白長龍神神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/a7/b7ec788c6fd3ecdbe5392c55e2bafb76.jpg)
京滋バイパスの久御山淀インターチェンジの南側に位置する。以前紹介した大藤神社の近くだ。神社そのものは極めて小さなもので敷地も非常に狭い。そこに赤い鳥居と小さな祠が建つ。由緒その他については一切分からない。ただ名前が白長龍神とあり、龍神信仰の対象になっていたものと考えられ、その意味では恐らくそこそこ古い歴史を持つ神社ではないだろうかと思われる。
龍神というのはそもそもはインドまたは中国において、何らかの実在動物を仮想世界の象徴として考えられ描かれ、神として具現化されたものだと考えられる。それらが日本に伝えられて日本独自の龍神信仰というものが生まれることになる。
ただ単に龍神という名前で建てられている神社もあるが、多くは「青龍」や「白龍」と言った色にまつわる名前がついているが、これは陰陽道の四つの神獣を元にしているのではないかと思われる。京都において有名なのは八坂神社の青龍で、平安京の東を守る神として八坂神社本殿の下に龍穴と言う青龍が住んでいたという伝説がある。
日本においては龍神は外部から入ってきたものであり元はなかった。しかしその龍神信仰は水と結びついて広がる。水の神が存在するという場所に結び付けられるようになる。海や川沿い、池のほとり、滝のある所などなど様々な水というものが古くから自然信仰の元になっている場所に、この龍神が結びついて祠が建てられるという具合になったケースが比較的多くみられるといわれている。
そして人間生活における水というものは、あらゆる生活や冨のもとになるものであり、大事なものとして尊重された。従って龍神信仰はご利益として、五穀豊穣や縁結び、健康長寿など人間生活にとって大切な、そして良いものとして捉えられることになったと言える。
ここの神社がおそらく巨椋池の水の神と結び付けられて創建されたものと考えると辻褄が合いやすい。しかしそれにしてもあまりにも規模が小さいので、かつてこの池沿いにあった村の人々によって造られた小さな祠であったんだろうと考えられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/78/29b26426f21fa0a6bafdeeb2d51390f8.jpg)
大中内神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/bf/b1b73a73763cf19f58ed1160b5f8a843.jpg)
『遷座記念碑
大中内池神社は元の所在地御山町大字森小字川端 三十五番地の一に創設されたが昭和六十三年開通する京滋バイパスのルート上に當たるので 現在の所在地 久御山町大字森小字中内 六十五番地の五に移転することとなった。 昭和六十三年二月二十二日仮殿遷座祭を奉仕して神霊を一時玉田神社に奉遷し同年五月十二日社殿の移設完了に伴い本殿遷座祭を奉仕してここに鎮座されたものである。
昭和六十三年五月吉日』 (境内石碑文より)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/63/2a3778e57de4a57913df41e79477199e.jpg)
国道1号線と京滋バイパスとその側道が交わる一角にこの神社はある。ともに交通量が多く騒音の絶えないところだ。交差点の角地なのですぐ横には大きなガソリンスタンドがあるが、狭い土地に閉じ込められてるような雰囲気になる。
境内には二つの石碑が立っていて、一つは上記の如く元あった場所からこの場所に遷座された記念碑として、その様子が記されている。今一つは「社歴」とあっていわゆる由緒にあたるものだ。ところが石版に彫られた文字が癖があって極めて読みにくい状態。
その内容を大まかにまとめれば、もともとこの辺りにあった旧小椋池を干拓するにあたって、池の中に生息していた主をはじめとする様々な生き物を神として祀り、祠を建てたことがこの神社の始まりとされる。太平洋戦争が始まる少し前の話だ。創建は1941年となる。しかしこの神社が元あった場所に、京滋バイパスとその側道が建設されることになり今のこの地に移された旨のことが記されている。
境内はかなり狭くそこに本殿と末社があり、大きな木も植えられている。新しいだけあって石版に由緒等が彫られている。旧小倉池の北西の端に近いところとなるが、この場所にはなかなか行きにくいのが実態だ。まして車など置く場所もない。近くのイオンに車を置いてあとは徒歩で幅広い幹線道路の信号を渡ってたどり着く。
