世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

アフリカ最後の日

2007年05月04日 00時10分31秒 | アフリカ

ケープタウンに2週間もいながら、しょしょの事情で延び延びになっていた喜望峰観光に最後の日にようやく行きました。同行者は、ジンバブエ楽器ムビラ奏者のSさん、Aくん+Tちゃん世界一周夫婦の3人です。Aくんが国際免許証(しかし期限切れ)を持っていたので、レンタカーで行くことができました。

喜望峰に立ち、想いに耽るふりをする。(演技指導Sさん)

ケープタウンに着けた事で気分的にはアフリカ縦断は完了していたのですが、こうして喜望峰に立つ事で改めて”アフリカの終わり”と”新しい旅の始まり”を感じることができました。

喜望峰の近くには野生のペンギンを間近に見れるところがあります。


まるで山の生き物のように草むらの巣でくつろぐペンギン。

町の中心のショッピングモールで昼寝するオットセイ達。


この日同行者の3人から聞いた旅の話でとても印象に残るものがありました。


夫婦の二人はペルーでアヤワスカを経験して(シャーマン(祈祷士)の指導の下、不思議な飲み物を飲み、儀式のようなものに参加するという神秘的なイベント)、過去、現在、未来に関わるビジョンを見たそうです。しかも、自分の魂にくっついている悪いものが浄化されて、魂がきれいになり健康状態もよくなったということだそうです。その途中、精霊のようなものが自分に降りてきて、ビジョンを見た後には自分の口から出て行くところが見えたということだそうです。
アヤワスカの話は、南米旅行者からたまに聞くのですが、今回の彼らの話ほど神秘的で魅力的なことは初めてで、そういったものには興味が無かった僕ですが、俄然興味が出てきました。


Sさんには、ネパールで瞑想をした話を聞きました。10日くらいお寺に篭り、その間毎日一日中瞑想の修行を行い、その間は人と口をきくことも目を合わせることもできないという厳しいものらしいです。しかし、精神をコントロールし、肉体をコントロールし、果てには気孔の流れすらコントロールできるようになるとか。この瞑想こそが仏教の原型なのだそうです。これも、かなり神秘的ですよね。


僕が、旅行中にアヤワスカや瞑想をするかどうかは別として、この先の旅路にはそういう神秘的なものが待っているということがわかり、旅心がおおいに刺激されました。アフリカが終わり、精神的な刺激が無くなってきたところだったので、とても良いタイミングでした。


この日は、宿に日本人が多かったので久しぶりに夜中に酒を飲んで話をしました。そこで、作家パウロ・コエーリョの話になりました。彼の書いた”アルケミスト”は、出発前に英語の勉強のために英語版を買って、出発の時からずっと大切に読んで来た小説です。英語のためにすらすらと読み進めることができず、また、内容も1ページごとにとても考えさせられることが続くので、読み終わったのは結局モザンビークのトーフで、読み初めから8ヶ月後でした。おっそいな。。。


この本でよく出てくるのが、Omen(日本語では前兆、予感?)という言葉です。僕なりの解釈は次の通りです。


#万物は一つの手で作られ、起こっている全ての出来事も一つの手によって書かれている。人は、それぞれ”Personal Legend”(生まれてきた意味?)を持っていて、それに向かって進むために、周囲で起きる偶然と思える出来事の、自分に対しての意味を読み取りながら生きなければいけない。なぜなら、全ては一つの手によって書かれたことだから。全ては関わりあっているから。自分に関わる全ての事象は、自分にとってのOmenになりうる。#
(すいません、全然説明できていませんが、アルケミストを読むとよくわかると思います。)


放浪の旅では前兆や予感などに頼る事がたまにあります。アフリカ最後の日に、神秘的な話を聞けて新しい旅への刺激を受けることができたのは、良い前兆ですよね!


追伸:この最後の日の夜、ヒゲを切りました。旅行スタート以来伸ばし続けてきましたが、モザンビーク以来成長が止まったので”どこまで長くなるのか待ってみる”を達成したのと、アフリカ終了で気分的に一区切りついたので。(それに、髭が長いとチャックで挟んで痛かったりするんですよ。。。)

即席の断髭式では、宿の日本人のみんなに一ハサミずついれてもらいました。


<近況>
ブエノスアイレスにいます。近々パタゴニアやウシュアイアに向けて出発する予定です。とても寒いらしいです。寒いの大嫌いだけど、やっぱり行くことにしました。大丈夫かな。。。

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アフリカまとめ

2007年04月27日 09時44分51秒 | アフリカ

まだ喜望峰観光をしていないですが、アフリカ編のまとめをアップします。ぷらぷらウィンドウショッピングをしていた時はずっと快晴だったのに、いざ喜望峰観光に行こうと思ったら、ここ数日は雨が続いています。むぅ。


◆アフリカまとめ◆
・国ごとコメント
・使ったお金
・犯罪
・食事
・行きたかったけど行かなかった所
・まとめ所感


滞在日数:147日(計265日)
訪問国数:13カ国(計40カ国)


<国別コメント>


・モロッコ(2006/12/3~12/14:タンジェ、フェズ、マラケシュ、カサブランカ)
ヨーロッパから来ると、あまりにもの文化の違いに感激した。人は一部のうざい人を除けば、みな親切でフレンドリーでとてもいい感じ。
意外にすごく寒かったのと食べ物があまり美味しくなかったこと意外は、パーフェクトに楽しかった。下痢で3日間寝込んだけど。。。
特にフェズの巨大なメディナ(旧市街)は、アフリカ観光のハイライトの一つだと思います。


・エジプト(2006/12/15~2007/1/15:カイロ、ダハブ、アスワン)
ビザ期限ぎりぎりのちょうど1ヶ月の滞在。サファリホテルの楽しさ、ダハブの楽園ぶり(冬なので寒いが)は、一生の思い出。
大都会の割には物価の安い不思議な国。


・スーダン(2007/1/16~1/23:ワディハルファ、アトバラ、ハルツーム、ゲダレフ)
アスワンからの30時間の船旅の末、砂の町ワディハルファに着いた時の新鮮な興奮。砂、砂、砂。
やさしい人が多かった。同じムスリムだけど、エジプト人とは目つきが違っていました。やさしい眼差し。


・エチオピア(1/23~2/5:シェハディ、ゴンダール、バハルダール、ラリベラ、デシェ、アジスアベバ、アワサ、モヤレ)
良くも悪くも最も印象に残った国。世界最古の人類が発見された国だが、世界で最も発展が遅れている国でもある。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、全てにおいて他の国とは違う印象を与える国。ダイナミックな風景、弥生時代のような暮らしの村、独特の音楽と踊り、変な体臭、主食がインジェラという雑巾のような変わった食べ物、すし詰めバスでの長時間悪路移動。うざい奴も多いが、良い人も多かった。食あたりにもなった。
「また来たいか?」と聞かれると、「うーーーん、、、移動がきついので嫌だ」と答えます。


・ケニヤ(2/6~2/10:イシオロ、ナイロビ)
モヤレ~イシオロ間、ローリーの荷台での移動は、この旅で最も過酷な移動の一つ。
ナイロビは、噂どおりの都会だったが、ネットがすごく遅くてイライラしたことが記憶に残っている。


・ウガンダ(2/11~2/14:ジンジャ、カンパラ)
ケニヤの一地方のような印象。ジンジャでラフティング。溺れるかと思ったが楽しかった。
カンパラは、人がうざく、交通量が多くて運転が荒く、排ガスや埃で空気は汚染され、好きではない町の一つ。


・ルワンダ(2/14~2/18:キガリ)
つい10年位前まで全土にわたり自国民同士で凄惨な殺し合いをしていた国。国民の5人に1人が無残に殺されたそう。そういった暗い影は確かにあるが、そこまで暗くは無く、全体としては平穏な雰囲気だった。
山と谷ばかりの美しい国。
首都キガリは最も首都っぽくない首都。なにせ街灯がつかずに真っ暗。しかし意外と夜でも治安は良い。
虐殺記念館に詰まれたミイラ化した死体の山は、すさまじかった。。。


・タンザニア(2/18~3/23:ベナコ、シニャンガ、アルーシャ、モシ、ダルエスサラーム、ザンジバル(ストーンタウン、パジェ)、トゥンドゥマ)
入国2日目に睡眠薬強盗にあいながらも、結局5週間も滞在することになり、最長記録を更新。強盗、南京虫、キリマンジャロ登頂失敗、風邪、灼熱のダルエス、日焼けしすぎで火傷、などなどつらいことがたくさんあったけど、嬉しいこと楽しいことも同じくらいあった。一生忘れられない国。


・ザンビア(3/24~3/28:ルサカ、リヴィングストン)
世界3大瀑布の一つヴィクトリアフォールを観光。びしょぬれになった。


・ジンバブエ(3/28~4/1:ヴィクトリアフォールズ、ブラワヨ、ムタレ)
ここ数年来経済崩壊の国。その上、最近は政情不安。失業率は脅威の80%。
入国早々両替詐欺にあう。嫌気が差し、まったく観光せずに最速で駆け抜けた。
町並みは意外と近代的できれい。


・モザンビーク(4/1~4/8:シモイオ、トーフ、マプト)
シモイオは記念すべき100都市目。しかし、何の変哲も無い田舎町でした。
トーフでは、マンタやジンベイザメと泳いだ。ファンタスティック。
マプトではモザンビーク在住14年の日本人の方にお世話になった。


・南アフリカ1回目(4/8~4/13:ヨハネスブルグ、ブルームフォンティーン)
世界一凶悪な町ヨハネスにびくびくしながら入国。しかし、郊外はびっくりするくらい安全(警官にカツアゲされた以外は)。
ブルームフォンティーンのおしゃれなバックパッカーズで南ア人にクリケットのルールを教えてもらった。


・レソト(4/13~4/15:マセル、マレアレア)
空中王国といわれる山の国。ひたすら山、山、山。タンザニアの田舎以来の発展途上ぶり。
壮大な風景の中をポニートレッキング。お尻は痛かったけど、すごく楽しかった。


