栄西が賀陽氏の出であると云うことから、私の間違いを書いたのですが、
「そんなら。書紀にある{香屋臣}<かやおみ>と云うのは何んなんじゃ」
と云う問い合わせがありました。良く分からないのですが、孫が中2です。その社会科の本を借りて、久しぶりに、日本の古代社会の政治制度について勉強をし直しました。
5~6世紀の大和時代の政治形態を示す「氏姓制度」というのがあります。「氏<うじ>」「姓<かばね」の政治制度です。
その中で「臣」という姓は天皇の政治を直接補佐する最高の人達に与えられてものなのだそうです。とすると、栄西の祖先である御友別の子「仲彦」に与えられている「臣」と云う姓は、天皇の政治を補佐する重要な位置を占めていたことになります。兄の稲速別も鴨別も「臣」という姓を賜っております。尚、この中、御友別の兄である浦凝別は「直<あたい>」という姓を頂いております。
なお、兄媛は女性であったからでしょうが、「姓」は与えられておりません。多分、結婚もしてはなかったのだろうと推察しております。その祖先がどうなったかは不明です。
「そんなら。書紀にある{香屋臣}<かやおみ>と云うのは何んなんじゃ」
と云う問い合わせがありました。良く分からないのですが、孫が中2です。その社会科の本を借りて、久しぶりに、日本の古代社会の政治制度について勉強をし直しました。
5~6世紀の大和時代の政治形態を示す「氏姓制度」というのがあります。「氏<うじ>」「姓<かばね」の政治制度です。
その中で「臣」という姓は天皇の政治を直接補佐する最高の人達に与えられてものなのだそうです。とすると、栄西の祖先である御友別の子「仲彦」に与えられている「臣」と云う姓は、天皇の政治を補佐する重要な位置を占めていたことになります。兄の稲速別も鴨別も「臣」という姓を賜っております。尚、この中、御友別の兄である浦凝別は「直<あたい>」という姓を頂いております。
なお、兄媛は女性であったからでしょうが、「姓」は与えられておりません。多分、結婚もしてはなかったのだろうと推察しております。その祖先がどうなったかは不明です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます