っていました。パスポート、クレジットカード、キャッシュカード、そして最近クスコで買ってとても気に入っていたデジカメ。ベッドのすぐ横の頭側の棚に僕の財布が中身がすっかり抜き取られて置き去られていました。泥棒が、僕の頭越しに財布を取って中身を抜き取り、元の場所に再度置いた思われるのですが、泥棒がそこまで近くにいたという事、寝ている僕の姿を間近で見ながら財布の中身を抜き取ったという事が、恐ろしく思えました。

道路に面している窓には僕の洗濯物を干していたのですが、それらはぐちゃっと乱れていて靴下が床に落ちていた。靴の足跡のような汚れも干していたズボンに着いていました。それを見て、泥棒は窓から入ってきたことを確信しました。

それにしても、警察がなかなか来ない。宿は1階がレストランになっていて2階と3階がホテルになっています。1階に降りて警察を待ちつつ英語の話せないブラジル人の従業員と身振り手振りと片言の英語とスペイン語で話をしました。彼らもこの頃にはすっかり状況を理解してくれているみたいです。クレジットカードやキャッシュカードを止めたくて、電話が使いたいというようなジェスチャーをすると、彼らの部屋に案内してくれて携帯電話を使わせてくれようとしたのですが、日本にはかけれないのであきらめました。彼らの部屋に簡単に通したりするような無防備な感じは、彼らは犯人じゃないという印象になりました。(演技かもしれないけど)

電話してから20分くらいして、外に車が着きました。警察かと思って行ってみると、タクシーと思われる車から降りてきたのは、どこからどう見ても警察には見えないちょっと太った黒人のおっさん一人でした。制服は着てなくてアメリカの黒人ラッパーの黒いTシャツと短パンにサンダルという公務中とは到底思えないラフな格好です。眠いからか不機嫌に血走った目で僕を睨みつけています。予想とはかなり違うその姿(制服を着た紳士的な警官が二人くらい来ることを期待していた)にかなりびびったのですが、警察に間違いないと思って「警察の方ですか?」と聞いたら「そうだ」と答えました。そういえば、このおっさん、誰かに似ているなあと思ったらタンザニアの睡眠薬強盗アロイースでした。ますます僕の不安感は大きくなりました。

このアロイース似の警官が僕に何かごにょごにょと言うのですが、全く何を言っているのかわかりません。「すいません、何ていいましたか?」と何度聞きなおしても「ごにょ、ごにょにょ!」としか聞こえません。失礼のないように丁寧に聞きなおしてるのですが、どんどん不機嫌になっているみたいです。英語がしゃべれない従業員の次は、聞き取ることの出来ない英語をしゃべる警官ですか。。。しかし、僕らの希望はこの警官だけなので、辛抱強く聞き返します。5回目くらいでようやく「どこで盗まれた?」というようなことを言っているということが分かりました。部屋に案内して、取調べ開始です。しかし、彼の英語は空前絶後のかつて経験したことの無いような聞き取りにくさなので、彼が何か質問するたびにこっちは5~7回くらい聞き返さなければいけないという、非常にもどかしく、その上雰囲気も悪いものになりました。Sくんも彼の英語には僕と同様かなり苦戦しているようです。しかし途中からもう一人小柄な白人の警官っぽい人が来て彼の英語を通訳してくれるようになって、徐々にスムーズになりました。(後でその人はレストランのマネージャーだということが判明。僕はきっと警官に違いないと思ってすごくへりくだって接してしまった。)

取調べといっても大したことはしませんでした。名前、住所、生年月日などの個人情報と、何を盗られたのか、気づいた時どのような状況だったか、をノートにメモを取った後は、一階に降りて、道路側から僕らの部屋を見上げて、僕らの主張する泥棒が窓から入ったということが可能かどうかをだらだらとレストランのマネージャーと話をしていました。そしてしばらくすると疲れたのか、翌朝8時に警察署に来るようにと僕らに言い残してタクシーに乗って帰っていきました。

僕は確信しました。彼は犯人を捕まえる気は100%ない、と。

時刻は3時半になっていました。前日のミニバスでの夜行移動でくたくたになっている上に、この日もほとんど寝れないのか・・・。そして貴重品を失ったショック。パスポートの再発行を、こんなガイアナのような辺鄙なところでできるのだろうか?クレジットカードやキャッシュカードを止めるのが、明日の警察署の後になるけど不正利用されないのだろうか?クスコで買った気に入っていたデジカメ・・・、ブラジルのボアビスタやガイアナのレセムの写真・・・。しかし、今回はノートPCが残ったという救いがありました。これは本当に大きかった。気持ち的に随分楽でした。他には、現金も2-3万円、クレジットカードも1枚、それぞれ見つけにくいところに隠しておいたので残っていました。なんとか当座は自力で持ちこたえられそうです。

この日の夜は非常に興奮していたけど、前日の疲れもありすぐに眠りに落ちました。

8月3日金曜日、警察署には時間通り8時に着きました。犯人を捕まえてもらうことは期待できなくても、盗難証明書はもらっておかないとパスポートの再発行ができないのです。アロイース似の警官は昨夜と同じ格好で警察署の2階のオフィスにいました。目は相変わらず血走っていますが、今日は周りの同僚の目があるからか、幾分紳士的な対応です。ベンチに座って待てと言われたので、言われたとおりに待つのですが、全然始めてくれません。まるで僕らなんかいないかのように彼らは自分達のことをしています。その間ぽかーんと警察署内部やそんな彼らを眺めたりしていたのですが、これが非常に面白かったです。建物は木造三階建の築数十年のぼろぼろで、窓は割れていたり、窓枠自体が取れていたり、窓の外を見ると屋根の上に大量のごみが投げ捨てられていたり、一国の首都の中心地にある警察署とは到底思えない建物です。そのフロアにいる警官は私服警官しかいなかったのですが、そこに市民や逮捕されてきた犯罪者が一緒くたにいるので、誰が警官で犯罪者なのか何がなにやらわからない状況です。犯罪者たちは手錠をされることなく、僕らと一緒に座っていたりします。警官に写真を撮られたり尋問されたりしているので、ようやく逮捕された人なんだ、と分かります。

1時間くらい待たされてようやく書類作成が始まりました。昨夜のアロイース似とは違う別の警官(インド人風。ガイアナはインド人移民が結構多いです。)が対応してくれました。相変わらず英語は聞き取りにくいのですが、アロイースよりは数倍ましでした。昨日は5回は聞き返してたのが、この日は2回くらいですんでいたので。。。昨夜アロイースに話したこととまた同じことをしゃべって書類が作られていったのですが、それは盗難証明書ではなく被害者の被害宣言書のようなものでした。盗難証明書は翌日の9時に来い、と言われたのでこの日はこれで帰りました。終わった時には11時半にもなっていました。タンザニアのシニャンガ警察はもっときびきびと働いてたぞ。。。

午後は銀行、カード会社、トラベラーズチェック、大使館関係、と国際電話をかけまくりました。カード類は問題なくストップできました。夕方の4時になっていたにもかかわらず、不正使用もありませんでした。ここガイアナがカードの不正使用が難しい町でよかった・・・。トラベラーズチェックはアメリカン・エキスプレスが英語の通訳を介した電話な上に、音声が非常に悪い状況だったので大変苦労しましたが、なんとかストップできましたが、再発行に10日くらいかかると言われてしまい、それは保留しました。(翌日、実はトラベラーズチェックは盗られていなかったことが判明。直ぐに電話すると再利用可能になりました。)パスポートの再発行は、やっぱりガイアナには日本大使館が無いので、ガイアナを管轄する日本大使館のあるトリニダードトバゴに行かなければいけないということになりました。でも、在トリニダードトバゴ大使館のKさんという人がびっくりするくらい親切な人で、この後いろいろと助けてもらうことになり、とても助かりました。Kさんは勤務時間外や休日でも入出国のために両国のイミグレーションオフィスに事前連絡やFAXを送ってくれたり、僕の電話相談を受けてくれたり、飛行機の時間を調べてくれたり、本当に数々の名アシストをしてくれたのです。ただ、トリニダードに行くことで僕のギアナ3国旅行がここで途切れてしまうのは、非常に残念です。次のスリナムという国はガイドブック(ロンプラ)によると料理が安くて美味しいとあったし。。。ベネズエラで取ったブラジルビザやイエローカード(黄熱病予防接種証明。ブラジル入国に必要とされる)がパスポートと一緒に無くなったので、ブラジル行きも非常に厳しくなってしまいました。当初トリニダードトバゴになんて全く行く予定じゃなかったので、完全に頭が真っ白になってしまいました。トリニダードに行った後は、いったいどうすればいいんだろう???