・南アフリカ2回目(4/15~4/29:ケープタウン)
ヨーロッパと変わらない。町並み、便利さ、物の豊富さ、物価の高さ。道行く黒人たちがとてもおしゃれ。
ノートパソコンを購入するなど、観光そっちのけでショッピングを楽しんだ。


<使ったお金>
タンザニアでパソコンがなくなり、それまでつけていた家計簿が消失してしまったので、細かいデータはありません。残念です。


高かったシリーズ
○観光・アクティビティ関連
・エジプトのダハブで、ダイビングライセンス取得(アドバンスまで):たしか、50,000円くらい・・?忘れました。
・ウガンダのジンジャで、ラフティング1日:11,000円
・タンザニアのアルーシャで、サファリツアー1泊2日:30,000円(チップ込み)
・タンザニアのモシで、キリマンジャロ登山4泊5日:90,000円(チップ込み)
・モザンビークのトーフで、ダイビング3本+シュノーケリング:22,500円


○移動関連とその他
・スーダンビザ+パーミッション:17,000円
・モロッコーエジプト飛行機:55,000円
・南アーアルゼンチン飛行機:95,000円
・ロンリープラネットのアフリカ:5,000円×2(一回なくしたので)
・ロンリープラネットの南米:6,500円


安かったシリーズ
・エジプトのフルーツジュース30円。ものすごくうまい。
・スーダン博物館60円。内容はそこそこ。
・エチオピアでビール小ジョッキ20円。そこそこうまい。
シリーズと名乗ったはいいが、あまり思いつかなかった。。。


□物価所感
物価は、国によってまちまちです。エジプトやエチオピアのようにかなり安い国、南アやザンジバルのようにかなり高い国、さまざまです。スペインからモロッコに入って物価が安い!と喜んだのですが、今思えばモロッコは少し高かったです。先にヨーロッパを旅していると、物価に対する感覚がゆるくなるみたいです。なので、僕はそんなには高くは感じなかったのですが、アジア・中東から来た人にとっては、アフリカはかなり高く感じるようです。


<犯罪>
犯罪大陸アフリカということで、旅行者から聞いた実際にあった犯罪体験談を。


韓国人Aさん:ケニヤでケニヤ人の家に泊めてもらったら、現金が無くなっていた。
韓国人Bさん:タンザニア・アルーシャで夜4人連れで歩いていたら、7人連れの強盗に襲われて現金・カメラを盗まれた。
スーダン人Cさん:エチオピア・アジスアベバで暴力バーに入ってしまい現金を強奪される。
イギリス人Dさん:タンザニアでカメラを盗まれる。
日本人Eさん:南アフリカ・ブルームフォンティーンで、3人組に襲われてカメラを奪われる。
日本人Fさん:ジンバブエ・ハラレで夜、雨の中一人で歩いていたら、3人連れの強盗につかみかかられて現金・カメラ・パスポートを盗まれた。
同じくFさん:ヨハネスからケープタウン行きのバスで、途中、強盗団が岩を置いて道を封鎖し、警官隊と衝突して車が数台燃えるという現場に遭遇。
日本人Gさん:タンザニア・ダルエスサラームでタクシーに一人で乗っていたら、乗客が2人追加で乗ってきて後部座席の両側に座り、人通りの無いところに来たかと思うと、両側から拳銃とナイフを突きつけられた。現金・カード類などを盗まれる。
日本人Hさん:南アフリカ・ヨハネスブルグで首絞め強盗にあう。警察に行ったら、「現場にもう一回行って確認して来い」と言われたので、もう一度行ったら、同じ場所でもう一回首絞め強盗にあった。2回目はもう盗られる物がなかったので、許してもらったらしい。
日本人Sさん:タンザニア・シニャンガの宿で仲良くなった黒人に睡眠薬入りビールを飲まされて、貴重品の類を全て盗られる。


アフリカでは6分に1回の頻度で外国人旅行者が犯罪に遭っているらしいです。恐ろしいですね。。。
でも、僕の知り合いの旅行者のうち9割くらいは、無事にアフリカを抜けています。怖がりすぎもよくないですよね。


<食事>
エジプトでは、コシャリ。米、スパゲティ、マカロニ、をトマトソースでからめた食べ物ですが、安かった(100円以下)のでよく食べてました。フルーツジュースが安くて美味い。
スーダンでは、肉を焼いたのとパンの組み合わせ。ここもフルーツジュースうまい。
エチオピアでは、酸っぱい雑巾インジェラ。しかし、フルーツジュースは美味かった。
ケニヤ、ウガンダ、ルワンダ、タンザニアは、食文化はかなり似ていて、主食がウガリか米で、それにチキン、豆、魚、肉、のおかずをあわせるというスタイル。フルーツジュース屋をあまり見かけなくなる。
ザンビア、ジンバブエもウガリが主食。
モザンビークでは、シーフードが美味しかった。
南アでは、久しぶりのマクドナルドにしょっちゅう通っていました。食もヨーロッパです。ローカルの黒人は多分ジンバブエと同じような食事。


<行きたかったが行かなかった場所>
エジプトのアレキサンドリア:行っていれば、ナイル川の最下流と最上流を行ったことになってた。
モロッコのエッサウィーラ:寒さと下痢で断念。
タンザニアのセレンゲティ国立公園(サファリ):強盗直後だったので、金の節約のために断念。今思えば絶対に行くべきだった。ヌウの大移動を見たかった。
ザンジバル島のヌングイ:パジェ以上に綺麗なビーチらしい。
タンザニアのタンザン鉄道:キリンが見れるらしい。
マラウィ:湖が綺麗で、人もいいらしい。
ジンバブエ側のビクトリアフォールズ、バンジージャンプ:両替詐欺にあい、気持ちが萎えた。
ジンバブエのハラレ:先を急いでいたのでパス。治安も悪そうだったし。しかし、行った人に話を聞くと物価が安くて過ごしやすかったらしい。
南アのテーブルマウンテン登山:ウィンドウショッピングばかりしていて、ついに行かず。
ナミビアのナミブ砂漠:アフリカ大陸最大の見所という人もいる、別世界の風景らしい。老後の楽しみにとっておきます。
マダガスカル:アフリカと東南アジアがミックスした独自の文化。南米に早く行きたいので、パスしました。これも老後に。


<所感>
町や宿は汚くて設備が整っていない、ホットシャワーは無いし、水道や電気がそもそも使えない宿もあり、たとえ使えたとしても停電や断水は日常茶飯事、食事のメニューは限られているし、移動のバスは人と荷物ですし詰めで、しかもしょっちゅう故障で止まり、町を歩けば昼間は黒人に東洋人蔑視の言葉を投げかけられ、夜は強盗が怖くて出歩けないし、蚊に刺されるたびにマラリアの心配をし、油断をすると睡眠薬強盗や南京虫の被害にあう。でも、そんな毎日は刺激的で楽しいし(ドM?)、現地人は気さくでやさしくて親切で、風景はダイナミックで、星空は美しい。


会社を辞めてまで長期旅行に出たのは、アフリカ縦断したい、ということが大きな動機の一つでもありました。ですので、縦断を終えた今、ホッとしているし、「旅行に来てよかったあ」という気持ちです。
特に、モロッコ、エジプト、スーダン、エチオピアという前半部分は、新鮮な驚きが次から次へと起こるので、充実感がとてもありました。ザンビア以降は文化的にどこも似てくるので、あまりそういうことがなくなり、お金を使って観光やアクティビティをする以外では充実感を感じられなくなってきました。そういう意味では、ここで南米大陸に飛ぶのは時期的にちょうどいいのだと思います。


さあ、ついに第3フェーズ南北アメリカ編です!

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写真で強盗後を振り返る

2007年04月24日 14時00分27秒 | アフリカ

祝ノートパソコン購入記念ということで、タンザニアでの睡眠薬強盗以降を、写真で振り返ってみたいと思います。

ちなみに、パソコンはGatewayの中古を買いました。7万5千円。先代のLet'sNoteよりもはるかにでかくて重いですが、強盗にあった自分への戒めということで、これからはこの重さとともに旅行しようと思います。


それでは、写真で振り返っていきます。


タンザニア・アルーシャでのサファリにて。マニャラ湖で象とガチャピン。他にも、ライオン、カバ、バッファロー、キリン、シマウマ、イボイノシシ、インパラ、などなど。ンゴロンゴロクレーターの独特で平和な雰囲気は大好きです。


サファリ後、腫れ上がる南京虫の刺し後。あまりにも痒いので病院に行きました。薬を飲んだら、なんと、即効で治りました。


キリマンジャロ中腹に咲く奇妙で巨大な花。花の直径は1mくらいあります。


とりあえず登頂(5681m)。でも、最高地点ウフルピーク(5895m)はまだ先。この時、鼻水がとめどなく流れ出ています。寒さと高山病と疲れで精神力はリミットに近づいています。


ウフルピーク(写真奥の山)目前にて、強風のため引き返す。この時気温-15度。あまりの強風のため、ベテランガイドすら、地を這うように歩いていました。今思うと相当怖い。しかし、悔しい。


楽園パジェのパラダイスビーチバンガローにて。日本人経営のバンガローで、夢のような時間を過ごしました。


ビクトリアフォール。左側は水しぶきです。100mの落差の滝で、300mの高さまで水しぶきが上がります。観光客は全員びしょぬれです。


ビクトリアフォールの落ち際にて。ヒゲのびましたね。


数年前から経済が崩壊し、現在は大統領の圧政のため政情不安に陥っている国ジンバブエ・ブラワヨの町並み。意外と近代的。


モザンビークのトーフビーチ。写真は無いですが、マンタやジンベイザメと泳ぎました。


モザンビークでバス移動中で見た雨上がりの夕焼け。


ヨハネスブルグのタウンシップ(黒人居留地域)の中のインフォーマルエリア。電気も水道もなく、さらに職もない人達が住んでいるそうです。


レソトにてポニートレッキング。乗馬は楽しく、風景は素晴らしい。でも、お尻が痛い。


ついに、ケープタウンに着いたぞー!やったー!

