廊下なんぞは100m競争どころか200メートル競走ができたんじゃないかぐらい長かった。中庭がありアヒルかなにかを飼っていた様な気がする。クラスは1年の時、最高8クラス、人数が42,3人いたんじゃないか?それが8クラスだから約336人。6年生まで入れると焼く2000人以上はいた計算になる。そんなデカイ学校も今はない、なんか寂しい気がする。
酔いどれは小学校が大きかったせいか、妙に執着がある。玄関が4つ、それぞれの学年が入れるように配慮されていたように思う。一番遠かったのが確か3年の玄関だったと覚えている。入るとすぐ体育館でそこを左に曲がり長い廊下を行くと教室だったように記憶している。何か一番奥の薄暗いような所であったと記憶しているが遠い昔のことだから間違っているかもしれない。
そうですね~、最近のお祭りはなにか物足りなさを感じます。子供の頃のお祭りはテキヤのおじさん、おばさんが威勢のいい声を上げ、わたあめ、お面、スマートボール、パチンコ、みそおでん、金魚すくい等なにかわくわく気分でした。それも影をひそめなにか寂しささえ感じるな~。玩具の銀球鉄砲が高じて北見の「ハトヤ」で新聞配達で稼いだお金でモデルガンを買ったのを思い出しました。まだあるのかな~、ハトヤ。
貧乏暇なしで勤労感謝の日も何もありませんでした。休みも出来ない人達が多いのになぜこんな休日があるのでしょう?休みの日に働いている人達を横目に酒を飲んでいる酔いどれの言い草ではないか!(笑) この間は残念でした。北見は40年近く友達付き合いをしてくれてる多くの友がいるのでまたお会いできる機会が多いと思います。中秋の名月見ましたよ~、家の「ワン」と吠える息子と、なかなか意思の疎通が難しいですが‥(笑)。こう寒くなってくると夏の暑さが恋しいものですな~、人間て勝手な生き物です!
昔、よく漫画を描いた。手塚治虫さんの影響である。「鉄腕アトム」から始まり「アドルフに告ぐ」まで読みに読みまくった。残念なことに平成元年に亡くなってしまった。昭和の漫画界の大巨匠は昭和の終わりと共に逝ってしまった。生きていれば八十代後半の歳になっているはず、どんな漫画を描いていたのかな~‥‥。
昨日は少々暑さが戻ったような?酔いどれにしては暑かったのだが‥。坂本龍馬のようにこの様な帆船(咸臨丸)に乗り、大海へと船出をしたいものだ、”井の中の蛙大海を知らず”ああ、あの大海を冒険したい気分である!なっ、新太郎。
三連休最後の日、家の奴と一日家で過ごす。お日様が出たり隠れたりのわりと天気の好い日。家の前では下水道工事が始まり騒がしい。大型トラックが出たり入ったり。それを横目にのんびりと昼まっからビールを飲みながらビデオを見ていた。なんか久々にゆっくりと過ごしたようなきがする。なっ、新太郎!