kinuko画廊

子供の頃のように無邪気に、心に浮かぶ絵を描いていきたい
溢れ出すコトダマたちとともに・・・

日本人としてのトラウマを癒す

2007-07-28 13:09:44 | ちょっとお堅い話
自分が何故、突き動かされるように『日本』という国を振り返っていたのか、
その理由がわかった。

今『天照大神』を描いている。
ミルさんから、ドリーン・バーチューさんのカードのイラストを募集してると
教えていただき、10日くらいから描き始めていた。

当初、締め切りが7月20日となっていたので、余裕をかましていたのが間違い。
きっといい作品が見つかったのだろう、10日過ぎには早くも締め切りを
打ち切られていたみたい。


ま、しょうがないよねぇぇぇ(>_<)


でも、どうやら私にとって『天照大神』を描くことは、別の意味があったらしい。

岩戸開きで有名な『天照大神』は、日本人にとっては日の神であり、
皇祖神ともいわれる。
真実は様々な説があって謎だけれど(なんせ神代のことなんで(^_^;))
描くことを通じて、日本を見直すことが求められた。

細胞に刻まれている『和の精神』を呼び起こすために、
日本人としてのトラウマを手放すこと。
私の場合、このプロセスはどうしても必修だったのだと思う。


ここ何日か、これまで教えられなかった事実を知り、かなり泣いた。
これほど涙が出るものなのかと思うほど、滝のように溢れ出る。

『反日マスコミが伝えない親日の話』

http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/index.html


これらのすべてを鵜呑みにしてはいけないと思う。
それだと、今までとなんら変わらない。
それでも、話半分にみたとしても、知らなかった。知らな過ぎた。
自分の無知さ、無関心さ、情けなさを反省するとともに、
英霊たちに対する申し訳なさが胸に広がる。。。

その時代を、祖国のために一生懸命戦ってくれた人たちがいる。
祖国のため、アジアの独立のため、自らを犠牲にしてくれた先祖たちがいる。
「靖国でまた会おう」を合言葉に。。。

私はその人たちを貶めるようなことをしていた。
活動や運動こそしていないけど、日本の批判ばかりしていた。
欧米と比較し、ここがダメ、あそこがダメとやっていた。
これじゃ、まるで日本人の反日だよね。

私のようなタイプが多い中、本人たちよりもずっと日本人を評価し、励まし、
応援してくれている他国の人たちがいた。
その中には、日本が迷惑をかけた国の人たちもいるのだ。
当事国でありながら、過去の罪を「許す」器の大きさをみる。
それも、先人たちの優れた精神性のおかげなのだと思う。

こういったことを書くと、右だとかなんだとか言われてしまうかもしれない。
また、過去を美化する行為だと言われるかもしれない。
人によっては、とても不快に感じることだろう。

そういった批判も受け入れつつ言わせてもらえば、
例えば、喧嘩したときに、どちらか一方の言い分しか聞かないのはおかしい。
これまで一方向からしかみていなかったものを、
あらゆる方向から眺め、検証することに、何か問題でもあるだろうか。

問題があるとすれば、そこから先。

伝えられてきたこと以外の側面を知った人たちが、今後とる態度だ。
抑えられていた反動が出るかもしれない。

そもそも、こういったことがなぜ明るみになってきたかといえば、
戦後何十年もの間、極悪非道で残忍な帝国軍のイメージを刻まれ、
ごめんなさいと言っても、多額の資金援助しても、
反日の様子をメディアで見させられ、外交のカードとして使われ、
謝罪せよ、賠償金、慰謝料を払え、あげくの果てには大使館まで攻撃されて、
それでも日本が過去にしたことからすれば仕方ないとまで言われる。
それに対し、「一体何があったのか?私たちの先祖はそんなに悪かったのか」
という疑問を誰もが持ったからである。
真実を追求したくなるのは、ごく自然な流れだと思う。

いずれにせよ、、、
いままで隠されていたことが、どんどんと明るみになっていく。
手付かずだった闇に光が当たる。
いいことも、嫌なことも。
それから目を背けることなく、向き合わなくてはならない。

