私の町 吉備津

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少々風邪きみで

2015-04-23 17:34:40 | 古代吉備国
 この2,3日風邪きみで、このブログを書くのさえ億劫で床に伏せっていましたが、夕方ようやく起き上がる気分になり書きこんでいます。

 さて、歳はとしたくないものですね、前回どこまで書いたかもう忘れております。
 まあ、あの兄媛の親を思う心が強く、オイローゼになって、その美しい顔を曇らせていたのです。それを見てとった応神天皇は、すぐに、次のような命令を出すます。

 「淡路の御原の海人(アマ)80人を兄媛を吉備まで送るために召集します。春3月に兄媛の嘆きを知って、此の海人80人集めて送らせたの4月なのだったのです。それくらい毎日毎日兄媛の愁いを解決して遣ろうと計画しています。
 どうです。美人の愁いを帯びた顔(カンバセ>はいかに男心を切羽詰まったな感覚にするかお分かり頂けるでしょう。
 この物語の筆者は、応神というお人は、そんな男心といいましょうか男気のある天皇だということを強調したかったのだと思われますが、兄媛が相当美しかったのだと思われます。

 さて、この時代の美人ってどんなお人だったでしょうか、それについて、また、明日にでも脱線しながら書いてみたいと思われますので、お楽しみにしていてください。

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