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ケープタウン その2

2007年04月19日 00時50分06秒 | アフリカ
ケープタウン、素晴らしいです。
アフリカでは、カイロやナイロビ、カサブランカなどもかなり大都会だったのですが、ケープタウンは別格です。アフリカにいるとは全く思えません。まんまヨーロッパです。しかし、ヨーロッパのどの町とも似ていないのです。やはり歴史が浅く、全てが新しいからなのでしょうか。でも、その分、全てが綺麗で、まるでディズニーランドのようなテーマパークの中に暮らしているかのような印象です。テーブルマウンテンが町の中心に迫力満点で聳え立ち、ウォーターフロントには綺麗な港の側に凄く大きくてとても綺麗なショッピングモールがあり、1日中ショッピングを楽しめるなど(しかしノートPCの品揃えは悲しいほど少ない)、幅広い魅力を持っています。

汚くて、臭くて、不便で、驚愕することや腹が立つことが多く、しんどくて、つらくて長かったアフリカの旅。しかし、その分、旅としてはもの凄く充実していて楽しかったアフリカの旅。その終着としては、あまりにもアフリカっぽくなくて違和感があるけれど、疲れた旅人を最後に癒すには、これほど最適な終着もないのかなと思います。

キャット・アンド・ムースという宿に泊まっています。なかなか居心地がいいです。ここで、何人かアフリカの旅で知り合った旅人と再会しました。カイロとルワンダで出会ったカポエラバイカーEくん、ザンビアのリビングストンで出会った韓国人キム君と日本人よしさん。
ジンバブエ、モザンビーク、ヨハネスブルグ、レソトと長い間ずっと一人でとても孤独な旅だったので、こういう出会いにも癒されます。いやあ、ケープタウン、素晴らしい。

また、何が素晴らしいかと言って、美味い寿司が食べれるところも素晴らしいです。”港”という宿の近くのすし屋は、ネタが大きいんですよ。もう、たまりません。ほんと、ケープタウン素晴らしい。

バイカーEくんが、「ここに住みたい!」というのも、本当によくわかります。

4月29日のフライトでケープタウンからアルゼンチンのブエノスアイレスに飛ぶ予定です。本当は、もう少し早く出る予定だったのですが、意外と飛行機が混んでいて、この日が直近なのだそうです。後11日もあります。ゆっくりと、この素晴らしいケープタウンで、ショッピング、観光などを楽しみたいと思います。
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ケープタウン

2007年04月17日 00時45分17秒 | アフリカ
ついにケープタウンに到着しました。
この旅最大の目的だった「カイロからケープタウンまで陸路で縦断」をなんとか果たすことができました。やりました。パチパチパチ。ありがとうございます。

レソトを出国し、ケープタウン行きの夜行バスに乗り込んだ瞬間は、胸に込み上げてくるものがありました。しかし、隣の席の白人のおじいちゃんが、どうもうっとおしい人だったので、すぐに感慨は消えてしまいましたが。
しかし、ケープタウンに着き、間近にそびえ立つテーブルマウンテンを見た時、やはり胸にぐっとくるものがありました。その感慨も、「わあ都会だ。いろんな店がある。楽しいな。」という気持ちにすぐに置き換えられてしまいましたが。。。

ケープタウンでは、喜望峰を見たり、お寿司を食べたり、ショッピングを楽しんだりしながら、一週間はゆっくりする予定です。(ノートパソコンが安く買えるといいのですが。。。ヨハネスはあまり品揃えが良くなかったです。)
そして、南米に飛ぶ予定です。

↓どこなのこむアフリカ編が完結しました。
http://www.dokonano.com/kisimt2/index.html
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世界一危険?ヨハネスブルグより

2007年04月11日 19時34分21秒 | アフリカ
紛争地帯を除けば世界で最も危ないと言われるヨハネスブルグにやってきました。本当はプレトリアという近くの比較的安全な町に行く予定だったのですが、イースター休暇の大移動と重なりチケットが取れなかったので渋々ここに来たのです。
しかし、実際はそこまで危険ではありませんでした。街の中心部は極めて危険なのですが、バス駅から宿のある郊外まで宿の車でピックアップしてもらえば、そこはヨーロッパの郊外に匹敵する美しく平穏な場所でした。北斗の拳のようなモヒカンの荒くれ者が跋扈しているのを想像していたけど、最近政府が治安回復に力を入れていることもあり、夜の独り歩きも全然大丈夫です。強盗の気配は全然しません。

と、油断していると本職の警官にカツアゲされました。夜8時ごろ、ひとりで宿に帰る途中、宿の目の前でパトカーに呼び止められました。黒人のでかい警官にパスポートを持っているかと聞かれ、持っていないと答えると、なんと[お前を逮捕する。お前を国に送り返してやる。]とか言いながら、僕をパトカーに力ずくで押し込みました。パスポートはこの宿においてあると何度言っても聞いてくれませんでした。硬いベンチに座り透き間風に震える僕を乗せて、車は20分ほど走りました。[もし彼らが本物の警官だったら、まあ、なんとかなるだろうけど、偽物の警官だったら、いったいどうしよう?ひょっとして誘拐?]と不安に思ったり、[ドッキリだよーん。びっくりした?]と言ってもとの場所に戻してくれたらいいなあ、と思ったり、車に乗せられている間は色々と考えました。
そうこうしているうちに、車はなんと宿の前に戻って来ているじゃないですか。車を降ろされて、警官が言うには[逮捕されたくなければ、金をくれ]。宿が目の前なので、こちらもちょっと強気なので払わずに[プリーズ!プリーズ!]とひたすら助けをお願いしていると、もうひとりの警官が出てきて、なぜだかわからないのですが、解放してくれました。結果的に何の被害もなかったので良かったのですが、ほんとにびびりました。

しかし、南アはヨーロッパのように何もかもきちんと整備されていて、アフリカにいるということを忘れてしまいそうです。毎日宿の近くにある巨大ショッピングモールでウィンドウショッピングを楽しんでいます。黒人たちも裕福そうな人が多いです。タウンシップといわれる黒人居住区の見学ツアーに行きましたが、かなり平和な雰囲気でびっくりしました。ガイド曰く、今、南アは良い方向に向けて大きく変わっていっているのだそうです。2010ワールドカップ向けのスタジアムは、その黒人居住区の中に建設されていました。

明日、レソトとという南アフリカに国土を囲まれた小さな国に行きます。"空中王国"と言われる山の上の国だそうです。なんだかワクワクしますね。
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簡単に近況報告

2007年04月08日 11時09分00秒 | アフリカ
またまた久しぶりの更新になってしまいました。
現在、モザンビークの首都マプトにいます。
偶然の縁があり、ここで10年以上ビジネスをされている日本人の方のお家に泊めさせてもらいました。感謝感謝です。

強盗後を簡単に振り返りますと、こんな感じです。
<タンザニア>
アルーシャ:サファリツアーで象やライオンを見る。
モシ:キリマンジャロ挑戦。5750m地点まで行き、頂点(5895m)目前で強風のため引き返す。
ダルエスサラーム:酷暑。日本並み(以上?)に蒸し暑い。
ザンジバル:夢のようにきれいなビーチで読書ライフ。

<ザンビア>
ルサカ:首都。しかし日曜日のため店があらかた閉まり、ゴーストタウンと化す。
リビングストン:ビクトリアの滝鑑賞。

<ジンバブエ>
ビクトリアフォールズ:両替詐欺で100$が紙くずに。ショックで滝の鑑賞もせずにフテ読書。
ブラワヨ:まるで先進国のような近代的な美しい町。しかし、よくみると経済崩壊の傷後が。。。
ムタレ:宿の犬にノミをもらう。

<モザンビーク>
トーフ:ダイビングで巨大マンタがすぐ頭上を泳いだ。シュノーケリングでジンベイザメやマンタ数匹と触れ合うかのごとくの距離で一緒に泳いだ。シーフードも美味い。ファンタスティック。
マプト:首都。日本人と一週間ぶりに会話。

南アフリカで新ノートPCをゲットできれば、写真つきで上記をもう少し詳しくアップしたいと思います。もしゲットできなければ。。。どうしようかなあ?ネットカフェで頑張って写真をアップするかもしれません。やり方がいまいちわからないですが。

それにしても、アフリカのネット環境は悪いです。ネットカフェがあっても日本語が打てないし、スピードはめちゃくちゃ遅いし(ヤフーメールの一覧を開くまでに5分以上平気でかかる)、日曜日は休むし、日曜日以外も休むし、停電にすぐなるし、サーバーはすぐ壊れるし、、、まったくもう!南アは都会だから、改善されることを期待です。
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こうして睡眠薬強盗にあいました。

2007年03月20日 21時55分56秒 | アフリカ
更新がまた遅くなってしまいました。
今は、タンザニアのザンジバル島というところにいます。ここのパジェビーチは静かで綺麗でとても素晴らしかったです。今からダルエスサラームへ戻り、ザンビアへ向けて移動する予定です。
ちなみにキリマンジャロ登山は頂上(5895m)目前にして強風のため引き返しました。5750m地点までは行けました。
それでは、以下に睡眠薬強盗の話を長々と書きますので、我慢して読んでみてください。


2月19日(月)の夜にあいました。

<被害の概要>
財布二つ、現金全額(約6万円)、トラベラーズチェック(これは返金できました)、ノートパソコン、デジカメ、腕時計3つ、クレジットカード、国際キャッシュカード、ウォークマン、電子辞書、アーミーナイフ、などを盗られました。
なかなか強烈な睡眠薬だったみたいで、丸1日の間、昏睡したり目覚めたりの繰り返し状態で翌日は入院しました。

幸い、パスポートは盗られておらず、バックパックや着替えもそのまま残っていました。クレジットカードも1枚だけ見つけにくいところに隠しておいたのが残っていました。


2月18日(土)

