切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

佛龍山地蔵院〜阿弥陀寺・・・地蔵院は平安時代!  京都府長岡京市  2023.6.29 訪問

2023-07-01 23:37:42 | 撮影
佛龍山地蔵院

 

 地蔵院は名神高速大山崎インターチェンジから北西の方向 1km半くらいのところにある。少し高台になっており近くからは南山城地方が遠望できる。お寺はかなり古い歴史を有しており、歴史上の様々な場面で困難に遭遇しており、現在のお寺の場所は細長い敷地であり境内も狭く、本堂も比較的小さいものだ。そういった意味ではあまり目立たないようなお寺だとも言える。

 開山は平安時代中期の大同年間となる。西暦806~810年頃のことだ。開山したのは伝教大師だと伝わる。もちろん伝教大師とは最澄のことだ。従って創建当時は天台宗だということになるだろう。後年、応仁の乱で一部炎上し、さらに山崎の合戦でも災禍にあっている。 これらのことにより江戸時代中期に今現在の場所に移転した。当時は周囲に高台ということで住居もあまりなかっただろうが、今現在では周りは新興住宅地が広がっており、その中にポツンと建っている感じだ。途中からお寺には 浄土宗の僧たちが世話をするようになり、今現在では西山浄土宗のお寺として地域の信仰を集めている。

 本尊は阿弥陀如来立像であり、平安時代の作と考えられている。であるならばかなり希少な仏像であり、文化財指定を受けていても不思議ではない。

   

 1200年近くにわたる長い歴史を持つ寺院であり、京都においても多くの寺が戦国時代末頃に創建されたケースが多い中で、平安時代に建立されたというのはかなり古い部類に入る。そういった意味ではこの山崎の地に建てられた大きな理由もあるものと考えられる。当時この地区には金原寺というお寺があり、その別院として現在の地蔵院が建立されたと言われている。金原寺はこの土地の地名が金ヶ原というところから来ているようだ。やはり皇室との関係があるとのことで、そういった意味で重視されたお寺ではないかと考えられる。

   


阿弥陀寺

   

 名神高速大山崎インターチェンジ近くにある。周囲は農耕地であり比較的 古い家が建ち並ぶが、その一角に新しい住宅地も広がる。そして阿弥陀寺はそんな中にある。一見してすぐわかるほど、山門あるいは本堂や各建物などがかなり新しい。おそらく歴史的にはそこそこ長いものがあるかもしれないが、インターチェンジ建設などの影響で移転せざるを得なくなり、この地に新しく建設されたものと考えるのが自然なのかなと言える。
 西山浄土宗のお寺であり、総本山は光明寺だろう。
 なお境内の手水舎の側面には弘化五申とあったので、これは西暦で1848年となる。このお寺の創建の年なのか。あるいは後から寄進されたものなのか、その辺はわからないが参考にはなる。


      
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