どんな真実が浮かんできても、冷静に過去を手放していこうと思う。
トラウマを開放し、心の輝きを取り戻していきたい。

卑屈に頭を垂れているばかりではなく、凛としていよう。
酷い言葉に対して、酷い言葉で返すことはしないで、
毅然とした態度でいよう。

それでも日本の特徴でもある、謙虚さは忘れてはいけない。
相手を尊重する気持ちを忘れてはいけない。

『己の欲せざる所は、人に施す勿れ』
(自分がいやだと思うようなことを、人にしてはいけない)
孔子の珠玉の言葉。

憎しみの気持ちは、また新たな憎しみの気持ちを生み、
不幸の螺旋へと嵌っていく。
それは一種の罠のようなものだ。

右か左か、私はそういうのはもういい。
右じゃなければ左か?左じゃなければ右か?
これも戦いのひとつの構図。
どちらか一方が正しいというのはありえない。

私は中庸でいたいと思う。
バランス感覚を大事にしていきたい。
ここは、和の精神で乗り越えていくべき一番のポイントだといえる。



『天照大神』を描くということ。
それは、私にとっては日本人としてのトラウマを手放し、
日本の心を思い出すことだった。

描くことを勧めてくれたミルさんに感謝します。
ありがとうございました。
・・・でもすんごく難しい!!!
できたらUPしますね(^^♪

日本という国

2007-07-19 13:20:43 | ちょっとお堅い話

何故か今書いておかなければと感じ、

重いテーマですが取り上げてみました。


************
 

私は、自分が住んでいるこの【日本】という国が

ずっと好きになれませんでした。

自分が住むこの国をどこかで卑下していたのです。

日本は世界中の人から嫌われてる。

そう思っていました。


その理由のひとつに、

日本が戦争で、他の国に大きな迷惑をかけたことがあげられます。

なんて酷い国だろうって。

いろいろな戦後保障の問題も、他国の反日感情も、

日本に浴びせられる蔑視の言葉も、

「そんなん日本が悪いねんから当たり前」と

何の疑いもせずに、普通に思っていました。

そういう風に教えられてきたし、マスコミにしてもたいていの場合、

そういう報道の仕方だったからです。


けれどこの戦争、別の視点からも捉えられることを昨年初めて知りました。


《私たちの先人は大東亜戦争を戦ったのです》

http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/daitoua.html

日本人の発言ではなく、外国の人達がこの戦争についての発言したことや、
書物からの抜粋で構成されています


  先の大戦について肯定的に語ることがタブーのような空気に包まれている
  日本に於いては、日本人自身のそういった発言はすぐに色眼鏡で見られ、
  レッテル張りされてしまいます。
  そこで外国人の意見を集めてみました。

   H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

  「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等を
   もたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


   他多数・・・・


《嗚呼大東亜戦争》

http://www.senyu-ren.jp/AA/AA.shtml

これは、鄭春河さんというの台湾人の方で、志願して日本兵となり、
大東亜戦争を戦った人がまとめられた文です。
長いですが、とてもわかりやすく書かれています。

前がきより抜粋します

  「しかし台湾同胞よりも日本同胞に一人でも多く読んでいただきたい。
   何故ならば、日本同胞の中には戦後の誤った教育を受けて、歴史の流れや、
   歴史上の真実を知らず、自分の祖国日本を嫌悪する者が多い。
   これでは将来が思いやられる。これらの人々に正しい歴史観と自信を
   取り戻して貰い、世界に冠たる日本精神―――大和魂の振作復興を
   図るのは私個人の望みとする所ばかりではなく、日本に於ける刻下の
   急務で有る外、指導者並びに教育者の使命とすべきではなかろうか」



