kinuko画廊

子供の頃のように無邪気に、心に浮かぶ絵を描いていきたい
溢れ出すコトダマたちとともに・・・

恐れることはない

2008-10-05 15:18:59 | ちょっとお堅い話
今、アメリカを中心に世界経済が揺らぎ始めています。
このまま世界大恐慌へと突入するのではないかと分析する人もいます。
とてつもない不安を抱えている人もおられるかもしれません。
けれど恐れることなかれ。

日本は資源もなければ、広大な土地もない、取り立ててあげるような
産業もない貧しい国でした。
ないないづくしの中、唯一世界に類を見ない素晴らしい財産がありました。
それは、『人』です。

神仏から与えられた教えを守り、畏れ、感謝して生きる人々。
勤勉さ、忍耐強さ、大らかさ、律儀さ、知恵、自分を厳しく律する心―
こうした人間の力をもって、日本は経済大国とまで呼ばれるような、豊かな
国になったのです。

日本の復興を手がけた人たちには、まだまだ日本の昔ながらの
しきたりや考え方、生き方が息づいていました。豊かさを望みながらも、
お金よりも大切なものがあると理解していた人たちが中心となっていました。

日々働けることに感謝し、
毎日ご飯が食べられることに感謝する人たちです。


ここで、昔の日本がどのようなものだったかを、
外国から来た人々の目を通して語られた印象と逸話をたっぷりご覧下さい。
ここには、素晴らしくイキイキと生きる日本人の姿が描かれています。
それは、私達が知らされなかった真の日本の歴史がキラキラと躍動しています。


ぼやきくっくりさん ホームページより

外国人からみた日本と日本人(1)
外国人からみた日本と日本人(2)
外国人からみた日本と日本人(3)
外国人からみた日本と日本人(4)
外国人からみた日本と日本人(5)
外国人からみた日本と日本人(6)
外国人からみた日本と日本人(7)



戦後日本は、こうしたご先祖の生き様を語り継ぐことはなくなりました。
日本はなにがなんでも『悪』だったというレッテルを貼られ、
同時にそれまでのイキイキとした歴史さえ封印されてしまいました。
日本の歴史はすっかり分断されているのです。

そして、日本人自ら、
「日本はダメな国」
「日本は卑しい国」
「日本は世界から遅れている」
と学校で習い、マスメディアに教え続けられてきたわけです。

ですから、情けないことにこのような実話に基づいた歴史の話も、海外からものに
頼るしかありません。なんとも皮肉な話です。

しっかりとした理の中での教えや言い伝えや習慣も、「古い臭い」と片付けられ、
道徳観も倫理観も、破壊されてきました。

けれど、どんなに破壊されたところで、私達の細胞の中には、
貧しいながらも、勤勉さと忍耐力と知恵を使って、
笑顔でイキイキと生きてきたご先祖様たちのDNAが受け継がれています。

どんなに大変な世になったとしても、
その時々を諦めず、前向きに明るく生きようとする、
大らかさと逞しさを持ち合わせているのです。

もし世界恐慌が起こったとしても、
もし大きな災害が起こったとしても、
もし職を失ったとしても、
恐れることなかれ。

神仏の助けを得ながら、慈愛の心を使い、知恵を使い、勤勉さを使い、
忍耐力を使い、共に助け合って逞しく乗り越えていけるということを、
ご先祖様たちが証明して下さっています。


どんなときも、
自分が笑顔で生きるか
自分が苦しい顔で生きるか

人の笑顔をみて喜んで生きるか
人の苦しい顔をみて喜んで生きるか

自ら選択できるということを教えてくれているのです。




日本は世界の縮図だからこそ

2008-10-03 12:49:02 | ちょっとお堅い話
封じ込めておきたい存在があります。
卑しめておきたい存在があります。
邪魔だと思う存在があります。
複数です。
それらの勢力が束になるときもあります。