ルワンダの首都キガリからミニバスを乗り継いで国境へ。滝が印象的な国境でした。国境を越えたとたんに、山と谷ばかりのルワンダの風景から、サバンナ平原広がるタンザニアの風景に、急に変化しました。開放的で気分良かったです。
べナコという国境近くの町に一泊しました。この町は500mくらいの一本道の両側に民家がぽつぽつとあるだけの町で、僕が今まで訪れた中で最も小さい町です。ここのバーでビールを飲んでいると、地元のおばちゃん連中にビールと夕食をおごってもらいました。(その代わりに、追加のビールを払わされたので完全におごられたわけではない)若い男にステージみたいなところに連れて行かれて、そいつと二人で音楽にあわせて踊るというがらにもないことをしたりもしました。この時から、「タンザニア人って、気さくで親切で良い感じだなあ」と油断ができていたのだと思います。
夜、空を見上げると星がものすごく綺麗でした。

2月19日(月)

一気にサファリツアーの町アルーシャに向けて移動する予定だったのですが、アルーシャまではかなり時間がかかるみたいで、一旦カハマという途中の町までバスで行くことになっていました。このバスで隣の席だったのが、忘れもしない自称タンザニア人のアロイースです。どんくさそうな顔をした体の大きい黒人です。彼もアルーシャという町を目指しており、僕とルートが一緒でした。彼は英語があまり話せないのですが、ぽつぽつと会話したり、バナナをおごってくれたりしました。とても親切で、途中休憩の町でもトイレまで連れて行ってくれたり、トイレ料金を払ってくれたり、お茶やドーナツをおごってくれたり、いろいろとしてくれました。今思うと、妙に僕につきまといすぎだなあと思います。ちなみにバスにはそのアロイースの連れが一人乗っていたのですが、なぜか席は離れて座っており、会話は携帯電話でしていました。もちろんスワヒリ語で。その連れの名前は忘れたのですが、彼は頭が良さそうなムスリムです。
カハマに着いたのですが、アルーシャ行きのバスが2日後ということなので、シニャンガという少しアルーシャに近い町まで行ったほうがいいと、アロイースに言われ、バス会社の人間も同じように言ってたので、アロイース達とシニャンガに行きました。シニャンガでは彼らに連れて行かれて同じ宿にチェックインしました。部屋は隣です。
タンザニアの通貨シリングが少なくなってきていたので、アロイースと二人で闇両替を探して暑い中20分くらい歩きました。そこそこ良いレートの所が見つかり、二人で喜びました。その後、昼ごはんをおごってもらいました。スワヒリ語のメニューの読み方を教えてもらいながら。その頃には僕は彼を「なんていい奴なんだ」と完全に信頼しており、彼と偶然こうして出会えたことを嬉しく思っていました。バスのチケットも彼が買ってきてくれました。
汲み置き水のシャワーを浴び、洗濯をして、宿の中庭でほっと一息ついていたところ、アロイースの連れにビールを飲まないかと誘われました。シニャンガは蒸し暑いところなので、喜んで彼の誘いに応じて、彼らの部屋に遊びに行きました。二人は英語があまり話せないので、会話はそんなに弾まなかったのですが、ビールをおごってもらってることもあり、気分良くビールを飲んでいました。そのビールは彼らが部屋の外で栓を開けて持って入ってきた瓶ビールです。銘柄はたしか「サファリ」だったと思います。ビールを一人2本くらい飲みました。特に酔っ払ってはいなかったと思います。外が暗くなってきたし、部屋でルワンダ分のブログ記事をPCで書きたかったこともあり、そろそろ帰ろうかなと思っていたら、彼らの顔が2重3重に見え始めました。この日の記憶はここで途絶えました。

2月20日(火)

睡眠薬の影響でこの日の記憶はかなり断片的です。人から聞いた話を元に書きたいと思います。

「朝8時出発のバスに遅れる!」という焦りから目を覚ましました。外はかなり明るかったです。時間はわかりませんが、昼を過ぎていたのかもしれません。ぼんやりする頭で荷造りしようとして、ノートパソコンがないことに気づきました。大慌てで隣のアロイースの部屋に行きました。足元がふらついて壁に頭をぶつけたことを覚えています。おそらく這いつくばるようにして移動していたと思います。彼らの部屋はからっぽでした。なぜか空のブリーフだけが残されていました。やられたと気づきました。「ポリス!ポリス!」と叫びながら、部屋の外に出ました。この時はノートPCをとられたショックでかなり取り乱していたと思います。まさか、それ以外の貴重品もあらかた盗られているとは思っていませんでした。宿の人の「ホスピタル、ホスピタル」と言っていた事が記憶に残っています。そして、僕はまた気を失いました。

次に気がついたときはどこかに寝転んでいました。後で聞いた話では病院のベッドで警察と話をしていたところみたいです。ベッドの脇にOさんが立っていたことにとても驚きました。(Oさんは、エジプトのアスワンからエチオピアまで一緒に旅をして、その後もケニヤ、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、と同じルートを辿りながら、出会ったり別れたりを繰り返していた日本人男性旅行者です。)Oさんは、偶然バスの乗り継ぎの関係で、来るはずの無かったシニャンガに僕が来た次の日にやって来たそうです。そして、次の目的地へのバスチケットを買う時に、数あるチケットオフィスの中から僕が前日にチケットを買ったのと同じオフィスへ行って、そこで日本人が一人強盗か何かにあって病院で寝ているということを聞いたそうです。チケットの控えを見ると僕の名前だったので、そのままチケットは買わずに病院へ来てくれたのです。なんという偶然。そしてなんという親切さ。この後、Oさんは仏様のような親切さを立て続けに連発して、僕のこの未曾有の窮地を救ってくれるのでした。まずはクレジットカードやキャッシュカードの停止手続きをしてくれたことから始まり、病院での治療費や入院費用の立替、退院後の宿の手配と支払い、当座必要なお金を貸してくれたり、食事に連れて行ってくれたり、本当に何から何までお世話になったのでした。当時、無一文の病人であり、タンザニアという発展途上国の中の無名な小さい町シニャンガで、もし一人きりだったら、いったいどれくらい困っていたのか想像もつきません。今、旅行をこうして続けられているのは大部分がOさんのおかげなのです。

この日、ポリス達と何かを話しましたが、混乱していて、「早くアロイースを捕まえろ」みたいなことを連呼していたのじゃないかなと思います。この事件の担当のポリスはミーカという親切なやつでした。後でミーカから聞いた話だと、「ノートPCが無いなら、もう俺は生きられない。自殺する。」などと言っていたみたいです。それくらい、当時の僕にとってノートPCを盗られたことは精神的ショックが大きかったのでしょう。ノートPCは、重くてかさ張るにもかかわらず、この6ヶ月間、観光のときや移動のときなども、ほとんどずっとデイパックに入れて持ち歩いていました。シングルの部屋に泊まったときは、ずっとノートPCに向かっていたこともあります。アフリカを旅することは最初から決まっていたので、ノートPCを買うとき当然盗られることは覚悟していました。それでも、6ヶ月間一緒に旅をしてきて、アフリカも半分を過ぎ、一緒に日本に帰ろう、という思いを強くしていた時だけに、悔しさや寂しさが大きかったのだと思います。バックアップは、エジプトで一回取っていたので、それ以降の写真データ、家計簿データ、その他もろもろ旅データ、が消えてしまいました。特に、エチオピアの写真は、美しい風景や憎たらしくて可愛らしい子供達など思い出深い写真が多かっただけに悔しいです。

ミーカは「今、必死に探している」とかなんとか言っているのですが、あんまりそのような気配はありませんでした。しかし、朦朧とした頭では上手くポリス達を説得して捜査させることなど難しく、前日にアロイースと交換したアドレスを見せて「早く、ここへ行って!」とか言うことしかできません。今考えると、そのアドレスや名前など全てウソに決まってるのですが、その時はそんなことは思いもしませんでした。警察は適当なことを言って僕をあしらっていました。
この日は意識が途切れては戻りの繰り返しだったようです。そんな中、Oさんと二人で病院を抜け出して晩飯を食べに行ったらしいです。僕自身の記憶は全く無いのですが。そのことで、警察は大騒ぎになったらしく、ミーカに「どこかで死んでるんじゃないかと思ったぞ」と後で言われました。

夜になっても意識は半分混濁したままだったので、病院で一泊入院することになりました。ベッドに寝転がって点滴を受けているだけなのですが。この時、注射針が新しいものかどうかが、気になっていたのですが、朦朧とした意識ではそれを訴えることはできませんでした。(後日Oさんに、新しい針を使っていたことを聞いて、とても安心しました。)

2月21日(水)~23日(金)

この日の朝は、手首がものすごく痒いので目が覚めました。肘から手のひらにかけて無数の小さいぶつぶつができていて痒かったのです。多分、病院のベッドに虫が居たのでしょう。でも当時は、この病院で変な病気でももらったのかも、などと変に心配になりました。ベッドから起きて改めて病院の様子をみると、まるで野戦病院のようでした。また、不気味に静かでした。広い部屋の中には医療設備のようなものはほとんど見当たらなく、ただ蚊帳つきのベッドがそこらじゅうに並べているだけの病室でした。ベッドはほとんど黒人たちでうまっていて、蚊帳から除く彼らの眼光が不気味だったことを覚えています。

アロイース達が捕まって、僕のPCやカメラが無事帰ってきたという報せが、きっとあるだろうという無根拠な期待と共にすぐに警察署に行きました。お金を全く持っていないのに自転車タクシーなどを使ったそうです。(これも覚えていないです。料金はOさんが後で払ってくれました。)2日たってもまだ意識は完全に回復してなかったようです。警察署について、ミーカを探し出しましたが、もちろん犯人たちは捕まっておらず、荷物も発見されていません。今冷静に考えると、とっくにどこかに姿をくらましている犯人がそう簡単に捕まるわけがありません。しかも警察は捜査らしい捜査はほとんどしていなかったと思います。

