kinuko画廊

子供の頃のように無邪気に、心に浮かぶ絵を描いていきたい
溢れ出すコトダマたちとともに・・・

便利の代償(続き)

2007-07-03 09:58:02 | ちょっとお堅い話
前回の続きです

こんなふうにいうと、どよ~んと気持ちが暗くなり、
誰がこんな世にしたんだ、どうしてこんな風になってしまったんだとか、
責任を誰かに押し付けたりしたくなる。

けれど、考えてみよう。
戦中戦後、ほとんどの家庭が日々の食べ物にも
困窮した時代があった。

私たちのおじいさん、おばあさんたちは、
家族を養うために、遊ぶ間も寝る間も惜しみ、
必死に働いてくれた。
そのおかげで各産業はどんどんと発達した。

経済が成長し、みんながそこそこ食べられるようになると、
今度は、それぞれの産業・経済は熾烈な競争社会に入った。
消費者のニーズに対応するため、より便利なもの、快適なものを
次々に生み出した。
経済競争に打ち勝つために、たくさんのものが開発された。

私たちがより快適で物質的に豊かな暮らしを求めた結果が
今の現状を創っている。
けれどそれも、誰もが善かれと思ってしてきたことなのではないだろうか。

残念なのは、そこに未来の予測を立てていなかったことだ。
この先地球がどうなるか、
この先人間がどうなるか、
いや、ある程度はわかっていたのかもしれないけれど、
深く考えるのを後回しにしてきただけ。
それよりも、経済的豊かさを最優先してきた。

それでも、元校長の話の中であった、
「自分の子供にはそんな苦労をさせたくない・・・」
この親心を、誰が責めることができるだろう。

みんなが一生懸命生きてきた結果なのだ。
だから、誰も責めたり裁いたりできないし、しても仕方ない。


とはいえ、この現状の歪みをどこかで止めて、
ベクトルを変えなければならないのは事実だ。
それは誰しもが思っていることだろう。

子供の目からみたら、今のままじゃダメだとわかっているのに、
どうしてすぐに変えられないの?と素朴な疑問を持つはずだ。

簡単にそうできないのは、既存の産業を守るため。
経済を守るためなのだろう。
実際そういう人たちが世界を動かしている。

また、この生活に慣れ親しみ、
執着する私たちにも、もちろん原因がある。

けれど、もうどこかで止める時期に来ていると思う。
どこまでもラクで便利で、合理性、経済を追い求めていると、
この船は乗客を乗せたまま沈没してしまうだろう。
既に危険信号が黄から赤に変わっているかもしれない。

次々と起こってくる問題を、いちいち国や企業に怒りを
ぶつけていても埒があかない。
みんなの幸せを考えるというよりは、
自分自身や自分の組織の利益を守ることばかり考えている政治家や官僚、
企業のトップに任せておく時間はない。

私たち個人が確かな意図を持って、さまざまな選択する時期に来ている。
長年積み上げてきた既成概念を、ガラリと換えることが迫られている。

よく宗教などでマインドコントロールを受けるというが、
この経済社会そのものもそのひとつと言える。 
「お金があればなんでもできる」と自由を謳歌したものの、
結局は、それに縛られ、執着し、心と頭を奪われている。

勝ち組とか、負け組とか、経済的な豊かさばかり煽られて、
競っている場合ではない。
経済的勝ち組が、心ある人間として本当に幸せとは限らない。
最初から同じ土俵に立たないことだ。


本当に経済に左右されないで生きることはできないのだろうか。
経済産業は消費をする人がいて初めて成り立つ。
ブームや仕掛けに惑わされず、最低限必要なものだけしか
『買わない』というのもひとつの選択だ。

今はエコを謳っている企業や商品も増えてきた。
けれど、それもまだまだ広告料の一部として使われている程度。
よく観察しようと思う。

電気やガス、水をできるだけ使わずにするにはどうすればいいか。
何を基準にどんなものを買うのか。
何をどれくらい食べていくのか。
個々の生活の中で、じっくり検討していく必要がある。
衣食住のあらゆる既成概念を頭からはずす作業が求められている。


大人が変われば、子供が変わる。
子供が変われば、未来が変わる。


大変な時代に突入していることは間違いない。
行く末に不安を感じることもある。
もしかしたら、このことは天の筋書きどおりなのかもしれない。
一通り経験することでしか答えを得れないのかもしれない。

もし、万が一、この国の経済が破綻したとしても、
大きな災害に見舞われても、
戦争に巻き込まれたとしても、
強い精神力で乗り切ろう。
助け合って生きていこう。

どんなに外国の文化が流れてきたところで、
私たちには『大きな和』の民族のDNAが組み込まれている。
八百万の神に感謝し、
太陽に、月に、自然に感謝し、
先祖に感謝し、
万物万人が和をもって善しとする魂だ。

小さなことから始めよう。
個人の取り組みが寄り集まれば、大きな成果を出せるはずだ。
今こそ、先人の心と生きる知恵に学ぶ時なのだと思う。