日本は、今でも催眠術にかかり続け、
リモコン操作を受けながら、
偽の平和の中で踊らされています。

縮図だからこそ、
日本全体が個々に宿る神性を目覚めさせる必要があるのです。
世界の霊的目覚めと繋がっているからです。


残念ながら、世は綺麗事ばかりではありません。
事実をあるがままに見つめない限り、
溜まった膿や毒を浄化することはできません。
現状を正しく知ることです。
知ることにより、それらを光に晒すことができるのです。

目覚めた人同士が集って、この世を嘆き悲しんでいても
国や世界の浄化は進められません。
世の平和を神に祈ってばかりでも事は進みません。

今、日本で何が起こっているのか、
みんなが正しく知ることだけでも、
そこに多くの光をもたらすことができます。
だからみなさんにお願いしたいのです。

実質日本を動かす、政治や経済がどうなっているのか。
政治家たちが何を考え、どう動いているのか。
日本がどのような勢力にどんな風にコントロールされているのか。
それを知って下さい。
情報に光を当てて下さい。


安倍元総理は、
「美しい日本」「戦後レジームからの脱却」というスローガンのもと、
骨抜きになってしまった日本が本当の意味で自立ができるようにと
かなり健闘されました。けれど最後には誰の支えもなくなり倒れました。

戦後レジーム(体制)とは、実は現在の日本の病巣そのものであり、
現在の日本の霊性を表すものです。
それをいじられたくない国内外の勢力が結集し猛反撃してきた訳です。

政治とカネ問題
年金問題
閣僚スキャンダル

この問題のどれもが、これまでずっと闇に埋もれていたもので、
安倍氏本人とは直接関係ないものです。

少しだけ、実弾に使われた「年金問題」の内幕を明かします。

当時年金問題で、民主党の長妻議員が自民党を
これでもかというほど糾弾し、マスコミがそれを流しました。
社会保険庁の杜撰な仕事内容を暴露していきました。
何故、そうしたネタを仕入れることができたのか。
それは、彼らの支持母体の情報リークによるものです。

民主党の支持母体には、自治労という組織があります。
地方公務員の労働組合です。
以前は年金の管理は地方自治体がしていました。
それが社会保険庁にひとつにまとめられ、
コンピューターで一括管理を行うことになりました。

その時すでに年金の杜撰な管理が明るみになっているのです。
また、データをパソコンに打ち込むときにもたくさんの不備が出て、
不整合が生じました。
作業したのは誰か?各自治体の公務員です。
これを自爆テロのように、安倍氏攻撃の材料としたわけです。

では何故自爆テロをしたのか?
安倍氏は、公務員改革に踏み込もうとしていました。
天下り規制などはそのひとつです。
そうした改革を阻止すべく、打倒安倍内閣へと捨て身の
作戦に出たのです。

つまり構図としては、
年金問題の責任を問われた安倍内閣は、
年金問題の原因に直接関わった張本人である組織を
支持母体に持つ、民主党に叩かれていたわけです。

そうとも知らず、国民はマスコミに踊らされて怒りました。
それが参院選の結果に反映しました。
「国民の生活が第一」と掲げた民主を選んだのです。
国民はおいしい餌に喰いついてしまいました。
それに毒が入っていることも知らずに。
安倍内閣が倒れて喜んだのは誰でしょう。

今、デジャヴのように麻生内閣でまた同じ光景を見ています。
激しい攻撃を受けているようです。
民主党の掲げる政策はおいしい餌に満ち満ちています。
綺麗事に溢れています。
そんなことが本当にできるのかどうかをよくよく知らなければ
なりませんし、政策の中には国の根幹を揺るがすようなものも
存在することを肝に命じなければなりません。


とはいえ、自民党もあまり代わり映えしないほどボロボロです。
国を思う政治家は本当に少ない。
圧力と恫喝によって潰されていくからです。
強いものに巻かれていくからです。
そこに強靭な精神力と、勇気と行動力が備わっていないと、
務まりません。