この後は、薬の影響がほとんど無くなっていき、実家に電話したり、トラベラーズチェックの再発行、大使館への連絡など、事後処理のためにずっと電話をかけつづけていました。シニャンガには電話屋が無いので、コピー&FAX屋さんに3日間こもりっぱなしだったのですが、そこの親父さんが快く電話機の前を明け渡してくれました。おかげで、無事事後処理は全て完了しました。Oさんは、なんと用も無いのにこの間ずっとシニャンガに滞在し続けてくれて、アルーシャまで一緒に行ってくれました。

以上が、睡眠薬強盗前後のあらましです。

書いていて、なんと初歩的な手口に引っかかったのだろうと自分自身に腹が立ちます。もちろん強盗たちにもそれ以上に腹が立ちます。

最後に、Oさん、本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません。
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睡眠薬強盗に会いました(とりあえず連絡)

2007年03月03日 19時07分37秒 | アフリカ
更新がとても遅くなってしまいすいません。


実は10日くらい前にタンザニアで睡眠薬強盗にあっていたのでブログの更新が遅くなってしまいました。有り金全部やクレジットカード、キャッシュカード、ノートパソコン、デジタルカメラ、電子辞書、トラベラーズチェックなどなどをとられました。

いろいろな人たちの親切のおかげで、今は事後処理もだいたい終わっていて、旅行も続けられそうです。体もいたって健康です。(ただし、ノミダニ南京の総攻撃で全身数百カ所さされており、尋常じゃないくらいのかゆみに必至に耐えていますが)その後サファリツアーにも参加しました。

強盗の話はとても詳しく書きたいのですが、今はネット環境が悪いので、また時を改めて書く予定です。カメラは新しく買ったのですが、ノートパソコンは買っていないので、今後ブログの更新は以前よりも難しくなりそうです。特に、長い文章を宿でかけなくなるのと、写真のアップに支障が出そうです。
書きたいことが山ほどあるので、そのうちノートパソコンを買うかもしれません。(めんどくさいので買わないかもしれません。)それまでこのブログは細々と続けていく予定です。(強盗の話だけは、とても書きたいので近日中にアップしたいと思います。)

それでは、皆さん、今後ともよろしくお願いします。強盗にはお互い気をつけましょう!
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2007/2/11-2/14 ウガンダ ナイル源流にて

2007年02月17日 05時07分27秒 | アフリカ

ここはヨーロッパか?と錯覚するような豪華快適夜行バスでウガンダの首都カンパラへ。現地では「タクシー」と呼ばれるトヨタハイエースのミニバスに乗り換えて、その日のうちにビクトリア湖畔のジンジャという町へ移動してきました。ウガンダに来た目的はただ一つ、ここジンジャでラフティングをすることです。ラフティングというのは、僕も良く知らなかったのですが、ガイドブックのロンリープラネットによると、ボートに乗って急流を下り、アドレナリンを放出させるアクティビティなのだそうです。ここジンジャのラフティングは世界でも最も激しいラフティングができる場所の一つだそうです。


道端でパイナップルを切り売りしている人。ウガンダ辺りから顔つきが同じ黒人でも変わってきました。男女ともガッツ石松とか郷ミノル(BE-BOP)タイプの人が増えてきました。パイナップルは美味いです。

着いた日は、ナイル川の源流を見に行きました。ナイル川というとエジプトの川というイメージが強いですが、実はここウガンダが源流なのです。(エチオピアにも青ナイルというもう一つの源流があります)ここから6400kmという距離を3ヶ月もの時間をかけて流れて行き、地中海に注ぐのだそうです。源流といわれる場所は、なんて事の無い普通の川なのですが、これがナイルの源流だと思うと、逆ルートを1ヶ月かけて旅してきた僕にとって、なんとなく胸に迫るものがあったのでした。

街灯が全く無いジンジャの町でガスランプを使って商売する露天商の人たち

翌日ついにラフティングへ。申し込み方法などが良くわからないので、町の旅行代理店へ行きました。なんと値段は95アメリカドル!高い高いと聞いてはいたが、まさかここまで高いとは。他の旅行代理店を回ったりして、なんとか90ドルまで値切ることができました。しかし、この値段交渉のせいで時間がかかってしまい、集合時間を過ぎてしまったため、かなり慌しくラフティング現場に急行しなければいけなくなりました。朝食も食べれず、トイレもいけないまま、川辺の集合場所に行くと、他の参加者達20人くらいはもう準備万端でインストラクターの説明を聞いています。僕が着替えて準備が終わると同時に、みんなでボートとともに水の中へ入っていきました。

ラフティングの写真は無いので、申し込んだオフィスの壁の絵でイメージつかんでもらえたらと思います。


一つのボートには、客が6人+ガイドが1人の7人です。そして恐れていた通り、僕以外の6人は欧米人中心で、彼らは全員英語がペラペラで、全く会話に入れません。(僕以外にも日本人は一人いたのですが、彼は欧米人並に英語ペラペラで、その上欧米人以上に陽気でグループ会話を好むので、僕の相手はしてくれませんでした。)ガイドのラフティングに関する説明も7割しか聞き取れません。そのため緊張感は否が応にも高まります。でもその分スリル満点です。何度もおしっこが漏れるかと思いました。朝トイレに行けなかった為に、かなり我慢してたということもあります。しかし、途中ついに我慢できずになって、ガイドに申し出たら川の中でしろと言われました。確かに、どう考えても周りにはトイレらしきものはないので仕方がありません。みんなに見て見ぬ振りをされながらボートから川に飛び込み、水中にしました。水中での初体験です。なんとか用をたし終え、ボートにあがりましたが、僕はみんなとは打ち解けていなかったため、欧米人たちの僕を見る目がさらによそよそしくなったような気がしました。

という辛い思い出もあるのですが、ラフティングは素晴らしかったです。緑に囲まれた素晴らしい雰囲気の中、穏やかな川をのんびり進んでいると思ったら、突然急流が現れます。そこを、必死にオールを漕いだり、ボートの中に全員で沈み込んだりしながら、越えていくのです。急流は全部で12あり、その中の5つがグレード5と言われて最も激しいクラスのものです。3メートルほどの滝を落ちたり、2メートル程の波がいくつも連続するのを越えて行ったり、自然の大迫力を間近で体感できます。そして、僕たちのボートは5つのグレード5のうち、なんと4つで転覆してしまいました。つまりほとんどアウトだったわけです。「急流下り」というか「急流溺れ+救助」みたいな感じです。ここのラフティングでは転覆することは織り込み済みで、急流の周辺にはレスキューの人達が数名待機してくれているので、安心です。安心とは言っても、転覆して川底深くに飲み込まれてなかなか浮き上がれない時や、急流に流されながら激しい波に揉まれて川の水を大量に飲みながらアップアップしている時などは、「こりゃ死ぬかも」というスリルをかなり味わうことができます。

カンパラに戻って泊まった宿では、アスワン以来の旅仲間Oさんとの再会がありました。また、Oさんと同部屋だった日本人の人は、ウガンダに20年以上住んでいて、両親がエイズで死んだ子供達の孤児院をやっているという方でした。すごい。

僕の同部屋は、コンゴ(旧ザイール)人3人組で、彼らは東アフリカ中心に手広く商売をしている人達でした。その内の一人が英語が話せて、コンゴの文化について語ってくれました。コンゴでは、生まれた子供は10歳までに半分くらいが死ぬそうです。死因はマラリアの他に、隣人による毒殺があるそうです。僕は耳を疑いました。どういうこと?と聞き返しました。彼が言うには、コンゴでは生活が苦しく、子供を養育できなくなってくると、隣人に頼んで子供を毒殺してもらうそうです。そのようなことを頼めるくらい、隣人との付き合いは重要で、特殊な深い繋がりを持っているのだそうです。。。

カンパラの町は見所は全く無いです。中途半端な都会です。坂道が多く、道の舗装状態は悪く、砂埃や排気ガスも多く、町歩きは疲れます。英語が公用語ということもあって、ケニアの地方都市の様な印象でした。

今は、ルワンダの首都キガリです。次はタンザニアに行く予定です。タンザニアでは、サファリツアー、キリマンジャロ登山(高額のため微妙)、ザンジバル島観光など、アフリカ観光のメインディッシュが待っている予定です。

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2007/2/8-10 ナイロビの日々

2007年02月14日 01時38分21秒 | アフリカ


ケニヤと言えばマサイマラ国立公園でのサファリツアーが有名なのですが、僕はサファリツアーはタンザニアで行くことにしたので、ケニアでは行きません。そうなると、ナイロビでは全く観光するところはありません。その上、ナイロビといえば悪名高き犯罪都市。拳銃やナイフを使った凶悪犯罪が横行しているところだそうです。出歩けるのは昼間だけ、しかも宿の周辺のみに限られます。その宿の周辺は、夜になるとナイロビで最も治安が悪いところになるそうです。実際に、宿の前の通りは夜になると街灯が少なくて暗く、人通りも少ないし、ものすごく恐ろしい雰囲気です。夕食を食べるときだけは、仕方なく外に出かけるのですが、すれ違う黒人が全員強盗に見えてかなりびびります。もちろん昼間出かけるときもデイパックなどは持ち歩かずに、しかもポケットが膨れているといけないので、財布やカメラも宿に置きっぱなしです。小銭だけをポケットに入れて外出です。なので、今後アフリカを脱出するまでは、都会の写真は少なくなる予定です。上の写真は勇気を振り絞って撮った一枚です。
というのは、さすがに大げさで、昼間に大通りを歩いている限りは、かなり安全だと思います。しかし、念には念を入れて、安全には最大限気を使っていく所存です。