しかし、Sくんが最近ベネズエラの前にトリニダードに行っていて、「とても良いところですよ!おすすめです!」と力強く言ってくれたので、徐々にトリニダード行きもいいんじゃいの?と思えるようになってきました。それに長期旅行者にとってはトリニダードはビザ取得が非常に困難なために行っている人が少ないので、そこに簡単に行ける俺はラッキーなんじゃないのか?とも思えるようになってきました。Sくん曰く、海が綺麗でダイビングもできるとか。早くいって綺麗な海を眺めてぼんやりとしたくなってきました。

翌日(8月4日土曜日)9時に警察署へ行ってみると昨日のフロアは人っ子一人いなくてがらんとしていました。一階には制服を着てパトロールなどをしている警官はいるのですが。この日は土曜日なので、警察も休みということか?しかし昨日、書類を作ってくれた奴(インド人風)は間違いなく明日9時に来いと言っていたので、彼を信じて誰もいないオフィスで待つことに。30分くらい待つと昨日のインド人風が現れてくれました。しかし「もうちょっとそこで待て」と言われさらに待つこと30分。今度は別の私服警官が来て僕らが何をしているか訪ねてきました。答えると、「今日は休みだ。そんなことをしても時間の無駄、無駄。早く出て行って他の事をしろよ」「いやいやいやいや!そんなことはないでしょう!さっきも昨日書類を作ってくれた警官が来て”そこで待ってろ”と言ってましたよ!」「なんと言っても時間の無駄。そいつももう帰ったよ。」と言ってきます。確かにさらにしばらく待っても誰も来る気配はありません。時間はもう11時を過ぎています。しびれを切らして、警察署の建物内をしらみつぶしに探したのですが、ほとんど全ての部屋がもぬけの殻で、人がいた部屋が一つだけあったけれどもそいつはいなくて、すぐに追い出されてしまいました。打ちひしがれて元のベンチの場所に戻っていると、インド人風警官が偶然トイレに行っているところに遭遇しました。「おい、ちょっと!どうなってるんですか!?」と聞くと、「いやあ、ごめん、ごめん。今日はみんな休みだから、たとえ書類を作ってもサインをしてくれる人がいないんだよねえ。忘れてたよー!悪いけど、月曜日に来てよ」とのことです。うっわー、、、やっぱり。。。こうなることは半ば覚悟してたけど、やっぱりショック。。。でも、これで土曜と日曜をジョージタウンの観光にあてられるので、よかったといえばよかったかな。

Sくんは、盗難保険に入っているわけでもないしパスポートも盗られていないので、仕事の遅いガイアナ警察を月曜日まで待つ必要はないので日曜日にバスでスリナム(ガイアナの隣の国)に行くことになりました。なのでこの日の夜は二人の最後の晩餐になりました。二人で部屋でインスタントラーメンをすすり、ビールで乾杯しました。

ロライマ山に行く直前にサンタエレナのブラジル領事館で偶然出会い、ここまで密度の濃い2週間を共に過ごしたSくんともついにお別れです。ロライマ登山の後、二人行動になってからはトラブル続きでした。サンタエレナでは僕は靴を盗まれ(Sくんはジャケット)、ベネズエラ出国時はいかにも薬でラリッてそうな警官にバックパック内の荷物を片っ端から調べられ、ブラジルに入国してほっとしていたら、バス移動中に何回もさらに厳しい荷物チェックにあい、その上ブラジル行きを同行していた韓国人が警官との間でトラブル(ブラジル国内には持ち込み禁止のでっかいワニの皮を持ち歩いていたため)になり、僕らも巻き込まれて数時間警察署に拘留されたり、、、そして極め付けが今回の泥棒事件。でも、彼の何があっても落ち込まずにその状況を楽しめるキャラクターもあって、その全てが楽しい経験でした。

日曜日に一人でジョージタウンをぷらぷらしていると、何に使うのか分からない木の巨大なハンマーを持ち歩いている柄の悪い若者が何人も徘徊していたり、ゴミ箱からビール瓶を探し出しては延々と壁に投げつけて割っている奴がいたり、ドブ川を漁る浮浪者がいたり、「おい中国人!おまえどこに住んでんだ!?ファック!!」とどなってくる奴がいたりして、なんとも恐ろしい場所です。そんなエキサイティングなジョージタウンを適当にぷらぷらしているうちに月曜日(8月6日)になりました。約束の9時に行き、いつものように1時間待たされると、担当が元に戻ったのかアロイース似が対応してくれました。しかし、奴は今は忙しいので昼の1時に再度来てくれと言いました。こういう展開にはすっかり慣れたので大人しく1時まで時間をつぶして警察署に行きました。そこでもさらに30分待たされ、アロイースのデスクに行くと、そこで一から何か書類を書いています。書類はできてて、後はサインだけじゃなかったのか・・・とつっこみたかったけど、やめておきました。彼の聞き取りにくい英語と格闘しながら先週話したことを再度一から話してようやく何か手書きの書類ができました。それを持って別の部署に行き、今度は女性の係官に担当が替わり、その人に書類作成料の200円を払い、そこでもさらに1時間待ったのですが、結局翌日の1時に来てくれと言われてしまいました。

to be continued...
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世界放浪1周年記念

2007年08月08日 05時13分35秒 | 南北アメリカ
2006年8月6日に関西空港を出発してから1年が経ちました。

出発前の(密かな)旅の目標の一つが、「1年間は日本に帰国することなく、放浪を続ける」だったので、無事達成できてよかったです。ぱちぱちぱち。

しかし、その記念すべき一周年の日を、ここガイアナの首都ジョージタウンで盗難の後処理を延々としていることになるとは、夢にも思いませんでした。1ヶ月くらい前の予想では、ブラジルのサンパウロの日本人地区でまったりと過ごしているんじゃないの?思っていたのに・・・。

とか言いつつも、全然悪い気分ではありません。むしろ、この一寸先がまるで見えない毎日が刺激的過ぎて、思わず笑っちゃうくらいです。泣きたい位に辛い状況なのですが、次から次へと訳の分からない事が起こる毎日は楽しくて仕方なくもあるのです。

しかし、我ながらMな旅人だなあ、とは思いますね。

最近、旅友達から「旅とは何か」をアドレス帳に書いてくれと頼まれました。最初は「娯楽」という言葉が思い浮かんだのですが、漢字が分からなかったので(泣)、別の言葉を考えました。そういえば、アフリカが楽しかったのはなぜなのだろう。あんなに辛いことがいっぱいあったのに。そういえば、毎日が新鮮な驚きの連続だったなあ。想像を上回る事ばかり起こっていたなあ。南米が、それほど楽しくないのはなぜなんだろう。それは、色んな所がヨーロッパに似ているからではないだろうか。そのため、想像の範囲内で収まることが多いからではないだろうか。

