Keisuke Kimura 『勇気凛輪』

SHIMANO Racing  木村圭佑のブログ

自転車競技との出会い~シマノレーシング加入

2021-12-31 09:14:33 | 日記
自転車競技を本格的に始めたのは、高校に入学してからでした。
小学校3年生から中学卒業までは軟式野球をしており、高校からは硬式野球部に入ろうと考えていました。



中学1年から2年まで所属していた軟式野球グラブでチーム内練習試合写真。
キャッチャーが僕で、バッターは、大活躍お笑い芸人ティモンディー高岸くん!!
一つ年下で、チームでも目立った存在でとっても良い子だった記憶があります。


ロードバイクに興味を持ったのは、中学3年生の部活動も終わり、高校への進学も内定していた時期に読んだ漫画「オーバードライブ」の影響でした。

通っていた中学校の近くに、スポーツサイクルを取り扱っている「スポーツサイクルFUKADA」があり、両親にお願いしロードバイクを買ってもらいました。

ロードバイクとはいえ、クロモリのダブルレバーがついている古い中古のバイクでした。
それでも当時の僕は嬉しく、時間があればロードバイクで近所を走り回っていました。

それから、週末のショップの練習会に参加するようになり、ロードバイクにのめり込んでいきました。



その後中学を卒業し、滋賀県立瀬田工業高等学校に入学しました。

瀬田工業には、県内唯一の自転車競技部がありましたが、高校を選んだ理由は自転車競技を始めるためではありませんでた。
祖父が鍛冶屋で父は鉄工所を営んでおり、小さい頃からその姿を見て育った僕は職人という仕事に憧れをもち、ものづくりを学びたいと思い瀬田工業高校の機械科に入学しました。

高校でも硬式野球部に入ろうと思っていたのですが、部活動説明会で自転車競技部の話を聞き、自転車競技部への入部を決めました。

高校時代は特に強い選手というわけではありませんでしたが、自転車競技が楽しく熱中していました。
当時は部員数も少なく、自分たちで考えて自由に練習などを行う環境でした。
キナンチームでも走られていた中西重智さんが一つ上の先輩でおられたので、協力しながら試行錯誤し部活動を行うことができました。


その中でもう一つ大きな転機は瀬田工業OBでもあり、愛三工業での選手活動を終えた1年後に部活動に指導に来てくださった秋田謙監督との出会いでした。

高校2年生の全国選抜大会と3年生の国体のポイントレースで入賞することができ、秋田さんが監督を務められている京都産業大学に進学し自転車競技を続けていくことができました。


大学では、秋田監督や山岸コーチの指導のもとで、同期の現チーム右京の吉岡やEFエディケーション・NIPPOにメカニックとし所属している南野と共に競技に打ち込みました。

1回生時は、全国優勝していた木守さんや永遠のライバル吉岡の背中を追いかけ頑張っていましたが、全国大学レベルのレースでは思うような走りができずにいました。
そんな中、2回生の夏休み期間を使って行った吉岡との1か月間のカリフォルニア遠征で毎週末レースに出場し、二人で厳しい練習を行いました。
帰国後に行われた、インカレロードレースで2位になることができました。



よく見ると入部さんが見てる写真(笑)


この頃から、卒業後はプロロードレーサーになりたいという目標を持ちはじめました。

3回生の全日本学生選手権個人ロードで優勝することができました。




その後に京産大として出場したツールド北海道に、大学OBでありシマノレーシングOBの大内さんが監督としてチームに帯同してくださいました。
そこで大内さんにシマノレーシングの監督である野寺さんにお話しさせてもらう機会を作っていただきました。

4回生になり、卒業後は自転車選手になると決めて、学校の単位取得と競技の両立も自分なりに頑張りました。


そして、卒業後はチームが若手育成という目的を掲げていたというタイミングもあり、シマノレーシングに加入させていただけることになりました。

大学卒業やシマノレーシング加入までにも、多くの方々とつながり、そして支えてもらいながら来れているのだと感じています。


大学時代には、同期の吉岡、南野ともう一人、服部昇平キャプテンという存在が大きく、個性ある3人とうまく付き合ってサポートしてまとめてくれていました。

続く。

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