そうした中で、私達国民は目先の餌に心奪われることなく、
真に国を思い、国の将来を思う政治家を見抜き、
サポートしていく必要があります。


臭いものにフタをしたまま、浄化などできません。
どんなに悪臭がしようが、やはり直視する必要があるのです。
できれば誰もが避けて通りたい作業です。
厳しい作業です。
けれど気付いた者がやるしかありません。




長き眠りから覚め、偽りの平和の様をしかと見よ

2008-10-01 11:45:13 | ちょっとお堅い話
日本は本当に平和なのでしょうか。
確かに戦争も紛争もありません。

けれど、平和な国とされている日本の、外国からの精神的侵略は途方もないほど
進んでいます。私達の祖先が親から子へと受け継いできた、神仏やご先祖様への
感謝を中心とする、道徳観や倫理観、精神性などは跡形もないほど叩き潰されて
いる状態です。
これは、戦後国内外から意図的に行われている工作の成果だと言えます。

工作とかスパイなどというと、映画や小説のフィクションの中のことだと思い
がちですが、無防備国日本では日常行われているのです。特に政治工作、マスコミ
工作、公教育工作、企業工作は激しいものがあります。これらの工作は、日本を
弱体化させ国力を低下させること、日本マネーを自国へとじゃぶじゃぶと流すこと
が目的とされています。

戦後日本人は、経済など物質的なものばかりを追い求め、「自らに責任を持つ」と
いう大前提を省いた状態で、格好だけの個人主義、自由主義というものを輸入し
ました。
他人に迷惑をかける自由、責任感の伴わない自由は、自己中心なだけであって、
大人の自由ではありません。自分の好き放題に振舞う子供の自由と同じです。

反戦平和、平等、人権を守るという美名のもと序列は崩壊し、親が子を殺し、
子が親を殺す。師が教え子を卑しめ、教え子が師を蔑みます。老いた親の面倒を
みることもせず、財産だけはしっかりと主張します。お金がないといいつつ、
贅沢な暮らしを求め、国や自治体に権利ばかりを主張し、義務を負う事は嫌がり
ます。

今の日本は物質的には豊かでも、精神的に豊かだとはとてもいえません。こうして
行き過ぎた拝金主義、利己的な個人主義のもと、孤独に苦しむ人たち、精神的に
飢えた人たちが、自暴自棄になり他人の命を奪います。お金のためにいとも簡単に
他人に危害を加えます。毎年3万人を超える人たちが自らの命を断ちます。これが
今、平和な国とされる日本で日々行われていることです。


理想を追い求め、性善説ばかりを唱えていても日本人全体の目覚めは遠い
でしょう。現実に、人の心の闇は増大しています。犯罪は増加し、悪質なものに
変わってきています。野獣化してきているといっても過言ではありません。世は
聖人ばかりではないのです。


「反戦」
「平和」
「平等」
「自由」
「人権を守る」

こうした、誰も反対できないような美しい言葉の裏にはとんでもないトゲがある
ことを、私は知りました。

日本の政治、行政は真っ暗です。
本当に見るのも嫌になります。
けれど、ここを直視しなければ、国自体の浄化はできないでしょう。
こうなったのは、国民ひとりひとりが『個』にばかり目が行き、あまりに自分の
国に対して無関心だったからです。つまるところ、国民ひとりひとりの責任です。

前々回に書いたとおり、マスコミによる麻生内閣潰しのキャンペーンは熾烈を
極めてきているようです。麻生氏は、安倍元総理と共に、数少ない『日本』を
守ろうとする政治家です。安倍内閣の時とまったく同じような方法で潰そうと
しています。その勢力の意図をどうぞ感じとって下さい。何故ここまでに嫌がるの
かを考えて下さい。
仮に小沢民主に政権が渡ったとしたら、それこそ日本は形骸化し無きものとなる
可能性があります。ぜひともここに隠された闇の意図を読みとって下さい。