自分が旅に求めているものを一言で表すと何だろうか。

・・・「刺激」

この言葉が一番適しているような気がして、その二文字を彼のノートに書きました。

ガイアナ。これほど刺激的な場所は世界にもそんなには無いのではないかと思います。南米大陸だけどアフリカ。そしてカリブ。(カリブは行ったことはないけど、ガイドブックにそう書いてあったので)首都ジョージタウンは首都のくせに、高層ビルが無く、ほとんどの建物が木造で、町は小さく、見るからにみんな貧乏で、浮浪者が昼夜を問わず徘徊し、現地人はみなヒトクセあってジョーク好きで、警察は機能してなく、町は腐臭が漂い、とにかく異様な雰囲気です。中心地にあるホテルに泊まっているのですが、目の前の大きな公園は夜になると数百匹の蛍が現れて光を放ちます。そんな首都はもちろん初めてです。

こんな場所で一周年を迎えることができて、良かったです。多分。

この旅も残り1年。このような刺激的な場所を求めて(もちろんたまには快適な場所も求めて)、これからも旅は続いていきます。


追伸1:泥棒後の後処理は、ガイアナ警察が超スローな仕事っぷりなので全然進みません。ガイアナには日本大使館がないので、トリニダード・トバゴ大使館と連絡をとりつつ後処理をしています。担当の方がとても親切で助かっています。トリニダード・トバゴでしかパスポートの再発行ができないので、次の目的地は強制的にトリニダード・トバゴになりました。初のパスポート無し、ビザ無しの出入国です。ドキドキ。

追伸2:ロライマから一緒だった旅友達Sくんは、ガイアナのビザ期限がたった一週間で切れるためにスリナムへ向けて旅立ちました。なので、久しぶりの一人旅です。

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泥棒に入られる(ガイアナの首都ジョージタウンのホテルにて)

2007年08月04日 19時16分30秒 | 南北アメリカ

ホテルで寝ていたら泥棒に入られました。パスポート、クレジットカード、キャッシュカード、デジタルカメラ、現金約4万円、腕時計、ラジオ、電熱コイル、などを盗られました。


ガイアナ入国~盗難までの流れは、以下のような感じです。
(カメラをデータごと盗られたので、今回は写真なしです。)

ブラジルを周る予定だったのを、ロライマ友達Sくんの誘いもあってギアナ3国を一緒に旅することに急遽変更しました。仏領ギアナからブラジルに入るルートです。

ガイアナは南米の中のアフリカと言ってもいいくらいのアフリカテイスト溢れる国でした。8割くらいの人が黒人または黒人の混血、道は未舗装、建物は古くて汚い、人は気さくで適当、治安は最悪、蚊が多くてマラリアの危険大(デング熱も)、赤道直下できつい日差し、、、あの辛くも楽しかったアフリカを思い出させてくれます。一緒にいるSくんもアフリカ大好きっ子のドM旅行者なので、二人で大興奮でした。

国境の町レセムから首都ジョージタウンまでは夜行バスで17時間でした。しかし、この夜行バスがなんとミニバス。大型バスではなくトヨタのタウンエース。これはこの旅初体験です。リクライニングはもちろんなし、常に直角座り。そして道路は延々と未舗装。しかも雨季で道はでこぼこ+水たまりだらけ。ドライバーの運転はブレーキの存在をしらないんじゃないの?というくらいの激しさ。なので、車内では常に頭や身体をぶつけないように力を入れ続けなければいけません。気を抜くと、ゴツンとやられます。初めのうちは、綺麗な星空、月明かりに照らされる未開発の自然、道中に続々と現れては車に驚いて逃げ惑う野生動物たち、それらのものに大興奮して疲れも感じることなく楽しかったのですが、いつかそれにも飽きてきて睡魔が襲ってきます。

ウトウト・・・ゴツン!いてっ。おっと、頭を打たないように気をつけないと・・・。

ウトウト・・・・・・・・ゴツン!いってー・・・。ああ、しかし眠たいな・・・ウトウト・・・。

・・・。

ゴッツン!!うぐぅ!頭がいてーー!!!

ということを10回以上繰り返した後、森の中にぽつんとあるレストランとゲストハウスを兼ねたような休憩所に到着。23時でした。バスの乗客達は車内で寝るか、オープンテラスの椅子で寝るか、の二者択一を迫られます。ドライバー達はハンモック持参なので気持ちよさそうに寝てやがります。車内は暑くて窮屈、屋外は身体は伸ばせるけど大量の蚊、という地獄の選択肢です。最初は屋外を選んで寝たのですが、どんなに虫除けクリームを厚く塗っても蚊が離れていってくれず、10箇所くらい刺されたので、車内に逃げこみました。車内では寝転べるようなスペースがないので体が痛くて20分ごとに体勢を変えるために起きなければいけません。そんなこんなで、合計1時間くらいしか寝れないまま朝5時くらいに車は出発しました。その頃には疲れすぎて僕もSくんもすっかり無口になっています。

昼の11時頃に最初の町に着き、そこからは舗装道路になって楽でした。それにしても、15時間も一切町がなく舗装道路もないというのは、アフリカですら経験できなかったすさまじい移動でした。ジョージタウンには昼過ぎに到着。危険な町ジョージタウン。ガイドブック・ロンリープラネットには「ジョージタウン・イズ・デンジャラス」というシンプルな表現で危なさを表しています。「昼も一人では出歩けず、夜になると地元民ですら2ブロック先のレストランに行くのにタクシーを使う」とか・・・。びびりまくっている僕らはタクシーで安宿へ行きました。二人でツインをシェアしました。部屋は2階で道路に面していて、そこからジョージタウンののどかな風景が見渡せます。

その後町をぷらぷら散歩したのですが、ガイドブックが言うほどは危険な感じはしませんでした。二人ともアフリカ縦断経験者なので、危険な町というものに、ある程度免疫があるのです。調子に乗って「5年前の本だし、最近は改善してきたのかもしれないね。」とか「良い人が多いね。」とか「明日は夜も歩いてレストランに行ってみようかな」なんていうジョージタウンをなめた発言をして、その日は眠りにつきました。前日、ほとんど寝てなくて疲れていたので、10時半に消灯してすぐに眠りに落ちました。やっぱりベッドで寝れるのはうれしいなあ。



犬の吠える声が激しいのと、部屋が明るいのとで、夜中に目が覚めました。部屋が明るいには、僕のすぐ側のドアが開いていたからです。Sくんが、ちょっと部屋の外に出てるのかなあと思って彼のベッドを見てみると、彼はベッドでぐっすりと眠っています。昨夜、ドアは寝る前に確かに僕が閉めて鍵をかけたので、おかしいなと思って辺りを見回すと、荷物がやけに散らかっているのです。まさかと思って僕が貴重品を入れていたカバンをチェックすると、パスポートやクレジットカードが消えていました。

あっちゃー。。。また、やられちゃったよ。(タンザニアに続き)

窓を見ると、干していた洗濯物がぐちゃぐちゃに乱れていました。きっと泥棒は窓から入って来て、荷物を探って貴重品を盗んでドアから出て行ったのでしょう。Sくんを起こして、宿の人に警察を呼んでもらおうとしたら、宿番をしている3人が全員英語がしゃべれません。ちなみにガイアナの公用語は英語です。絶望感倍増です。仕方なくその人達と一緒にとなりの宿まで行って、英語をしゃべれる人を探し、その人が電話で警察を呼んでくれました。警察が来るまでの間、何が無くなったのかをチェックしてみると、僕は冒頭に書いたものが盗られており、Sくんは、パスポートやお金関係は無事だったけどデジカメやアドレス帳などが盗られていました。僕のノートパソコンや彼の一眼レフカメラなど大物が残っていたのは、不幸中の幸いでした。しかし、パスポートが無くなったのは痛いです。こんなガイアナなんていう訳の分からない国でパスポートが無くなる不安感は、並ではありません。(その分、再発行はいったいどうやってやるんだろう、というワクワク感もありますが)

ガイアナ訛りが酷くて何を言っているか全然分からない警察官の取調べが終わったのは深夜4時でした。翌朝8時に警察署に来いとのことです。まだまだ寝れない日は続くようです。。。

<後処理編に続く>

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ロスト・ワールド・イン・ベネズエラ 盛り上がってきました!

