世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

桃源郷 その2 フンザ

2008年06月14日 11時30分11秒 | アジア


大好きなチトラールを出て、フンザを目指して移動を始めました。フンザというのは、パキスタンで唯一のツーリスティックな場所で、パキスタンに来るほとんどの旅行者が立ち寄るというパキスタン旅行のハイライトとなるような場所なのだそうです。フンザがどのようなところかというと、美しい山々に囲まれた平和な村々がある所で、噂では宮崎駿が昔ここを訪れて何らかの感銘を受けたことから”風の谷のナウシカ”のモデルにしたという伝説(真偽のほどはわからない)があるほどです。

チトラールからは、まずシャンドール峠という標高3500mの峠を通ってギルギットという北部最大の町に一旦行かなくてはならないのです。そして、そのシャンドール峠越えが、久しぶりの地獄の移動になりました。

チトラールからマスツージという村へ移動して、そこで一泊してから、シャンドール峠を越えてギルギット(フンザ近くの北部最大の町)へ行くバスに乗りました。
この日、マスツージで早朝起きたときからどうも頭が痛かったのですが、気にせずにバスに乗りました。バスは、結構大きいデラックスバスで、座席も広く、これなら今までのジープやハイエースでの移動とは違って楽々峠を越えられそうだな、とこの時は思いました。

シャンドール峠


実際、道はそれほど悪くはなく、バスの乗り心地も良かったので、外の美しい景色を楽しみながらの、快適なバス移動でした。シャンドール峠を越えるまでは。
昼前に峠を越えた辺りから急に天気が悪くなり、冷たい風が吹き込み始めました。しかし、このバスは窓の幾つかがそもそも取れていて、窓を閉め切ることができないので、びゅーびゅーと冷気が吹き込んできて僕を襲います。そして、ついに雨が降り始めてしまいました。僕の頭痛は酷くなり始め、バスのちょっとした振動でも頭がガンガン痛むようになり、ついには悪寒も襲ってきました。せっかくの美しい景色も全く楽しむ余裕はなくなり、毛布にくるまり、目をつむり、ただただバスが目的地へ着くのを我慢しながら待つだけとなりました。このバス移動は、12時間かかる予定なのですが、時計を見るとまだたったの5時間しか経っていませんでした。後7時間もこの状態で耐え続けるのか・・・。標高が下がるにつれて、天気が回復し、気温も上がり、そのおかげで悪寒は治まってきたのですが、頭痛は酷くなる一方です。隣の席の能天気なドイツ人が、「おー、ラカポシ(この地域の有名な山)が見えてきたぜ!ほら、見ろよ!わーお!」とか言っている横で、僕はちょっとしたバスの揺れに顔をしかめ続けていました。その様な時間を7時間耐え切り、なんとか僕はギルギットという町に到着することができました。ここの薬局で薬を買い、2日間ゆっくりとしたら体調は治ったのですが、いったい何がこの頭痛の原因だったのかは、今もよくわかりません。多分、疲れが溜まっていたのでしょうかね。

ちなみに、このフンザ周辺の人はミルクティーに砂糖ではなく塩を入れて飲むみたいです。ギルギットの宿の親切な人が、体調の悪そうな僕に「頭痛?そんなの塩のお茶を飲むとすぐに治るぜ」とか言って、塩入のミルクティーを飲ませてくれましたが、やっぱり予想通りの変な味でした。もちろん、体調は特に良くなりませんでした。


ギルギットから5時間ハイエースに詰め込まれて、ついにカリマバードというフンザ観光の中心となる村に着きました。噂どおり、景色の綺麗な場所でした。





ここフンザは長寿の村として知られているみたいで、確かに村の中には物凄いヨボヨボのおじいさんが、しゃんと背筋を伸ばして坂の多い村を歩いていたりします。その長寿の秘密は、噂によればフンザの濁っている水にあるらしいのです。で、実際そのフンザの水を目にして、僕は驚愕しました。濁り方が尋常ではないのです。バケツに水を貯めると5cm下も全く見えないような完全な泥水で、そこに石灰質か何かの白っぽいキラキラした物質が少し混じっているという感じでした。その水を試しに口に含んでみると、見た目どおりの泥の味がしました。この濁り方は完全に僕の予想を上回っていました。しかし、フンザの人はこの水を使って、料理を作り、お茶を沸かし、洗濯をしたり、体を洗ったりしているのです。そして、もちろん旅行者も同じように、この水で作られた料理を食べ(僕の宿はフィルター水を使っていたけど)、お茶を飲み、洗濯をして、体を洗うのです。そして、僕の場合は、2日後には、この泥水で歯を磨くのにも何の抵抗もなくなって来て、心なしか体も健康になったような気がしてきました。