昔『和』の民は、神仏から与えられた規律や倫理を大事に守ってきました。
それは、現代人には厳格すぎるとも思えるものでしたが、人々はそうした決まり
事を守ることで、個性の違う人と人とが調和して生きていくことができたのです。
『道徳』とは、人々が和して生きるため最高の知恵だったのではないでしょうか。
その知恵がどんどんと失われているのが今、この社会です。
『個』を主張し、『公』に生きることを忘れてしまった私達。
こうして自己主張ばかりを繰り返す『個』が集まった社会の前途はどのようなもの
でしょう。


アセンションを追いかける人こそ、日本のことに我関せずではいけないはずです。
何故、日本人特有のスピリチュアル性が失われたか、不満が蔓延する社会が
出来上がってしまったのかをしっかりと知ることが重要だと思います。

なぜ、神仏、守護者、ご先祖様に感謝するのか。
それが、『個』のエゴを満たすためのご利益信仰ならしない方がいいかもしれません。
そこに偽神が宿るからです。

「アセンションできますように」

という願いも決して例外ではありません。



・・・と、激しく厳しい言葉の羅列でごめんなさい <m(__)m>
やはり、、、のんびりとしてられないようなので・・・



戦いがこの世からなくなることはない

2008-09-30 12:12:27 | ちょっとお堅い話
というと、絶望的な気持ちになりますが、これが現実です。そして、この現実の
世界に生きる私達日本人の多くは、このことから目を背け続け、戦ったり、争ったり
することを嫌がる一方で、その抑圧を解放するかのように、日常では対象を見つけて
は戦い、映画やアニメやゲームでバーチャルな戦いに興じているのです。

私に「現実を見渡せ」というメッセージがきたのは、それまでの私がとても薄っぺらな
博愛精神で、人類みな兄弟、愛と祈りで・・・というような甘ちょろいことを、ボヤ
けた視力と偏った思考の中で漠然と信仰していたからだと思います。(といっても、
宗教に属していたわけではありませんが) 

このような博愛主義的な考えが間違っているとは言いません。間違ってないの
ですが、これが現実の世に通用するならば、神様も仏様も苦労はしないという
ことです。それぞれ、素晴らしい教えを伝えながら、また、それを熱心に信仰する
人たちが大勢いるにもかかわらず、真反対のことが行われているのがこの世なのです。

自分の中にも戦う気持ちはあるはずです。日頃、神の視点で見ようとか、愛が
すべてと説いていながら、それに異を唱える者に対しては、人が変わったように
猛然と戦うスピリチュアル好きな人はたくさんおられます。みんな自分を、自分が
信じたものを守ろうとするのです。それがいいとか悪いというのではなく、自分の
中にもそうした意識があると認めなければ、前進しないということです。

スピリチュアル世界を旅し、いざ現実を見渡した時に、私自身、理想社会という
空想の世界を追い求め過ぎていたことを痛感しました。
「こうであってほしい」もしくは、「こうでなければならない」という理想を頭の中で
創り上げ、それを現実の社会に無理やりはめこもうとしていた所があります。
戦いのない世を待つのは、その顕著な例であって、願望としては正しいでしょうが、
現実的ではありません。

戦いの無い世―これは人間が本来持つ本能までを否定することです。
例えば、我が子が暴漢に襲われそうになっているのに、「戦ってはいけない」とその
まま見ている親がいるでしょうか。自分の国が武力による攻撃を受けているのに、
平然としていられるのでしょうか。無防備な国には攻撃してこない?いえいえ実際、
日本の近隣2~3国の核ミサイルの弾頭は日本に向けて固定されています。

7月の洞爺湖サミットで、各国首脳が七夕に願いを書きました。ほとんどの首脳が
世界の平和を願ったのです。それは嘘ではなく、本心だったと思います。
だからといって実際、自ら武器を捨てようとする国はありません。「人は戦うもの」だと
解かっているからではないでしょうか。