2007年07月29日 00時02分59秒 | 南北アメリカ

また、ブログ更新の間隔が空いてしまいました。その間、充実した旅行ができていたので今回のブログは長くなりそうです。すいません。辛抱強く最後まで読んでいただけると幸いです。

<南米旅行雑感>
アフリカを旅行している時何度か「南米は物凄く楽しい。それに対してアフリカはつらい事が多くてあまり楽しくない。物価も南米の方が安いし。」という話を何人かの旅人から聞きました。なので、南米に来る前はめちゃくちゃ期待度は高まっていました。しかし、いざ来てみるとそうでもなかったです。物価はアフリカとそれほど変わらないし、移動、観光、食事、宿泊、全てが快適で簡単で楽チンなのです。治安は悪いらしいですが、町を歩いていて感じる恐怖感、危険な空気、みたいなものはアフリカに比べると全然少ないです。夜も平気で出歩けるし、なんなら平和な感じすらします。これは、僕が危ない目に遭ってないからだけなのかもしれません。実際、知り合いの旅人に南米で凶悪な犯罪に遭った人が何人もいますし。僕が運が良かっただけなのかもしれません。観光に関しては、アフリカよりも見所は多いし、観光にかかるお金も安いです。パタゴニアのペリト・モレノなんかはかなり凄かったですし、大好きな町クスコやラパスでは、とても楽しい日々が過ごせました。しかし、アフリカを旅していたときほどの刺激や興奮や緊張感が無いのは事実です。キワキワ感が無いのです。スペイン語が旅行必須用語以外はほとんど話せないので、現地人とほとんど交流がないのも刺激が無い大きな原因の一つでしょう。アフリカでは英語を話す現地人が多数いたので、色々と刺激的な会話ができていました。こういった事情のため、南米は「ラクで楽しいけど全体としては印象が薄い」という感じになっていたのです。

しかし、ベネズエラに入国してから、一気に楽しくなってきました。アフリカ並みの治安の悪さ、宿が全然見つからずに泣きそうになるという観光向け施設の少なさ、闇両替の緊張感、色々なことが思い通りにならないイライラ感、それがとても刺激的なのです。アフリカを彷彿とさせるのです。あの頃の充実感が戻ってきました。

そんなベネズエラは、「旅行がし辛い」というだけではなく、ギアナ高地という素晴らしい自然がある地域があり、そこにはエンジェル・フォールとロライマ山という南米屈指の観光ポイントがあるのです。エンジェル・フォールは世界一落差がある滝、ロライマ山はベネズエラに多数あるテーブルマウンテンの一つで、その頂上の世界はかの作家コナン・ドイルが「ロスト・ワールド」を書くきっかけになったとか。それに映画ロスト・ワールドの撮影もこのギアナ高地で行われたそうです。

まずは、エンジェルフォール2泊3日ツアーについて。

<ATM事件>
ツアーに行く前にちょっとした事件があったので、それについて少し書きたいと思います。

ベネズエラでのコパ・アメリカ観戦に予想以上にお金がかかりドル現金が底をついたので、仕方なくエンジェルフォール・ツアーはATMでお金を降ろすことになりました。(余談ですが、そうなると公定レートでの引き落としになるので、闇両替よりも1.5倍も費用がかかってしまうので、かなり痛い。)旅行会社に安全だと聞いていたATMが残念ながらお金が切れてしまっていて使えなかったので(こういうところがアフリカっぽい)、そこにいたベネズエラ人に別の銀行の場所を聞いて行くことに。灼熱の町をふぅふぅ言いながら歩きたどり着いた別の銀行では、先客のベネズエラ人がいました。そいつが「先に使っていいよ」という仕草をするので、入ってカードを入れようとすると、そいつが僕のカードをパッと取り上げて「こっちに入れるんだよ」とか言いながら、もう一つあるカードの差し入れ口に通したのです。それは見るからに正規のカード入れ口とは違っていて、黒いプラスチックの小さな機械を、後からATMのそれっぽい所にくっつけたという感じでした。ベネズエラのATMでキャッシュカードの磁気データをスキャンするという話は以前からよく聞いていたので、「うわ~、俺今それをやられてるよ~」と一瞬で気づきました。そいつは、その後「こっちにも入れるんだよ。」とかいいながら正規の差し入れ口にも入れようとしてましたが、「そんなアホなことあるかいな」と思って、そいつからカードを取り返してそのATMから出ました。暗証番号を入れるところを見られない限り、磁気データをスキャンされてもお金を降ろされるということは、多分無いのです。うーん、さすがベネズエラ、危ない所だなあ、と思いましたが、この後さらにひどい事が起こるのです・・・

ここのATMをあきらめるとお金を降ろせないということになってしまうので、そのベネズエラ人がATMから出てくるのを待ってから、再度チャレンジしようと思って、ATMの外で待ちました。そいつはカモフラージュのためかお金をいくらか降ろして出てきました。携帯電話で何か話しながら、こちらを見ずにそそくさと立ち去っていきました。これで安全になったと思い、ATMの建物に入りました。好奇心でスキャン用の機械を触ってみると、簡単にポロッと取れました。両面テープでATMのそれらしい所に貼ってあるだけだったのですね。「うわ、取れちゃった」と思って焦ったのですが、その機械を後ろの棚に置いてATMの操作を続けることにしました。ゴミ箱に捨てようか迷ったけど、後で持って帰るのも面白いかなという好奇心が、その時は勝りました。

ATMを使おうとすると、ここのATMは表示がスペイン語のみなので、何がなんだかよくわからなかったです。それでどのボタンを押したらいいのか、いろいろと試したりしていると、最初の銀行で会ってここの銀行の場所を教えてくれたベネズエラ人がやってきました。「スペイン語なのでわからないんだよ」と言うと、彼は操作を教えてくれました。その代わりずっと画面を覗いてくるので暗証番号を見られるかと心配になってきました。入力ミスをして、操作を初めからやり直さなくなったのを機に、彼に順番をゆずりました。しかし、彼は特にATMを使うそぶりが無く、そうこうしているうちに別の人が来てATMを使って出て行きました。その間、僕と彼と二人で待っていました。この人は何を求めているんだろう?と疑問に思いながら舞っていました。そして警察がATMに入ってきました。

警察は有無を言わさずに、僕と彼を近くの警察署まで連れて行きました。警察署は、その銀行から徒歩3分くらいの所でした。倉庫のような暗くて狭い部屋に押し込まれた僕と彼は、荷物や服のポケットを徹底的に捜索されました。おそらく僕がATMから外して棚に置いたスキャン用機械を探しているのではないかと思ったのですが、それを口にすると余計に面倒な事になると思い(スペイン語も話せないし)、ただただ「私は何もしていません。ただATMを使おうとしていただけです。この人はスペイン語がわからない僕に機械の操作を教えてくれていただけです。」と必死に片言のスペイン語と身振り手振りで訴えました。しかし、警察は僕の持ち物に対する捜索を止めずに何度も荷物をひっくり返しては何かを探しています。服もパンツ一枚に脱がされました。その上、股間のふくらみさえも疑ったみたいで、激しく掴んで確認されました。それも2回も。もう、半泣きです。もう一人のベネズエラ人にいたっては、壁に両手をつかされた上に全裸にさせられていたので、僕はまだマシだったのかもしれません。そんな感じで散々取り調べると、警察は僕に対する捜査を止めて開放してくれました。元々、悪いことをしようとしたベネズエラ人と被害者の東洋人という認識だったのだとは思います。「君はいっていいよ。あいつはきっと逮捕されるけどね」と最後に言っていました。僕は自分がスキャン用機械を外したことで彼が疑われているのではと罪悪感を感じて「彼は機械の使い方を教えてくれただけで、悪い人ではない」と警察に言いましたが、彼らは「OK、OK」と言っただけでした。まあ、あのベネズエラ人も僕の暗証番号を熱心に見ようとしていて怪しいので、後は警察に任せることにしました。それにしても、あのスキャン用機械をカバンに入れなくてよかったです・・・。