今現在ではまだまだ新しい神社ということだが、これが100年経ち200年経ち、後世にこのような事情で神社が創建されたということがしっかりと残されていくことだろう。祭祀も行われているという。
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京滋バイパスの久御山淀インターチェンジの南側に位置する。以前紹介した大藤神社の近くだ。神社そのものは極めて小さなもので敷地も非常に狭い。そこに赤い鳥居と小さな祠が建つ。由緒その他については一切分からない。ただ名前が白長龍神とあり、龍神信仰の対象になっていたものと考えられ、その意味では恐らくそこそこ古い歴史を持つ神社ではないだろうかと思われる。
龍神というのはそもそもはインドまたは中国において、何らかの実在動物を仮想世界の象徴として考えられ描かれ、神として具現化されたものだと考えられる。それらが日本に伝えられて日本独自の龍神信仰というものが生まれることになる。
ただ単に龍神という名前で建てられている神社もあるが、多くは「青龍」や「白龍」と言った色にまつわる名前がついているが、これは陰陽道の四つの神獣を元にしているのではないかと思われる。京都において有名なのは八坂神社の青龍で、平安京の東を守る神として八坂神社本殿の下に龍穴と言う青龍が住んでいたという伝説がある。
日本においては龍神は外部から入ってきたものであり元はなかった。しかしその龍神信仰は水と結びついて広がる。水の神が存在するという場所に結び付けられるようになる。海や川沿い、池のほとり、滝のある所などなど様々な水というものが古くから自然信仰の元になっている場所に、この龍神が結びついて祠が建てられるという具合になったケースが比較的多くみられるといわれている。
そして人間生活における水というものは、あらゆる生活や冨のもとになるものであり、大事なものとして尊重された。従って龍神信仰はご利益として、五穀豊穣や縁結び、健康長寿など人間生活にとって大切な、そして良いものとして捉えられることになったと言える。
ここの神社がおそらく巨椋池の水の神と結び付けられて創建されたものと考えると辻褄が合いやすい。しかしそれにしてもあまりにも規模が小さいので、かつてこの池沿いにあった村の人々によって造られた小さな祠であったんだろうと考えられる。
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大中内神社
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『遷座記念碑
大中内池神社は元の所在地御山町大字森小字川端 三十五番地の一に創設されたが昭和六十三年開通する京滋バイパスのルート上に當たるので 現在の所在地 久御山町大字森小字中内 六十五番地の五に移転することとなった。 昭和六十三年二月二十二日仮殿遷座祭を奉仕して神霊を一時玉田神社に奉遷し同年五月十二日社殿の移設完了に伴い本殿遷座祭を奉仕してここに鎮座されたものである。
昭和六十三年五月吉日』 (境内石碑文より)
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国道1号線と京滋バイパスとその側道が交わる一角にこの神社はある。ともに交通量が多く騒音の絶えないところだ。交差点の角地なのですぐ横には大きなガソリンスタンドがあるが、狭い土地に閉じ込められてるような雰囲気になる。
境内には二つの石碑が立っていて、一つは上記の如く元あった場所からこの場所に遷座された記念碑として、その様子が記されている。今一つは「社歴」とあっていわゆる由緒にあたるものだ。ところが石版に彫られた文字が癖があって極めて読みにくい状態。
その内容を大まかにまとめれば、もともとこの辺りにあった旧小椋池を干拓するにあたって、池の中に生息していた主をはじめとする様々な生き物を神として祀り、祠を建てたことがこの神社の始まりとされる。太平洋戦争が始まる少し前の話だ。創建は1941年となる。しかしこの神社が元あった場所に、京滋バイパスとその側道が建設されることになり今のこの地に移された旨のことが記されている。
境内はかなり狭くそこに本殿と末社があり、大きな木も植えられている。新しいだけあって石版に由緒等が彫られている。旧小倉池の北西の端に近いところとなるが、この場所にはなかなか行きにくいのが実態だ。まして車など置く場所もない。近くのイオンに車を置いてあとは徒歩で幅広い幹線道路の信号を渡ってたどり着く。
今現在ではまだまだ新しい神社ということだが、これが100年経ち200年経ち、後世にこのような事情で神社が創建されたということがしっかりと残されていくことだろう。祭祀も行われているという。
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