当事者どうしでは見えないことも、第三者の目で冷静に分析したとき、

単に「被害者と加害者」や「戦勝国と敗戦国」という構図とは

また違った見方がされているのです。


そう、、、よくよく考えれば、それまで原住民から国を奪い、

植民地化してきた欧米各国が何の裁きも受けず、

日本だけが裁かれたということのはおかしな話です。


アジア各国が欧米大国に次々と植民地化されていくのを目の当たりにし、

明日はわが身と、先に手を打つのは無理ないことなのかもしれません。

最後の最後には、黙って強国の植民地になるか、分が悪い戦いに挑むか、

それしか選択の余地が残されていなかったようです。


こういった事情も知らず、悲しいことに私たち日本人は、

長きに渡り自国を愛することが許されない風潮があったのです。

自分の国を腐し、まるで他人ごとのように国の批判し続けたのです。

少なくとも私はそうでした。


このことは、東京裁判でただ一人、日本は無罪であると主張したパール判事が、

後に日本人へ贈っていただいたメッセージどおりなのです。


「欧米諸国は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史に
とどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の十七年間の経緯を、罪悪と烙印することが目的であったに
違いない・・・・・・・・・・

私は一九二八年から四十五年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には恐らく日本人の知らない問題もある。それを私は判決文の中に綴った。
この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることが
わかる筈だ。それなのにあなた方は、自分等の子弟に

「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。

満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史をどうか私の判決文を通じて
充分研究して頂きたい。
日本人の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れて行くのを、
私は平然と見過ごすわけにはいかない。
あやまられた彼等の宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き改めねばならない。」

