
南方曼荼羅は、南方熊楠と土宣法竜の往復書簡にある。といっても、まともに読んだことはなかった(^^;
昨日、図書館で借りてきた。
「南方熊楠・土宣法竜往復書簡」・飯倉照平・長谷川興蔵編・八坂書房・1990年。
南方曼荼羅がある手紙は、明治36年7月18日。
・・・(^^;
なんと!45ページ(^^;(^^;


那智村の祭りと姪っ子自慢から始まって、延々と(^^;
南方曼荼羅の項は、あくまで推測だが、また別に書いたのかな(^^;


紙一重という表現があるが、確かに(^^;(^^;(^^;

この明治36年7月18日の手紙をしたためた時には乗りに乗っていたんだろうなぁ(^^;
スタートからして、「子分 法竜米虫殿」「金粟王如来第三仏 南方熊楠」、だもんなぁ(^^;
米虫殿はなんて返信したらいいんだよ(^^;
私だったら、りょーかいです(^^♪と一行で返信して絶縁されるだろうなぁ(^^;
おまけに・・・
明治36年8月8日の手紙では、「前日の筆六本ありがたく受領。不足郵税六銭とられたり。以後は念を入れ局に就いて聞き合わせ下されたし。わが国の郵政はむちゃくちゃにて・・・」
むちゃくちゃなのはあんただろうが(^^;とつっこみたくすらなる(^^;
返却期限までにどころか永遠に理解できそうにないが(^^;
ま、曼荼羅の部分だけコピーかな(^^;
それにしても・・・
熊楠が今に生きていたらどーなっていたんかな???
SNSやらブログやらやらでテキトーに発散することで満足してしまって、もしかして、もしかしたら、ダメだったかも・・・
なぁ。。。
なんて思ってしまったりなんかする(^^;