2018年ノーベル生理学賞に本庶佑氏が共同受賞されたニュースが流れています。
研究は免疫機能を発見してから新薬発売までに22年に及んだということです。
22年前と言えば長男が生まれた頃ですが、
その時に22年後がどうなるか、など予想できはしませんでした。
ただ、新しい生命を守ることに徹した22年だったと言えます。
今やらなければならないことと、遠くにはたぶんある、しかしどうなるか見えない将来に向かい、風雨が吹きすさんでもただただ立ち向かって来ました。
学問や研究事業とはどこかそういうふうに、見えない未来に向かって突き進んでいくことに似ている気がします。
研究の中には日の目をみないものもあるはずですから、今回のノーベル賞受賞は、未来に向かって突き進み、よい結果が出たものだと言えます。
この22年間の間に、たくさんの生命が誕生したわけですが、たくさんの生命も失われてきました。
特に今回の受賞はがん治療薬ですから、がんにより失われた生命にとっては口惜しさも残るものです。
研究とはどのタイミングに合うかは想定できないものだとも言えます。
このノーベル賞受賞の研究により発売された新薬は2014年発売ですが、それまでに私の親友2人は、がんで亡くなりました。1人は胃がんから、1人は乳がんからでした。
「この薬を試すことができたなら、どうなっていただろう...」
と、
受賞の喜びを感じながら一方で、そういう深い思考を感じながら今回の発表を眺めています。
それは、そういう経験をしている皆様ならば同じかもしれません。
少し寂しい気持ちも浮かびます。
そういう私はそのような研究畑には縁遠かった、現場主義の臨床医です。
先述のように、研究とは未来に向かい立ち向かい続ける必要があります。
つまり、そういう環境がまず必要なのです。
本庶氏は、「ノーベル賞の賞金も、新薬で得る特許料も未来の研究者に捧げる」と言われていますが、学問や研究を進めるための環境がないと、まい進出来ないものなのです。
私の場合は「女は25歳を過ぎたら12月25日のクリスマスケーキ」と言われていた当時の女性はこうあるべきという社会現象で、現代で言えばやや偏った女性の在り方で、母として生きる道をまずは優先順位として歩み始めていましたし、身辺環境が整いませんでしたので、現場主義、臨床医という道を歩むことになったのでした。
開院してから長く通院して頂いている患者さんと一緒に生きてきた思いです。
私が治療したから患者さんの歯や食生活を守り生かして来れたという思いはありません。
その時その時の相談を受け、どうしたらその患者さんが生きやすいかを考えながら、
私も母親として子供を育てさせてもらう環境を得ていた、という感じです。
開院当初から来ていただいている皆様で私と同世代の皆様の、
出産、育児、お子さんの入学、卒業、就職を見て来ました。
すでに中高年の年齢から当院にいらして下さっている方々は、
いかに食べるための歯を残すか、残らない場合はどうしたらいいかを、患者さんの通院や生活環境まで考えながらやって来ました。
そうやって自分も一緒に生かせてもらいながら、
今までなんとか生きて来れました。
現場主義とは「一緒に生きること」に尽きる気がします。
さて、ノーベル賞受賞と同時に見たニュースに、「おっぱい展」なるイベントがあります。
こちらはまさに、現場主義。
研究事業とは、遠い見えない未来に成果を出すものですが、現場主義は、今現在に直接触れるものです。
今を生きる人々、それは、まだ生物学的な人間としての平均寿命(平均寿命とは巷での把握とは違います。正確には生まれたての赤ちゃんがあとどれだけ生きれるか、の平均余命のことを言うのです)が残っている人々が、
より良く生きて行けるために、今すぐにでも改善できることのためにはどうすればいいか、がテーマになります。
「おっぱい展」は、私の臨床医療や、私がやりはじめている、食育事業にも通ずるものがあります。
ノーベル賞受賞と「おっぱい展」のニュースをほぼ同時に見たことは、
私がどうして現場主義を貫かざるを得なかったか、と今後どのように現場主義を貫いてやって行きたいか?の、折り目をつけたような出来事でした。
「現場主義でもいいじゃない?