そんなこんなで、危ないベネズエラのATMなので、みなさんもベネズエラに来る際は気をつけてください。

<エンジェル・フォール>
2泊3日のツアーに参加しました。メンバーは総勢15人くらい。ほとんどが欧米人なのですが、同年代の日本人男性Tさんと香港人のおっちゃんYさん(英語ペラペラだが聞き取りやすい。古い日本映画について日本人以上に詳しい)の東洋人二人がいたので今までのツアーのように英会話と孤独との戦いになるということはなかったです。

初日はボリビアでのアマゾンツアー同様小さいボートに乗ってエンジェルフォールの麓のキャンプサイトまで行きます。数時間乗りっぱなしなのでかなりお尻が痛いです。

しかし、周りの景色は想像を超える素晴らしいものでした。鮮やかに赤い水の川、両岸に広がる鬱蒼と茂る森、その奥に聳え立つ幾つものテーブルマウンテン達、その壁を静かに流れ落ちる幾筋もの白い滝。恐竜が飛び回っていてもおかしくない世界です。まさにロストワールド。しかし、動物はほとんどいなく、鳥もあまり飛んでいないので辺りは静かです。それが現実感の無い風景の現実感の無さを強調していました。


途中急流下り風の所があってスリル満点です。岩と岩の狭い間をくぐりぬけたり。みんなライフジャケットを着ているという事は転覆の可能性もあるということか・・・。


川の水は綺麗な赤でした。泳いだときに結構飲んだけど体調は大丈夫でした。


二日目の午前中にエンジェルフォールを間近に見に行きました。1時間ほど森の中を登っていくと、突然視界が開けてエンジェルフォールが現れました。久しぶりに風景を見て鳥肌が立つほどの感動をしました。

テーブルマウンテンの壁がエンジェルフォールを中心にカーブを描いていて、それがまるでオペラハウスのような豪華な印象を与えます。滝はあまりもの落差(800m)のために落下地点は霧のようになっていて、天子の羽がふわりと舞っているかのようです。

このテーブルマウンテンの名前は地元の言葉でAuyan・Tepuiといい、意味は「悪魔の神」だそうです。悪魔の山から落ちる天使の滝。ああ、なんとファンタスティックな場所なんでしょうか!!!(余談ですが、エンジェルフォールのエンジェルという名前は、初めてこの山を発見したアメリカ人の名前らしいです。なーんだ、という感じですよね。でも、彼は金塊を探しにセスナでやってきてこの山の頂上に不時着したらしいです。そこから一緒にいた奥さんを連れて山を自力で降りたとか。その話は相当すごいです。)

エンジェルフォールの滝壷で泳ぎましたが、寒い!


3日目は別の小さな滝の下をくぐるというイベントがありました。

初日には3mくらいの岩の上から川へ飛び降りるというイベントもあったりして、風景を楽しむ以外の楽しさが満載のツアーでした。雨季なのに天候にも恵まれたのも大きかったです。

カナイマの湖のビーチ。南国テイストと滝が同居していて面白かったです。


<ロライマ山トレッキング>
エンジェルフォールツアーから帰ってきてすぐにTさんと夜行バスでブラジルとの国境の町サンタ・エレナに行きました。ロライマトレッキングの拠点となる町です。さっそくツアーを申し込みました。ツアー会社の人(会社名はミスティックツアー。オーナーはミステリーおやじ)が言うにはロライマには不思議なポジティブなパワーが発生しているとか。それに不思議なパワーも発生していて、そのパワーに引き寄せられるのかUFOの目撃例が多いとか。うーん、怪しい。

ここでまた別の日本人長期旅行者Sくんと偶然出会い、ツアーは欧米人5人と日本人3人という組み合わせに。こういうツアーで日本人が3人も揃ったのは初めてだったので、これだけでもとても楽しかったです。欧米人も全員良い人ばかりでした。ツアーは5泊6日です。キリマンジャロの4泊5日を超える長丁場です。その上、設備が整っているキリマンジャロとは違い、ロライマは6日間、電気も水道も全くなく全てテント泊です。しかもポーターがテントと食料しか運ばないので、着替えや寝袋、マットなどは自分で運ばなければいけません。荷物は10kg以上です。麓は暑く、頂上(2泊する予定)は寒いという環境の変化があるので、服も用意しなければいけません。その上、プリプリという名のサンド・フライ(ハエの一種)が大量にいて(なんちゅう変な名前だろう)、そいつに刺されると3週間くらい痒さが続くとか・・・。僕は全部で50箇所くらいやられました。痒いです。しかし、結論としては、奇跡的な楽しさでした。驚くべき風景の数々、平和な雰囲気、全員ナイスガイなツアーメンバー、美味しい食事(こういうツアーにしては珍しい)、雨季なのに晴が続いた天気(エンジェルフォールに続き)、、、一生忘れられない6日間になりました。

◆初日

スタートの村。遥か向こうに見えるロライマ(右奥)に向けて5泊6日のツアーがスタート!


緩やかなアップダウンのある草原の道を延々と6時間11km歩きます。


初日のハイライト。靴下での川渡り。靴下だと滑らないらしいです。その代わり膝から下をプリプリに刺されます。


タンザニアのサファリツアー以来のテント泊。3人用テントに日本人3人で泊まり色々話ができました。真剣にくだらない話から真剣に人生や世界の話まで。しかし時に盛り上がりすぎて欧米人に「静かにして」と怒られたのも、良い思い出です。


ちなみにトイレは草むら。風呂は川です。どちらも肌をさらすのでプリプリの格好の餌食になってしまいます。ちなみに僕は6日間でお尻に合計15箇所も刺されました。

◆2日目
標高1150mから1800mまで上がります。4時間9kmの道のりです。

眺めが良くなってきました。


昼過ぎにベースキャンプに到着。ロライマは目の前です。


◆3日目

2700mの頂上に向けて出発です。さすがにきつい傾斜が続きます。でも、珍しい植物が多いし、滝の下を通ったり、道のりは変化があって面白いです。そして、4時間半のトレッキングの末ついに登頂できました。


登頂したぞ!


