| NEVER ENDING STORYFUMIHIKO KITSUTAKA&FRIENDS, tezya, ファンキー末吉, 橘高文彦, 山田晃士, 秦野猛行, 大槻ケンヂ, 内田雄一郎, 二井原実インディペンデントレーベルこのアイテムの詳細を見る |
先日、
こちらの記事でご紹介いたしましたアルバム。
前回はタイトルチューンである
NEVER ENDING STORYについて書きましたが、今回はその次に収録されている
指という楽曲について。
正直に言います。
このアルバムが発売された当時、この曲はそんなに好きではありませんでした。
それが、最近になって改めてこのアルバムを聴きこんでみると、この曲にものすごくひっかかるものがあったんです。
たとえば、二井原さんが歌う
NEVER ENDING STORYが、魂の叫びだとすると、山田晃士氏が歌う
指は、魂の紡ぎです。
最近、私の音楽の心の師(であると私が一方的に思っている)の中のおひとりのブログにも書かれていたことですが、今の日本の音楽というのは、実に
歌詞軽視の傾向にあるのではないか。と。
据わりの良い言葉を何となく並べて、サビだけ英語で、聴いたときにサビメロしか耳に残らないような曲が多いのは、非常に憂うべきことではないか。と、その方は書かれていました。
どうしても私なんかはシロウトですから、自分の好き嫌いでしかモノを言いませんが、私自身、音楽を聴くときには今まであまり歌詞を重視して聴いてはこなかったのです。
歌詞の内容とか、ミュージシャンのテクニック云々よりも、とにかく聴いて気持ちがいいかどうか。
自分が好きかどうか。
聴いて自分の中の何かが揺り動かされたかどうかというのが、私の中で、好きか嫌いかを判断する材料となっていました。
しかし。
指という曲を改めて聴いて、歌詞の持つ意味とか、歌詞の持つ魔力のようなものを改めて考えずにはいられませんでした。
聴けば聴くほど、自分でもしまっておいたはずのいろんな感情があぶり出されてしまいます。
たとえば。
相手の顔とか、会話の内容とか、そんなことは全く思いだせない。
ひそめた眉とか、吐息混じりの声とか、体温とか、そんなことしか思いだせないほどに狂おしく、捨てたくても捨てることができない、心の奥底にしまっておいたはずの感情のようなものが否応なしに起こされるのです。
嘘を重ねられる側が悲しいのか、それとも嘘を重ねる側が痛いのか・・・
聴けば聴くほどわからなくなります。
良質の日本語の歌詞というのは、書き手以上に聴き手に力が必要だと思います。
聴きようによって、いろんな解釈がある。
そのへんの据わりの良い言葉だけを並べ、通り一遍の解釈しかできない歌ではなく、聴いたときの心情や年齢やおかれている立場で全く違った解釈になる可能性がある、そんな歌は、聴く側の神経も非常に摩耗させられます。
が、それ以上に、その歌を好きになって聴きこめば聴きこむほど自分の心が豊かになるのではないでしょうか。
そしてさらに、この歌を、元ARUGEのボーカル、山田晃士氏が、イマドキの何歌ってるのかわかんないような歌い回しではなく、ひとつひとつの言葉を絞るように歌いあげており、そこに橘高様のギターの旋律がからむわけです。
私なんかはどうしても、ARUGEとして10代でデビューした2人が、20年たって再びひとつの楽曲を作ったということに、余計な感情移入をしてしまうのですが、そういうの抜きにしても、大変素晴らしい作品です。
曲のアレンジとか、ギターソロのテイストなんかは明らかにハードロックで、ギターソロのみならず曲全体に漂う橘高様のカラーが、この歌詞と一緒になって、私を泣かせるのです。
曲の構成自体は、筋肉少女帯の「僕の歌を全て君にやる」を彷彿とさせるものがあります。
しかし、印象は全く別物。
全く別の印象を与えられる曲でありながら、それでも橘高文彦の音であり、橘高文彦のフレーズなのです。
最近になって、昔そんなにいいと思わなかった歌が、どんどん好きになっている自分がいます。
そんな曲は、概ね歌詞の内容が深く、日本語のみで書かれたものが多い気がします。
もともと人間椅子のような文学的な歌詞を書くバンドが好きでしたが、この年齢になって、いろんなものがストレートに伝わってくる歌もどんどん受け入れられるようになってきました。
ある小説家の言葉で
「雨がふったら、雨がふったと書きなさい」
という言葉があります。
雨がふったことを雨がふったとしか書かれていない中から、いろんな情景を思い浮かべて自分のイメージを膨らませる楽しみを読者から奪わないための言葉であると思われますが、そういう単純明快な言葉の裏に隠されたものを読み取る力が、今の日本人は低下しつつあるのでしょう。
良質の日本語を読み取る力、美しい日本語の歌を聴く力を、どんどん養っていきたいものです。
そうすれば私も、誰かの下手な嘘を、軽く指ではじいて、まるめて捨てるくらいの度量が身につくのかもしれません。