フンザは、トレッキングをする場所としても有名だそうです。僕もウルタル氷河トレッキングに行きました。断崖絶壁の道が印象的でした。


実際は道幅が1mくらいはあるので、そんなには怖くなかったです。風が吹けばきっと怖いと思いますが、無風だったので平気でした。

レディーフィンガーと言われる岩


ウルタル氷河

突然ズゴゴゴーン!という大きな音が氷河の方からしたので、驚いて見上げてみると、ちょうど雪崩というか土砂崩れといか、氷や岩が崩れ落ちているところでした。1m近くある大きな岩も落ちて来ており、凄い迫力でした。それ以外にも、ゴゴーン!という音は単発的に続発していて、普段は風の音しか聞こえない静かな場所に響き渡っていました。そんな時は、周りを見渡して音の発生源を探すのですが、いつも見つかりません。恐らく、僕からは見えないどこかで、何か大きいものが崩れ落ちていたのでしょう。

ウルタル草原。傾斜がきつくて、歩くととても疲れます。


このウルタル氷河トレッキングは、1人でガイドなしで行ったのですが、ネパールでのトレッキングと同様に、散々道に迷ってしまいました。8時間くらいで行って帰ってこれるルートを12時間もかかってしまい、ヘトヘトに疲れました。でも、旅行者には1人しか会わなかったというくらい人が少なくて、誰にも邪魔されずに静かな山の世界を満喫できて良かったといえば良かったです。ここ数日体調を崩してベッドに寝転びっぱなしだったので、案の定、下山後には激しい筋肉痛になってしまいました。

カリマバードの次はパスーという村へ行きました。ここの目玉はなんといっても吊り橋めぐりらしいので、早速吊り橋めぐりへ行きました。

とげとげしい山

鬼か何かの類が住んでいそうですよね。

吊り橋めぐりもまた一人で行きました。今、パキスタンは非常に旅行者が少なくて、一緒に行く人を探すのがたいへん難しくなっているのです。ということで、案の定道に迷い、予定よりも1時間も遅れて最初の吊り橋(二つあるうちの一つ目)に到着しました。

吊り橋が見えてきたところ。予想以上に長いです。


吊り橋近影。噂どおりの危なっかしさです。


セルフタイマーを使って一人遊びしてみました。


途中にはこんなに適当に足場を作ってあるところも。


しかし、この時は無風状態だったので、吊り橋を渡る事自体はそれほど危なくも怖くも無く、ただただ面白かったです。1人でセルフタイマーでいろんな写真を撮って遊んだりとか、橋を渡りながらデジカメの動画で足元を撮ったりとか、この時は全然余裕でした。風が吹いていないこの時は・・・。

一つ目の吊り橋から二つ目までは、また道に散々迷ってしまい2時間半で着くところを4時間半もかかってしまいました。途中の小さな農村で、そんな疲れ果てた外人を見かねた親切な農家の人に昼ごはんをご馳走してもらいました。腹ペコでフラフラだったので、とても助かりました。

親切な農家の人


腹も満たされて、二つ目の吊り橋までの行き方も聞いて、意気揚々と出発したのですが、なんだか天気が崩れ始めました。さっきまで青空が広がっていた空には厚く灰色の雲が立ち込め、だんだんと風が強くなってきました。しばらく歩いていると風はどんどん強くなっていき、僕の帽子を簡単に吹き飛ばすくらいの強さになり、さらに時間の経過と共に暴風とよんでも差し支えないほどの強さの風になってきました。


この崖沿いの道を歩くときはしゃがんで地面を這うように歩かなければならないほどに風は強まっていました。川の対岸を見ると、山の斜面を風に舞い上げられた砂埃が、斜面を上にさかのぼって行くのが見えました。そして、そんな状況で僕が目撃した二つ目の吊り橋が下の写真です。