このように、パール判事が危惧したとおりではないでしょうか。


とはいえ、こういったことを知ったからといって、

私はこの戦争を美化しようとは思っていません。

如何なる大義名分を掲げても、戦争をしかけてはいけないと思っています。

他国を我がものにすることなど、あってはならないのです。

また、ナショナリズムを煽るつもりもありません。

自国を愛し誇りに思うことはいいことですが、

それが他国への攻撃に繋がっているとすれば、とても愚かなことです。


私は、迷惑をかけた国のみなさん、痛みを与えたみなさんに対しては、

日本人として申し訳なく思う気持ちは変わりません。

事実、苦しんだ人はたくさんいるのです。

いかに正当性をあげ連ねても、

直視すべき事実は、直視しなければなりません。


ただ、やはりこういった側面があることを知ってよかったと思います。

おそらく、インターネットがなければ一生知らなかったことです。

古傷に触れたくないので、本当は何があったのか振り返ることなく、

目をそむけ続けたと思います。


でも、私たちの子孫のためにも、この姿勢を続けていてはいけないと

思っています。

どこかで断ち切る必要性をひしひしと感じます。

自分の国を愛していると、堂々と言えない国。。。とても悲しい話です。

自分の国を愛しているとしか言ってはいけない国もありますが。。。

それと同じくらい悲しいことだと思います。


ひとつのものごとでも、、それぞれの立場や事情によって、

善にも悪にも、正にも邪にも変わります。

私たちは、ヒーローが悪役を最後に叩きのめすという単純明快な

ストーリーに慣れ親しみすぎているのです。

当たり前の基準も、しきたりも思想も違う国どうしの争いで、

一方的に悪役を押し付けるのは、とても不自然なことです。

この辺りに物語としてのデフォルメを感じます。

演出が上手い側が、悪役をやっつけるヒーロー役を演じたり、

悪役に打ちのめされる悲劇のヒロイン役を演じる。

逆に演出が下手なものが、悪役としてのレッテルを貼られている

ように見えてきます。

ちなみに私たち日本人は、間違いなく後者です。

それが日本人の不器用さであり、よさでもあるのです。

長年、外国から馬鹿にされ続けてきた日本人ですが、

この混沌の時代に来て、(外交はともかく)一般人の間では、

日本の歴史や文化、日本古来の考え方などが注目されはじめています。

彼らが見ているのは、今の日本ではなく、私たちの祖先が世界に示した

『大和魂』とか、『武士道』といったものです。

私たちは、もう一度その心意気を、見直さなければならないのかもしれません。



、、、長きに渡るコンプレックスから幾分開放された今、私は思います。

本当は、どこの国の人かなんて関係ないのです。

日本人だから駄目というのもおかしいし、

また、日本人だから良いというのも、

選民意識の表れのようで、私自身は違和感を持ちます。


私たちはみんな、地球に住む地球人です。

そして、この宇宙の住人である宇宙人です。

他人や、他の国や、他の星と比較して、卑下する必要はないのです。


   
   おっと、、、どなたかがバトンタッチして下さるようです
   勝手に言葉が出てきました・・・


力が強く、戦に長けている者が偉いのではありません

先頭に立ち、旗を振るものが偉いのではありません

巨万の富を持つ者が偉いのではありません

膨大な知識を持つ者が偉いのではありません

奇跡の力を持つ者が偉いのではありません

そこに真心というものがなければ、

どんな宝を手にしたとて、ただの亡者です


神より与えられたそれぞれの賜物を、

地位や権力や名誉のためではなく、

愛と真心をもって使うこと

みなと共に分かち合うこと

それができる者こそ、真の偉人と言えましょう


分かち合うこととは

【和】というあり方です

違うものを否定したり、非難したり、排除したりするのではなく、

尊重し合うという姿です

損得など関係なく、ただ純粋に、調和していこうという心根です


みながこの心を持つことで、一体どれだけの変化が起こせるかわかりますか

これには、地位や権力やお金や知識は必要ありません

誰もが今この瞬間からできることなのです


人がよすぎると騙されるというなら、喜んで騙されて下さい

騙す方ではなかったことを喜んで下さい

誰が見ておらずとも、天にはすべてが届いております


救い主を外に求めないでよいのです

神は、誰一人欠くことなく賜物を与えられています

だからあなた自身が偉人となって下さい

あなたが知らずとも、あなたの魂はそうなれることを知っています

魂の叫びを聞くのです

内なる光としっかりと繋がるのです

そうすれば、あなた自身の中に宿る叡智を見出すことができるはずです

何事も心で見て、心で聞いて、心で読むのです

そうすれば、起こる出来事の、流れる情報の真意が

透けて見えてくるはずです




・・・なんか、多少ズレたようにも思いますが、
自然と浮かんだ言葉なので、きっとこれでよいのでしょう・・・(^_^;)


とーっても長くなりました!!!!!ごめんなさい
ここまで読んで下さった方に心から感謝いたします(ペコリ)



肉抜き生活、その後☆

2007-07-04 11:46:21 | ゆるゆる菜食生活

続いてます!(^^)!

なんでも三日坊主の私にしては、上出来だ!!!

もともとグルメじゃないのがよかったのか・・・にゃは☆


あれから食材を見直して、最近はネットで無農薬野菜やお米を買っている。

高いよ(;_;

家計に響くよ(>_<)


でもね!!!!!

いいことも引き寄せてます♪

私の家の前は、小さな家庭菜園場なんだけど、

そこのおじいさんがたまねぎをテンコ盛りくれました☆

んで、義理の姉の家に遊びにいったとき、

これまた自分の庭でしてる家庭菜園のお野菜を分けてくれました☆

一昨日は、ご近所さんが田舎に行ったときもらったと、

にんじんを分けてくれました☆


どれも泥つき新鮮野菜!!

みなさんと、応援してくれてる存在に感謝です


無農薬野菜だから仕方ないけど、

虫がついてることがあるんだな~

この前はブロッコリーに毛虫がついてた

しばらく固まって、動けなかった(^_^;)

それだけ美味しいということや!!!!!←ちょっと強がる


体重とか体調には、今のところさほど変化なっしんぐ

ご飯はいっぱい食べてるもんな~

作る量も多すぎるのかもしれない

レパートリーも増やさないとダメだな

にゃんばれ~私!!!

便利の代償(続き)

2007-07-03 09:58:02 | ちょっとお堅い話
前回の続きです

こんなふうにいうと、どよ~んと気持ちが暗くなり、
誰がこんな世にしたんだ、どうしてこんな風になってしまったんだとか、
責任を誰かに押し付けたりしたくなる。

けれど、考えてみよう。
戦中戦後、ほとんどの家庭が日々の食べ物にも
困窮した時代があった。

私たちのおじいさん、おばあさんたちは、
家族を養うために、遊ぶ間も寝る間も惜しみ、
必死に働いてくれた。
そのおかげで各産業はどんどんと発達した。

経済が成長し、みんながそこそこ食べられるようになると、
今度は、それぞれの産業・経済は熾烈な競争社会に入った。
消費者のニーズに対応するため、より便利なもの、快適なものを
次々に生み出した。
経済競争に打ち勝つために、たくさんのものが開発された。

