京都市上京区、御所の西側約1 km 半、二条城の北数百m。この辺りは比較的小さなお寺が散在している。お寺以外は細い一方通行の道が東西南北に交差しており、昔からの住宅が密集している。その東西通りの中に出水通りがあり、この 細い道路に面して華光寺と光清寺が向かい合って建っている。
華光寺
華光寺は天正11年(1582年)に羽柴秀吉の援助によって創建された。秀吉は伏見城にあった毘沙門天像を寄進してそれがこの寺の守護神となっている。毘沙門天像は 平安時代後期の作と言われるが、特に文化財指定は受けていない。
境内は決して広くはないが、本堂や鐘楼など一通り整然と配置され、静かな環境にある 良いお寺 だと言える。梵鐘は京都府の有形指定文化財。元は丹波国の寺院にあったものだが、こちらへ移された。梵鐘には正応元年(1288年)の刻銘がある。鎌倉後期のものだということになる。何れ重要文化財に指定されるのではないかと思う。
本堂を公開していたわけではなかったが、窓越しに本堂内が見えた。おそらく毘沙門天像もあると思われるが、暗くてよくわからなかった。境内には鳥居もあって、典型的な神仏習合時代の名残を止めている。
前の通りが出水というのは、名前の通り大雨などでこの辺り一帯がすぐに冠水して、町民を悩ませたところからていると言われている。特に目立って有名なお寺ではない が、市内のど真ん中に多くの寺院が集中して存在し、平凡なように見えながらも、それぞれのお寺の独自の特徴るところがあるところを見るのもいいものだと思う。
光清寺
続いて向かい側にある光清寺。表門をくぐると境内は細長く、庫裏や本堂、鐘楼が並んでおり、どちらかといえば、かなりありふれた風景のお寺のように見える。
創建は寛文9年(1669年)と比較的新しいが、後に火事で焼失し再建されて、寺の名前も光清寺となった。
明治維新時の岩倉具視を輩出した、岩倉家の菩提寺でもあり、境内には一族のお墓が並んでいる。お寺の説明と言っても、普通ならもうこれで終わりだが、実はこの光清寺は、あることで非常によく知られている。それは「出水の七不思議」のひとつ、「浮かれ猫」の伝承で、境内の建物にその「浮かれ猫」の伝承の説明と絵画が掲示されていた。
さてその伝承というのは、ネット上で調べてみると数多く出てくる。長い説明もあれば短い端的な説明もある。ここでは自分の下手な文章よりも、短くうまくまとめられたネット上の文章をそのまま引用させていただく。
「江戸時代後期、近辺の遊里から弦歌の音が聞こえてくると、その節につられて猫が絵馬から浮かれ出し、女性の姿になって踊り始めるので、それを見た人がいて大騒ぎとなった。時の住職が不快に思い法力で浮かれ猫を絵馬に封じ込めたという。
その夜、衣冠束帯に威儀を正した武士が住職の枕元に現れ、「私は絵馬の猫の化身だが、あなたに封じ込められ不自由に耐えられない。今後は世間を騒がせないので許してもらえないか」と嘆願した。住職は哀れに思い封を解いたという。」
文章にある近辺の遊里というのは、かつて京都にあった五番町の遊郭のことであり、水上勉の「五番町夕霧楼」という文学作品がよく知られている。ちなみに水上勉のこの作品は、金閣寺放火事件の大学生犯人の心理を綴った三島由紀夫の「金閣寺」という作品に対して、水上勉が別の解釈から描いた作品だと言われている。もちろん五番町の遊郭は売春禁止法の施行とともに廃止となった。
表からはなんでもないように見える普通のお寺でも、実はこんな深いエピソードがあるということが、京都という町にある奥深さを感じさせる。
*カメラのセンサーにゴミが付着し、画像に写りこんでしまった。オーマイガー!
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