僕は愕然としました。足の踏み場となる板が飛ばされているじゃないですか。。。僕は一瞬引き返そうかと思いました。しかし、ここまで5時間も歩いてきているし、引き返そうにも歩くしか交通手段はないし、目の前の橋を渡ってしまえばすぐに車が通る道に出れるので宿に楽に帰れるし、とりあえず先に進むことにしました。それに、カリマバードで会った旅人が「板と板の間隔が1m以上あるところもあったからワイヤーの上を歩きましたよ。」と言っていたのを思い出し、これがそのことかと思いました。でも、僕には、この強風の中、あの橋をワイヤー伝いに渡る自信は持てそうにありませんでした。

しかし、橋のすぐ近くに出たとき、実は新しい橋が隣にもう一つあることが判明したのでした。

なんと紛らわしい。新しいのを作ったのなら古い壊れている方を撤去しておいてほしいものです。

とりあえずほっとして、橋を渡ろうとしました。しかし、この二つ目の橋は、一つ目に比べて板と板の間隔が大きく、また板自体の広さも狭く、その上、板が全体的に風下に向かって傾いていて、難易度がアップしているのです。そして折からの強風。その風は、今、川の水から飛沫を巻き上げて、それが水面の数メートル上の僕に降り注ぐほどの強風になっています。さっきまではビョーーーッという音だったのが、今ではゴゴーーーーーッというさらに勇ましい音に変わっています。突風が吹くたびに吊り橋の上の僕の体は10cmほど風下に流されるし、吊り橋は風に揺られているし、足元を流れる川の流れは異常に急流だし、4mほど橋を進んだところで僕の足はすくんでしまい、それ以上進めなくなってしまいました。膝がガタガタ震えて足を動かすことができなくなりました。とりあえず僕は、その場に留まり、足の震えが治まるのを待ち、必死の思いで逆方向を向いて引き返しました。そして岩と岩の間の風が防げる場所を探し、そこに身を隠しました。この旅を思い返して、今までも怖いことは幾つかありました。ヨハネスブルグで警官に拉致された時や、ベネズエラでキャッシュカードのスキミングの疑惑をかけられてパンツ一丁にされた時など。しかし、今回の怖さは、また格別のものがあります。自然の驚異というかなんというか。

間隔がさらに広く


しかも微妙に左へ(風下側に向かって)に傾いている



この突風の中、今来た道を引き返しても、どうせ一つ目の橋をもう一度渡らないといけないので、このままここで、風が弱まるのをしばらく待つことにしました。もし、夜になっても風が弱まらなければ、さっきの親切な農村に頼み込んで泊めてもらうことにでもしましょう。

岩陰でゴゴーーーーッという音を聞きながら、ひたすら待ちました。時折、風の音が弱まることがあります。しかし、岩陰から外に出ると、たしかに風は弱まったけど、まだ吊り橋を渡るには強すぎる風が吹いていました。そして2分も経てば、元の暴力的な強風に戻るのです。橋の長さからすると、渡り終わるのには5分くらいはみておかなければならなさそうです。1分や2分風が弱まったといって、渡り始めて、橋の真ん中で、突風に見舞われると、後にも先にも進めなくなり、それこそ地獄なので、渡り始めるときは、5分程度は風が弱まるだろうという確証がないといけないのです。なので、僕は風が弱まるたびに時間を計っていたのですが、毎回2、3分すると、元の強風に戻ってしまうのでした。対岸には村があり、そこには林があるのですが、その林の木々は、折れそうなくらいにしなっています。対岸も同様の風がきっと吹いているのでしょう。