私たちがより快適で物質的に豊かな暮らしを求めた結果が
今の現状を創っている。
けれどそれも、誰もが善かれと思ってしてきたことなのではないだろうか。

残念なのは、そこに未来の予測を立てていなかったことだ。
この先地球がどうなるか、
この先人間がどうなるか、
いや、ある程度はわかっていたのかもしれないけれど、
深く考えるのを後回しにしてきただけ。
それよりも、経済的豊かさを最優先してきた。

それでも、元校長の話の中であった、
「自分の子供にはそんな苦労をさせたくない・・・」
この親心を、誰が責めることができるだろう。

みんなが一生懸命生きてきた結果なのだ。
だから、誰も責めたり裁いたりできないし、しても仕方ない。


とはいえ、この現状の歪みをどこかで止めて、
ベクトルを変えなければならないのは事実だ。
それは誰しもが思っていることだろう。

子供の目からみたら、今のままじゃダメだとわかっているのに、
どうしてすぐに変えられないの?と素朴な疑問を持つはずだ。

簡単にそうできないのは、既存の産業を守るため。
経済を守るためなのだろう。
実際そういう人たちが世界を動かしている。

また、この生活に慣れ親しみ、
執着する私たちにも、もちろん原因がある。

けれど、もうどこかで止める時期に来ていると思う。
どこまでもラクで便利で、合理性、経済を追い求めていると、
この船は乗客を乗せたまま沈没してしまうだろう。
既に危険信号が黄から赤に変わっているかもしれない。

次々と起こってくる問題を、いちいち国や企業に怒りを
ぶつけていても埒があかない。
みんなの幸せを考えるというよりは、
自分自身や自分の組織の利益を守ることばかり考えている政治家や官僚、
企業のトップに任せておく時間はない。

私たち個人が確かな意図を持って、さまざまな選択する時期に来ている。
長年積み上げてきた既成概念を、ガラリと換えることが迫られている。

よく宗教などでマインドコントロールを受けるというが、
この経済社会そのものもそのひとつと言える。 
「お金があればなんでもできる」と自由を謳歌したものの、
結局は、それに縛られ、執着し、心と頭を奪われている。

勝ち組とか、負け組とか、経済的な豊かさばかり煽られて、
競っている場合ではない。
経済的勝ち組が、心ある人間として本当に幸せとは限らない。
最初から同じ土俵に立たないことだ。


本当に経済に左右されないで生きることはできないのだろうか。
経済産業は消費をする人がいて初めて成り立つ。
ブームや仕掛けに惑わされず、最低限必要なものだけしか
『買わない』というのもひとつの選択だ。

今はエコを謳っている企業や商品も増えてきた。
けれど、それもまだまだ広告料の一部として使われている程度。
よく観察しようと思う。

電気やガス、水をできるだけ使わずにするにはどうすればいいか。
何を基準にどんなものを買うのか。
何をどれくらい食べていくのか。
個々の生活の中で、じっくり検討していく必要がある。
衣食住のあらゆる既成概念を頭からはずす作業が求められている。


大人が変われば、子供が変わる。
子供が変われば、未来が変わる。


大変な時代に突入していることは間違いない。
行く末に不安を感じることもある。
もしかしたら、このことは天の筋書きどおりなのかもしれない。
一通り経験することでしか答えを得れないのかもしれない。

もし、万が一、この国の経済が破綻したとしても、
大きな災害に見舞われても、
戦争に巻き込まれたとしても、
強い精神力で乗り切ろう。
助け合って生きていこう。

どんなに外国の文化が流れてきたところで、
私たちには『大きな和』の民族のDNAが組み込まれている。
八百万の神に感謝し、
太陽に、月に、自然に感謝し、
先祖に感謝し、
万物万人が和をもって善しとする魂だ。

