切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2021年 京都の梅 北野天満宮 京都市上京区

2021-03-08 22:07:56 | 撮影
北野天満宮

  

『北野天満宮
由緒
ご祭神
菅原道真公 すがわらのみちざねこう
中将殿(道真公のご子息)
吉祥女(道真公のご夫人)

 北野天満宮は、菅原道真公(以下「菅公」と記します)をおまつりした神社の宗祀(総本社)で、親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。
 平安時代中頃の天暦元年(九四七)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(九八七)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の神号が
認められ、寛弘元年(一〇〇四)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。
 江戸時代には教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室には必ず天神さまがおまつりされ、あるいは神影(菅公のお姿を描いたもの)が掲げられ、学業成就や武芸上達が祈られてきました。現在、全国各地には菅公をおまつりした神社が、およそ一万二千社とも言われ、その多くは当宮から御霊分けをした神社であります。
 菅公は世々に「文道の大祖・風月の本主」と仰ぎ慕われ、学問の神様としての信仰は昔も今も変わることなく人々の生活のなかで受け継がれています。』
  (パンフレットより)

      

『全国天滿宮総本社 北野天満宮

 菅原道真公(菅公)を祀る全国約一万二千社に及ぶ天满宮・天神社の総本社。
「和魂漢才」の精神を提唱された管公は、後に「文道大祖 風月本主」と称えられ、学業成就や厄除、技芸上達の神として信仰を集めている。
 村上天皇天曆元年(九四七)、平安京の北西(天門)に創祀され、天德三年(九五九)藤原師輔卿が御社殿を造営、以来朝野の崇敬篤く、殊に一條天皇には「北野天満大自在天神」 の神号を賜り、格別の尊崇を受け、 「天神さま」として全国に伝播した。
 また、天正年間には豊臣秀吉公が境内一帯の北野松原で北野大茶湯を催し、慶長年間には出雲阿国が京において初めてややこ踊り(歌舞伎踊り)を演じるなど、日本文化発信の中心地として強く意識されてきた。
 現在の御本殿(国宝)は、豊臣秀頼公が、慶長十二年 (一六〇七)に造営されたもので八棟造と称し、権現造の原型となった桃山建築の代表的遺構である。また、中門は三光門と呼ばれ、後西天皇御宸筆の勅額[天満宮」を掲げている。
 宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻・承久本 (国宝)をはじめ、貴重な文化財を多数蔵Lている。
 每月二十五日の御縁日(天神さんの日)には多くの参拝者で賑わう。  京都市』
  ( 駒札より)

      

 北野天満宮の梅については、3年前にこのブログで紹介している。つまり2回目となる。京都の梅の名所といえば、観光ガイドブックなどにも真っ先に出てくる程、ここの梅は非常に有名だ。第一鳥居を入り長い参道の途中にも梅が見られ、大きな楼門の下をくぐって境内に入ると、あちこちに色とりどりの梅の木が見られる。人出も予想以上に多かった。やはり見たいものは見たい、一緒に撮りたいものは撮りたい。考えることは老若男女に限らず皆さん同じようだ。
 私自身も他の方々に負けじと参道の段階から次々に撮影していく。壮大な門の所では脇に立派な梅が咲き誇り、まさしく梅撮影の大きなポイントになる。大勢の人が撮っていた。境内に入ると拝殿、そして本殿と続く。何れも国宝だ。さすがに本殿の方は正面からは見えないが、拝殿の見事さというのは、写真を撮る以前に見惚れてしまうほどの彫刻が施され、立派なものであり、ずっと見ていても飽きることはない。
 北野天満宮は神社そのものの駒札だけではなく、各末社などの説明駒札も用意されており、非常にわかりやすい。末社の中にも国の重要文化財に指定されているものがあり、さすがに境内の広さとも相まって京都を代表する大天満宮と言える。私自身は既に何度も訪れており、各場所の様子も頭の中に入っているが、あまりにも素晴らしいので花のシーズンになるとやはり来たくなる。こうして一通り境内をぐるっと回っていよいよ広大な梅園に入る。ここからが有料となる。そして同時に真横から本殿を直接見ることができる。残念ながら真横から見るので、正面の素晴らしい彫刻等は見えない。しかしさすがに国宝だけあって非常に巨大な本殿だ。
 梅の花は密集して咲き誇っており、次々に撮影していたところが、突然モニター画面に電池切れのマークが現れた。あっと思ったが時すでに遅し。ちょうど本殿の撮影を終えた段階でバッテリー切れだ。この日の使用カメラは、ネット記事などでもバッテリー容量が少なく本格的な撮影には予備バッテリーが必須だと書かれていたことを思い出した。満タンにして持って行ったが約200枚でバッテリー切れ。梅園はまだ 1/4くらいしか見ていない。ここで諦めざるを得なかった。まぁまた2~3年後行ってこようと思う。
 しかしそれにしても学問の神様として有名なこの北野天満宮。ちょうど中学生や高校生が受験するという時期もあって、絵馬をかけるところには膨大な数の絵馬がかけられていた。皆さんやはり最後の最後は神頼みということになるんだろう。各地に天満神社は多いが、御利益の強さは多分、みんな同じなんだろうと思う。

            
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