中国に侵攻されたチベットは、これまで表立って戦うことはしませんでした。
しかしながら、民族浄化や文化的虐待などが進む中、彼らは民族としての伝統、
文化を守るために、このままではいけないと国際社会に訴えるために蜂起したのです。
こうした戦いまで否定することなど、誰ができましょうか。

まさに私達は、強いものが弱いものを取り込んでいる様をまざまざと見せられて
いるのです。


戦後日本人は、幼い頃から「戦うことはいけないこと」と教えられてきています。
学校教育では、今戦うことどころか、競うことさえさせていません。そうした自然に沸く
気持ちを封じることが、本当にいいことなのか大人が真剣に考えなければなりません。
そうした抑圧は陰で、陰湿な方法で解放されているからです。

今は、戦い=悪いという考え方は、なんでもかんでもに採用され、間違いを正そうと
批判したり、ここがおかしいと指摘することも、「悪口」とか「いじめ」というレベルに
置き換えられたりします。
そんなことを言う前に、正々堂々、真正面から議論を戦わせればいいだけの話です。

ただし、議論を戦わせるにしても、マナーやルールは必要だと思います。
暴力に発展しないよう、人間が持てるだけの知恵と胆力を発揮しなければならないで
しょう。

私自身の反省ですが、
スピリチュアルに傾倒していると、現実世界に起きていることを直視しない博愛主義に、
神様視点ならぬ「上から目線」がプラスされ、余計現実とかけ離れた思考になって
いきます。しかし、これではスピリチュアル性を磨く意味がありません。精神世界とは、
自分がどこか違う次元へ飛んでいくのではなく、現実社会をキチンと生きるために
あるのだと思います。現実への対処を考えるという汚れ仕事を他人に任せておきな
がら、神様視点もないものです。
自戒を込めて―

理想は理想で持つべきでしょう。それを自らの生きる指針にすればいいのです。
けれど、現実で起こっていることから目をそらしてはいけないと思います。私は、
日本を守るために何ができるか考え、伝え、行動することにしました。もしそれで
アセンションできなかったとしても、神に裁かれたとしても、それはそれでいいと思って
います(笑)


もし、

この世がガラス張りで、誰が何を考え、何をしているか、何をしようとしてるか、
みんなみんな、他人に透けて見えるとしたら、

世の中の悪事も無くなるでしょう。
戦いの多くは無くなるでしょう。
細かな法律も必要としなくなるでしょう。

人の心がそれくらい澄まなければ、理想に掲げる世界は難しいということです。

しかしながら、最終的に人類はこれを目指すべきでしょう。
ひとりひとりが、神の御前に出ても恥ずかしくないような澄んだ心で現実を生きること
です。

日本人としてのトラウマを癒す

2007-07-28 13:09:44 | ちょっとお堅い話
自分が何故、突き動かされるように『日本』という国を振り返っていたのか、
その理由がわかった。

今『天照大神』を描いている。
ミルさんから、ドリーン・バーチューさんのカードのイラストを募集してると
教えていただき、10日くらいから描き始めていた。

当初、締め切りが7月20日となっていたので、余裕をかましていたのが間違い。
きっといい作品が見つかったのだろう、10日過ぎには早くも締め切りを
打ち切られていたみたい。


ま、しょうがないよねぇぇぇ(>_<)


でも、どうやら私にとって『天照大神』を描くことは、別の意味があったらしい。

岩戸開きで有名な『天照大神』は、日本人にとっては日の神であり、
皇祖神ともいわれる。
真実は様々な説があって謎だけれど(なんせ神代のことなんで(^_^;))
描くことを通じて、日本を見直すことが求められた。

細胞に刻まれている『和の精神』を呼び起こすために、
日本人としてのトラウマを手放すこと。
私の場合、このプロセスはどうしても必修だったのだと思う。


ここ何日か、これまで教えられなかった事実を知り、かなり泣いた。
これほど涙が出るものなのかと思うほど、滝のように溢れ出る。

『反日マスコミが伝えない親日の話』

http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/index.html


これらのすべてを鵜呑みにしてはいけないと思う。
それだと、今までとなんら変わらない。
それでも、話半分にみたとしても、知らなかった。知らな過ぎた。
自分の無知さ、無関心さ、情けなさを反省するとともに、
英霊たちに対する申し訳なさが胸に広がる。。。