40分ほど待つと、ようやく雲が消え始め、空が明るくなってきました。それにつれ、突風の最大風速も弱まってきました。そして、ついに渡れそうなほどに弱まった風が3分以上続き、さらに風は弱まっていく気配を見せました。僕は、「今しかない!」と思い、ついに吊り橋を渡ることを決心しました。渡り始めると、時折強めの風がしばらく吹くことがありましたが、そんな時は、その場に立ち止まって目をつむり、風に慣れるために全神経を風を感じることに集中しました。そんなことを何回かしているうちに、徐々に風は優しくなっていき、橋の真ん中に来る頃には突風は全く吹かなくなり、なんだか風と友達になれたような気がしました。そうなってからは怖さは無くなって、なんかちょっとウキウキしたような気分で残りの4割ほどの橋を渡り切りました。しかし、渡し切った時には、どっと疲れが押し寄せてきました。そして、心臓の鼓動も胸が痛いほど、強まっていました。

この二つ目の吊り橋を渡ったことで、何か少し自分が成長したような気がしました。

間隔が広すぎるのでワイヤーを踏んで渡る



翌日は、”ユンズバレートレッキング”というのに、これまた1人で向かいました。ガイドブックには「このルートは道が分かりにくく遭難しやすいので、1人ではいかないように。できればガイドを雇った方がよい。」と書かれてあったので、ガイドを探したところ、自分の予算よりも高かったので、ガイドなしで一人で行くことに挑戦してみました。遭難の危険があるといっても、ルートから外れないように気をつけながら歩けば大丈夫だろうし、もしルートを見失ったらおとなしく元来た道を引き返せばいいだけですものね。

途中に登場するパスー氷河


ルートは、割と簡単に見つかりました。1、2日前に何人かがこのルートを歩いたっぽくて、分かりやすいくっきりした人の足跡が見つかりました。それを見失わないように進めば遭難せずにすみそうでした。ということで、必死に人の足跡を追いかけていきました。そうしたら、気がつけば、僕は下の写真のような崖に張り付いて歩いていたのでした。



上の写真で足の置き場となっている石と砂利のスペースは幅が30cmくらいで、その上も下も完全に垂直な崖となっています。一歩一歩、石や砂利が崩れないようにそろりそろりと歩を進めていたのですが、10mくらい進んだ後、ある石を踏んだ時、その石がずるっとすべって崖下に落ちていきました。その石がすごいスピードで転がり落ちていく様子を見ているのは余りにも怖かったので、途中から目を逸らしたのですが、その石が一番下の氷河まで落ち切った音がするまでには随分時間がかかりました。きっと見た目以上に高さがあるのでしょう、この崖は・・・。そして、僕は昨日の吊り橋の時と同様に、完全に足がすくみました。そして、「このルートは絶対に正規のルートではない」と思いました。引き返すことを決心し、元来た道を、さらにそろりそろりと引き返しました。安全なところまで来て、さらにそこから100mくらい引き返したところに、とても分かりにくい形で正規のルートがあるのを発見できました。そのルートはあまりにも急な上り坂だったので、最初見たときは除外していたルートだったのです。それにしても、あの崖沿いにあった人の足跡はいったいなんだったのだろう・・・。バカな旅行者を死にそうな目に遭わせるための引っ掛けか?

その後は、足跡を見失うことも無く、順調に進み、この日も1人の旅行者に会うことも無く、さらには1人の地元パキスタン人にすら会うことも無く、ただただ微かな風の音だけが響く静かで広々とした空間を堪能できました。これだから、1人トレッキングは素晴らしい。違う惑星に1人で迷い込んだような、もしくは異次元空間のような、不思議な感覚に包まれます。

ユンズバレー


バトゥーラ氷河。

全長64kmもあるとガイドブックに書いてあって期待しましたが、このトレッキングルートで見れるのは、端っこのちょっとだけの部分でした。

ユンズバレー丘の上からパスー村を見下ろす



ということで、パキスタン北部の桃源郷の旅は、想像通りの素晴らしい場所だったし、いろんな意味で満喫できたので、大満足でした。もし機会があれば、杏の花が咲き誇ると言う3月~4月に、本物の桃源郷の姿となるその季節に、再度訪れてみたいものです。

現在は、中国の西の最果ての町カシュガルにいます。カシュガルは想像以上に都会で、飯が安くて美味しくて、町は清潔で、モノが豊富で、中国人も親切で、本当に最高です。最高ですか?最高です。

