kinuko画廊

子供の頃のように無邪気に、心に浮かぶ絵を描いていきたい
溢れ出すコトダマたちとともに・・・

便利の代償

2007-07-02 01:26:37 | ちょっとお堅い話


以前、元小学校校長をし、今は引退されている女性のお話を聞く機会があった。

「私たちの子供の時代は、水を使うのにも井戸や川まで水を
汲みに行った。子供でもできることは家族の一員として手伝った。
とてもきつい仕事もあった。

私たちは、自分の子供にはそんな苦労をさせたくないと思い、
便利な生活をどんどんと取り入れた。
その結果、息子、娘、またその子供たちは、
生きる上での苦労をあまり知らない。
今は我慢することや、苦労に耐えることを生活の中で学べない。

みんなが豊かになった今、好きなものを周りのたくさんの大人から貰える。
欲しいものは、大抵手に入る。
それは、幸せなようで、とてもかわいそうなことだ。」

こんなフレーズが頭に残った。
実際その通りだと思う。

私が子供の頃からしても、世の中ずいぶんと変わってきている。
私は、元軍人の祖父と同居していたので、
同世代の友人たちに比べると、とても厳しく質素な生活をしていた。

子供の頃の私はそれがとても嫌だった。
堅苦しく、息苦しく、一刻も早く「この家から出たい」と思ったものだ。
実際、私は働き出してからすぐ家を出てひとり暮らしを始めた。

自由がなかったお陰で、人一倍独立心が強かったように思う。
居心地がよければ、きっと独立なんて考えなかったはずだ。

鳥かごから抜け出して、自由を手に入れたが、
それまでどれだけ親に支えて貰っていたのかに気づき、
親のありがたみを初めて知った。

精神的に自由にはなったが、経済的にはずっと苦しかった。
親がどんな思いで稼いできたのかを初めて知った。

子供の頃の不自由さは、いろんな精神面を育んでいくようだ。
今は、大人になることへの憧れを持つのは難しい時代なのかもしれない。


世の中、便利になればなるほど、豊かになればなるほど、
長い目でみると、人間や地球にとっては不幸になっているように感じる。

蛇口をひねれば当たり前に水が出てくる。
スーパーに行けばなんでも欲しいものが揃ってる。
24時間開いているお店がある。
スイッチひとつで家事がラクになる。
テレビのチャンネルはその場で変えられる。
銀行に行かなくても、事が足りる。
電話を持って歩ける。
寒いときは暖かく、暑いときは涼しくすぐにできる。
車に乗ってどこにでも行ける。

こんな風になれば便利だろうな。。。と思うことは、
誰かが考え、開発されていく。

挙げればきりがないが、これだけみても、
昔は人間の労力でしていたことが、エネルギー(電気、ガス、水、石油)や
機械の力によって賄われている。
また、我慢をする場面が減り、
人間の運動量が格段に減っていることにも気付く。

こういった利便性や合理性を長い目でみると、
数々の弊害が起こっていることがわかる。

まず、人間の体。
そう動かさなくてもよくなっているため、体力がなく、
その上欧米化した食生活で、生活習慣病が子供にまで広がっている。

パソコン、携帯などの電子機器の普及で、計算することや、
記憶をすること、書くことなどの頭脳が低下している。
注意力や思考力もこのうちに入ると思う。

本来人間がしていた仕事を、機械が効率よくしてくれるため、
働く場所が失われていく。

エネルギーの使いすぎが、地球の環境に即影響している。


そして、
お金を払って時間を買って、
お金を払って安全を買って、
お金を払って健康を買って、
お金を払って体を鍛えて、
お金を払って病気を治して、
お金を払って心を癒して、、、、、

そのためにまた稼ぐ。
この循環。

お金を払って手に入れられるならまだいい。
お金を払っても、この弊害をカバーできないものがある。
精神的な強さだ。

もし、この『便利』が世の中からなくなったらどうなるのだろう。
エネルギーの枯渇。
食料の不足。
自然の大災害。
戦争、紛争。
考えたくないだけで、要因はいくらでもある。

そうなったとき、この『便利』を当たり前として
この世に生まれ出でた子供たちはどうなるのだろう。
いや、この便利を享受している、
私たちでさえどうなるのかわからない。


便利で、経済的に豊かな暮らしと引き換えに
無くしつつあるもの。
その痛手はあまりに大きい。


・・・・つづく・・・・