切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

光徳寺~金井戸神社~大蓮寺~大信寺 京都市伏見区・・・わりと質素なお寺たち

2020-02-09 23:11:18 | 撮影


 この日は天候は少し良くなかったが、京阪電車中書島駅界隈のお寺などを回る。
 駅から北方の一帯は酒造の蔵が多く集中しており、いわゆる伏見の銘酒で知られたところだ。この界隈にはあまり知られていないお寺などが多くあり、観光客用に街道も綺麗に整備はされているものの、大半が有名どころの坂本龍馬や月桂冠などの所に行ってしまう。今回はそこを避けて謂わばマイナーな所を撮影してみた。

光徳寺



 中書島駅から北西へ徒歩数分。
 なんとこのお寺、独自のホームページを開設している。それをいろいろ見てみたが肝心なお寺の沿革、あるいは由緒のことは一切記載されていなかった。分かったのは、浄土真宗東本願寺派で宗祖が親鸞聖人。そして本尊が阿弥陀如来ということだけ。後は色々調べてもネット上ではお墓の宣伝が出てくるばかり。どなたかの訪問記といったものも全くなかった。
 お寺の構えとしてはそこそこのもので、山門をくぐると緑豊かな境内が広がり、本堂もそれ相応に本格的な造りとなっており、決して印象に全く残らないというようなお寺ではない。きっと近辺に檀家さんもそれなりにおられると思うが、なにせこれ以上のことが分からず残念。
    

金井戸神社(通称、三栖神社)



 中書島駅の西約200mのところにある。線路沿いなので頻繁に電車の通過する音で騒々しい。
 神社創建の年代はよく分かっていないが、おそらく飛鳥時代あたりだと考えられている。大海人王子が大津へ行く際にこの地を通り、村人が夜道を照らして歩いたと言う。その後大海人王子は壬申の乱を経て天武天皇となるが、ここに神社を設けたのが創建にあたるだろうとされている。元々は三栖神社として建立された。後に少し離れたところに三栖神社が建てられ、こちらの方は御旅所となる。それが分離されてこの地の名前をとって金井戸神社の名になったということのようだ。
 天武天皇については、現在この神社の御祭神として祀られている。初めて「天皇」を名乗り「記紀」の編纂を命じた人物とされる。生年については文献によりいろいろ誤差があるが、実在した人物として確定されているようだ。
 神社の境内は駐車場になっていて、どうも神社という雰囲気があまり感じられない。まぁ仕方のないことではあるかもしれないが、そういったところは今の社会では避けて通れないものなんだろう。
      

大蓮寺



 中書島駅の北側約200mのところ。周囲は酒造業者が多い。浄土宗で本尊は阿弥陀如来。平安時代の末期に創建されたと言われる。
 このお寺はあることで有名で、それは中国の唐の国から持ち帰ったと言う「五劫思惟阿弥陀像 」が安置されていることだ。この像は三体あって、後は奈良のお寺にあると言う。なぜこの像が有名かと言うと、その頭髪部分。これが大きく盛り上がっていて、今で言うところのアフロヘアーのような形態をしている。そういった意味で極めて珍しい像ということだ。
 山門をくぐって境内に入ると何かあっさりして、緑の樹木だけがあり、あとは古い墓石が並んでいた。五劫思惟阿弥陀像を見ることはできなかったが、公開時には是非見てみたいと思う。
  

大信寺



 駅からは少し離れたところにあって、すぐ横を新高瀬川が流れる。浄土宗で本尊は阿弥陀如来。情報はこれだけ。後は色々調べてみたが全く何も分からずじまい。本堂などの建物は比較的新しいように見えた。
 境内はなかなか素晴らしくて豊かな緑の樹木。そこに赤い花が咲き、江戸時代と思われる古い墓石が多く並んでいる。京阪本線から少し離れているので比較的落ち着いた雰囲気でゆったりできるものがある。

     
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