ロライマは頂上についてからも面白く、ここで2泊もします。テーブルの上をがんがん歩いて珍しいものを見て回ります。変な形の岩が多いし、変な植物もあるし、端からの眺めは素晴らしいし、霧がしょっちゅうでてきてミステリーな雰囲気を盛り上げるし、2日では足りないくらいです。
ちなみに頂上でのトイレは岩の上にぽつんと置いてあるバケツでした。



「El Hotel」といわれるキャンプサイト。岩の下で風雨を防ぐわけです。


人の顔にも見える変な岩。こんなのがそこらじゅうにありました。


◆4日目
この日は1日テーブルの上を歩き回ります。一日中岩の上を歩いたので、くたくたになりました。洞窟探検などもあり。

クリスタルの川。クリスタルって全部6角形なんですね。一つくらい持って帰りたかったけど、やっぱりそれは禁止されていました。


岩を這うエビの仲間。うそ。エビのような植物。この植物は頂上に物凄い数がいて、一人で「イセエビ星人だ!」と興奮していました。




霧が出るとダークな雰囲気に。


夕方。晴れるとキラキラとします。


◆5日目
朝早起きして初日のキャンプサイトよりもさらに下を目指して下山していきます。きつい傾斜を急いで降りたので、足の筋肉がパンパンになりました。キャンプサイトにつくと頂上にはいなかったプリプリ達と再会です。ぞっとするくらい大量にいました。テント設営時にチャックが開けっ放しだったのでプリプリがテント内にわんさかはいっちゃっていました。それをテントの中に決死の覚悟で入って、一匹ずつたたき殺して全滅させてやりました。この5日間の憎しみもあり、大いに盛り上がりました。ああ、すっきり。

下山時は良い眺めを見下ろしながらなので、楽しかったりもします。


◆6日目
最終日は初日と同じゆるいアップダウンなのですが、前日の疲れが筋肉痛として残っている僕としては、この日が最もしんどかったです。暑かったし。

昨日の朝までいたロライマがあんな遠くに。


そして、サンタ・エレナの町でツアーメンバーみんなでビールで乾杯しました。ファンタスティックな6日間の締めくくりにふさわしい素晴らしい夜になりました。



ということで、ベネズエラ観光は終了です。せっかく国境まで来たのだからこの後はブラジルに行こうかと思います。物価が高くめちゃくちゃ国土の広いブラジル。南米唯一の先進国とも言われる国。この後北上しなければいけないのに南下するというもどかしさもありますが、旅人からの評価が高いブラジルをそこそこに楽しみたいと思います。


<追伸>
このブログを書いている時に洗濯して干しておいた靴を盗まれました。くそっと思いながら食べようとしたカップラーメンの蓋を開けると中から蛾のような虫が飛び出してきました。中で卵から孵化して具を食べながら成長したみたいです。ベネズエラ、最後まで楽しませてくれます・・・。

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ベネズエラ コパ・アメリカ2007観戦

2007年07月09日 06時26分59秒 | 南北アメリカ

南米旅行のルートがめちゃくちゃになるのを承知でペルーからベネズエラに無理して飛んできたのは、全てコパ・アメリカという大きなサッカーの試合がベネズエラで行われるからです。それも6月26日から7月15日までのわずか3週間で終わってしまうので、エクアドルやコロンビアを経由していたら到底間に合わないからです。(このせいでエクアドルのガラパゴス諸島にいつどうやっていくのか、という大きな問題が発生してしました。)といういことで、コパ・アメリカを現地で観戦しました。今回は、そのコパ・アメリカ観戦記をお送りします。

※今回の記事は、南米サッカーに興味が無い人にはなんのことやらわからない記事になるでしょう。しかも、長くなりそうな予感。

<まず大会方式>
参加は12チーム。4チームずつの3グループに分かれてリーグ戦を行い、2位までと3位のうち上位2チームがベスト8に残るという甘いルール。この時点で4チームしか敗退しないんですね。その後は一発勝負の普通のトーナメント。

<次に参加国(グループリーグ別)>
・A:ベネズエラ、ウルグアイ、ペルー、ボリビア
開催国ベネズエラが絶対に2位以内に入れるように仕組まれたグループ。
・B:ブラジル、チリ、メキシコ、エクアドル
強豪揃いの激戦グループ。しかし、ブラジルはカカ、ロナウジーニョ、アドリアーノなどの主力は不参加。
・C:アルゼンチン、コロンビア、パラグアイ、アメリカ
ベストメンバーを揃えた大本命アルゼンチン、個人技の高い優勝候補コロンビア、組織のアメリカ、地味に強いパラグアイ、などここも強豪揃い。

<ペルー・クスコでTV観戦>
ペルーでTV観戦している時、緒戦でブラジルがいきなりメキシコに0-2で完敗するという波乱が。ウルグアイがペルーに0-3、コロンビアもパラグアイに0-5で惨敗。波乱です。アルゼンチンはメッシとクレスポの活躍でアメリカに完勝。というところまで見てから、ベネズエラに入りました。ブラジルのロビーニョ、アルゼンチンのメッシ、メキシコのカスティージョ、という各チームの若いFWがイケイケで見ていて楽しいです。

<グループリーグ観戦>
ベネズエラ人はサッカーには特に関心がないみたいです。バリーナスに飛行機で着いた時、空港のTVでブラジル対チリの試合をしていたのですが、TVを見ている人はほとんどいません。みんなTVは無視して雑談などしています。南米の他の国なら考えられない光景です。この町ではパラグアイとアメリカの試合を観戦しました。スタジアムは、国際Aマッチを本当にこんなところで行うの?というような小ささ。観客席も低くてとても見づらいです。


あまりにしょぼいので地元の姫路陸上競技場を思い出しました。
白い照明の棒が目の前に立っていて見にくい。

試合自体は互角の展開でしたが、決定力の差でパラグアイが3-1で快勝。アメリカは守備とパスワークはいいけどゴール前が迫力不足という日本代表と同じような弱点を持っているような気がしました。パラグアイは全体的に地味。試合中に何度も観客がウエーブを起こしていました。試合中はやめろよ・・・。

その夜のアルゼンチン、コロンビア戦(非常に残念ですがTV観戦)は、コロンビアの仕掛けた肉弾戦にアルゼンチンが非常に苦戦する内容だったけど、終わってみると4-2でアルゼンチン快勝でした。アルゼンチンの決定力の高さは異常です。

今度こそアルゼンチンの試合を見るためにCグループのグループリーグ最終戦が行われるバルキシメトという町へ。チケットはスタジアムの周りにたむろするダフ屋から購入。しかし、この国はダフ屋公認なのでしょうか。警官や軍隊の目の前で公然と売っているし、中にはチケットを売ろうとしている軍人さえもいました。このチケットは、同会場で2試合行われるために、1枚で2試合見れるお得なチケットです。

バルキシメトは観光とは縁の無い町なので安宿というものがなく、一泊35$もする宿に泊まる羽目になりました。

バルキシメトのスタジアムは、バリーナスのそれと比べると天と地ほどの差がある近代的巨大サッカー専用スタジアム。席はどこになろうとも、かなりの見易さが確保できます。しかし、売店の混乱振りはまさに地獄絵図で、サンドイッチを買うために並んでいたら1試合目のコロンビア、アメリカの試合のほとんどを見逃してしまいました。まあ、あまり興味なかったからいいけど。

2試合目、いよいよお目当てのアルゼンチン登場!と思ったらアルゼンチン、パラグアイとも2連勝で2位以上を確保しており、両チームともメンバーを落としてきていました。パラグアイはエースFWのサンタクルスを控えにしているくらいですが、アルゼンチンの落とし方はすごい。ひどすぎる。怪我のクレスポは仕方ないにしても、お目当てのメッシ、リケルメ、ベロン、という攻撃の中心選手だけでなく、マスチェラーノ、アジャラといったボランチとセンターバックの中心選手まで控えにするとは。どれほど自信があるんだ、あんたら?怪我のクレスポの代わりのD・ミリートまでも控え。でも、その代わりにテベス、アイマール、ガゴ、という他のチームなら主力級の選手達がスタメンで登場。層が厚いですねえ。
試合は、メンバーを落としたアルゼンチンがパスワーク主体で攻め込んでいくが点が入らない。スタジアムからは何度も”メッシ”コールが起こりました。後半途中、ついにメッシ登場。スタジアムの興奮は最高潮です。すごい数のフラッシュです。メッシがドリブルで何度もしかけてアルゼンチンの攻撃に勢いがつき、その甲斐あって、ついにアルゼンチンに先制点が入りました。途中交代のマスチェラーノのミドルシュート。そのまま逃げ切り。この日の収穫はメッシを見れたこと。素晴らしい。サッカーがそんなに詳しくなさそうなベネズエラ人の観客ですらメッシがボールを持つと「メッシ、メッシやで!」と大はしゃぎです。それくらい、何かをやらかしそうな雰囲気があるんでしょうね。動きがとにかく速くて滑らかなのです。2トップを組むテベスと背格好と髪型が同じなのでボールを持ってなければ見分がつかないところが、難点。