ナイロビではニューケニアロッジという宿に泊まりました。ここにはネコがいます。大人のネコ1匹と子猫が2匹です。ちなみに、僕は猫派だけど猫アレルギーというつらい体質です。猫を触った手で自分の顔を触ると目が痒くなったり、くしゃみが出るのです。しかし、大人のネコの方が異常に人懐こくて、昼間から散々絡んできます。その上、夜になってもその攻撃は止むことはありませんでした。夜寝ている時に、「どうも枕の寝心地が悪いなあ。頭に何かが当たっているけど。。。うむぅ。寝られん。」と思って起きたら、犯人はその猫でした。枕の3分の2程を占領してスヤスヤと寝てやがるのです。しかも、かなり熟睡しているらしく(もしくは起きてて嫌がらせをしているのか)押してのけようとしても全然動きません。仕方なく朝までほっておきました。快適な宿に泊まっているはずが、エチオピアから続く寝不足が取れません。。。

昼間から全開で客のベッドを占領するネコ

今は、ウガンダのカンパラにいます。相変わらずネット環境は悪いです。
ウガンダではラフティングというものに初挑戦しました。その話は、また今度。

明日の朝にルワンダに移動します。ルワンダでは虐殺記念館に行く予定です。

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2007/2/4-7 ナイロビへの道

2007年02月10日 18時31分39秒 | アフリカ

2007/2/4-7 ナイロビへの道

アジスアベバでの快適な宿・おいしいイタリア料理・その他もろもろの文明の力に、泣く泣く別れを告げて、ケニアのナイロビを目指して移動を開始しました。しばらくは、悪路との戦いが続きます。

ちなみに、エジプト~南アフリカの東アフリカ縦断ルートでは、エジプト、スーダン、エチオピアの北東部分だけが治安上問題が無い国とされています。実際に旅をした感じでも治安はとても良かったです。しかし、ケニヤから南アフリカまでの国々(つまり、この後僕が通る国)は全て治安上の問題があるそうです。その上、マラリアという健康上の脅威もあるという。。。こういうことを考えていると、行くのが嫌になってきますね。。。でも、行くと言ったからには行かないと行けないので、仕方なく行きます。ああ、怖い。。。

2月4日 アワサへ移動

アジスアベバからは首都だけあってバスが頻発しているので、朝5時半にバス駅に行く必要がありません。これはありがたいです。朝9時ごろ、まだ客があまり乗っていないバスに乗り込み、前の方の2列席の窓際をゲットしました。(エチオピアのバスは2列と3列の座席があり、2列の方が楽なことが多いです)しかし、だんだんと客が増え、荷物が増え、満席になってもまだ客を入れようとしています。そして、結局僕の席は2列席に成人男性3人が座り、しかも大きい旅行カバンが足元に置かれるという、拷問のような状況に。ただでさえ、エチオピアのバスは座席が小さく、前後の間隔も狭く、しかも前の座席の後ろには金具が飛び出たりしていて膝があたると痛い、という定員乗車でもキツイ状況なのに。道が舗装されていて揺れが少なかったことが唯一の救いです。

アワサは思ったよりも随分と発展した町で、大きな液晶テレビがあるレストラン・バーで美味しいピザを食べました。

アワサ湖。

2月5日 国境の町モヤレへ移動

この日は、また前までのように朝5時半に真っ暗の中バス駅へ。モヤレへの直通バスは無く、まずはディレという町までミニバスで行って乗り換えろと言われ、仕方なくディレへ。(ちなみに、このバスでも2人席に3人で座りました。)しかし、ディレに着いても、「モヤレ行きは無い。ヤベロまで行って、そこで乗り換えろ」と言われてしまいました。この時点でかなりがっかりしたのですが、エチオピア人に「そうがっかりするな。きっとヤベロからすぐモヤレに行けるよ。神様がついてるよ。」などと言われ、渋々バスへ乗りました。ヤベロには、16時頃着きました。

ヤベロまでの車窓の風景。原始時代か?

本当にバスがあるかどうか不安になりながら、モヤレ行きのバスを待つエチオピア人達と、ガソリンステーションとホテルがそれぞれ一軒ずつある以外は何も無い場所で、ひたすら、いつ来るかも本当に来るかもわからないバスを待ちました。1時間後ようやくバスが来ました。やった!と思いながら乗り込みました。しかし、発車間際になり、なぜか突然乗客全員が降ろされてしまいました。バスは無情にも空の状態で去って行きました。同じくモヤレ行きのエチオピア人達と途方に暮れました。暗くなっていく空に不安になりながら、ヒッチハイクでもしようと思いながら、車を待ちました。幸い車は15分ほどですぐに来ました。小型トラックです。座席も何も無い剥き出しの荷台にエチオピア人達とぎゅうぎゅうになりながら、詰め込まれました。この際、贅沢は言えません。


トラックはすごいスピードで走るので、揺れと風がきついです。揺れの衝撃ははダイレクトにお尻に衝撃を与えます。次第に空は暗くなり、街灯も何も無い未舗装の道をひたすら走ります。見上げると満天の星空です。途中木材の積込みなどがあり、ほとんど座るスペースの無い過酷な環境になりながらも、ひたすら耐えること3時間半。ついにモヤレに到着しました。
エチオピア最後の夕食は、食あたりになって以来拒否反応が出るインジェラです。この町では、それ以外に選択肢はありません。残った精神力を使い切り、吐き気と戦い、なんとか半分ほどを胃に詰め込みました。しかし、やはり翌朝下痢になってしまいました。
この先に待つモヤレ~ナイロビ間が最もきついと言われているのに、その前日に僕は疲れ果ててしまったのでした。

2月6日~7日 ナイロビへ

翌朝、徒歩で国境を渡りケニアに無事入国しました。出国審査も入国審査も僕以外に旅行者がいないのであっという間に終わりました。ケニアに入ると早速バスやローリーの客引きや、闇両替屋が押し寄せてきました。そいつらが言うにはナイロビ行きのバスがあるというではないですか。この悪名高きモヤレ~ナイロビ間には3つの選択肢があります。1.バス、2.ローリー(荷物を運ぶトラックのこと)の助手席、3.ローリーの荷台、の3択です。もちろん3番がダントツで最もきついので、1か2がいいのですが、事前情報でエチオピア・ソマリア間のいざこざの影響でバスが無くなっていると聞いていたのです。闇両替屋をやりすごして、銀行で両替をしたのですが、なんとも手際の悪い銀行で30分ほど時間がかかりました。なんと、その間にバスは行ってしまっていました。がっかりです。最後の頼みのローリーの助手席もケニヤ人で満席です。客引き達は、猛烈な勢いで「早く荷台に乗らんか!」と急き立てて来ます。客引きはうざいのですが、この全く何も無い町でもう一泊することはしたくないので、ローリーの荷台に仕方なく乗り込みました。ローリーは、僕が乗り込むとすぐに出発しました。出発は午前10時でした。

ローリーの荷台

初めは荷台の上の枠組みの上に座りました。下のほうが断然楽そうだったので下にいたのですが、上にいるケニヤ人達に「上にあがってこいよ!」と言われたので、登ってみたのですが、これはきつかったです。まず揺れが凄い。道は未舗装で、めちゃくちゃでこぼこです。振り落とされないためには、かなり真剣に枠組みにつかまらないといけません。そして、顔面に砂混じりの風が強く吹き付けてきます。前を向いて目を開けているのがきついです。しかし、目をつぶっていると、ちょうど乗客の顔の高さにある木の枝がたまに現れるので顔面を激しく打ち付けられてしまいます。ただナイロビに行きたいだけなのに、なぜこんな命がけの冒険をしなければいけないのでしょうか。30分で我慢できなくなり、荷台の中に降りました。荷台の中は体勢は楽なのですが、砂埃が凄いです。あっというまに全身が砂まみれです。暑いので汗をかいているので、泥だらけです。

昼食休憩の時にケニア人におごってもらった豆御飯。久しぶりの米に歓喜の涙が出そうになりました。

こんな道をひたすら走ります。

ナイロビまで3分の1進んだマルサビットという町に夕方5時ごろ到着。ここまで7時間。まだまだ先は長いなあ。
ここで乗客がどどっと増えました。今までは広い荷台を一人で独占状態だったのが、人も荷物も増えて、ぎゅうぎゅう詰めです。なんとか足を伸ばせるスペースを確保できましたが、激しい揺れのためまったく寝れません。気温も凄い勢いで下がっていきます。昼間は確実に暑かったのが、今ははっきりいって寒いです。揺れ、寒さ、砂埃、さらに昨日から続く下痢、それらとひたすら戦うこと12時間、深夜3時にイシオロという町に到着しました。

ここでローリー荷台の乗客がみんな降りて行きます。これで荷台のスペースが増えてうれしいなと思っていると、仲良くなったケニア人がローリーの外で僕を呼んでいます。なんと、ローリーはナイロビまで行くそうなのですが、荷台の乗客はイシオロで全員降りなければ行けないそうです。ナイロビ行きのバスは朝7時発だそうです。3時間の休憩のためだけにホテルに泊まりました。他のケニア人たちはホテルに泊まらずにバスの発着所(といっても屋外。ベンチもなし)でひたすらバスを待つそうです。すごいなあ。ケニア人は。20時間の移動の間ずっと荷台の上の骨組みのところにつかまっているし、その後でホテルの休憩も必要としないし、僕には超人のように思えます。
2時間ほどホテルで寝てナイロビ行きのバスに乗りました。バス移動の快適さは、エチオピアとは変わりました。車体は古くて座席は狭いのですが、定員以上の人を詰め込まないし、指定席をみんな守るし、ラジオ放送は英語だし、独特の体臭もしないし、違う国に来たという実感が湧きました。
バスは12時にナイロビに到着しました。バスを降りたとたんに、タクシーの客引きが押し寄せてきました。初めはバスを使おうと思ったのですが、あまりに疲れていたのと、ナイロビの治安にびびっていたのとで、タクシーでホテルの前まで行くことにしました。しかし、この客引きの争いには困惑しました。客引き同士が、「こいつは悪い奴だ。」「こいつこそお前をだまそうとしている。」などと言い争い、周りの通行人も混じって「こいつを信じろ。」「いや、こいつのいうことを聞かないとお前はひどい目にあうぞ。」などと言ってきます。なんなんだ、いったい。もう、何も信じられません。頼むから静かにしてくれ。客引きが連れてきたタクシードライバーのうち、老人のドライバーを選びました。何かあっても逃げれそうなので。タクシーに乗っている間は、どこか人気の無いところに連れて行かれないだろうか、と内心めちゃめちゃ警戒してたのですが、無事目当ての宿に着きました。昼の12時半です。前日の朝9時に宿を出てから27時間半。長かった移動がようやく終わりました。

