切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉2019 一言寺 京都市伏見区・・・まだまだ行ける

2019-12-30 22:11:02 | 撮影


 紅葉が終わりと言いながら、実際に行ってみるとまだ残っているところも結構を多かったので、希望を託しながらこの日は一言寺へ行く。
 醍醐寺の南側約1㎞余りのところにある。十分に徒歩圏内。今年は醍醐寺についてはパスしているが、一言寺は紅葉を撮ったことがないと思い込んでいたので、訪れてみた。山腹の坂を登って駐車場に入れる。
 門前の紅葉が意外や意外、結構残っている。門をくぐって境内を見渡すと、確かにかなり多くは散ってしまっていたが、池のある庭園の方は若干色褪せが見られるものの、かなり紅葉が"まだまだ残ってるぞ″と言わんばかりにアピールしているようだった。
 このお寺も台風の影響でかなり多くの樹木が倒れおり、裏庭の方には業者が入って倒れた木材のを処分を進めていた。本堂などの建物は大丈夫だったようだ。もみじの木や銀杏の木は背丈が全体的に低かったせいもあってか、あまり被害は見られなかった。こうして残り少ないわずかな紅葉をしっかりと撮影して満足して帰宅。
  撮影した紅葉の写真が溜まっているので、今頃になってようやくブログにアップしているが、実は自分のブログの一言寺を調べたところ、何と去年、紅葉真っ盛りのこのお寺をブログにアップしていた。まぁいいか。去年は去年の紅葉。今年は今年の紅葉、ということで同じような風景ながらも、カメラの機種も違うしレンズも違う。天候も違うというふうに自分で自分を納得させてアップすることにした。
 とにかくあちこち紅葉シーズンだけではなく、普段の時にも各地のおお寺や神社にひっきりなしに行っているので、分からなくなってしまっているということで、もう終盤を迎えた一言寺の紅葉を見ていただければと思います。 



『一言寺
 高台にある一言寺は、四季折々の花に彩られた静かな寺である。
 この緑に覆れた寺は、高倉天皇の中宮・建礼門院徳子に仕え、「大原女」のモデルとも言われる阿波内侍(後白河天皇の側近である藤原信西の娘)によって創建された。
 本尊の千手観音は、「ただたのめ 仏にうそは なきものぞ 二言といわぬ 一言寺かな」という御詠歌で歌われるように、一心に祈れば、一言だけなら願い事が叶う、ということで、多くの信仰を集めている。
 現在の本堂は、江戸時代の再建で、「一言観音」と呼ばれる千手観音菩薩像や不動明王像等の他、元禄七年( 一六九四)に造られた阿波内侍像が安置されている。
 山門の近くにある大きなヤマモモの木は、樹齢四〇〇年以上と言われ、京都市の天然記念物に指定されている。幹の内部が大きく空洞になっているが、今でも樹勢は衰えることなく、毎年六月頃には多くの赤い実を付ける。
 京都市』 (駒札より)

『一言寺
 真言宗醍醐派のお寺で金剛王院、通称一言寺と言います。一八七四年(明治七年)金剛王院の祖聖賢を開山とする醍醐三流の一つ金剛王院と合併しました。ご本尊の千手観音さんに一心に祈れば言下に願いがかなうことから、一言寺の名がおこったと伝えられています。
「ただたのめ、仏にうそはなきものぞ、二言といわぬ、一言寺かな」の御詠歌の額が本堂の軒下にあります。
 寺伝によれば、 高倉天皇の中宮「建礼門院」に仕えた少納言藤原通憲(信西)の娘「阿波内侍」が出家して「真阿」(しんな)と名乗リ、清水寺の観音さんの霊告によって、一言寺を建立したと伝えます。
 仁平年中珍海はここに住み、密教の仏画を多く残し、阿波内侍座像は、元禄七年画像を基に造られたと記録に残されています。
 本堂は、一八一〇年(文化七年)の再建で、江戸時代を代表する建築の一つです。内陣の中にさらに土蔵造りの奥内陣がある珍しいものです。一言観音と呼ばれる秘仏千手観世音菩薩像は、この中に安置されています。』
  (説明書きより)


















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