きらせん

仙台のきらめき










東北大学公共政策大学院准教授
佐分利 応貴

 「小島よしお」

2008-01-01 21:28:53 | Weblog

  元旦の挨拶をすませて、すぐに岐阜から水戸に移動。
  中央自動車道が雪のため、やむなく東名から。

  初富士はややかげっている。
  

  だが夕日は美しい。
  

  途中のサービスエリアで、小島よしおのお菓子を発見。
  
  「静岡土産なのに静岡でつくってねぇ
   でもそんなの関係ねぇ!
   お土産を パパに買って ピーアール (オッパッピー)」

  すげぇ。。。
  ちなみに栃木製でした。
  この商売根性、東北も見習うべきか。
  (しかも、おそらく本人には金を払っていないのでは… 
   でもそんなの関係ねぇ?)

  小島よしおは札幌雪祭りに出るらしい。
  命がけだと本人も言っていたが。


 「学問」

2008-01-01 09:35:16 | Weblog
  天に星、地には花、人に愛を。


  年が明けた。
  喪中のため、年が明けても「おめでとう」とは言えない。
  喪中は神社にはお参りできない。「穢れ」だかららしい。(なぜだ?)
  喪中はお寺にはお参りできるらしい。(なぜだ?)

  節分で喪が明けるところもあれば、3回忌で喪が明けるところもあれば、四十九日で喪が明けるところもある。(なぜだ?)

  大学で宗教社会学を研究していた(専攻していたのは経済だが)のに知らないことだらけ。


  学問の出発点は好奇心である。
  「なぜだ?」という感覚。
  「すごい!」という感性。
  この「?」と「!」、そして通奏低音としての欲望が文明をここまで高めてきた。
  
  自分にもし誰にも負けないものがあるとしたら、
  それは学問への欲望である。