とにかく僕は疲れました。


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2007/2/1-2/3 エチオピアの首都アジスアベバ

2007年02月04日 03時08分21秒 | アフリカ

前回も書きましたがアジスアベバはこれまで訪れた北部の町と比べてかなり都会です。別世界です。しかし冷静に考えると、全然都会ではありません。都会と呼ぶのは結構無理があります。日本ならむしろ田舎です。

しかし、これまでの町がこんな感じ↓なのに比べると、

↓こんな感じのアジスアベバは、断然都会と思えて、テンションもあがるのです。

高層ビルもあり、上の写真のようなおしゃれなカフェまであります。イタリア料理の美味しい店も何件かあります。食あたりでかなり栄養不足になった体に、久しぶりのイタリア料理でたっぷり栄養補給しました。
その上、温泉もあります。もちろん着いた次の日に行きました。しかし、地元民達で大混雑。150円くらいと安いですしね。3時間も待ちました。でも、待った甲斐ありです。めちゃめちゃ気持ち良かったです。スーダン以降の旅の疲れが一気にとれた感じです。

フレッシュジュースもおいしいです。写真はエチオピア名物のミックスフレッシュジュース。毎日飲んでます。濃厚な味わいがたまりません。

しかし、そんなプチ都会っぷりも町の中心から10分もあるけば、今まで同様の未発展なゾーンになります。町の中心部にしても、よくよく見てみると、乞食も多いし、なぜか町のメインストリート(車や人の交通量がかなり多い)を羊飼いが羊の群れを連れて歩いていたりもします。気さくな現地人達がひっきりなしに声をかけてくるし、なかなか楽しい町ではあります。

いろんな日本人との出会いもありました。ダハブやカイロで一緒だった世界一周中のS君(彼も今後ケープタウンを目指すそう)とも再会できました。他にも、昔旅行者として訪れた時にいたくエチオピアを気に入り、なんとエチオピア大学に留学したというY君(とても親切)、日本の大学からエチオピアの研究に来ているという人達、他にも何人もの旅行者と出会い、みんながなかなかカラフルなキャラで、とても刺激的でした。そのうちの一人から、実際にタンザニアで強盗にあったという話を聞きました。こういった強盗の話は、人づてではなく、実際に本人から聞くと、怖さ倍増ですね・・・

最古の人類ルーシーの骨の化石

ルーシーが実際どんなだったかの想像図

明日アジスアベバを出る予定です。一路ナイロビを目指します。4~6日かかる予定です。ナイロビに着くまでは、またしばらくネット環境から遠ざかる予定です。

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2007/1/22-31 エチオピア・ハードな旅

2007年02月02日 17時25分48秒 | アフリカ

エチオピアはネット環境が良くないのでまた更新が遅くなってしまいました。
現在、エチオピアの首都アジスアベバです。さすが首都だけあってこれまでの滞在都市とは比べ物にならないくらい都会です。今までの未開民族の村々は何だったの?本当に同じ国?という感じです。

エチオピアから、ついに旅がハードになってきました。さすがアフリカという感じです。

<エチオピアうんちく>
エチオピアは最古の人類といわれるルーシーが発見された国です。しかし世界で最も発展の遅れている国でもあります。国土が山や丘ばかりの高地なので、赤道にかなり近いにも関わらず気候は過ごしやすいです。宗教はクリスチャンとムスリムが6:4くらいらしいです。

<エチオピア所感>
・現地人にうざいやつがいる。スーダン人が天使に思える。顔はスーダン人とあまり変わらず、黒人とアラブ人の中間のような感じだが、目つきが険しくなった気がする。ただ、暴力的な雰囲気は無い。治安はよさげ。
・親切な人がとても多い。よく食堂で食事(インジェラ)をおごってもらっている。しかし、少数のうざいやつがとことんうざい。子供は無邪気でかわいい。うざいやつもいるが。
・基本は洋服だが、辺境民族の人達がマントに裸足という風貌で町を歩いていたりもする。

・移動がつらい。かなりつらい。町と町の間の移動は、基本はバスで、毎日朝6時に出発するため、毎日早朝の5時に起きなければいけない。未舗装の道路で、かなり揺れるし、砂埃が大量に車内に入ってきて服もかばんもどろどろになる。鼻も口も砂だらけ。バス内に立ち込めるエチオピア人の独特の体臭も鼻につく。時間も短くて5時間、普通に12時間くらいかかったりする。しかし、距離的には300kmくらいしか進んでなかったり。
・ただし、車窓からの景色は素晴らしい。山や丘の連なるダイナミックな景色に移動のつらさも多少紛らわされる。

・食事はインジェラかスパゲティなどイタリアン。インジェラというのは、エチオピア独自の食べ物で、びろーんと広がった大きいクレープ生地のようなもの(雑巾とも評される)。それに辛いスープや肉などを合わせて食べる。インジェラは酸っぱくて日本人の口には合わないと聞いていたが、思ったほどまずくはない。もちろん、うまくもない。ああ、日本食が食べたい・・・
⇒これを書いた後に食あたりになった。その後インジェラに対して拒否反応が。。。
・首都アジスアベバのイタリアンは結構いける。

・ホテルについて。水シャワーのところが多い。断水と停電は日常茶飯事。さあ、気合を入れて水シャワーを浴びるぞと思ったところで断水になることもあり、かなり辛い。
・エチオピア名物の南京虫には幸い今のところやれれていない。虫対策として、まずベッドを中心に部屋中に殺虫剤を撒き、ベッドがすっぽり隠れるようにシーツをひき、その上で寝袋で寝ている。南京虫にやられた人の話では痒くて寝れないらしい。できればやられずにエチオピアを出国したい。ノミには割りとやられている。

 

 

○ここまでの移動と観光

<1/22 スーダン・ハルツームからゲダレフへ>

宿のおっちゃんにホットシャワー出る?と聞いたら「ホットシャワーはない。アフリカンシャワーだ。」と言われました。何かと思ったら、ホテルの水周りが全て汲み置きだった。洗面台もシャワーもあるのだが、ピクリとも水は出ません。この旅で初めて行水を行いました。これが、アフリカンシャワーね。

<1/23 エチオピア国境越え(ガラバート、メテマ、シェハディ)>

いきなり、ゲダレフでバスの出発を3時間待たされました。初めバスのおっちゃんは15分とか言っていたが・・・。
国境までの道は、凄いゆれと暑さと埃でした。

待ち時間にその辺の市場を冷やかす。でっかいスイカとスーダン人。

ようやくスーダンを出国してエチオピアに入ったら、わらぶきの小屋がイミグレだった。さすが、エチオピア。噂には聞いていたが、実際に来て見るとその発展途上ぶりはかなり衝撃的です。
国境を越えたとたん、人々の顔つきがかわりました。エチオピア人はやけに目つきが険しいです。そして、闇両替やホテルの客引きや、ガイド料請求など、歩いているとうざい現地人が次々とやってきます。スーダンとは別の国なのね、と実感します。
メテマからシェハディという小さい町に移動してそこで一泊しました。着いたのは夕暮れ時でした。しかし、この町(村?)には街灯が無いです。めちゃくちゃ暗いです。星が綺麗です。しかし、ヤギのむれが道の真ん中で寝ているので、空を見上げて歩いていると、うっかり蹴飛ばしそうになります。

<1/24 ゴンダール>
この日から毎朝5時おきの毎日が始まりました。しかし、5時に起きても電気が来ていないので真っ暗闇です。満点の星空です。ホテルのトイレが尋常ではなく汚かったので、我慢しました。頼むからウ○コはトイレの穴にしてくれ。頼むから使った後は水で流してくれ。
早朝のバスターミナルは、エチオピア人たちが殺到して大混乱です。もみくちゃになりながら席取り合戦が繰り広げられていました。Oさんのおかげで(エジプトアスワンから一緒に行動している日本人旅行者)なんとか席が確保できましたが、中には席が無く立っている人もいます。この悪路の中で、数時間バスで立ちっ放しというのは、僕にはかなり無理があるのですが、エチオピア人の子供は割りと平気な顔をして立っていました。
正午ごろにゴンダール着。ゴンダールは、それなりの町でした。久しぶりに舗装されている道に来ました。やっぱり舗装されている道はすばらしい。

エチオピア名物、ユー!ユー!言いながらついてくるガキんちょ。にくたらしくてかわいい(にくかわ)。

ここで、アスワン以来、1週間以上行動を共にしたOさんとは別ルートになります。久しぶりの一人旅です。エチオピアでの一人旅、不安は大きいです。

<1/25 バハルダール>
バハルダールへ向かうバスで早速トラブル発生です。早めに行ってチケットを買って席を確保して出発を待っていたら、「お前のバスはこっちだ」と言われたのでバスを変更。昨日もこの展開だったぞ。頼むぞエチオピア人。とか思っていたら、その移った先のバスの乗客達が8割くらいバスを降りていきました。ひょっとしてこのバスも違うのか?と思って少しだけ残った乗客に「バハルダール行きか?」と確認して大丈夫だったので、安心して乗っていました。しかし、バス発車後の検札の時に、なんと、「このチケットは別のバスのチケットだから、お前はもう一回料金を払え。」と言われてしまいました。そんなことできるか!と日本語でわめきちらしました。(検札が英語できないやつだったので)周りの乗客で一人だけ英語ができるやつがいたので、彼に一生懸命お願いしてなんとか料金を2回払うことは阻止できました。一人になったとたんこのトラブルか・・・。
バハルダールではタナ湖の教会を観光しました。しかし、ガイドの客引きがうざい町です。