その時代を、祖国のために一生懸命戦ってくれた人たちがいる。
祖国のため、アジアの独立のため、自らを犠牲にしてくれた先祖たちがいる。
「靖国でまた会おう」を合言葉に。。。

私はその人たちを貶めるようなことをしていた。
活動や運動こそしていないけど、日本の批判ばかりしていた。
欧米と比較し、ここがダメ、あそこがダメとやっていた。
これじゃ、まるで日本人の反日だよね。

私のようなタイプが多い中、本人たちよりもずっと日本人を評価し、励まし、
応援してくれている他国の人たちがいた。
その中には、日本が迷惑をかけた国の人たちもいるのだ。
当事国でありながら、過去の罪を「許す」器の大きさをみる。
それも、先人たちの優れた精神性のおかげなのだと思う。

こういったことを書くと、右だとかなんだとか言われてしまうかもしれない。
また、過去を美化する行為だと言われるかもしれない。
人によっては、とても不快に感じることだろう。

そういった批判も受け入れつつ言わせてもらえば、
例えば、喧嘩したときに、どちらか一方の言い分しか聞かないのはおかしい。
これまで一方向からしかみていなかったものを、
あらゆる方向から眺め、検証することに、何か問題でもあるだろうか。

問題があるとすれば、そこから先。

伝えられてきたこと以外の側面を知った人たちが、今後とる態度だ。
抑えられていた反動が出るかもしれない。

そもそも、こういったことがなぜ明るみになってきたかといえば、
戦後何十年もの間、極悪非道で残忍な帝国軍のイメージを刻まれ、
ごめんなさいと言っても、多額の資金援助しても、
反日の様子をメディアで見させられ、外交のカードとして使われ、
謝罪せよ、賠償金、慰謝料を払え、あげくの果てには大使館まで攻撃されて、
それでも日本が過去にしたことからすれば仕方ないとまで言われる。
それに対し、「一体何があったのか?私たちの先祖はそんなに悪かったのか」
という疑問を誰もが持ったからである。
真実を追求したくなるのは、ごく自然な流れだと思う。

いずれにせよ、、、
いままで隠されていたことが、どんどんと明るみになっていく。
手付かずだった闇に光が当たる。
いいことも、嫌なことも。
それから目を背けることなく、向き合わなくてはならない。

どんな真実が浮かんできても、冷静に過去を手放していこうと思う。
トラウマを開放し、心の輝きを取り戻していきたい。

卑屈に頭を垂れているばかりではなく、凛としていよう。
酷い言葉に対して、酷い言葉で返すことはしないで、
毅然とした態度でいよう。

それでも日本の特徴でもある、謙虚さは忘れてはいけない。
相手を尊重する気持ちを忘れてはいけない。

『己の欲せざる所は、人に施す勿れ』
(自分がいやだと思うようなことを、人にしてはいけない)
孔子の珠玉の言葉。

憎しみの気持ちは、また新たな憎しみの気持ちを生み、
不幸の螺旋へと嵌っていく。
それは一種の罠のようなものだ。

右か左か、私はそういうのはもういい。
右じゃなければ左か?左じゃなければ右か?
これも戦いのひとつの構図。
どちらか一方が正しいというのはありえない。

私は中庸でいたいと思う。
バランス感覚を大事にしていきたい。
ここは、和の精神で乗り越えていくべき一番のポイントだといえる。



『天照大神』を描くということ。
それは、私にとっては日本人としてのトラウマを手放し、
日本の心を思い出すことだった。

描くことを勧めてくれたミルさんに感謝します。
ありがとうございました。
・・・でもすんごく難しい!!!
できたらUPしますね(^^♪