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桃源郷 その1 チトラールとカラーシュバレー

2008年06月06日 16時37分53秒 | アジア

ようやく”桃源郷”と評されるパキスタン北部の山岳地帯にやってきました。暑くて空気が悪くてテロの危険もある平野部パキスタンをようやく脱出できました(刺激的で楽しかったけど)。平野部では暑いし蚊がいるので長い間安眠できていなかったのですが、山岳地帯に来てからは毎日ぐっすりと眠れています。涼しいし蚊がいないからです。油断すると10時間以上寝てたりして、これまでの睡眠借金を返しているかのようによく寝ています。それ以外にもちろん景色も素晴らしいし、空気も綺麗だし、噂どおりの良いところでした。

まずは、ペシャワールからミニバス(ハイエース)で悪路を14時間揺られてチトラールという村に行きました。しんどかったです。桃源郷へは楽をしては行けないみたいです。

道中、車で何度も川を渡りました。

写真の左側は谷になっていて、とても怖かったです。断崖絶壁の細い道を延々と通ったし、これまでの移動で最も恐怖度が高い移動でした(エチオピアやボリビアを越えるかも)。

猛暑のペシャワールから車で数時間山道を登ると、なんと氷河が見えて来ました。車の窓から吹き込む風もとても冷たくなってきました。なんという急激な環境の変化なんでしょう。

そして、チトラールに夜中の10時頃に着きました。

翌朝、チトラールのホテル屋上から見た景色は素晴らしかったです。

小さくてのんびりとした村チトラールで2泊ほどゆっくりとして、カラーシュの谷(カラーシュバレー)へと行きました。そこは、カラーシュ族という少数民族が暮らす谷です。カラーシュ族の特徴は女性の衣装です。赤ん坊からお年寄りまでカラフルなドレスと髪飾りで美しく着飾っています。

カラーシュ族の女性


青い目をしている人が多かったです。何でも、マケドニアのアレクサンダー大王遠征の末裔なのだとか。


宿の女の子

写真を撮られることが好きみたいです。撮られなれていました。

いつも鳥を肩に乗せて歩いている女の子。神秘的でした。


赤ん坊を抱いて、山をバックにかっこつける女の子


赤ん坊もカラフルな衣装を着ています。


でも、カラーシュ族の男性は他のパキスタン人とあまり変わりません。


何かの実をくれる小さな女の子。


実をもらった直後、下の写真の悪ガキ軍団との鬼ごっこが始まりました。ヘトヘトになるまで走らされました。

カラーシュ族は、男の子よりも女の子の方が、遥かに元気があって人懐っこかったです。

平和で美しいカラーシュの谷は何日でもいたくなる雰囲気なんですが、いかんせん食事があまりにも単調なので、2泊だけしてチトラールへ戻ることにしました。毎日毎日3食同じ味のものばかり食べ続けるのはつらいことなのだと再認識しました。


チトラールに戻った後は、すぐにシャンドール峠に向けて出発する予定だったのですが、ちょっとしたきっかけから滞在を伸ばすことになりました。
ポロ(馬に乗ってするホッケーでパキスタン北部の代表的スポーツ)の試合があるかもしれないという情報を得て夕方にポログラウンドに行くと、この日はポロの試合は無くて、子供や大人がサッカーやホッケーやクリケットをして遊んでいるだけでした。それをぼんやり眺めていると、サッカーボールを蹴って遊んでいた数人の大人に誘われ、一緒にサッカーボールを蹴ることになりました。彼らはアフガニスタン人で、ソ連のアフガン侵攻のためパキスタンに非難してきたアフガン移民の2世達でした。ほとんどの人はパキスタン生まれですが、中には赤ん坊の時にパキスタンに来た人もいました。この日は、軽くボールを蹴ったりしたくらいで終わったのですが(それでもヘトヘトに疲れました)、翌朝にアフガニスタン移民の草サッカー大会の試合があるらしく、しかもそれは準決勝で、その試合に是非来て試合に出てくれと言われたのです。翌日は朝のバスで移動する予定でしたが、そんな大事な試合に来てくれと誘われれば、行かないわけにはいきません。チトラール滞在を一日伸ばすことにして、サッカーの試合に行くことにしました。