<1/26 ラリベラへの移動>
次の日は、エチオピア最大の観光地ラリベラへ移動です。
ラリベラ行きのバスでは、チケット詐欺に会いました。バス会社とは関係ない奴が、さもバス会社の人間のように装って僕にチケットを売って来ました。僕には見分ける術が無かったので思わずそいつからチケットを買ってしまいました。小銭が無かったので、料金の倍の値段のお札を彼に渡してチケットを受け取りました。しかし、彼はお釣は後でチケット係が払うから、と言って僕を安心させておき、僕と雑談をしながら時間を稼いで、バス発車の間際にバスから降りて逃げていったのです。この時はまだ騙されたとは気づいてなく、オフィシャルのチケット係の人に「お釣を返して」と頼めば返してもらえると思っていました。しかし、彼は返してくれません。しかも、英語も話せないので話が通じません。頭にきて日本語でわめきまくったら、周りの乗客はヘラヘラ笑っています。親切なエチオピア人が「お前はだまされたのだ。今後気をつけろ」と言ってくれました。しかし、連日のトラブルにエチオピアへの怒りが爆発です。「Bad counry!Bad coutry!」と英語のわからない人にも通じるように、怒りをぶつけました。すると英語のできるエチオピア人がさすがにそこまで言われるとまずいと思ったのか、色々とお釣が返ってくるようにチケット係に掛け合ってくれたり(しかし返ってこず)、色々と話しかけてくれて、なだめてくれたりしてきました。昼食もおごってくれました。損したのはたかだか800円くらいなので、気分はすぐに良くなりました。しかし、道は悪く、バスは滅茶苦茶揺れています。なんて移動がしんどい国なんだ、と疲れ果てましたが、まだこの日の移動は終わりません。

昼食休憩でインジェラをごちそうしてくれた3人組。

バスは3時くらいにガシェナという町に着いたのですが、なんと乗っていたバスがここで終わりなので、ラリベラ行きは乗り換えなければ行けない、チケットもまた買わなければいけない、と言われてしまいました。ラリベラ行きのチケットを買ったのに、しかも倍額払っているのに、なんという仕打ちだ!と思っていたら、チケット係がガシェナからラリベラまでのチケット代金を返してくれました。そして、30分ほど待ってようやく来たラリベラ行きのバスに乗ろうとしたら、なんと満席。また、がくっと来たのですが、すぐに次のバスがやってきて、急いで乗り込みました。しかし、そのバス料金はなんと返金してくれた額の1.5倍!仕方ないので渋々払いました。しかし、その後、エチオピア人たちが払っている額を見ると、ちょうど返金された額と同額です。チケットを見るとちょうど返金された額が書かれています。かなり頭に来ましたが、車内の揺れ、暑さ、ここまでの疲れ、により、もうどうでも良くなってきました。たかが50円くらいの損ですし。ただ、エチオピア人を信用することは今後二度とないでしょう。

バスが途中で立ち寄った村。エチオピアでは町と町の間にこういう未開の村がたくさんあります。弥生時代に迷い込んだのかと思ってしまいます。(クロノトリガーの原始時代みたいでもある)

6時にラリベラ到着。朝6時から12時間の移動です。それにしても、疲れました。

この日、ラリベラでは女性の日本人旅行者Tさんに出会いました。Tさんも世界一周中で、エリトリアからソマリランドへ船で渡り、エチオピアでヒッチハイクを駆使しながら旅をしているそうです。すごい。しかも、この後はエリトリアから船をヒッチしてエジプトへ渡るそうです。すごい。同じくここで出会ったエチオピア系スーダン人ダニエルとTさんと地元エチオピア人達と地元のバーでエチオピア特産の蜂蜜ワインを飲んで過ごしていると、いつのまにかこの日の疲れもすっかり忘れたのでした。

<1/27-1/28 ラリベラ>
久しぶりに朝の5時に起きない朝。すばらしいです。エチオピア随一の観光地ラリベラを観光しました。

この日は土曜日でサタデーマーケットがありました。近隣の村々からたくさんの人達が集まって来ます。徒歩でいくつもの山を重い荷物を背負って越えてくる様子は圧巻です。

そして、岩窟教会群。12もの教会が、一枚岩を彫りぬいて作られています。特に聖ギオルギスは圧巻でした。

宿にたむろしているエチオピア人に昼飯をおごってもらいながら、色々と会話しました。彼らは、アーミーだったり(つい最近のソマリア攻撃にも参加していたらしい)、デルグ(一昔前のエチオピアの社会革命家)出身のやくざだったり、貧乏学生だったり、境遇は様々だったのですが、共通しているのが宗教・政治・社会問題に関して知識が豊富だということでした。英語も上手だし。エチオピア人を少し見直すことになりました。ただ、彼らはキリスト教徒で、ムスリムのことをかなり悪く言っていたのは、少し悲しかったです。

また、ラリベラでは観光地から少し離れた村で学生達と話をする機会がありました。一通り雑談した後、いつものように「俺達は貧乏だ。助けてくれ。勉強をする本を買ってくれ。」と言われて、いつものようにげんなりして「悪いが助けてあげることはできない」といって断りました。でも、彼らはそれで僕を悪く言うでもなく、「別にいいよ。きにするな。」という感じで、とても爽やかで良い感じでした。その上、別れ際に、聖ギオルギスを模したペンダントを僕にくれて、「ずっと俺のこと覚えていてくれよ」と言いました。ますますエチオピア人を見直すことになりました。

いっちょまえにポージングするガキンチョ

<1/29-1/31 アジスアベバへの移動>
ついに体調を壊しました。多分食あたりです。下痢と嘔吐です。なにが原因かは、心当たりがありすぎます。チャット(噛んで楽しむ葉っぱ)を飲み込んだこと、不衛生な手での食事、生水、移動の疲れ、などなど・・・。ラリベラからデシェというところで一泊して次の日にアジスアベバへ行く予定だったのですが、デシェでもう一泊して体調回復を待つことにしました。その間何も食べずに、体内の食物を全て嘔吐と下痢で出し切ると楽になってきました。

アジスアベバ行きのバスではついに大きなトラブルなく(小さなものはあるが)無事12時間の旅路の末、アジスアベバにつきました。まる2日間まともに食べていないのでフラフラになりながらも、親切な現地人とエチオピア大学に留学中の日本人Y君のおかげで、無事ホテルにチェックインできました。あー、疲れた。そして、腹減った。
しかし、チェックインと同時に外は激しい雷雨になりました。早く外へ出て噂のおいしいイタリア料理を食べたいのに。。。なんという仕打ち。


アジスアベバの後は一路ケニアの首都ナイロビを目指して移動します。噂ではこの移動が東アフリカで最もきついとか。。。不安で胸一杯です。

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2007/1/20-21 スーダンの首都ハルツーム

2007年01月22日 01時06分12秒 | アフリカ

明日(2007/1/22)、ゲダレフというエチオピアへの国境近くにある場所へ出発します。そうなるとまたしばらくネット環境はなくなりそうです。なので今のうちにハルツームについて記事をアップしておきたいと思います。

観光は青ナイルと白ナイルの合流と国立博物館の2箇所に行きました。青ナイルというのは、エチオピアが源流で、白ナイルは、ウガンダ辺りがその源流なのだそうです。その二つがここハルツームで合流し、エジプトを通って遥か先地中海に流れ込んでいると言うことだそうです。しかし、行ってみるとあまり色の違いは判りません。そもそも青ナイルはそんなに青くないし、白ナイルもそんなに白くないです。

境界線は判りますか?向こう側が白ナイルで、手前が青ナイルです。

スーダン博物館は入場料が約60円です。安い。もちろん60円以上の価値はありました。昔スーダンがエジプトを征服してイスラエルの辺りまで攻め込んでいたり、イスラム教が入ってくる前はキリスト教の王国が支配していたり、スーダンの意外な事実がわかりました。

スーダン人のキリスト教ハイプリーストの絵。渋いです。

しかし。何よりもここハルツームで印象に残ったのは、下の写真の建造物です。いったい何なのかは不明です。

ハルツームは、車の交通量は多いです。道もばっちり舗装されています。しかも、走っている車は、エジプトで走っている車よりも新しいので排ガスも少なく、交通の秩序も割とあります。韓国車がとても多いです。その次は日本車です。

商店街。活気があります。しかし、歩道にはたくさん椅子がおいてあり、そこでお茶を飲んだりしている人がいたりするので、歩くのは大変です。

肉の串焼きと野菜とパン。スーダンに来てから最もよく食べた食事です。スーダンに来てからは、ついに食事を手で食べるようになりました。意外と違和感無く手で食べれています。

ハルツームは、ここまで訪れたスーダンの町(ワディハルファ、アブハメド、アトバラ)とは全く世界が違っていて結構都会です。さすが首都です。活気があります。でも、人々は相変わらずフレンドリーで優しいです。
入国するまでは、ビザ代が高かったり、国境を渡る船が週一本しかなかったり、外国人の入国をかなり制限している様子で、さすが内戦中の国という感じもしたのですが、いざ入国してしまうと、そんな感じは全く無いです。いたって平和な国です。平和すぎる感じです。
ワディハルファでは、ダルフールという内戦中の地域から来たと言う学生に出会いましたが、とても優しい笑顔で「ダルフールは安全なところだよ」と言っていました。本当かどうかはわかりませんが、とにかく、なにもかもピースフルな国です。

スーダンは、移動が長時間だったり、宿にホットシャワーがなかったり、物価が意外と高かったり、としんどい面もありましたが、それ以上に人の親切さや、旅情溢れる砂漠の風景に、旅の良さを感じることが多かったです。

次は、エチオピアです。虫、移動の辛さ、食事の辛さ、と三重苦を持つ東アフリカ屈指のハードな国らしいです。しかし、その反面それらを克服できた人にとっては、アフリカで最も良かった国として心に残るそうです。果たして僕はどちらになるのか・・・。

エチオピアの後は、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、マラウィ、ジンバブエ、モザンビーク、南アフリカ、と旅行する予定です。各種状況により、変更される可能性は大きいですが。

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