現場があるならやりたかった」
と、やりたいことがまだまだあったにも関わらず早く亡くなってしまった親友たちは思っているのではないかと思います。
とても有能だった親友たちでしたから、生きていたらきっと何かしら社会に貢献している人達でした。
そんなふうに、とある時々に親友たちを思い返すことは、支えられているような、また、原動力のようなものにもなっています。
現場で生きてきたこと、たぶんこれからも現場で生きることに腑におちた、ノーベル賞受賞と「おっぱい展」のニュース,
かけはなれているようで、私を通じて繋がっている二つの出来事でした。
研究は免疫機能を発見してから新薬発売までに22年に及んだということです。
22年前と言えば長男が生まれた頃ですが、
その時に22年後がどうなるか、など予想できはしませんでした。
ただ、新しい生命を守ることに徹した22年だったと言えます。
今やらなければならないことと、遠くにはたぶんある、しかしどうなるか見えない将来に向かい、風雨が吹きすさんでもただただ立ち向かって来ました。
学問や研究事業とはどこかそういうふうに、見えない未来に向かって突き進んでいくことに似ている気がします。
研究の中には日の目をみないものもあるはずですから、今回のノーベル賞受賞は、未来に向かって突き進み、よい結果が出たものだと言えます。
この22年間の間に、たくさんの生命が誕生したわけですが、たくさんの生命も失われてきました。
特に今回の受賞はがん治療薬ですから、がんにより失われた生命にとっては口惜しさも残るものです。
研究とはどのタイミングに合うかは想定できないものだとも言えます。
このノーベル賞受賞の研究により発売された新薬は2014年発売ですが、それまでに私の親友2人は、がんで亡くなりました。1人は胃がんから、1人は乳がんからでした。
「この薬を試すことができたなら、どうなっていただろう...」
と、
受賞の喜びを感じながら一方で、そういう深い思考を感じながら今回の発表を眺めています。
それは、そういう経験をしている皆様ならば同じかもしれません。
少し寂しい気持ちも浮かびます。
そういう私はそのような研究畑には縁遠かった、現場主義の臨床医です。
先述のように、研究とは未来に向かい立ち向かい続ける必要があります。
つまり、そういう環境がまず必要なのです。
本庶氏は、「ノーベル賞の賞金も、新薬で得る特許料も未来の研究者に捧げる」と言われていますが、学問や研究を進めるための環境がないと、まい進出来ないものなのです。
私の場合は「女は25歳を過ぎたら12月25日のクリスマスケーキ」と言われていた当時の女性はこうあるべきという社会現象で、現代で言えばやや偏った女性の在り方で、母として生きる道をまずは優先順位として歩み始めていましたし、身辺環境が整いませんでしたので、現場主義、臨床医という道を歩むことになったのでした。
開院してから長く通院して頂いている患者さんと一緒に生きてきた思いです。
私が治療したから患者さんの歯や食生活を守り生かして来れたという思いはありません。
その時その時の相談を受け、どうしたらその患者さんが生きやすいかを考えながら、
私も母親として子供を育てさせてもらう環境を得ていた、という感じです。
開院当初から来ていただいている皆様で私と同世代の皆様の、
出産、育児、お子さんの入学、卒業、就職を見て来ました。
すでに中高年の年齢から当院にいらして下さっている方々は、
いかに食べるための歯を残すか、残らない場合はどうしたらいいかを、患者さんの通院や生活環境まで考えながらやって来ました。
そうやって自分も一緒に生かせてもらいながら、
今までなんとか生きて来れました。
現場主義とは「一緒に生きること」に尽きる気がします。
さて、ノーベル賞受賞と同時に見たニュースに、「おっぱい展」なるイベントがあります。
こちらはまさに、現場主義。
研究事業とは、遠い見えない未来に成果を出すものですが、現場主義は、今現在に直接触れるものです。
今を生きる人々、それは、まだ生物学的な人間としての平均寿命(平均寿命とは巷での把握とは違います。正確には生まれたての赤ちゃんがあとどれだけ生きれるか、の平均余命のことを言うのです)が残っている人々が、
より良く生きて行けるために、今すぐにでも改善できることのためにはどうすればいいか、がテーマになります。
「おっぱい展」は、私の臨床医療や、私がやりはじめている、食育事業にも通ずるものがあります。
ノーベル賞受賞と「おっぱい展」のニュースをほぼ同時に見たことは、
私がどうして現場主義を貫かざるを得なかったか、と今後どのように現場主義を貫いてやって行きたいか?の、折り目をつけたような出来事でした。
「現場主義でもいいじゃない?
現場があるならやりたかった」
と、やりたいことがまだまだあったにも関わらず早く亡くなってしまった親友たちは思っているのではないかと思います。
とても有能だった親友たちでしたから、生きていたらきっと何かしら社会に貢献している人達でした。
そんなふうに、とある時々に親友たちを思い返すことは、支えられているような、また、原動力のようなものにもなっています。
現場で生きてきたこと、たぶんこれからも現場で生きることに腑におちた、ノーベル賞受賞と「おっぱい展」のニュース,
かけはなれているようで、私を通じて繋がっている二つの出来事でした。