日本人に革靴は合わないわね
というのは蒸れてよそのお宅に伺ったとき臭いが気になる
そこへ行くと下駄や草履は蒸れないからいい
こんな話を30代の若い友人たちと話し合っていました
その中の一人が五木寛之の「下山の思想」を読んでいたく感動をしているのです
私は日刊現代という新聞に連載されていたのを読んだのですが
若い人が下駄や草履に興味を持ったことが驚きでした
山の頂上に立てば必ず今度は下山しなければならない
その時両足を踏ん張り一歩一歩自分の歩く場所をきちんと見極めて下る
下駄や草履は地の気配がわかりやすいがーー
みたいなことを書いていて
つまり日本の国はいったん頂上まで上り詰め今は下山をしているのだが
人々はその自覚を持っているのだろうか
まだ上を目指しているのならもうそこには土はない山はありませんよ
いったん下りてまた別の山を目指しましょうという
下駄や草履は五本の指が自由に動いて大地とともに呼吸ができる
こういう履物の存在を自分たちは忘れてはいけない
この夏は下駄を履くーーーーと
おじさん向けの本を読んで履物に目が行くということは
日本人も変わってきたかと思ったものです
というのは蒸れてよそのお宅に伺ったとき臭いが気になる
そこへ行くと下駄や草履は蒸れないからいい
こんな話を30代の若い友人たちと話し合っていました
その中の一人が五木寛之の「下山の思想」を読んでいたく感動をしているのです
私は日刊現代という新聞に連載されていたのを読んだのですが
若い人が下駄や草履に興味を持ったことが驚きでした
山の頂上に立てば必ず今度は下山しなければならない
その時両足を踏ん張り一歩一歩自分の歩く場所をきちんと見極めて下る
下駄や草履は地の気配がわかりやすいがーー
みたいなことを書いていて
つまり日本の国はいったん頂上まで上り詰め今は下山をしているのだが
人々はその自覚を持っているのだろうか
まだ上を目指しているのならもうそこには土はない山はありませんよ
いったん下りてまた別の山を目指しましょうという
下駄や草履は五本の指が自由に動いて大地とともに呼吸ができる
こういう履物の存在を自分たちは忘れてはいけない
この夏は下駄を履くーーーーと
おじさん向けの本を読んで履物に目が行くということは
日本人も変わってきたかと思ったものです
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