切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉2019 神明神社(神明皇大神宮)・宇治市~鞍岡神社・精華町~酒屋神社・京田辺市・・・ある所にはある

2019-12-30 22:58:15 | 撮影

 紅葉がまだ結構残っているのを知って味をしめてしまった私は、色褪せていてもいいし散りかけていてもいいし、比較的近辺の神社やお寺を回ってみた。もちろん紅葉が確実にあるところを調べた上で回る。

 12月中旬のこの日は3ヶ所を回った。何れも既にこのブログで紹介済みの神社ばかりだ。詳しいところはそちらの方を見ていただければと思う。ここには由緒書きだけを載せておく。

 神明神社は我が家のある地区の隣の隣の地域だ。徒歩でも十分に行けるところ。

 宇治市は大体が全体的にまっ平らな平地が少なく、あちこち凸凹している。 NHK の「ぶらタモリ」で放送していたが、宇治市全体が太古の昔、扇状地であったことからこのような凸凹の状態になったと紹介されていた。今でもその名残があちこちにあって、地下に川が流れているところもあるという。

 神明神社も例に漏れず広い敷地も結構坂がある。期待していた紅葉はほとんどなく、ごくわずかに銀杏らしきものが黄色く輝いていた。元からしてもみじはないのかもしれない。でも一応我が家の近くでもあり、再掲させていただく。

 次に精華町にある鞍岡神社

 精華町と言っても京田辺市との境に近いところ。低い子山のふもとから石段をずっとを上っていくことになる。幸いなことに車が行ける細道があって広い駐車場がある。ふもとの鳥居のところにはあまり目立たなかったが、参道の石段を登ると、なんとなんと見事な赤と黄色に満ちた紅葉の輝きが眼前に現れる。そして境内へ到着。

 本殿の方には紅葉は少なかったが、上の鳥居前辺りはまだまだ十分。これは思ってもみなかったほどの光景だ。まだこれだけ綺麗に残っている。最盛期ならば紅葉の名所とも言うべき資格があるかと思う。

 2年ほど前に平常時に訪れたことがあるが、まさか紅葉期にはこれほどのものとは思いもしなかった。上の鳥居の前をを少し離れて行くと、そこにも巨木のイチョウやモミジが所狭しと綺麗な色を見せてくれる。来年は是非紅葉真っ最中に行くべきだ。と言っても多分忘れてしまっているだろうが。最盛期を過ぎたということもあって、境内には誰もいなかった。一人でしっかりと写真を撮り十分な満足感を得ることができた。

 3箇所目は鞍岡神社から北へ、そして西へ少し走って酒屋神社

 ここは確か昨年だったか、紅葉期に来ている。あえて撮影しなくてもよかったのだが、すぐ近くだったので、紅葉の終盤にどんな状態なのか見てみようという思いで寄ってみた。

 やはりここはもうかなり散り果てて、見るべきところはごくわずかだった。まぁこれが普通なんだろう。考えてみれば鞍岡神社の方がおかしいのであって、この時期だと酒屋神社のようにほとんどが散っているのが普通。でもごくわずかだが葉がたくさん付いてる木もあったので集中的に撮影してきた。

  紅葉を撮影するというのは、その赤色と相まって何か気持ちが高ぶるような気がする。さらにそれがイチョウの黄色と背景の緑葉を合わせて撮ると、実に見事な光景となり、さらに加えて神社の本殿や石灯籠、あるいはお寺の様々な建築物を入れながら撮影すると、ど素人ながらも、ちょっとした写真家気分を味わうことができる。大きな観光寺院や観光神社とは違って、人が少ないのが何と言っても撮影する上では好都合だ。そういった意味では比較的マイナーなところを回るというのも実にいいものだと思えた。 



神明神社(神明皇大神宮)

『由緒書

御祭神

内宮(天照皇大御神・豊秋津姫命・手カ雄命)

外宮(豊受大神・瓊々杵命・天太玉命)

末社(猿田彦命・天児屋根命・稲荷社・

  天満宮・雨宮風宮・蛭子社・住吉社・結社)

厳島神社(市杵嶋比売命)

羽拍子社(級長津彦命・級長津姫命)

 当社は古文書や社伝によると、白鳳二年春三月天武天皇の詔により栗子山に神殿を造営、市杵嶋比売命を祭神として神明神社と称えられたのが起源とされる。

 桓武天皇延暦十三年(七九四年)都を平安京に遷され、当地が都の巽に当るので伊勢皇大神宮の神を勧請しこの地を宇治と号ししばしば行幸された。その後延喜四年(九〇四年)醍醐天皇の詔により新たに社殿を造営、伊勢内・外皇大神宮及び雨宮・風宮・稲倉魂命の御分霊を祭り歴代天皇が行幸された。南北朝の争い等により社殿は大破する等したので、康和元年四月(一〇九九年)に洛南の景勝地であった現在地の神明山に移された。その後、いたびもの変遷を経て、現社殿は文政二年(一八一九年)に建設されたと記録が残っている。

 室町時代前後のこの神社に関わる内容の狂言二つがあり、現在も大蔵流茂山家により上演されている。また、山崎の合戦に敗れた明智光秀が山階に逃れる途中隠れたと言い伝えのある古井戸を藻隠池と称して現存している。

 このような経緯を経た当神社は、平成二十八年五月に神社創建一三五〇年記念祭が斉行される。』  (掲示板の説明書きより)

 

鞍岡神社

『鞍岡神社

御祭神 菅原道真公

創 立

 社伝によると寛弘五年(一〇〇八年)八月二十五日に京都北野社から勧請したと伝えられている。

本殿

 明和五年(一七六五年)に焼失したため安永二年(一七七三年)八月八日に再建されたもので、木造桧皮葺春日造り様式である。』  (掲示板の説明書きより)


 

酒屋神社

『酒屋神社

 京田辺市興戸宮前一〇〇番地

 

 創建年代は明らかでないが式内社で、「日本三代実録」の貞観元年(八五九)正月に従五位下に叙せられた諸神に「酒殿神」とみえる。

 現在の本殿は明治9年(一八七六)の再建で、一間社流造、正面に千鳥破風、向拝の全面に軒唐破風を加えている。

 祭神は津速魂神と応神天皇である。

 社伝によれば、神功皇后が通ったとき三個の酒壺を神社背後の山上に安置し、諸神を祭り再度通ったとき社殿を創立したとある。

 また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連の一族が来住して、酒造りを伝え、祖神を祭ったものともいう。

 江津区にある佐牙神社とともに酒造りに縁のある神社である。

 例祭十一月三日

 末社 埴山毘売を祭る壺神社ほか

  京田辺市教育委員会

  京田辺市文化財保護委員会 (説明書きより)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紅葉2019 一言寺 京都市伏... | トップ | 紅葉2019 高神社 京都府井... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

撮影」カテゴリの最新記事