念仏寺は JR 奈良線、山城多賀駅から直線距離、東北へ 約1km のところにある。実際には幹線道路を歩いて行くと2㎏近くになるだろう。少し高台にあり手前に大きな西福寺があり、どうしてもそこで終わってしまいがちになる。この西福寺から100m あまり北側に念仏寺がある。
井手町は人口約7000人余り。30年ほど前は9000人を超していたが、このところ人口減少が著しい。全体的に平らな土地が少なく、 1次産業も少々やりにくい場所だ。そんな中で町が中心となって、2次産業3次産業の誘致が行われ、 少し企業数も増えた。
古墳の発掘からかなり以前から人が住み着き、生活していたことが分かっている。奈良時代には橘諸兄の邸宅があり、貴族として優雅な生活をしていたものと思われる。彼は万葉集の撰者の一人として知られており、井手町そのものも当時の和歌集などに町の中央を流れる 玉川を歌ったものも散見される。今ではこの玉川沿いに見事な桜並木が、春に花を咲かせ 一つの名物となっている。しかし全体的には観光資源に乏しく、JR 奈良線が走っているとはいうものの、この辺りでは本数はかなり少なくやや不便な地域となる。
念仏寺は山門が分かりにくい場所にあり、結局塀も何もない裏側から入ることになった。正面に本堂が控え扁額が掲げられている。れを見ると「光明山」とあり、その横に細かな文字で「大本山百萬遍四恩寺・・・」とあった。これは京都市左京区の百万遍にある知恩寺というお寺の末寺ということになる。まさかこんな遠いところに関係のある寺があるとは思いもしなかった。
境内はそこそこ 広く、植栽がよく整備されており全体的に好ましい雰囲気だ。一通り撮影をしながら境内の奥に行くと、そちらの方に正式な 山門があった。近くに石地蔵があり ひまわりの花が周りを囲っていた。