ホッケーをしている子供。上手に球を打っていました。


1人だけポロの練習をしている人がいました。


翌朝5時30分に起きて、ポログラウンドへ向かいました。試合は早朝6時開始なのです。ねむいです。10分くらい遅れてグラウンドに着くと、試合は始まる寸前でした。試合と言っても、選手達はみんなシャワールカミースというパキスタン男子全員が普段から来ている民族衣装のままで(2、3人サッカーシャツの人もいた)、審判も主審が1人のみで線審はいないし、草サッカーというよりは、中学校の時とかに休み時間に遊びでやっていたサッカーのような感じでした。昨日一緒にボールを蹴ったアフガン人は僕を見つけると、「おーい」と手を振って「さあ、試合に出てくれ!」と言って、アップも何もしていない僕をいきなりスタメン出場させてくれました。相手チームのアフガン人たちも珍しいモノが紛れ込んできたという感じで興味津々で、「よろしく!」とか「日本から来たのか?」とか言いながらどんどん握手を求めてきます。

そんなこんなで試合は始まりました。僕は攻撃的MFで出場しました。プレーのレベルは高くなく、グラウンドもボコボコで、パス回しはほとんどなく、ただボーンボーンとボールを大きく蹴りあうサッカーでした。僕は元サッカー部とはいえ技術的には全然大したことないし、1年半以上もボールを蹴っていなかったけど、この日は相手チームのマークが甘いこともありプレーは絶好調で、アフガン人のチームメイトから徐々に信頼を集め始め、ボールをどんどん触れるようになってきて、とても楽しくプレーできました。昨日の夕方に軽く体を動かしていたこともあり、体は軽く、疲れも感じず、ただボールを追いかけているのが楽しかったです。チームメイトからも相手チームからも「ナイスプレー!」とか「お前はグッドプレイヤーだな!」などとおだてられて、どんどん気分は舞い上がっていきました。

試合は、0-0のまま後半に入りました。試合展開は一進一退という感じで、両チームの実力はほぼ互角でした。何人かの選手が入れ替わりましたが、僕はそのまま交代せずに出場し続けることになりました。そして、後半の20分くらい経った頃、相手陣内のフリーキックのこぼれ球がちょうど僕の前に来ました。苦手な左足でシュートしたボールは、ちょうど相手ディフェンダーやゴールキーパーのいないところに偶然飛んで行きました。そしてネットのないゴールに吸い込まれて行きました。
ゴール!やった!点を取った!
チームメイトからもみくちゃにされて祝福されました。相手チームの選手からも「ナイスゴール」と言われながら握手を求められました。旅をしていて、これほど自分に対して誇らしい気持ちになったことはありません。

試合は、僕のチームが追加点を取り、そのまま2-0で終了しました。来週に行われる決勝戦に進めました。本当に勝ってよかったです。その上、自分が点を取れるなんて・・・。その後、記念撮影大会があり、祝勝のジュースをおごってもらい、みんなと別れました。この試合の後、チトラールを歩いていると何度か「おーい、ジャパニーズ!フットボール!ゴール!」などとアフガン人に声をかけられました。素直にうれしいです。

爽やかな試合後


マンゴジュースで祝杯

この頃はまだ元気だったのですが・・・

でも、この日夕方から発熱し、その後3日間宿のベッドで寝込みました。この旅で1,2を争う高熱が出てしまいました。突然の激しい運動を標高1500mのチトラールでしたので、体がおかしくなったみたいです。なかなか物事はいいことばかり続かないですね。

しかし、チトラールの人は親切でした。ちょっと挨拶をすれば、お茶をおごってくれるし、いろいろモノをくれるし、不思議なほど親切でした。この旅で、最も親切にされた場所でした。

ある服の仕立て屋さん

なぜか挨拶をしただけで、仕立て屋の仕事場に招かれて、お茶をごちそうになり、2時間くらい仕事の見学をさせられました。他にもスパイス屋にはマサラスパイスや干しブドウをタダでもらったり、宿の男の子にもフルーツをもらったり、数え切れないくらい親切にされました。チトラール大好きです。



今はフンザという中国国境から近いところにいます。ここもまた桃源郷です。ということで、次回は”桃源郷 その2 フンザ”をお送りする予定です。


チトラールのポログラウンド兼サッカー場兼クリケット場兼ホッケー場

思い出の場所です。

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