小さなことから始めよう。
個人の取り組みが寄り集まれば、大きな成果を出せるはずだ。
今こそ、先人の心と生きる知恵に学ぶ時なのだと思う。


便利の代償

2007-07-02 01:26:37 | ちょっとお堅い話


以前、元小学校校長をし、今は引退されている女性のお話を聞く機会があった。

「私たちの子供の時代は、水を使うのにも井戸や川まで水を
汲みに行った。子供でもできることは家族の一員として手伝った。
とてもきつい仕事もあった。

私たちは、自分の子供にはそんな苦労をさせたくないと思い、
便利な生活をどんどんと取り入れた。
その結果、息子、娘、またその子供たちは、
生きる上での苦労をあまり知らない。
今は我慢することや、苦労に耐えることを生活の中で学べない。

みんなが豊かになった今、好きなものを周りのたくさんの大人から貰える。
欲しいものは、大抵手に入る。
それは、幸せなようで、とてもかわいそうなことだ。」

こんなフレーズが頭に残った。
実際その通りだと思う。

私が子供の頃からしても、世の中ずいぶんと変わってきている。
私は、元軍人の祖父と同居していたので、
同世代の友人たちに比べると、とても厳しく質素な生活をしていた。

子供の頃の私はそれがとても嫌だった。
堅苦しく、息苦しく、一刻も早く「この家から出たい」と思ったものだ。
実際、私は働き出してからすぐ家を出てひとり暮らしを始めた。

自由がなかったお陰で、人一倍独立心が強かったように思う。
居心地がよければ、きっと独立なんて考えなかったはずだ。

鳥かごから抜け出して、自由を手に入れたが、
それまでどれだけ親に支えて貰っていたのかに気づき、
親のありがたみを初めて知った。

精神的に自由にはなったが、経済的にはずっと苦しかった。
親がどんな思いで稼いできたのかを初めて知った。

子供の頃の不自由さは、いろんな精神面を育んでいくようだ。
今は、大人になることへの憧れを持つのは難しい時代なのかもしれない。


世の中、便利になればなるほど、豊かになればなるほど、
長い目でみると、人間や地球にとっては不幸になっているように感じる。

蛇口をひねれば当たり前に水が出てくる。
スーパーに行けばなんでも欲しいものが揃ってる。
24時間開いているお店がある。
スイッチひとつで家事がラクになる。
テレビのチャンネルはその場で変えられる。
銀行に行かなくても、事が足りる。
電話を持って歩ける。
寒いときは暖かく、暑いときは涼しくすぐにできる。
車に乗ってどこにでも行ける。

こんな風になれば便利だろうな。。。と思うことは、
誰かが考え、開発されていく。

挙げればきりがないが、これだけみても、
昔は人間の労力でしていたことが、エネルギー(電気、ガス、水、石油)や
機械の力によって賄われている。
また、我慢をする場面が減り、
人間の運動量が格段に減っていることにも気付く。

こういった利便性や合理性を長い目でみると、
数々の弊害が起こっていることがわかる。

まず、人間の体。
そう動かさなくてもよくなっているため、体力がなく、
その上欧米化した食生活で、生活習慣病が子供にまで広がっている。

パソコン、携帯などの電子機器の普及で、計算することや、
記憶をすること、書くことなどの頭脳が低下している。
注意力や思考力もこのうちに入ると思う。

本来人間がしていた仕事を、機械が効率よくしてくれるため、
働く場所が失われていく。

エネルギーの使いすぎが、地球の環境に即影響している。


そして、
お金を払って時間を買って、
お金を払って安全を買って、
お金を払って健康を買って、
お金を払って体を鍛えて、
お金を払って病気を治して、
お金を払って心を癒して、、、、、

そのためにまた稼ぐ。
この循環。

お金を払って手に入れられるならまだいい。
お金を払っても、この弊害をカバーできないものがある。
精神的な強さだ。

もし、この『便利』が世の中からなくなったらどうなるのだろう。
エネルギーの枯渇。
食料の不足。
自然の大災害。
戦争、紛争。
考えたくないだけで、要因はいくらでもある。

そうなったとき、この『便利』を当たり前として
この世に生まれ出でた子供たちはどうなるのだろう。
いや、この便利を享受している、
私たちでさえどうなるのかわからない。


便利で、経済的に豊かな暮らしと引き換えに
無くしつつあるもの。
その痛手はあまりに大きい。


・・・・つづく・・・・