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『智積院
真言宗智山派の総本山で全国に三〇〇〇余の末寺がある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長六年(一六〇一 ) に豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。その後、祥雲禅寺を拝領し現在に至っている。
祥雲禅寺は、秀吉が長男鶴松 (棄丸)の菩提を弔うため建立した寺で当時は都第一といわれた。
収蔵庫にある豪華な襖絵 (国宝)は祥雲禅寺以来のもので、長谷川等伯並びに一門の筆といわれ、桃山時代の代表的障壁画として知られている。このほか、張即之筆金剛経(国宝)、南画の祖といわれる王維の瀧図 (重要文化財)をはじめ、仏画・経巻など多数の指定文化財を蔵している。
庭園 (名勝)も同じく桃山時代の作庭といわれ、築山と苑池からなる池泉観賞式庭園で京洛名園の一つに数えられている。
京都市』 (駒札より)
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東大路七条にある智積院。これまで何度も訪れて撮影をしているところだ。中でも春の梅、桜、そして秋の紅葉は広大な境内に、巨大な本堂などの建物とともに非常に写り映えのする見事な風景が楽しめる。
この智積院に「あじさい」の花が大量に咲いているというのを知って、早速訪れることにした。これまで何年間もここにやってきて、紫陽花については全く知らなかった。境内の小さな池にはハスの花も見られる。
門を入って駐車場に車を置く。境内が広いだけあって駐車場もかなり広い。つい最近は宿泊施設が全面建て替えになって、非常に綺麗な立派な施設がオープンしたばかりだ。今現在はその向かい側に宝物館が建て替え新築中だ。
ここから門のほうへ戻り、いつも通り正面入り口から境内内部を撮影。広すぎて本堂が見えない。そして周りを見回すと、平日にもかかわらず意外にも多くの人々が来ている。無論信者として参拝に訪れている人もいるが、私と同様にカメラをぶら下げて撮影に訪れる人がかなり多い。表門からまっすぐ続く本堂への参道に沿って行くと、その両サイドに桔梗の青い花が綺麗に咲いている。無論これも撮影。若い女性たちはスマホや一眼カメラで一生懸命接写している。やはり若い人にとってみればこのような花は映えるのだろう。
ほどなく巨大な本堂の前に到着。智積院の本堂などの建物は実は鉄筋コンクリート製だ。かつてのものは失われ昭和の時代に、コンクリート造りで再建された。そういった意味ではお寺としても歴史的な古さというのは感じられない。
その本堂の北側に紫陽花の花が密集している場所があった。何人もの人が撮影している。やはり紫陽花というのは様々な色があるというのが、ひとつの魅力であり、場合によっては一株の花に桃色から紫色に変化していくような状態になっているものもある。一般的には紫陽花の花を見に行った時に、ハート型の花があったということが話題になりがちだが、そういう花にはあまり興味がなく、やはり花の色に惹かれていく。
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本堂横の紫陽花の花を撮り終わると続いて、本堂を大きく回ってその背後に行く。古い墓地があり、そこにかなり広い紫陽花の花畑が広がる。これは桜にしても同様だった。やはりこれだけあるとなかなか見事なもので、撮影する方としても期待が高まる。 大勢の人々があちこちで撮影していた。大半は若い女性の数名のグループ。中高年の夫婦といった人が多く、私のように老人一人で撮っているというのはなかった。学生らしき若者が一人で撮影しているというケースを何人か見かけた。
最も期待していた真っ赤な色の紫陽花の花は、残念ながら見られなかった。宇治の三室戸寺にはその真っ赤な紫陽花の密集地があって、ハッとするような美しさだったが、これがここにもあれば最高だったのがひとつ残念な点だ。しかしさまざまな色の花々、そして一般の紫陽花からいわゆる日本の発生種としてのガクアジサイも見られて十分満足できた。
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ちなみに「あじさい」という名前はどこから来たのか、ということについてはよく分かっていないらしい。紫陽花そのものが日本の固有種であり、それが後年世界に広がっていったということのようだ。その日本で記録に登場する古いものが、おそらく「万葉集」の歌の中にあると言われている。一つは橘諸兄が歌ったもので、万葉集においてはいわゆる万葉仮名と言う表音文字としての漢字が当てはめられており、そこから紫陽花の意味を汲み取ることはできない。今現在では紫という文字が使われているが、これも諸説あるものの、おそらく藍色が多く集まったものとして、この文字が当てはめられているのではないかと考えられているようだ。
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