2008年8月のブログ記事一覧(2ページ目)-ギャラリー貴祥庵 ―《貴志 理の 日々の思いついたままのイメージ絵画、心に残る言葉、歳時の記録を綴る》―


晨16

 

 ...人間が全部滅亡してしまったときのあとの風景というのを時々思い描けるわけです。それがとてもきれいな風景なんです。何かのかげんで猛烈な風が吹いて、地上にあるものはみんな海の中へ吹き飛ばされてしまい、そのあとの、荒涼としているのか、さばさばとしているのかわからないけれども、きれいになくなったような世界というのが時々見える気がするんです

(串田孫一・辺見庸との対談で)

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晨15

 

本来量としてとらえられないものが、量として考えられて、そのために、そのものの価値がまるごとうばわれる。

 人間の生のすべては、経済システムに結びついています。私たちの思考、私たちの世界像、人間像のすべてが、経済システムと分かちがたい関連をもっています。つまり自然界での淘汰の理論を、経済生活での弱肉強食のあり方に通用させて、それを正当化している。

 しばしば現代では、力は自己破壊としてしかあらわれない。ほかの形の表現を知らないし、見つけられないからだ。

 人間から時間が疎外されていくのは、いちのが疎外されていくことであり、そう仕向けていくおそろしい力が世界にある。

 そう、弱まっています。そしてますます弱められる方向に向かっています。ありとあらゆる現代の諸要素が、そうさせる。人間が人間になろうとするほんとうの成長の力、それが現代社会によって罰を受けているようにみえます。 ― エンデ ―

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晨14

 

 

 もし世界中に誰一人として気がつかないとしても、わたしは満足してすわっている。また、もし一人残らずすべてのものが気づいているにしても、わたしは満足してすわっている

― ホイットマン ―

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晨13

 

水際や青田に風の見えて行く

ー 井上井月 ―

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晨12

 

虚静恬淡、寂寞無為荘子ー

落ち着いた無心の安らかさで、深く沈んだ静かさの中で心
をカラッぽにして作為をしない「無用の用」

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晨11

 

空を見上げると 

優しさに溢れた

行かなければいけない処に

急がなくてもいいんだよ

君を待ちながら

佇む

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晨10

 

 

晨(しん)の階(きざはし)に想う

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