世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

ウユニツアー

2007年06月08日 02時09分58秒 | 南北アメリカ

前回の汐見荘沈没記事はコメント少なかったです。アクセス数も激減しました。少し寂しいです(泣)。反省してウユニツアーしてきました。

ウユニ塩湖というのはボリビアにあるのですが、チリの北部サンペドロというところからもツアー参加できるのです。ビーニャからバスで28時間かけてサンペドロにつき、すぐさまツアー(2泊3日)に申し込み、翌朝8時にツアー出発です。(しかし、「バス28時間」という日本では考えられない移動時間も最近は全然気にならなくなってきました。昔は東京~大阪間の3時間の移動ですらクタクタになっていたのに、旅行慣れしてきたものです。)

サンペドロの町。未舗装の道路に土壁の家。南米っぽくなってきました。


ウユニツアーは高山病地獄+”英語&スペイン語”地獄でした。

初日まだ元気だった頃。後ろの山は何気に6000m近くあるらしい。

笑顔が寒さのため引きつっています。

まず、高山病なのですが、初日に標高2000mから標高4900mまでいっきに2時間ほどで駆け上がるのです。過去クスコ(3600m)でも富士山(3700m)でもキリマンジャロ(5800m)でも、それほど高山病にかからなかったのですが、今回は完全にやられました。常に呼吸が苦しく、頭痛もします。初日は夜9時に消灯して翌朝7時に起床だったのですが、その間2時間くらいしか寝れませんでした。翌日、高度は3600mまで降りたのですが、その睡眠不足がたたって、高山病はなかなか治らなかったです。幸い3日目に、メインの塩湖ではすっかり高山病は良くなったので、最低限の観光はできました。

2日目。その辺を歩いている人懐っこいビクーニャの赤ちゃんを抱き上げるボリビア人ドライバー兼ガイド


途中の砂漠にて。エジプトの白砂漠を彷彿とさせる変な岩。


次は英語&スペイン語地獄です。ガイド兼ドライバーのボリビア人がスペイン語しか話せず、ツアーメンバーが全員白人で英語ペラペラで、しかもスペイン語もできるという状況は、かなり辛いです。ガイドの説明はスペイン語なので、2割くらいしかわからない、ツアーメンバー間の会話は猛スピードの英語なので4割くらいしかわからない、もちろん全体の会話にはなかなか入れない(1対1だとなんとか会話になるけど)、会話に入ろうと頑張って聞き耳をたてるのですが高山病のため頭も働かない、という状況が3日間も続いて疲れ果てました。最後の方は、ほとんど会話する努力も放棄してましたね。

2泊目は塩のホテル。壁が塩で出来ています。


それでもツアーはかなり楽しかったですし良い経験になりました。ツアーメンバーはみんな親切で明るい人ばっかりだったし、ドライバーもなぜかとても日本人びいきでスペイン語ができない僕に何かと話しかけてくるし(「日本人、ともだち~」を連呼します)、「つまらないな~」と思うことは無かったです。それに最終的には、英語もスペイン語も随分上達したと思います。よかったよかった。これからもこういう日本語が全く使えないツアーには積極的に参加しようかなと思いました。

3日目。一面真っ白なウユニ塩湖。高山病が治っておおはしゃぎ。


塩湖にぽつんと浮かぶ、変な形の巨大なサボテンが多数生えている「魚の島」。(魚の形をしているらしい)


サボテンは大きなもので高さ10mを超えるそうです。


塩も試しに食べてみました。しょっぱいというかなんというか変な味というか食感がありました。


今はボリビアの首都ラパスです。ウユニツアー終了後その足で夜行バスに乗ってやってきました。この夜行バスが、もう、とにかく寒かったです。ボリビア人はみんな超厚着+毛布持参で完全防備でした。僕もツアーメンバーのアドバイスに従い寝袋を車内に持ち込んだのですが、ぎゅうぎゅう詰めの車内ではそれを出して入る隙がなかなか無くて、長時間凍えました。道も未舗装の悪路で、椅子に頭をもたせかけると思いっきりシャッフルされるので、寝れたものじゃありません。アルゼンチン、チリの快適移動からのこの落差。隣の国なのにえらい違いです。これぞ、南米旅行なのでしょうね。。。

6月24日にペルーのクスコで南米3大祭りの一つインティライミがあるそうなので、それを見ようとスケジュール調整中です。ラパスは南米有数の沈没地で物価が安くて楽しいのですが、長居していられないみたいです。残念です。