<ベスト8>
準々決勝はルート的に行ける会場が無いので、首都カラカスに戻ってTV観戦することにしました。
4試合全てが大差になりました。ウルグアイ4-1ベネズエラ、ブラジル6-1チリ、メキシコ6-0パラグアイ、アルゼンチン4-0ペルー。特にチリを6-1で粉砕したブラジルの強さが目を引きました。グループリーグでは低調だったブラジルですが、ここに来て一気にギアを上げてきた感じです。ロビーニョとジウベウト・シウバくらいしか有名選手はいないですが、このまま一気に優勝するくらいの勢いがありそうです。ドゥンガ監督の手綱捌きが良いのかもしれません。
アルゼンチン、ウルグアイ、メキシコも順当勝ち。強いチームが残ったということで良い感じです。ウルグアイのレコバが久しぶりに見るとスキンヘッドだったのにびっくりしました。

高層ビルの林立する大都会カラカス。

南米で最も危険な町の一つらしいです。何も起きなくてよかった。。。

<ベスト4>
カラカスで行われる予定のブラジル対ウルグアイがいつのまにか会場変更になっていたので、見れず。前日に宿のおっちゃんに確認しておいて良かった。。。もし確認が遅れていたら、準決勝もう1試合のアルゼンチン対メキシコの試合(会場はプエルト・オルダスという遠い場所)への移動が間に合わなかったかも。ブラジル対ウルグアイは夜行バスに乗っていたので、見れず。次の日TVでハイライトを見ると2-2からPK戦にもつれ込んで、5-4でブラジルの勝ち。PKも逆転、再逆転、サドンデス、という熱い戦いでした。

ところで、プエルト・オルダスは結構田舎です。宿探しがかなり難航しました。どこもフルで、たまたま空いていても一泊70ドルとかします。気温も湿度も高く、バックパックを背負って歩くのが、とにかく苦痛です。しかも、試合当日の到着なので早くチケットも買わないといけないし、ほとほと困り果てていると、何件めかの宿の人が、宿はフルだけど自分の家に一泊25ドルで泊めてくれました。なんと、ありがたい!その後も車でショッピングモールまで送ってくれたり、宿のインターネットを無料で使わせてくれたり、コーヒーや朝食をご馳走してくれたり、とても親切にしてくれました。今まで泊まった中で最も親切な宿の人だったと思います。ベネズエラは、色々腹立つことが多いし、気候も蒸し暑いし、治安も悪いし、警察が腐っているし、あまり旅行者にとっては良い国ではないけど、人は親切な人が多い気がします。
チケットはなぜかショッピングモール内にうろついているダフ屋から無事購入できました。試合会場はサッカー専用ではないけど、できたばかりの新しいスタジアムでゴール裏の一番上の席だったけどかなり見やすかったです。

メキシコからメキシコ人がこの準決勝のために大挙やって来てました。みんな試合前はテンション高かったです。


試合は前半拮抗した展開ながらも終了間際にアルゼンチンが先制。後半も1-0の間は互角だったけど、メッシのファインゴール(ループシュート)が決まり2-0になってからは、アルゼンチンの一方的な展開。結局3-0で終了。この試合も、メッシの強引なドリブル突破が何度もチャンスを作っていました。会場のベネズエラ人はほとんどがアルゼンチンの応援なのですが、メッシのユニフォームが一番多いです。大会最大のスターなんですね。ちなみに、さすがにアルゼンチンから来ている人は少なかったです。メキシコ人たちは試合が進むにつれて、みんなすっかりおとなしくなってしまっていました。

リケルメのPK。ど真ん中にふわっと決めました。渋い。


恒例の試合終了後の花火。数百発以上上がります。

しかし、そんなことに金を使うくらいなら、終了後の観客の混雑と交通をなんとかしろよ、という感じです。交通整理が全然されてないし、バス停がどこにあるのかもわからないし、バスの数は少なすぎるし、バスに乗るまでに2時間以上かかりました。試合が夜の11時終了なのでバスに乗ったのは深夜1時。危ないやろが!まったく。

<決勝>
会場はあまりにも遠いので残念ながらTV観戦でした。シウダー・ボリバールの安宿の側のレストランで宿の宿泊者達とビールを飲みながらの観戦です。みんなアルゼンチンの応援です。
しかし、試合は残念ながらブラジルが3-0で完勝。前半4分にジュリオ・バチスタが決めて、さらに続けてアジャラがオウン・ゴール・・・。その後はアルゼンチンの反撃を引いて守ってカウンターで追加点・・・。試合内容はブラジルっぽくないけど、強かった。本当に強かった。ドゥンガ監督の統率力がスターの少ないチームを上手くまとめたのでしょうか。僕の中で大会MVPはジュリオ・バチスタ。決勝トーナメントで毎試合、重要な得点をいくつも重ねただけでなく、でかくて強靭な身体を活かして攻守にわたって効いていたので。ロビーニョは弱いチーム相手に点をとりまくったけど、準決勝と決勝で沈黙して尻すぼみな印象です。
アルゼンチンは、決勝までのほとんどの試合を圧勝してきたのに、最後に無得点負けとは、サッカーの勝敗はわからないものですね。8割以上の人が試合前はアルゼンチンが勝つと思っていたことでしょう。TV観戦していたレストランでも、後半の最後の方はみんな無口になりました。応援してたアルゼンチンが負けたのは残念だけど、メッシという傑出した選手を目にできたので、僕自身はこの大会に関して満足感は大きいです。


ここシウダー・ボリバールの安宿。テラスにハンモックを吊ったりマットレスだけを引いたりして寝ます。開放的で雰囲気はいいのですが、蚊が多くて熟睡できません。

<その他所感>
決勝をはじめ、実力差がないのに大差がつくゲームが多かったです。これは、先制されたチームが追いつこうと攻撃的になった裏を、いかにリードしたチームが効果的について点に結びつけたか、という結果だと思います。また、優位にあるチームが、さらに勢いに乗ってイケイケになり、容赦なく相手チームを叩きのめすのになんのためらいもない、というメンタリティも言えると思います。各チームの決定力の高さも言うまでもありません。本音を言うと、もっと拮抗した試合が見たかったのですが、美しい得点シーンの数々を見るのは、確かに楽しかったです。
プレイヤー個人としては、上にも書いたメッシ、ロビーニョ、カスティージョの3人はイケイケで見ていて楽しかったです。早々と負けましたが、意外とエクアドルやペルーの2トップも個人技が高くて、ドリブルでガンガンしかけていて、さすが個人技の南米という印象です。日本代表も、田中達や大久保が大成して、そういう存在になっていてほしかったなぁ・・・。


シウダー・ボリバールのカラフルな街並。しかし、あまりの酷暑で風景を楽しむ余裕はありません。

明日から2泊3日でエンジェルフォールツアーに行って来ます。その後は、ロライマ山の5泊6日トレッキングを検討中です。早くこの危険な国を抜けたいのですが、せっかくなので観光もしたいと思っています。

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下痢地獄 ~ペルーからベネズエラへの移動~

2007年07月05日 06時38分05秒 | 南北アメリカ
いきなりこんなタイトルで、お食事中の方すいません。

クスコ最終日にお腹を壊し、その後のクスコ、リマ、カラカス、バリーナスという長い移動中ずっと腹痛と下痢に苦しむというかなりきつい事態に陥ってしまいましたので、せっかくなのでその下痢地獄について今回は書きたいと思います。なにせ、本当に辛かったので。

クスコを出発する日、朝起きたときはもう完全にお腹が壊れていました。しかし、この時はいつも通りの腹痛だと思い、腹の中の物が全部出切ってしまうかお腹を暖かくしておけばすぐに治ると油断していました。しかし、クスコの空港に着いて飛行機待ちをしているうちにだんだんとお腹が重たく気持ち悪くなってきました。(しかも飛行機は2時間半遅れ)この日は、この時点でトイレには既に5回くらい行っています。数日前に買ったヨーグルトの残りをもったないからと飲んだからでしょうか?

