NZクライストチャーチの地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
現地では、地震発生から100時間余が経過しても精力的な救出活動が行われています。地震大国日本に住む当方にとって、他人事とは思えない惨事です。行方不明の方々が早急に元気な姿で発見されることを望みます。
さて、今日のサンケイ新聞を読んでの疑問。
地震の被害者の家族が現地の破壊されたビルを訪れたが、数百m手前で立ち入りを拒否され苛立ちが募っているとの記事です。
救出活動が行われている被災現場を見てどうするの?救出活動の邪魔にならないの?被災現場を見るなら救助活動が終わるのを確認してから出いいのでは?
そして何より、家族が現場を見て救出活動が早まるのか。いや、邪魔になるだけだと感じています。
現場の前では「理」が全てです。被災者の家族の気持ちは十分すぎるほど分かりますが、あくまで「情」。「理」の前に「情」は一歩引き下がるのが筋だと思います。
最近、この日本では「理」を超える「情」があるようなことが多いように感じてなりません。
「理」はパブリック、「情」はプライベート。上手く言えませんが、プライベートがパブリックの中に入り込んでいるというか、ごちゃごちゃになっているという感じです。
本来、パブリック・プライベートという概念はまったくの別物のはずがその垣根が低くなってパブリックをプライベートが侵食している。
これ、非常にまずいことだと思いませんか。
新聞記事によせて、小生の疑問を書き連ねました。