リマ行き飛行機の車窓から

アンデスの山々がとても美しかったです。

リマに着いてから、体調はさらに悪化しました。ついに熱が出たっぽいです。ベネズエラのカラカス行きの飛行機まで待ち時間が10時間以上あるので、元気ならリマ市内に出るところなのですが、この体調ではそんなことは不可能です。トイレが視界に無いと不安で仕方がないのです。なので、空港からは一歩も出ずにトイレに近いベンチに座って本を読みながらひたすら腹痛に耐えるのみです。平均すると約1時間に1回はトイレに行ったと思いますが(合計10回以上)、毎回トイレを終わるたびにすぐにまた便意がやってくるのです。便座から立ってズボンをはいた直後に。急激に。猛烈に。しかし、トイレに行く度に尻に大きなダメージが蓄積されていっているために、そんなに短い間隔では再度用を足すわけには行きません。なので、1時間くらい本を読みながら必死に意識を便意からそらしつつ次の臨界点までひたすら耐え続けるのです。腹も痛いし、尻も痛いし、発熱でふらふらするし、空港内なのでリラックスして休憩できる場所もないし、とてもつらい。空港の薬局で買った下痢止めも全く効き目なし。しかし、この時も、お腹の中のものが全部出ればきっと治ると信じていました。しかし、それは甘かったのです。

深夜3時発の飛行機は、たった4時間のフライトでカラカスに着いてしまいました。もっと休ませてくれよ!と心の中で叫びながらも、入国審査、荷物受取を済ませました。下痢は一向に収まる気配は無いし、発熱のためバックパックを背負って歩くのがつらいです。(しかもカラカス空港のトイレは汚い。)そこへ、タクシーの客引きがやってきたのですが、彼がとても親切で、休憩できるベンチに連れて行ってくれたり、空港の医療関係の人を呼んで薬を処方くれたり、ペットボトルの水を買ってきてくれたり(しかもお金を受け取らない)、いろんな世話を焼いてくれました。しつこく「タクシー乗れ」ということもなく「元気になったら俺のタクシーにのってくれ」とだけ言い残して去っていきました。ベネズエラ人、やるなあ。かっこいい。政府、軍隊、警察が腐っており、首都カラカスは南米最悪の治安を誇るという、旅行者にとっては悪の国ベネズエラですが、第一印象は結構いいかもです。(その後、細かい腹立つことが積み重なり今は印象良くないです)

この日は一日中、空港内ハンバーガー屋のベンチで寝転がって過ごしました。夜8時ごろ、熱が下がってきて動く気力が出てきたので、そろそろホテルへでも移動しようかなと思って外へ出ると、市内へ出るバスがもう終わってるとのこと。まだ8時なのに!しかもタクシーは市内まで5000円なんていう南米ではありえない値段をふっかけてきます。南米では5000円も出せばラパスからリマまで行けるんだよ!この馬鹿!ということで再度ハンバーガー屋のベンチに戻ってふて寝です。深夜12時ごろになり、さすがにしんどいので空港近場のホテルを訪ねてみることに。するとタクシーで2000円の距離にホテルがあるのだそう。背に腹は代えられぬと奮発して2000円払いホテルに行ってみると、なんとフル。他に近場の3件当たってみたけど全てフル。泣く泣く空港に逆戻り。ハンバーガー屋のベンチに逆戻り。タクシー代2000円も払ってこれかよ・・・。体調悪いのに2泊連続で空港泊とは、何の苦行なんですか、これは。一切行苦。

その晩は意外と熟睡でき、翌朝気分が良くなってきたので調子に乗って朝食にサブウェイのサンドイッチを食べました。しかし、これが大失敗。再び下痢地獄の再開です。そうはいっても、いつまでも空港で寝てるわけにもいかず、サッカーの試合を見るために力を振り絞ってバリーナスというロンプラに載っていない町に飛行機で移動しました。航空チケットはなんと100$もしましたが、お目当てのアルゼンチンの試合を見るためなら仕方の無い出費です。空港に着いてすぐにタクシー運転手に翌日のサッカーの観戦チケットを入手してもらったのですが、このチケットを見て腰が抜けそうになりました。「アルゼンチン対コロンビア」を見るはずが「パラグアイ対アメリカ」になっているのです。僕の勘違いで、アルゼンチンの試合はここからバスで6時間の別の町(マラカイボ)で開催されるということなのです。一瞬意識を失いそうになったけど、「たとえアルゼンチンは見れなくても、コパ・アメリカの試合には違いない」と自分を納得させてホテルで休憩することに。しかし、このホテルにはホットシャワーがないのです。体調が万全なら暖かいバリーナスなら水シャワーを我慢して浴びれるのですが、下痢地獄真っ最中ではそれは自殺行為なので、この日もシャワーを浴びずに寝ることに。ああ、早くホットシャーを浴びたい。その上、変な虫に足を刺されたみたいで、赤く腫れ上がり、痒いを通り越して痛いです。辛い。ああ、楽になりたい。。。旅行になど出ずに日本にいたらこんな目に遭わずに済んだのかなあ。。。

田舎町バリーナスの街並。ちょっとお祭りの雰囲気。


翌日直ぐにホットシャワーの出るホテルにチェンジしてさっぱりしました。体調も幾分よくなってきた気がします。この日はサッカーの試合があるにも関わらず店はほとんど閉店です。どうやらお祭りがあるのか祝日っぽいのです。食べ物を売っているのは屋台のアイスクリームかパン屋のみ。あまりの空腹(4日間まともに食べていない)と喉の渇きで思わずアイスクリームを食べてしまいました。正常な判断ができなくなってきているみたいです。腹痛完全復活。腹が痛くて重い。下痢爆弾を抱えながらも無事サッカー観戦を終えたのですが、この夜が酷かった・・・。何度も何度も夜起きてトイレに行くはめに。。。この4日間でいったい何度トイレに行ったのだろうか。この間、頭の中は日本食のことで一杯です。そうめん、そば、うどん、おにぎり、味噌汁・・・。


この日の夜、なんと深夜2時に花火大会が。どれほど夜更かしやねん!

最終的には次の日(下痢5日目)、旅先で入手した非常用の味噌汁とインスタントおにぎり以外、何も食べずにホテルで丸一日休憩したら、ようやく下痢は治りました。こういう時のために非常食を置いておいて良かった。本当に長く辛い戦いでした。

腹痛の原因は未だによくわかりません。ボリビアのコパカバーナで倒れたのが僅か2週間前。ヨーロッパやアフリカではこんなに頻繁に体を壊すことはなかったけど、南米に来てから体が弱くなったかもしれません。直接の原因という訳ではないのでしょうけど、気温と気圧が低いところに長期間いたことで体力が徐々に低下したのかもしれません。

なんにせよ現在は元気に旅しております。コパ・アメリカも何試合か観戦できました。その報告はまた後日にまとめてしたいと思います。

観光資源は何も無いただのごみごみした都会バルキシメトの街並。(ロンプラにも記述なし)

巨大な古いアメ車が多いのがベネズエラの特徴の一つ。

ところで、ベネズエラを旅しているとアフリカを思い出すことがたまにあります。なぜなら、「なんでやねん」とつっこまなければいけないことや、小さい腹立たしいことが多いからでしょうか。これは南米に来てからは初めてのことです。人は親切な人が多いんだけど。。。
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